35話
清子と清の葬儀は恙無く終わった。人間の王も勅使を送り、各地の真祖達も参列した。
事件は清子の死を受け入れられなかった清の自害として収められ、数日ニュースで流れただけで大きな騒ぎとなることはなかった。人間中心の世界でたとえ始祖だろうと吸血鬼同士の事件に人間は興味がないためだ。
だが、そう言っても現場を目撃した者たちは世那を許すはずはない。利津は内々に世那を処分することに決定した。
『死よりも途絶えない苦痛を。血を抜かれ続けるためだけに生を全うさせる』
その処分を否定する者はいなかった。吸血鬼にとっては最大の罰となるからだ。死ぬことを許されず、自由もなく、死ぬまで血液バンクとして使われる。プライドも何もかも失い、狂いそうになっても狂わせてもらえない。感情すら否定され、ただ血液を生産する機械のような存在に成り下がる。
死なせてくれた方がどれだけ楽だろうか。
「随分優しい罰ね、利津」
清と清子の初七日を終えても尚、美玖は久木野邸で過ごし自分の抱える数人の眷属とリリィをつかって悠々自適に久木野邸で過ごしていた。
美玖はお気に入りのソファに深く身を預けながら目の前に立つ利津を見てにっこり微笑んだ。利津はその微笑みから視線を逸らして腕を組んだ。
「優しい?何か勘違いしているな。あの男はただ俺に血を与えるためだけに存在している。地下牢に閉じ込め食事も最低限。何か問題があるのか?」
「ふふっ、大アリよ。まだ血液パウチを飲む方が100倍マシじゃない。なのにあなたは私達吸血鬼の仇の血を飲むの?」
「仇ならば尚のこと、親を殺された俺が直々に罰を与え苦しめるべきだろう」
「そんなにあの子の血が好きなの?」
以前の利津ならば狼狽え、自分の気持ちを繕うように紳士的な振る舞いをしたかもしれない。だが美玖の意地悪な問いに利津はぎろりと見下ろし、美玖のソファの背もたれに掴みかかり顔を近づけた。
「だとしたら何だ」
「まぁ……、ふふっ。そう、正直でいい子」
「誰のものかわからない混ざった血液など二度と飲みたくはない」
「じゃあ、私のでもいいんじゃなくて?」
そう言うと美玖は開けた胸元を更に開くように襟を指先でつまんで少し持ち上げ、利津を上目で見上げた。こぼれんばかりの乳房がふわっと揺れ、日焼けを知らない真っ白な肌からはうっすらと青い血筋が見える。
利津は誘われるまま視線をそちらに向けたが、口元に手を当てふいっと視線を逸らし美玖から一歩離れた。
「……かーわいい」
いくら紳士的に振舞ったところで学校と軍とここしか知らない22歳の若者。利津が年相応の可愛らしい男の子に見えて美玖はくすぐったくなった。
今までとはどこか違う利津の態度に美玖は初めこそ疑心の目で見ていたが、今のような反応をされれば美玖は疑う気になれなくなっていった。多少の反抗はするけれど、そんなものは反抗期の子供と変わらない。
「いいのよ、恥ずかしいのは当たり前じゃない」
「……」
美玖が諭すように話しかけても利津は口を押えたまま俯いている。表情は読み取れないが緊張しているのだろう、と美玖は思い、手を利津の方へ差し出し指先をクイクイと自分の方へ曲げて手招きをした。利津は窺うように美玖を見てリリィに視線を向けた。
「あぁ……そうね。リリィ、あなたのご主人が出ていって欲しそうよ」
ちらりと視線を落とした利津に美玖は気を利かせてリリィに言った。するとリリィは頭を下げるだけで動こうとはしない。
「どうしたの?早く出ていきなさい」
「だって、美玖様。私……」
リリィは小さな声で呟き、そしてモジモジと前に組んだ手を揺らす。
自分を取り合う利津とリリィにすっかり気をよくした美玖は楽しそうに笑って首を傾げた。
「ふふふっ、そうね。リリィのこともあとでいっぱい可愛がってあげるから。今は……ね?」
その言葉を聞いただけでリリィはにっこり笑って部屋から出ていった。
パタンとドアが閉まる音が響き、そのあとは静寂が広がる。美玖は利津に向き直ってもう一度手招きをした。
「さ、邪魔者はいなくなったわ。……どうぞ」
美玖は自分の隣をポンポンと叩き利津を誘った。利津はちらりとドアを見ておずおずと近づき、誘われるまま大人しく隣に腰を下ろした。座っただけで何もしてこない利津に美玖はそっと利津の頭に手を添え優しく自分の肩に寄り掛かるように引き寄せた。
「早くあなたの血が飲みたいわ」
「結婚してからだ」
「ふふっ……古臭いしきたり」
「父も祖母もそうしなかっただろうが俺は違う」
「そうね。私が噛みついたら眷属になってしまうものね」
「……」
まるで童話を読み聞かせるような優しい声色で辛辣なことを美玖は言った。だが利津は眷属という言葉に怯えることも、まして喜ぶことも、そしてぴくりとも体が動かさなかった。
かわりに利津は甘えるように美玖にもたれかかる。人前で見せたことのない利津の愛らしい行動に美玖はふふっと笑い、利津の軍服の襟元から見える首筋に視線を向けた。
鍛え抜かれた肉体であることもあって首筋は男らしくあるが、陶器のように艶のある白い肌は美玖が見てきた中でも段違いで色っぽい。美玖は小さく唾を飲み込むと利津を引き寄せて首筋に顔を埋めた。そして存在を主張するようにありありと見える太い血管をなぞるように舌を這わせた。
「怖い?」
「何故」
「今まで吸血鬼の頂点として生きてきたんでしょう」
「これからも変わらない」
「えぇ、そうね」
「……」
「大丈夫よ。利津。あなたは久木野の嫡男。地位も名誉もあなたのもの。……本当の始祖でなくても人間や他の真祖には案外わからないものよ。それに、始祖である私がずっと可愛がってあげるから大丈夫。罪人の血の味なんか忘れるくらい溺れさせてあげる」
呪詛のように響く言葉。利津は何も言わず目を閉じ、美玖に体を預けた。
―――
「おーっす、リリィ」
美玖の部屋から出てきたリリィを見つけると佐藤はヒラヒラと手を振った。お気楽な佐藤の様子にリリィはあからさまに機嫌を損ねたと言わんばかりの目を向けると佐藤の横を通り抜けた。
さっさと歩くリリィに佐藤はわざとらしく大きくため息を吐いて小走りで追いかけ隣を歩いた。
「つれねえの」
「今に始まったことじゃないわ」
「そーね」
「で?」
「あ?」
「きちんと仕事をしているの?」
「おかげさまで」
「どうだか」
「リリィこそしっかり仕事してんのか?」
「当たり前じゃない」
軽口を叩きあいながら二人は自分たちの部屋に戻って来た。リリィを先に通して佐藤はドアを閉めると後ろ手に鍵を閉めた。いつもならそんなことをしない佐藤にリリィは振り向き訝し気に佐藤を睨んだ。
「何?」
「別に?俺は休憩しに帰ってきただけですけど」
「なんで鍵を閉めたの?」
「出たきゃ勝手に開けろよ。開けれんだろ」
「佐藤にしては用心深いじゃない」
「そう?」
「……」
じっと睨むリリィの視線に佐藤は笑いながらソファに腰を下ろすと運転時の帽子を乱暴にテーブルに放ってポケットから煙草を取り出し火をつけた。窓も開けず換気のなっていない部屋で煙草の煙がむわっと広がる。
けほっとリリィが咳をすると佐藤はさも楽しそうに笑いソファの隣を叩いた。
「リリィも一本いかが?」
「いらない」
「そ」
「私まだ未成年なの」
「知ってまーす」
相変わらず軽い佐藤にリリィは眉間に皺を寄せ、佐藤が案内した方ではない向かい側のソファに腰を下ろした。背筋を伸ばして座っているリリィに佐藤は鼻を鳴らして笑った。
「さて、やるか」
「その前に煙草消してよ」
「やだね」
「じゃあやらない」
「あーあー!わかった。……早く終わらせようぜ、面倒くせえ」
降参だと言わんばかりに佐藤は両手を上げ、すぐに煙草をもみ消した。
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