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3話

 久木野邸は広い。勤めるメイドや執事でさえ邸宅の端から端まで歩くのにも息が切れるほどだ。そもそも邸宅に入るまでの距離も一般家庭が築くものとは全く異なる。


 まず敷地は鉄格子でくるりと囲まれている。唯一邸宅に近づくことが許される鉄門はトラックの高さを優に超えるほどの大きさで、その門をくぐり次に目にするものはラウンドアバウト。ルールに則り、そこをくるりと回ってやっとのことで邸宅の前に着くのだ。


 邸宅の中はまた一段と華美だ。階数こそ3階建であり至って庶民的なのだが、天井がとにかく高い。建物の幅も先に説明した通り息を切らすほど広く、内装はひとつひとつこだわった骨董品や煌めく照明、艶やかな家具、大理石の床。真祖の中で唯一公爵と言う地位を与えられた者にぴったりの邸宅だ。


 その邸宅の一室。どこの部屋よりも豪華絢爛なそこに2人の真祖がソファに腰を下ろしじっと睨み合っていた。1人は世那と対峙した利津、もう1人はその父、きよし

 清は何も話さない息子を皺の入った眉間に更に深く皺を寄せ、口を開いた。


「利津」


 父に名を呼ばれ、利津は顔を上げた。利津は部屋に入ってからソファに腰を下ろし手を組んだままで今に至っても声を発しない。利津と見た目こそうり二つの清はコホンと咳払いをし、手元にあった書類を目の前のテーブルに捨てるように置いた。


「襲った輩を保護しただと?」


 低くどすの利いた声が響く。並の人間ならばその威厳ある声と雰囲気に少しは畏まっただろう。だが利津は手を組んだまま態勢を変えずじっと父である清を見つめ淡々と答えた。


「保護ではありません。鎖に繋ぎ隔離しています」

「屁理屈を捏ねるな、出来損ないが」


 悪びれる様子が全くない利津に清は苛立ち、勢いのまま拳で机を強く叩いた。ダンッと鈍い音が鳴ったが利津はびくりともせず、組んだ手をほどいて口を隠し視線を逸らした。


「利津!」

「はい」

「っ〜!私の質問に答えろ。人間の王から子爵を賜りいい気になっているのか?公爵である私に逆らう理由にはならんぞ」


 利津は視線だけを清に向けた。


「逆らう?私が?……命ぜられた通り仕事をこなし、久木野の名を汚さぬよう努めていますが」

「なっ……」


 米神に青筋を立てんばかりに怒る清とは相反して利津はソファに深く背を預け口角を上げた。


「罪人だろうが、私が捕らえたものです。どう扱おうが勝手ではありませんか」


 利津の言う通りで、久木野の仕事は清が命じた通り、と言うよりほとんど利津が一人で行なっている。不備もなく順調なため、清は強く追及できなく、言葉を詰まらせた。


「それに……」


 利津はゆったりとした所作で両手を広げた。まるで舞台俳優のような大きな手振りで自分の背後、正面、ドアを指した。

 そこには清が吸血鬼化した4人がいた。その者らは各々メイド服や執事の服を着ていて、側から見れば立派な姿だが、利津の言動に表情一つ変えず虚空を見つめている。瞳に光はなく、先のように清が机を叩こうとびくりとも動かない。4人は清の眷属だからだ。

 主人である清がいる限り自分で考え行動することはない。清が吸血鬼化させた従順な者達。命令があればたとえそれが死でも躊躇なく行う。元人間の吸血鬼である哀れな性だ。


 利津はフフッと鼻で笑った。


「父上がおっしゃったではありませんか。『私のように吸血鬼を作れ』と」

「そ、それは、お前が自ら作れと言う意味で主人のわからぬ吸血鬼を拾ってこいということではないっ」


 怒声を響かせる清を気にすることなく利津は指した吸血鬼たちを一掃するように手を払いソファから立ち上がって清を見下ろした。


「俺にこんなものは必要ない」


 清の返答を待たず利津は自らドアを開け部屋から出ていった。ひと騒動が起きたというのに吸血鬼たちは身じろぐことも、まして視線が動くこともなかった。


 静かな時が少しだけ流れ、清は体を縮こませ親指の爪をかじった。


「っ……」



―――


 利津は長い廊下を歩き、大きな階段を降りながら溜息を漏らした。

 清に呼び出されることは日常茶飯事だが慣れていると言えば嘘になる。出来れば会いたくないし、関わりたくない。


「あっ……」


 漏れるような小さな声が聞こえ利津は面倒臭そうに顔を上げた。声を漏らした執事は利津を見つけるなり深々と頭を下げ、礼を取った。利津は友好的な態度は一切見せずジロリと睨む。執事はびくっと震えそろそろと利津の前に行くと手を胸につき頭を下げ、何か命令はありますかと無言で訴える。

 利津は視線を彷徨わせぽつりと呟いた。


「佐藤はどこだ」

「は……?」


 どこにでもいる苗字に執事は素っ頓狂な声を漏らして顔を上げた。そんな執事の様子を気にせず利津は続ける。


りゅうのところへいく」

「えっと……」


「遅くなりましたぁ」


 戸惑う執事の背後からひょっこり佐藤が現れた。佐藤はきっちりした運転手の服装で帽子を脱ぎぺこりと利津に頭を下げた。利津の片眉が上がる。執事は佐藤と利津を交互に見ると深く頭を下げそそくさとその場から去っていった。

 利津はそれを見送りながら悪びれる様子のない佐藤を睨んだ。


「何処へ行っていた」

「トイレです」

「……」


 すみません、の一つでもあればいいが佐藤からその言葉は出てこない。利津はムッとした表情のまま佐藤を睨みつける。だが、佐藤は「ハハハッ」と渇いた笑いを漏らすだけで気にしていない。


「まあまあ、行きましょう。隆様のところですよね」


 佐藤は慌てずそれでいて早足で玄関の扉のノブを掴んだ。利津と執事の会話を聞いていたのだろう。やけに物わかりの言い佐藤に利津はフンと鼻を鳴らした。


 佐藤が扉を開けると室内と室外の空気がぶわっと入れ替わった。ふんわりとした春の風が部屋の中へ一気に流れ込む。陰気臭い邸宅に爽やかな空気が入り、利津は深く息を吸った。ふーっと息を吐けばざわざわとした気持ちは勝手に凪いでいた。


「……これでいい」


 まるで自分に言い聞かせるように利津は呟いた。


「え?」


 利津が外へ出るのを確認して扉を閉めようとした佐藤が首を傾げる。はっきりと言葉は聞き取れなかったため尋ね返したつもりが、利津は一層機嫌を損ねた表情で佐藤を見た。


「貴様に言っていない」

「いやぁ、それはおかしいでしょう。俺しかいないっすからね」


 清や他の真祖の眷属たちならば決して言わない。主人に嫌われることを最も恐れているからだ。眷属たちならば主人がひと睨みでもすれば体がすくんで動けず、必死に許しを請うに違いない。


 だが佐藤は人間だ。生来の適当な性格が功を奏している部分もあるが、佐藤が利津に媚びたことは一度もない。

 利津にとって心地いい。けれども佐藤に言ってやる気もないので利津はフイっと視線を逸らした。


「独り言だ」

「ハハハッ、なーるほど」


 へらへら笑いながら佐藤は運転手用の帽子を深くかぶって車の方へ駆けていった。

 用意された車に乗り込むと利津はポケットから携帯電話を取り出し、電話をし始めた。佐藤は邪魔をしない程度に「発車します」と告げるとゆっくり車を走らせた。

 


―――



 利津がいなくなって何時間経っただろうか。

 日の光は変わらず煌々と部屋を照らし、布団の中では暑く汗でびっしょりになった体が気持ち悪い。


 世那は布団の隙間から少しだけ辺りを見渡した。真っ白な壁は日の光を受け更に光っているように映り、目が焼けるほど辛い。何度か瞬きをして誤魔化しながらやっとのことで壁にかけられた時計が目に入った。


「うそだろ……」


 時計の針はまだ午前中だと示している。


 最悪だ。まだ日が陰るまで何時間あるのか、考えたくもない。


コン、コン


 ドアをノックする音が聞こえ、世那は返答せず布団の中からじっとドアの方を見つめた。


「失礼します。お昼ご飯お待ちしまし……ん?」


 肩でドアを押し、女性が一人入ってきた。両手で食事の乗った盆を持っている。綺麗に結われた茶色の髪を揺らし、まだ10代のあどけなさを残す女は、もっこりした布団を見つけるとサイドテーブルに食事を置き、世那が隠れる布団の中を覗き込んだ。


「あ、いた」


 髪色と同じ茶色の瞳と目が合う。世那はひゅっと息を飲んで布団の中に隠れた。


「……」

「……」


 咄嗟に隠れてしまったが隠れる必要はなかったかと潜った後に世那は後悔した。今更顔を出す気にはなれず布団を抱きしめてこんもり丸まった。

 女は引っ込んでしまった世那に首を傾げた。主人のいない親なし吸血鬼と聞いていたので、それはそれは恐ろしい雰囲気の人なのだろうと思っていたから拍子抜けしてしまったのだ。吸血鬼、と言うより手負いの小動物に近いかな、と女は思ってつい笑ってしまった。


「大丈夫ですか?」


 女はつんつんと世那の布団をつついてみた。始めに当たった指に世那は小さく震えたがその後はじっと身を固めて動かなくなった。

 女は腕を組み何故出てこないのだろうと思案した。そしてある一つの答えに辿り着き、指をピンと立てた。


「あっ、元人間の吸血鬼っておひさま嫌なんですよね。カーテン閉めておきましょうか。待っててください」


 世那は返事をしなかった。女は返答を待たずカーテンの方へ行きぴったりと閉めた。

 それでも世那は出てこようとしないため、女はうーんと悩み、また答えが思い浮かぶとドアの方へ向かった。


「私はもう出ますね。食べ終えたらテーブルに置いておいてください。失礼します」


 女はぺこりと頭を下げて出て行った。


「……」


 誰もいなくなったことを確信すると世那は勢いよく布団を脱いだ。女がカーテンをしていってくれたので陽光がない。


「さ、さみぃ……」


 汗だくの身体は外気に触れて涼しいを通り越してヒヤッと寒気がする。世那は自分を抱きしめるように腕を掴んで上下に擦った。ヒラヒラと袖が揺れる違和感を覚え、世那はやっと自分の身なりに目を向けた。


 どんな格好でここへ侵入したかはわからないが確実に世那のものではない服装だった。紺色の浴衣一枚、下着すら履いていない。足枷がついているため着替えるのが困難だと思っての配慮だろうが、さっきの女に見られたりしたらたまらない。寝返りを打つことを考えればおちおち眠ることもできないな、と世那は思った。


 世那はベッドから降りて久しぶりに自分の足で立ってみた。ここに入ってくるものは靴を履いていたが世那にそのようなものは当然支給されていない。支柱となっている大きな杭を睨みながら部屋の中を見回した。


 さっきまで寝ていたベッド、料理が置かれたテーブルに椅子が二脚、部屋を出るためのドア、ベッド横には壁、間取りからしてその向こうにトイレと浴室がありそうだ。

 世那はジャラジャラと鎖を引きずりながら壁の向こう側にいってみた。部屋から出るためのドアとは少し質の違うドアがあり、世那はためらうことなくそのドアを開けた。

 むわっと湿気を含んだ空気が肌を撫でる。そこは脱衣所でご丁寧に同じ着流しが一反畳まれていて、バスタオルも一枚だけあった。


「ホテルかよ」


 捕虜にしては高待遇な対応に世那は首を傾げた。

 自分を捕えた久木野利津は何を考えているのだろう。普通ならば警察や軍に突き出すべきだし、仮にそうしないとしても地下牢に縛り付けるなりすればいい。

 確かに鎖に繋がれてはいる。しかも吸血鬼が苦手とする銀で出来た足枷が嵌っていて常時力が抜けていくようなだるさがあり、逃げることは不可能だ。


 では何故……?


「まぁ、いっか」


 深く考えても仕方がないか、と持ち前の楽観思考が勝った。


 世那は汗で濡れた着流しを脱ぎ捨て浴室に入った。シャワーとシャンプーとボディソープがあるだけの簡素な空間。足枷が邪魔して完全にドアを閉めることはできないし、浴室の奥まで入ることは叶わない。


 けれどもそれでいい。ベタベタの身体をさっぱりできるならなんだっていい。


 シャワーの口を捻り、束の間の安らぎを世那は堪能した。風呂から出て水気を拭き取り、新しい浴衣に袖を通して部屋に戻った。


「さて……どうすっかな」


 悠長にしていられない。早く出て本当の犯人を見つけ出さなければ逃げられてしまうかもしれない。

 久木野邸に何の恨みもない世那がこの邸宅を襲うはずはないし、そもそも何故二日間の記憶がないのか、理由が知りたかった。


ぐぅ〜


 情けない音が部屋中に響き渡る。発信源である腹を撫でながら世那は苦笑し、テーブルに置かれた料理に視線を向けた。


 ……気になる。


 世那は誘われるようにテーブルへ足を進めた。盆に乗ったきれいな白い食器の上には色とりどりな料理が乗っていた。柔らかそうなパンが2つ、ドレッシングがかかって少ししんなりしてしまったサラダ、冷めてしまったクラムチャウダー、ぬるくなったコーヒー。どれもこれも美味しそうで、世那の咥内が反射でじわっと濡れた。


「……」


 とりあえず腹ごしらえだ、と世那は意を決した。誰もいない部屋を右、左と視線を彷徨わせて椅子を力強く引いて座った。同時にパンを握り口の中に押し込んだ。毒が入っているかもしれないなど考える余裕もなかった。


「……はぁ、んめぇ」


 何日ぶりかの食事に体が喜び、熱い溜息が漏れる。興奮からスプーンを取る手が震え、食器とスプーンがぶつかりカチャカチャと無機質な音が鳴る。

 室温と同じ温度になったクラムチャウダーをスプーンで掬い口に入れた。


「っ……」


 世那の体が動かなくなった。少し味付けの濃いどこか懐かしく品のある味付けに覚えがある。

 世那は軍隊に入ってからこんな温かな味のするものを食べていなかったことを思い出す。軍隊……?いや、それよりもずっと昔から食べていなかった。


 ころころとした野菜とアサリが咥内で踊る。遠い遠い記憶の向こう側。母が作ってくれたシチューと同じ、市販のルーが作り出すありきたりな味がじわっと咥内に染み渡った。


「……ふざけんな」


 こんなところで、こんな目にあって、人ではなくなったのに蘇るのは幼い頃の幸せな記憶。久しく受けていなかった人間のような扱いに世那の目からは大粒の涙が溢れていた。

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