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33.5話

ほんの少しだけグロがあります。お気を付けください。

(side:世那)


 その日は非番だった。

 訓練を終え、邸宅に帰ってくると風呂と食事を済ませて眠る。起きたのは大体15時を回る頃。

 次の日に訓練がある日はここからまた身なりを整えて17時に佐藤の運転する車に乗り込む。利津を城に迎えに行って、俺は訓練施設で降りる。


 でも今日は休みだから、15時に起きてから用意された朝食を食べて筋トレをして本を読みながらゆっくりしていた。体を動かすのは好きだけれど、それよりも俺は読書の方が好きだった。孤児の俺が高等学校に通えることはなかったが勉強は嫌いじゃない。むしろ新しい知識を入れ、実践し、また思考することが好きだ。幸い、ここは久木野邸。あらゆる書物が揃っていて、リリィに頼めば大体似通った本を持ってきてくれた。


「失礼するわ」


 廊下に繋がるドアの向こう側に馴れない気配を感じ、視線を上げた時にはドアが開いていた。

 タイトなドレスに身を包んだたおやかな身のこなしの女性が一人俺の許可なく入ってきた。

 その女には会ったことがある。婚約披露宴の日に初めて会った利津の婚約者、田南部たなべ美玖みく。俺よりもずっと年上なのにどこか少女らしさを残し、それでいて艶っぽい雰囲気を醸し出す彼女は俺を見るなりにっこりと微笑んだ。

 本人に爵位はなくとも田南部侯爵のご令嬢。俺はすぐさま椅子から立ち上がり礼をした。


「いいのいいの。ゆっくりして」

「お見苦しい格好で失礼いたします」

「しょうがないじゃない。勝手に私が来たの。だから気楽に、ね?」


 消え入りそうな語尾がより色っぽさを醸し出す。貴族だからか、それともこの人がそうなのか。俺が出会って来た中にはいない艶っぽい言動に自然と背筋が伸びる。


 でも……利津の方が色っぽさで言えば勝っている気がする。

 厳格で冷たく、媚びた態度を向けられたことはないが目の前の女よりもずっと美しい。時折見せる頬を赤らめた顔や、ふと見せる柔らかい笑み。穢れを知らない利津に俺はすっかり絆されていた。


「あなたは利津の眷属なの?」


 ぼうっとしているところに田南部美玖は俺の顔を訝しげに見つめながら尋ねてきた。


「えぇ」

「利津があなたの血を飲むの?」

「え?……ああ」

「そう、……へえ」


 如何にもつまらなさそうに田南部美玖は視線を逸らした。

 田南部美玖は確かに美しい。年不相応な見た目だと言ったが、所作は俺とは全く違う気品があって俺が敵うような相手ではない。

 そして、彼女は一生利津の傍にいることが約束されている。妻として、パートナーとして。

 お似合いだ。


――許せない。


「だって、あなたの血って。まずいとかそういうの通り越して不快じゃない?」


 ぽってりとした唇を自分の指でなぞりながらさも田南部美玖は愉しそうに笑った。唇の隙間からきらりと鋭い牙が光る。少し黄色がかった緑色の瞳が俺を小馬鹿にしながら見つめてきた。


「俺の血?」

「あら、自覚ないの?人間の血って薄くてトロッとして美味しいの。眷属化すると濃くなっちゃってクドくなるんだけど。あなたのは初めからまずかったわ。こないだ飲んだ時も、ほんと」


 何を言っているのかわからなかった。だって俺はこの女に吸血されたことがない。なのに田南部美玖はさも味わったことがあるように言う。


 だって俺に吸血したことがあるのは利津と、……本当の親。


 田南部美玖は俺の顔を見ると歪んだ笑みを浮かべ、高らかに笑った。


「あはははっ!やっとわかったかしら?吸血鬼にした後、あなたには北からの特別な薬を与えたの。真祖を全て忘れますようにって。西和田の薬が白なら、北の薬は黒。吸血鬼にとって不利益しか生まないから誰も知らない」


 高笑いと見たくない表情に俺は奥歯を噛み締めた。知らない、覚えてない。この女が言うことは出鱈目かもしれない。なのに、全て合点がいってしまって納得しそうになる。

 婚約披露宴の日、トイレにやって来た人の声を思い出す。男、女……?女の声だった。背丈は?自分よりもずっと低かっただろうがヒールが高かったのか俺の首筋に難なく噛みついた。ひらひら鳴るスカートの衣擦れの音は……?


「『おはよう、私の可愛い下僕』」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の精神は真っ暗闇に突き落とされ、体だけが呆然と立ち尽くしていた。

 


ーーーー



 俺が意識を取り戻したのはけたたましいサイレンが鳴り響く見慣れない部屋の中だった。

 嗅ぎなれないツンとした消毒の香りが鼻腔をくすぐる。塵一つも許されないような清潔で真っ白なこの空間にはベッドがあり、そのベッドを取り囲むように病院で見るような器具や機械が所狭しと並べられている。


「ママ!うそっ……あぁああ!」


 ベッドにしがみつき男が大声で泣いていた。鳴り響くサイレンの元は機械のどれかだったようだが、男は発信源を止めることなく震えながら機器を手にとっては投げ捨て何かを探している。

 そして、ベッドの中にいる人物は俺の位置からでもはっきり見えた。眠っていたのは泣きじゃくる男よりもずっとずっと年上の女。80歳、いや90歳を超えているかもしれない女はぴくりとも動かない。

 生きているのか、亡くなっているのか、すぐにわかることになる。ベッドの向こう側にある電子板には「0」が表示され、その下を直線が走っていた。


 ベッドに眠っている女はもうこの世にいないのだろう。


「ママ!まぁま!ひぐっ……どうして。僕、お話ししたかっただけなのに。こんな、こんなたくさんの機械に囲まれて」


――どうして俺はこんなところにいるんだ。ここはどこで、俺は何をしている。


 ぎゅっと拳を握ると何か手に持っていることに気づき俺は視線を男から自身の手に向けた。

 いつ着替えたか知れない。俺は久木野の白い部隊章のついた黒の軍服に身を包み、右手には利津がくれた銀の短刀が抜き身で握られていた。


「な……」


 俺はつい声を漏らしてしまった。

 すると今まで俺を認識していなかったような素振りだった男は振り返り俺をぎろりと睨んだ。


「お前が、お前のせいだ」

「……え?」

「お前がいきなり現れたから、間違えてしまったのだ。お前のせいで私の治療は失敗した。ベッドにぶつかり母を支えていたものが止まってしまって……。お前が来なければ母は死ななかった!」


 何やら話す男の言葉を理解するよりも俺は目の前の男の顔にくぎ付けになっていた。

 銀色の髪を硬く固め、翡翠色の瞳は冷たく、眉間に皺を寄せ俺を睨む視線。他人を拒絶し、傲慢で配慮のない表情。


「利津……?」


 俺がその名を呟くと男は息をつまらせ、気が狂ったように髪をかき乱し震えた。


「は、は、あの出来損ないが、()()()()()をした出来損ないが……っ。また、私の……。ママ!ママぁ!」


 男はもう正気ではなかった。俺がここに来たせいなのか、そうではないのか初めて会った俺にはわからない。けれどもこの人が利津と血縁者なのは一目で理解できた。あまりにもそっくりな容姿に疑う理由がない。


――でも……待て。今、聞き捨てならないことをこの男は言わなかったか。


「利津は始祖じゃないのか」


 俺の問いに目の玉をぎょろりと回し、男は俺を見て高らかに笑った。


「はっ、はははは!馬鹿が!貴様はアレだ、屋敷に侵入した不届き者だろ?ならばわかるまい。親なしの劣等吸血鬼には真祖が全て始祖に見えるだろうな。ふふふっ、ふ……皆騙されてる。ママの言う通り、ママが思った通りやったから皆あの出来損ないを久木野の嫡男だと思い込んでる。馬鹿だ、馬鹿ばっかり。……ママ、ママ……」


 男は喉がちぎれてしまうのではと思うほど叫んだかと思えば「ママ」と言うと途端に力をなくして泣きじゃくった。そして俺の方を見やるとまた歪んだ笑みを浮かべてずかずかと近づいてきた。


――離れなければ。


 そう思って俺が一歩後ろに下がると男は鋭い眼光で俺を睨み叫んだ。


「『止まれ!』」


 俺の意志とは無関係に足が止まる。大きな音に驚いたとかそういう単純なものではない。

 田南部美玖。彼女にある呪文を言われた時と同じ脱力に似た感覚が俺の行動を制御する。

 目の前の男は本物の始祖だ。田南部美玖も始祖で、向こうで亡くなっている「ママ」もまた始祖なのだろう。


「へはは、はははは!なぁ、どうだ?始祖に命令されるのは。利津にはできないことだぞ」


 俺が硬直するのを見て男は狂喜し叫び笑った。俺の手には銀で出来た短刀がまだ握られている。俺が自分を刺さないと確信しているのか男は更に俺に近づく。そして握っている短刀を奪うと男はよだれを垂らしながらまた笑った。


「はははは、は、今ここで私が死ぬとどうなるかわかるか?ママと私、二人の始祖を殺した罪は人間の王を殺すより罪深い」


――死ぬ?この男が。利津の父が、目の前で死ぬ。


「ママ、ママぁ!僕今からそっちに行くよ!あの世でまた一緒に寝よう!毎日一緒に、ずぅっとずっと!」


 男は視点の定まらない目できょろきょろとあたりを見渡し、短刀の刃先を自分の首に当てた。だが狂気を持ったことがないのだろう。まして自分で自分を切ろうとする覚悟もないのか、男はがくがく震えている。刃先が薄く皮膚を裂き真っ赤な血が男の首を濡らす。

 始祖の意識が俺から背くと俺の肺にひゅっと冷たい空気が入り込んだ。今なら話せる。そう思うとつらつらと言葉が溢れた。


「利津は……」


 やっと絞り出せた言葉に男の動きが止まる。俺は叫んだ。


「利津は、アンタの息子なんだろ?だったら、死んだらだめだ!向こうの人がアンタのママなら、アンタが今悲しんでいるように、利津もアンタが死んだら悲しむ」


 うまい言葉が見つからない。けれども本心だった。

 血のつながりは絶対だ。だって俺にはもう血のつながった家族はいない。欲しくたって二度と手に入らない。そもそも目の前で利津の親が死ぬのは見たくない。


 しかし、男に俺の言葉は届かなかった。


 男は俺を一度見るとニヤリと笑い、力を籠めると一思いに首を掻っ捌き命を絶った。

 男が倒れると今まで動かなかった俺の体に力が戻った。同時に俺は頭で考えるよりも先に男に近づき男の首に手を当てがい、溢れる血を止めたくて首を絞めるように力を籠めた。だが、首から溢れる血を止められるわけがない。


 始祖の血。本来なら飲みたくて仕方なくなるはずなのに何故か俺はちっとも欲しいと思わなかった。

お読みいただきありがとうございます。

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