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32話

 どれくらいの時間眠っていただろうか。


 ふわふわする夢の中からゆっくり覚醒し、利津は見慣れた天井を眺めた。自分からベッドに入った記憶もなければ着の身着のままの姿で眠っていたようだ。それにここ数日耐えていた吸血衝動もない。

 利津は自分の体の変化に戸惑いながら視線を部屋に向けた。


 今朝方、暴れてちらかしたはずの部屋は適当に片付いていた。カーテンが締め切られていてはっきりわからないが、もう日がある時刻ではないようでカーテンと窓の間には影しかない。

 そしてふと左側だけ温かいことに気づきゆっくり上半身を起こしてそちらに視線を向けると床に座りベッドに上半身だけを預けて眠る世那がいた。


「……世那?」

「あ……やべ、寝ちまってた」


 寝起きの掠れた声に呼ばれ、世那は寝ていたことに慌てて顔を上げると利津の顔を覗き込んだ。利津の瞳はいつもどおり翡翠色に戻っており世那はほっと息を吐いた。


「いや、出て行こうて思ったんだけど、他の奴が部屋の中見たらビビるだろ。あ、リリィと佐藤には言ってあるから心配すんな」


 覚醒しきっていない利津は早口に話す世那の言葉を半分で聞きながら眉間に皺を寄せた。

 黒の軍服は脱いではいたがあきらかに訓練後のままの世那の姿にどれだけ自分が迷惑をかけたか簡単に理解できてしまったからだ。


「どうした?」

「……」

「利津?」


 利津は苦虫をかみつぶしたように俯いていたが、世那を見やると同時に世那の手を掴んで強く引き寄せた。突然のことに世那は体勢を崩しベッドに倒れる形になって利津を見上げた。


「ってえ、……なんだよ」

「傷」

「あ?あぁ……ほら、何ともねえ」


 乱暴な利津の動作に世那はふてくされたが、利津の真意を知るとふにゃりと笑って手のひらを見せた。世那の言う通り傷口らしいものは見当たらない。

 数時間前の出来事とはいえ利津は今起きたことのように世那の手に自分の手を重ね優しく握った。


「すまない」

「謝んなよ」

「俺は世那を傷つけるつもりはない。今もこれからも。二度とあのようなことはするな」


 今まで見せたことのない悲痛に歪んだ利津の表情に世那は眉尻を下げ乾いた笑いを漏らした。

 自分を思っての言葉を紡ぎ、心を痛める利津が愛しい、と世那は思った。でもその優しさに甘んじるつもりはないため世那は言い返す。


「それは出来ねえな」

「なに?」

「だって、俺は利津の眷属だろ」

「形だけだ」

「形だけなら尚更、眷属が存在する理由なんて決まってる。主人を守り、主人に血を与える。そうだろ?」

「守られる必要も、血をもらう必要もない。俺は始祖だ。俺に歯向かう者は存在しない」


 何度聞いたかわからない始祖という単語。まるで自分に言い聞かせるように繰り返される言葉に世那は体を起こして利津をまっすぐ見つめた。


「歯向かう奴はここにいるだろ。俺は眷属で、利津は主人。でも本当の血の縛りはない」

「だったらなんだ」

「お前が望むことを叶えてやれる」

「ほう。俺が何を望んでいるか知っているのか?」

「言いなりにならない眷属」


 所謂ドヤ顔という表情で世那は言った。だが利津はフンと鼻を鳴らし小馬鹿にした。


「ハズレだな。本来俺は眷属も必要ない。俺が欲しいのは今も昔も世那だけだ」


 世那の言葉よりもずっとずっと恥ずかしい言葉を利津は簡単に言ってのけた。いや、言ってしまったのだ。自分で言ったくせにその言葉の意味を理解した頃には利津の顔は真っ赤になり、自分の手で顔を覆った。


「っ……、何か用があってきたのだろう。無いならさっさと出ていけ。主人の部屋に入り浸るな」

「あー、そうだ。隊長から預かり物があるんだ」


 コロコロ変わる利津の表情に世那は笑いをこらえ、言われるままベッドから降りて椅子にかけておいた軍服から封筒を一つ取り出して利津に差し出した。

 利津は一つ咳ばらいをして気を取り直し受け取ると封筒を開け、中に入っていた書類を広げた。何かの表と走り書きのメモを読むと火照った頬は冷め、世那に向き直って尋ねた。


「西和田と田南部が血液パウチについて連携したのは知っているか?」


 すっかり仕事モードの利津に世那はからかうことなく一つ頷いた。


「田南部が関わってから需要が前と比べて倍以上らしい。と言っても国が支給するものだから儲けになるかと言えば別の話だろうが」

「よかったじゃねえか。血に困る奴がいなくなるってことだろ?」


 純粋な質問に利津は顔を上げると世那を見てふと鼻で笑った。


「よくないとしたら」

「え?」

「本来吸血鬼はお互いに血を供給しあう。真祖は眷属の血を、眷属は眷属同士あるいは主人の真祖から。生きた血を飲むことが最大の悦びの連中が血液パウチの方がいい、と言い出すのはおかしな話だろう」

「それって……」

「互いの血よりも美味いという。そんなことが起きるのは眷属が真祖の血を飲む時、そしてその真祖よりも上級だと感じるというのは……」

「……始祖の血」


 信じられない事実に世那は言葉を失った。

 血液パウチは元々、親なし吸血鬼が自我を失わないために生み出されたものだからだ。親なし吸血鬼は真祖や仲間の眷属がいないため、人間達が献血し集めた血を少し分けてもらっている。当然その場で抜き取る血よりも新鮮さは失われ、まして真祖の血を上回るものがあるわけがない。


「待てよ。だって始祖は……」

「祖母は危篤で動けないし、臆病で傲慢な父が血を提供するはずはない。2人の血を抜くことは不可能だ」


 メモに書かれた言葉。血に飢えた自分。狂う時を狙ったかのように現れた婚約者。そして次に何か起こるとすれば……。利津は次に起こるであろうことを容易に想像できてしまった。

 背筋をつうっと冷たい予感が這う。その未来を遮るように利津はごくりと喉を鳴らし、鋭い視線で世那を見つめた。


「俺以外の血を飲んでいないな?」

「当たり前だろ」

「ならばこれからも何があろうと俺だけにしろ」

「お前もな」

「……俺のことはいい」

「利津が約束するなら俺もそうする」

「……」


 まっすぐな利津の視線に怯えるでもうっとりするわけでもなく、世那はじっと利津を見つめ返した。それは本当の主人と眷属では成し得ない反抗と揺るがない信念の証。

 吸血鬼に身を堕とそうと変わらない世那の頑固さに利津は視線を落として小さく笑った。もう何を言っても譲らないだろう世那の考えに抗う気力はない。それに世那が正しいことも利津はわかっていた。


「わかった」

「言ったな?約束だぞ」


 世那は嬉しさが溢れた笑みを浮かべ、からかうようにツンと利津の胸を指先で押した。

 まるで昔に戻ったような世那の表情に利津は目を細め、僅か照れたように笑い返した。

 

「早速だ。くれてやる」


 そう言うと利津は元々緩んでいたワイシャツのボタンに触れ2つほど外して鎖骨が見えるくらいまでくつろげ襟元を引っ張り頭を傾けた。

 当然のように首を差し出す利津に世那は困ったように笑う。


「手からでいいのに」

「ここの方が早い」

「噛まれる方が好きか?」

「俺が?」

「そう」

「馬鹿馬鹿しい。血を与えたのも噛ませたのも世那が初めてだ」


 その言葉の意味がどういうものか、利津はわかっていない。

 お前にだけ許した、と言われたも同然で世那はほうっと熱い吐息を漏らして微笑んだ。


「そうか」

「なん……っ」


 利津が尋ねようと口を開いた瞬間、世那のうっとりした表情が目に入り利津は言葉を飲み込んだ。同時に世那はベッドに片膝を乗せ、身を乗り出して利津に迫る。利津の肩を掴むと露わになった首筋に顔を近づけ思い切り牙を立てた。


「っ……」


 じんわり溢れた血を世那はわざと喉を鳴らして飲み込む。

 血液に興奮した世那の呼吸を聞きながら白く輝く世那の髪を視界の端に見やり、利津は口端を上げ天を仰ぎ見た。

 痛みの向こう側にある甘い快楽が利津の脳を痺れさせる。始めこそ痛みがあったがすぐになくなり、代わりにやってくる悦びが利津の体を支配した。


「は……、世那……」

「なんだよ、……どっちが吸血してるかわかったもんじゃねえな」


 吐息混じりに名を呼ばれ、世那は笑いながら応えるしかなかった。噛み付いた傷口も既に塞がりかけていて滲む血に舌を這わせ、時折聞こえる利津の甘い声に世那は妙な感覚を覚える。

 すぐに体を離せばよかったが、世那はそうしなかった。代わりに利津の頭を片手で掴むと自分の首筋へ誘った。


「飲めよ」

「……いらない」

「嘘つけ」

「今朝もらった。今は、もう……」


 嘘だった。

 目の前に差し出された獲物を食らわない獣はいない。しかも一度味わってしまった世那の血と香しい匂いに利津の呼吸は早まる。

 途切れ途切れに話す利津に世那は甘えるように利津の頭に頬を擦り付け、頭を掴んだ反対の手で強く抱きしめた。


「お前だけずりぃだろ」

「何……」

「利津、噛んで」


 どこか縋るような世那の言葉に利津は口を大きく開け世那の首筋に噛み付いた。理性を保ったまま利津が世那の血を欲したのはこれが初めてだった。

 元人間の牙よりもずっと鋭く大きなそれに痛みは強く、世那はびくっと震え利津の肩にしがみつき痛みを逃した。

 決して気持ち良くはない。本当の主人に噛まれた脱力と喜びを利津は生み出せない。


 けれどもそれでいい、と世那は思った。


「利津……」


 消え入る声で名を呼び、世那は甘えるように利津の体に身を預けた。

お読みいただきありがとうございます。

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