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23話

 月が天辺を降りはじめた頃。

 動物たちもすっかり寝静まり久木野邸宅の周りも珍しく静まり返っていた。

 吸血鬼たちは夜になれば活発になるがこの日は時折仕事をするものが数名いる程度。


 週に幾度かある清の大切な用事のため、通常業務が省略されていた。

 吸血鬼たちはここぞとばかりにサボり、やらなければならない最低事項だけしっかりやりとげ、あとは好きなように遊び過ごしていた。


「はっ、はっ、は……」


 清は階段を駆け上がった。

 齢70を超える体にはキツイ階段もこれから起こることを思えば自然と足取りは軽くなる。


 最上階まで登ると階段の終わりにそっと手を触れさせた。

 するとギィと低く鈍い音が鳴り壁が裂け、その向こうには更に狭い階段があった。

 清は躊躇なくそこに向かい階段を上る。

 見窄らしいドアを開けるとそこは月明かりで照らされた6畳ほどの部屋があり、清は満面の笑みを浮かべながら入った。


「ママ……!ママ!」


 清は一目散に天窓のついたベッドに駆け寄ると横たわる更に老齢の女性の手を握った。


 最上階、屋根に隠れた部屋。窓からは月明かりが漏れ部屋を照らす。

 天窓の外には医療用品がたくさん並べられ、あらゆる最先端の医療具がところせましと並べられ部屋を狭くしている。


 老婆は酸素マスクをつけられ、しわしわの手首には点滴が付けられていた。心音を示す一定のリズムが響く室内で清は老婆の手に甘えるように擦り付いた。


「ママ、会いたかった」

「……」

「聞いてよママ。僕はたくさん頑張ってるのに上手くいかないんだ。どうしてかな。僕は誰よりも偉くて尊いってママ言ってたのに。……表立って言わないけど今じゃ利津が久木野の代表ってことになってる。なんで?ねえ、僕ママの言う通り頑張ったよ」


 清の言葉に老婆は答えなかった。しっかり目が閉じられ深い眠りに落ちる老婆は答えられない。

 だが、一拍置いて清は目を輝かせ何度も頷いた。


「うん、……うん。そう……だよね。ね!僕は何も悪くない。ねえ、ママ」


 狂気にも似た笑みを浮かべ清は老婆の手に擦り寄りながら声を荒げ笑った。

 語らない老婆がまるで何かを話したかのように清は幾度となく問いかけ同じように喜んだ。


「……はぁ、うる、さい」


 酸素マスク越しにしゃがれた声が返事をした。

 その声に清は顔を上げ、重たい瞼を上げようとする老婆の顔を覗き込んだ。


「ママ?……ママ!ねえ、今!ママ!」


 興奮冷めないうちに清は畳み掛けるように声をかける。


 数か月ぶりに聞いた自分の母の声に喜びが溢れた。

 老婆は眉間に皺を寄せようやく瞼を持ち上げると清と同じ翡翠色の瞳で視線を向けた。喜びのあまり固まる清を見ると更に嫌悪を含んだ表情で老婆は清を睨んだ。


「……だれ」

「え?」

「きよしは?あの子は、私のところに来ないのかい」

「何を言っているの?僕だよ、清だよ、ママ」

「はー、しらない。……あんたみたいな、汚い爺さん、しらない」


 老婆はぼんやりした意識の中で清から視線を逸らした。

 話したことで呼吸が乱れ、わずか苦しそうに咳き込むとヒューヒューと音を鳴らして呼吸を整えた。


 老婆の手を握っていた清は何も言えず笑顔のまま立ち尽くした。

 久しぶりに対話できたと言うのに、意識が戻ったと言うのに老婆は清を受け入れない。沸き起こる負の感情に清は手を握ったままわなわなと震えた。


 すると、コンコンとノックの音が響きドアが開いた。


「すみません、父上。こちらの書類にサインしていただけますか?」


 紙を一枚手に持った利津は会釈程度に頭を下げ中に入ってきた。

 いつも通りしっかり白の軍服に身を包み、清に近づく。


 清は何も反応せず虚空を見つめながら黙り込んでいたが、老婆はちらりと利津を見ると今までぼんやりしていた意識が一変。目を見開いたかと思うと動かない体を動かそうとみじろいだ。


「は、は、はぁ……きよ、し?」

「……ママ!」


 名を呼ばれ硬直していた清は嬉しさで目を輝かせ老婆の顔を覗き込んだ。

 だが、老婆が見ていたのは清ではなく利津の方だった。


 年老いた清を本物だと見抜けず、清の若い頃の姿によく似た利津を清だと勘違いしたのだ。

 清は一度利津を睨むと汗だくの額を拭わないまま老婆の顔を覗き込んだ。


「ママ、ママ!僕が清だよ。コイツは僕の子どもで……」

「あぁ、あー、きよし。きよし!なんて、すてき……」


 老婆は力無い手で清の手を払った。実母からの拒絶に清は息を詰まらせ硬直した。

 清の気持ちを知らず老婆は嬉しそうに微笑み震える手を虚空に上げ利津の方へ手を伸ばした。


 利津は始終黙って見ていたが、老婆の視線と差し出された手を見て書類をサイドテーブルに置くと清の横に立ち老婆の顔を覗き込んだ。


「はい」

「あ、あ、あぁ。さわらせ、て。きよし」


 行き先を見つけられない老婆の手を利津は優しく包むように握ると自分の頬へ触れさせてやった。それだけで老婆はにっこり笑い、満足げに息を吐いた。


 黙っていられない清は利津の肩を掴み引き剥がそうと力を込めた。

 だが利津はびくともせずにっこり微笑み返して老婆を見つめた。


「わたしの、いうとおり、すごしている……かしら」

「はい」

「あぁ!なんて、なんて、いいこなの。わたしのかわいいむすこ」

「えぇ……」

「あ、はぁ。りっぱなこ。きよし、いいこ」


 そういうと老婆は意識を手放しゆっくりとした呼吸に戻り深い眠りに落ちた。

 利津が静かに老婆の手を布団に下ろすと同時に清は利津に拳を振り上げ勢いよく頬を打った。


 利津は避けられたが敢えて避けずまともに喰らった。じんわり咥内に血の味がする。

 利津はそれを飲み込むと冷たい目を清に視線を向けた。


「ふざけんな、ふざけんな!お前如きが、この()()()()()が。よくもママに、母に触れたな?」

「お婆様は俺を父上だと思い安心なされた。何か問題ですか?」

「っ〜!問題しかないだろ!?」

「医師の話では少しずつ視力が落ちていると。それに老いて思考が過去に戻ると言うのはよくある話。お婆様が喜んでくださるならそれが一番ではないでしょうか」

「黙れ黙れ!子爵如きが。久木野の名を語れていることに感謝し、私に敬意を払うこともできないのか?」


 齢70を超えた清はまるで幼子のように地団駄を踏んだ。綺麗に固められた髪を振り乱し怒りに満ちた目で利津を睨む。

 対する利津は涼しい顔で見やり、そして暗い笑みを浮かべた。


「尊敬していますよ、誰よりも」


 普段よりもずっと低い声で利津は答えた。

 清は息を飲んだ。息子ながら父である自分に向けて来る殺気似た何かに何も言えなくなってしまったのだ。


 息子に怯んだところを見せたくなくて清は舌打ちをするとサイドテーブルに置かれた紙の内容をさほど見ず署名し、さっさと部屋から出て行ってしまった。


 残された利津は紙を手に取り、横たわる老婆に視線を向けた。

 点滴と酸素マスクでかろうじて繋ぐ命の儚さに利津は鼻で笑った。


「惨めですね。あなたも、あなたの息子も。……父はこれが何の書類かわからずサインしていったんですよ」


 帝国の印の入った厳かな雰囲気の紙をひらひらと揺らし、利津は満足げに笑みを浮かべて部屋を後にした。



 階段を下り隠し扉を閉めると壁に背を預けのんびりしている佐藤が慌てて背筋を伸ばして利津に頭を下げた。


「どうでした?旦那様はすごい形相でしたけど」

「キレている父上は御し易い。わざわざ来たくもないここに足を運んだ甲斐があった」

「はははっ、ほんと、最低な人すね」

「主人に言う言葉ではないな」

「すんません」

「これで手続きは完了だ。明日から世那を特殊部隊第一に所属させる。リリィに軍服の準備をさせろ。部隊章は久木野の章を。父上の命令だ」

「へーい」


 腐っても久木野の当主は清で利津に決定権はない。清のサインが入った書類は、世那を久木野の吸血鬼だと証明するものだった。

 利津は満足げに笑みを浮かべ書類を畳んで胸に収めた。


「つか、なんで今更世那さんを軍隊へ戻すんすか?」


 佐藤の素直な質問に利津はぴたりと動きを止め唇を真一文字に結んだ。

 聞いてはいけなかったことだったのかと佐藤は大袈裟に口を押さえて苦笑した。


「あ、すんません」

「……」


 謝る気などさらさらない佐藤に利津は深くため息を漏らし、ゆっくり振り返った。

 怒っているのかと思ったが佐藤の目に映った利津は弱々しく微笑んでいた。


「……血への執着を誤魔化したいだけだ」

「え?」

「貴様にはわからないだろうな。それでいい」



これから週1更新になります。気長にお付き合いください。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

よろしければブックマーク、評価、感想などよろしくお願いいたします。作者のテンションが爆上がりします。

誤字・脱字などのご指摘もお待ちしております。

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