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34話

 鬱陶しいほどのサイレンが邸宅を包むように鳴り響く。その中でも美玖は椅子に座りながら優雅に紅茶を飲んでいた。


「煩いわね。いつになったら止まるのかしら」

「先程利津様がお帰りになったのでそろそろかと」


 独り言のようにつぶやかれた言葉にリリィは窓辺に立ち見慣れた佐藤の車を見下ろしながら淡々と返答した。


 程なくしてサイレンが止まると美玖は大きくため息を漏らして手を天井に向かって伸ばした。


「はぁ……上手くやったかしら。あの下僕は」

「世那さんの親が美玖様だとは知りませんでした」

「そう?親なしと言われるのはほとんど私の子供達よ。あなたも知ってると思うけど、眷属って従順なの。体を差し出せといえば喜んで差し出す。張り合いがなくてつまらない。だからね街に遊びに行った時はチョチョイって吸血鬼を増やすの。……ふふっ、まあ……そういう意味では影島世那を吸血鬼化させた理由はちょっと違うけど」


 美玖は残りの紅茶を啜り飲むとソーサーにカップを置きリリィに目配せをした。リリィは何も言わず紅茶を淹れ直すとカップに優しく注ぎ、美玖に手渡した。

 それを受け取ると美玖は華やかな香りに満足したように微笑み、ポットを置いたリリィの手を掴んで優しく引き寄せた。美玖よりも一回り以上歳の離れたリリィの指先は何もせずとも艶があり、白く細い。美玖は妬ましそうに見やりその指にそっと口付けをした。

 ひくりとリリィが小さく震えると美玖はふふっと小さく笑った。


「安心して。まだ噛まないわよ」

「……えぇ」

「利津が私に堕ちたら貴女も私の眷属にしてあげる」

「……。私も捨てられるんですか?」

「ふふっ、どうして欲しいの」


 美玖の悪戯な質問にリリィは眉をぴくりと動かすと床に膝をつき、甘えるように美玖の膝に頭を乗せた。


「一生お側でお仕えしたいです」

「……まぁ」

「駄目ですか?」

「どうしようかしら」


 リリィは膝から頭を上げ美玖を不安げな眼差しで見つめた。

 従順なリリィの様子に美玖はにんまりと笑い、リリィの頬に手を添え優しく撫でた。優しく、ねっとりと、その先の甘い行為を助長するように指先だけでリリィの顔の形をなぞった。


「ねえ、()()ていう表現がぼんやりしていると思わない?」

「え?」

「だって私はあくまで血を受け継ぐ中で最も始祖に近い子孫ってだけでしょう?始祖って言うのは一人だけ。そう、真祖なら……いえ、帝国に住む者ならば吸血鬼の始祖が本当はどういうものか。子供でも知っているわ。おとぎ話の中に出てくる……」

「銀色の髪に金色の瞳……」

「ほら、あなたでも知っている」


 知らない者はいない。吸血鬼が当たり前に存在するこの世界に信じる信じないを抜きにすれば皆が知っている。

 生まれながら吸血鬼である真祖の瞳は多少の個性はあれど緑色だ。現代に存在する始祖と呼ばれる者、美玖や清の瞳も黄色に近いが明らかに緑色をしている。

 ただ始祖は明らかに真祖とは違う。始祖は存在するだけで圧倒的な覇気を持ち、他の吸血鬼達を支配することが可能だ。美玖は今までその力を抑え込みただの真祖として生きてきていただけに過ぎない。

 全ての吸血鬼を凌駕できる。にも関わらず美玖はふぅっと深い溜息を漏らした。


「馬鹿みたいよね。結局……始祖だなんだって言われたって本当に欲しいものは何一つ手に入らないのにね……」


 美玖はどこか遠くを見つめながら溜息交じりに呟き、リリィはその姿を見上げながら黙っていた。


 するとノックもなしにドアが開け放たれた。甘い時を過ごしていた二人とは明らかに違う空気をまとった男、利津は美玖を見つけると早足に近づき、上がる呼吸を整えながらぎろりと美玖を見下ろした。


「貴様の仕業か?」

「何のことかしら」


 さっきまでの憂いは一切なく美玖はフンと鼻を鳴らして笑った。小馬鹿にした美玖の態度に利津はこめかみに青筋を立てた。しかし声を荒げることなくゆっくりと嚙みしめるように話し続けた。


「祖母と父が亡くなった」

「あら……、よかったわね」

「なに?」

「よかったわねって言ったの。邪魔だったんでしょう」


 さほど驚かない美玖に利津は眉間の皺を更に濃くし、跪くリリィに視線を向けた。いつもなら姿勢を正すはずのリリィはちらりと利津を見るとすくっと立ち上がって二人から離れて窓辺に立った。利津に頭を下げるわけでも声をかけるでもなく窓の外へ視線を向けている。

 常軌を逸した光景に映ったのか利津は歯を食いしばり黙り込んでいる。その様子を見て美玖は口元を指先で抑え、クスクス笑った。


「震えてる」


 いつもの艶っぽさが一欠けらもない圧のある声で美玖が呟くと利津は視線だけを美玖に向けた。指摘されたことを誤魔化すように利津は拳を強く握って。


「話を逸らすな」

「逸らしてるのはあなたの方」

「……っ」

「もうわかっているわよね?利津はとっても賢い子だもの」


 美玖はぽってりとした自分の唇に指を這わせニヤリと笑った。口端からは吸血鬼の証である牙がちらりと覗く。滑らかに動くその指先を利津は目で追ってしまった。

 利津の中で理性と本能が葛藤する。吸血が足りないわけではない。なのに目の前に始祖がいるとなるだけで喉が渇き、血が欲しくなる。ごくりと生唾を飲み、利津は自分の欲を誤魔化すため視線を逸らそうとした。


「どうしたのかしら、子爵様」


 優しく語り掛ける美玖の声に利津はぴくっと肩を震わせ美玖に視線を向けた。駄目だとわかっていても体は、本能は、始祖を待っている。


「『座りなさい』」


 利津の心臓がドクっと鳴る。自分が始祖ではないと認識した利津に最早抗う術はなく、始祖である美玖の冷たい視線と低く命令する声に利津はその場に膝をつき座ってしまった。

 椅子はまだあった。にも関わらず対等に座れず床に膝をついた利津に美玖は笑いをこらえきれず天を仰ぎ笑った。


「あはははっ!かーわいい。そう、そうよね。よくわかっているじゃない」


 利津は拳を握り俯いた。だが美玖は許さず、利津の顎に靴の先を当ててクイッと上を向かせ視線を交えさせた。利津と同色の目が細くなり、真っ赤な唇が歪んで弧を描き微笑む。圧倒的支配者の視線に利津の息が止まった。


「あなたが5、6歳の頃のこと覚えている?私と初めて会った日。あなたは私との婚約が嫌で逃げ出した。わかっていたのよね?あの時にはもう。私があなたより上等だって。私が本当の始祖に最も近い存在だってことを!」


 金切声に似た女の声だけが部屋の中で響く。利津の額から大粒の汗が溢れていき利津はただただ美玖を見上げ、かろうじて動く指先は自分の手のひらに爪を食い込ませることしかできず、逃げることも立ち向かうことも許されない。

 美玖は変わらず微笑んだまま椅子から立ち上がると這いつくばる利津の前にしゃがみ、そっと利津の頬に手を這わせた。ぞぞっと何かが這うような感覚に利津は更に爪を肌に食い込ませた。残る理性を保とうと小さく抵抗したがすぐにそれは瓦解することになる。


「私に噛みつかれたい?それとも噛みつきたい?」

「っ……」


 甘い誘惑。利津の咥内がじわっと濡れ、ひゅっと冷たい空気が肺いっぱいに入り込む。バクバクと心臓の音が頭の中に響き周りの音は聞こえない。ただキーンと言う耳鳴りだけが鳴り利津は思考することをやめてしまった。


――噛まれたい、噛まれたい、噛みつきたい。

 

「あぁ……怖いわよね。大丈夫。あなたは私と結婚しても久木野の公爵として軍でも威張り散らしたらいい。……でも、わかってるわよね?私が始祖であなたはただの真祖。しっかり私のためだけに働きなさい」


 美玖の指先が利津の薄い唇をなぞる。利津の牙が美玖の指先に当たれば思考を奪われた利津は抗うことなく欲のままに噛みつき、そして美玖も利津に噛みつくだろう。そうすればあっという間に主人と眷属の関係は成立する。

 美玖に命ぜられることもなく利津は荒くなる呼吸のせいで自然と口を開こうとした。


「美玖様」


 凛としたリリィの声が二人の時を止めた。


「なぁに?」

「ご主人様にご褒美をあげるのはまだ早いのでは?」


 もう少し、というところでリリィの邪魔が入り美玖はむすっとした声を上げ利津から手を放してリリィに振り向いた。


「私のやることに文句があるの?」

「いえ」

「じゃあ何?」

「ご主人様にはまだやっていただかなければならない仕事がたくさんあります。何も成し遂げていないのに美玖様の眷属になれるなんて、卑怯です」


 リリィの表情は一つも変わらなかった。眉すら動かさず淡々と言うその姿に、美玖は怒るどころかにんまりと笑って立ち上がった。


「ふふっ、そう。そうね。あなたの方が私のために動いてくれているのに。ただ怒鳴りこんできた利津が先にってのはおかしな話だわ」

「私のご褒美も後日で構いません。美玖様の願いがかなった日、私が本当に役立った日に」

「……あははっ、聞いた?利津。あなたのメイドはとーってもいい子ね」


 甲高く、狂気が混じった美玖の笑い声だけが部屋にこだまする。利津もリリィも何も言わなかった。

 気分がよくなった美玖はくるりとスカートを翻し廊下のあるドアの方へ歩いて行った。


「さてと、お父様とおばあ様の葬儀の準備とかあるんでしょう?私はお風呂に入ってくるから、二人で何とかしておいてね」

「かしこまりました」


 動かない利津の代わりにリリィは丁寧にお辞儀をして美玖を見送った。

 バタンとドアが閉まるとリリィは振り返り、未だ床に座ったままの利津の前に立ち見下ろした。


「お仕事ですよ、ご主人様」


お読みいただきありがとうございます。

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