24話
利津に血を与えてからまる1日経ったが、利津は世那の部屋に来ることはなかった。
リリィがいつものように食事や身の回りの世話をしに部屋にやって来るだけで、リリィも世那が欲した書籍を数冊持ってきて仕事を終えると出ていってしまう。
「はぁ、やっちまったかな」
ベッドに大の字で寝転がりながら誰に言うでもなく世那は呟いた。
昨日の早朝。結果的に嫌がる利津の気持ちを無視して吸血をさせた。利津は今まで何があろうとも世那を傷つけ血を飲もうとは一度もしなかった。
理由はわからないが、吸血という行為が利津にとってよくないものだということではないだろうか。
世那は時計に視線を向けた。時計の針は13時を指しており、日の光が入らないようにカーテンをしていても夏の日差しが隙間から溢れている。
世那はベッドから降りて日課の筋トレを始めた。何かをしていなくては気持ちの行き場所がない。
――――
一通りのメニューをこなし終えて汗を拭い、流れるように脱衣所へ向かった。
浴衣を脱ぎ捨てすっかり履き慣れた下着も綺麗にカゴにしまい浴室に入って熱いシャワーを浴びた。
捕まってから3ヶ月と少し。
自分が久木野邸を襲った記憶はおろか、そうさせた相手もわからないまま世那の時間は過ぎていく。
「……一生このまま、なんてことねえよな」
出て行こうと思えば今なら出来る。当初とは違い鎖に繋がれているわけでもなければ、ご丁寧に外着まで部屋に置かれている。
出口も部屋のすぐ横にある非常口を出ればカメラやセンサーに引っ掛かっても森の中にすぐ隠れて下山してしまえばいい。
絶対逃げられないわけでもない状況だが世那は出て行こうとはこれっぽっちも思わなかった。
出ていけるはずがない。
軍以外の居場所を知らない世那が一般市民として生きていくのは剰りに無謀だ。街を歩く人を襲い吸血することは決して許されず、そもそも吸血鬼がいられる場所は限られている。
世那は濡れた髪をかきあげ、小さな鏡に映る自分を見た。
毎日鍛えているおかげで軍にいる時とさほど変わらない体つきにほっとため息が漏れる。体も綺麗に洗い終えるとタオルで水気を拭き取り新しい下着と浴衣に袖を通して部屋に戻った。
すると見慣れた男が窓辺に立ち、世那が現れるとカーテンを閉めて振り向いた。いつもの白軍服に身を包んだ利津が何の感情も乗せず世那を見つめ、抱えていた黒の軍服を世那に差し出した。
「なんだこれ」
「明日の夜から軍の訓練基地に行け」
「え?いや、だってこれ……」
渡された軍服を素直に受け取ると一番に視線を奪ったのは金の部隊章だった。以前は親なし吸血鬼である証の黒の部隊章が縫い付けられた物を着用していた。
なのに今手にしている軍服の部隊章は紛れもなく久木野の吸血鬼である証が付けられていた。
黙り込んだ世那に利津は胸ポケットから清のサインの入った書類を広げて見せた。
「心配する必要はない。父の命令だ」
「……どうやったんだ」
「どうもこうもない」
「だってそうしたら……」
言いかけて世那は口を閉ざした。
訓練基地に行くということは二人の過ごす時間に差ができることになる。
人間と同じように朝仕事に向かい夕方に帰ってくる利津。対して元人間の吸血鬼である世那は夕方訓練に向かい、日が昇る前に帰ってくる。
そうなれば毎日欠かさずもらっていた血をもらえなくなるのではないか。
そもそも利津から吸血する理由はない。わかっているはずなのに、世那の指先から血の気が引いていく。
不安げな視線に利津は手を伸ばし世那の首筋をなぞるように痕があった箇所を撫でた。
「俺の支配下にあるまま軍に所属する。何かあればまたこうやって捕まえればいいだけのこと。そうだろう」
ゆっくりとそれでいて落ち着いた声で利津は言った。
世那は吸血の心配をする自分が情けなくなった。自分の先を作ろうとしてくれている利津に失礼な気がした。
首筋に当てられた利津の手を掴むと世那は自分の指を絡め優しく引き寄せた。
「わかった。行こう」
利津の手を離すと軍服を受け取り、余っているハンガーにかけた。久しぶりの軍服に身が引き締まるような気持ちになって世那は自分を鼓舞するように頷いた。
「眷属はいなかったよな」
「あぁ」
「じゃあ、利津の初めての眷属か。……恥ずかしくねえようにしっかりやるよ」
わかっていたことだが、世那が外に意識を向けることを利津は寂しく思った。
恨みでも嫌悪でもいい、何でもいいから世那が自分を思ってくれていることが利津にとって支えだった。
「世那」
「ん?」
名を呼ばれ世那は振り返ると利津は軍服の首元を緩め始めた。その行動すら世那は目を奪われる。次にやってくるものに世那の咥内がじんわりと潤う。利津の所作が一つずつ美しいため世那の目には艶っぽく映り目が離せない。
「まだだったな」
「っ……」
「あぁ……、ふふっ。なるほど」
かっちりとした軍服の襟を開き鎖骨が見えるほど広げると利津はわずか首を傾げてにやりと笑った。
「なんだよ」
「当然この家から通ってもらう。送り迎えも全て佐藤がする。……吸血も変わらず、な」
全て手中にあると言わんばかりの利津の言動に世那はムカッとした。
けれども、陶器のような白い肌と光を吸い込む銀髪、磨き上げられた宝石のような翡翠色の瞳。誰が惑わされずに済むだろうか。
世那は舌打ちをして小さな抵抗をし、利津に近づくと抱き着くように腕を回した。そして間を置かず晒された首筋に牙を立てた。
利津の綺麗な銀髪とは違う白髪を揺らし、真っ赤な瞳を瞼で覆うと溢れる血を喉を鳴らして飲んだ。
痛いはずなのに利津はピクリとも動かず、ただ一つ熱い吐息を漏らすだけだった。
ほどなくして人間の形に戻った世那を見て利津は安心したように口元を緩め軍服を着なおした。
「何かあれば隆に言え」
「直接西和田隊長と話せるわけねえだろ」
「勘違いしているな。世那はもう親なしではない。歴とした久木野の吸血鬼だ」
2人はいつも通り話すことに徹した。
何故今離れなければならないのか、利津は自分と離れることをどう思っているのか。
何故そんなにも嬉しそうなのか。世那は自分の傍を離れたかったのだろうか。
尋ねれば簡単に答えが出そうなのに言い出せないまま業務連絡だけを終えると利津はドアの前に向かった。
「明日の夕刻、佐藤に送らせる。準備しておけ」
「そう言われても何も持ち物なんて……」
ふと世那は何かを思い出したように外着に向かい、ポケットから一つ短刀を取り出した。婚約披露宴の日、利津が世那に渡したものだ。
利津はそれを見ると悩む間もなく簡単に答えた。
「あぁ、くれてやる」
「いいのか?」
「刃先は銀でできていて並大抵の吸血鬼ならまず怯える。それくらい持っておけ」
「怯えさせてどうすんだよ」
「父の眷属、あるいは他の眷属達。どの連中にしろ、俺の初めての眷属に意識が向くに決まっている。それに……」
利津は差し出された短刀に触れどこか愛しげに世那の指を撫で見つめると妖艶な笑みを浮かべた。
「世那の美しさに集る輩がいるかもしれない」
「ハッ、綺麗な顔した奴に言われても嫌味にしか聞こえねえ」
世那の言葉に今まで柔らかかった利津の雰囲気がガラリと変わった。いつも世那に向けるものとは違う、冷たく、そして他人に向ける殺気似た形容し難い空気。
「……きれい?」
「あ、……あぁ」
「ふっ……」
自嘲じみた笑いを浮かべ利津は手を離すと世那に背を向けドアノブに手をかけた。世那の言葉がきっかけなのは明白で、世那は短刀をベッドに置くと出て行こうとする利津の手を掴んだ。
「待てよ」
「……」
「気に障ったなら謝る」
「別になんとも思っていない」
「だったら何でそんな……」
振り向こうとしない利津に世那は苛立ち強く腕を引っ張ってこちらを向かせた。
利津の頬は赤らみ、困ったように眉毛を下げ、どこからどうみても恥ずかしがっている青年がそこにいた。
利津は慌てて腕を振り払うと距離を取ろうとドアに背を預け少しだけ離れた。
「馬鹿か」
「は?」
「俺から離れられるのだぞ。いや、離れなければならない。だって俺は、世那の血を……。いや、いや。もう何も用はない。話しかけるな、触れるな、近づくな」
「利津!」
背中越しにドアノブを再度握ると利津はドアを開けようとしたが世那に呼び止められつい止まってしまった。
「利津は?」
「……何がだ」
「吸血」
「っ……いらん」
「俺の血は不味いのか?」
世那の問いに利津は目を見開き、すぐに視線を落とした。
不味いわけがない。囚われてしまいそうなほど甘美で隙があればすぐにでも欲してしまう。
だが世那は利津の無言を悪い方に取り苦笑した。
「そうか。……あれか。親が違うからやっぱり……」
世那が言いかけた瞬間、利津はドアノブから手を離すと世那の肩を掴むと睨むように見つめた。向けられたことのない強い怒りに世那は口を開けたまま固まるしかない。
「二度というな。世那の主人は俺だ」
「あ……あぁ、うん」
「……っ」
それだけ言うと利津は勢いよくドアを開け、足早に部屋から出ていった。
何が起きたかわからず、だが世那が思っていたようなことではなかった。肯定されたわけでもないのに世那はつい嬉しくなって顔を抑えた。
「俺も大概、気が狂ってる」
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