世那の手記
世那が吸血鬼になってから一章最終話までの時間軸です。
何故俺はゴミの中で眠っていたのだろう。
何故ここにいるのか。
朝日が俺のいるギラリと路地裏を照らす。眩しさに目を細め、ヒリヒリと皮膚が焼けるように熱い。俺は慌ててゴミ箱の後ろに体を隠した。
でも壁から反射する日差しからは逃げることはできず、俺は息を漏らした。
喉が渇いている。いや、何か違う。
そう思っているとガサリと大きな音共に男が1人路地裏に入ってきた。酒の匂いを強く残した壮年のサラリーマン。
「うぇーい、なにしてんらぁ、こんな時間にぃ」
サラリーマンは俺を見るなり赤らんだ頬でニカッと笑った。無視してその場を去ればいいのに俺は日差しを背後にして立ち上がった。
美味そうな香りがしたからだ。
「んん?どした?」
尋ねるよりも先に俺はサラリーマンの胸ぐらを掴み勢いよく引き寄せていた。
日差しで煌めく首筋。人間の頃にはわからなかった頸動脈がはっきりと目に映る。
美味そう、美味そう。飲め。空っぽになるまで満たされろ。
溢れる唾液をだらしなく垂らしながら俺はサラリーマンの首に噛み付いた。
「いっで……っ!何す……」
痛みに酔いが覚めたのかサラリーマンは俺の肩を掴み引き剥がそうとした。
けれど無理だった。
紛いなりにも軍人の俺が一般人に力で負けるはずがない。掴んだ胸ぐらを更に強く握りサラリーマンを壁際に押し付けると俺は再び牙を立て血を啜った。
水とは違うどろっとした血液は喉に張り付き、甘い誘惑は鼓動を高鳴らせる。
人間だった自分がどうして今血を啜り喜んでいるのかわからない。
でも、こんなにも甘くて美味しいものを何故知らなかったのか。
そちらの方が疑問に思うほど今の状況は狂っていた。
大した時間を要していないが、男はいつの間にか気を失い俺の肩にもたれかかるように倒れてきた。
俺は支えることなくその男を地面に落として唇を舐めた。
「っは……、足りねえ」
もっと、もっと血が欲しい。甘美な悦びに俺は笑みを浮かべたまま路地裏の更に奥へ足を進めた。日の光の届かない闇に向かって迷いなく獲物を求めて。
ーーーー
目を覚ますと俺は見慣れた天井の下にいた。
壁はところどころ剥がれ、電球一つぶら下がった簡素な寮のベッド。
自分の部屋で寝ているのだと気づきゆっくり上半身を起こして辺りを見渡した。
カーテンの閉められた窓から日の光が無いことと時計の針を見ていたが夜だと言うことはすぐに理解できた。
けれども、俺の部屋であるはずの場所に3人の男たちが椅子に座りじっと俺を見つめている違和感に俺は息を詰まらせた。
「やっと起きたか、影島」
軍服に身を包んだ1人が冷たく俺に問いかける。
「……はい」
とりあえず俺は返事をした。
「よろしい。自分が何者かわかっているな」
「影島世那。第六部隊二等兵……です」
「ふむ、そこまでは良いな」
もう1人が何やら紙に何かを書き始める。尋問に似たこの行為の意味を理解できず俺は首を傾げた。
「あの、これは」
「覚えていないのか?」
「何を」
「……」
ペンを走らせる手が止まった。問うた男は目を丸くし、もう1人はため息を吐いた。
「明日からお前は特殊部隊第3に異動だ」
「え?」
「異論は認めない。特殊部隊は夜が主な行動時間だ。昼夜の感覚を改めよ」
「待ってください。特殊部隊て」
ため息を吐いた男が漸く口を開いた。
「吸血鬼の所属する部隊だ」
ゆっくりだが確実に思い出していく。
ゴミ捨て場にいて知らない男の血を啜り、更に獲物を求めてふらついていたところで見慣れた軍服に捕まった。
そして今ここにいる。
それからというもの俺は特殊部隊に所属し、前と変わらず訓練に勤しんだ。
万年二等兵という汚名は無くなったが、代わりに親なし吸血鬼というもっと情けない地位がついた。
名前すら呼ばれることも少ない。
戦地に赴けば最前線に立たされ常に危険と隣り合わせで生き延びるのがやっと。
勿論生き血を飲むことはない。毎日支給される冷たい血液パウチをゼリー飲料のように飲むだけ。
そして桜が咲き始めた頃、俺は利津と会った。
ーーー
初めて利津に会った印象は怖い、ただそれだけだった。
真祖を初めて見たわけではない。
特殊部隊の隊長である西和田隆隊長を遠くから見たことがある。
存在するだけで格が違う威圧的な雰囲気、浮世絵離れした見た目。元人間の俺たちとは全く違う生き物だ。
遠くから見ただけでもわかるほどなのに、目の前に利津がいた時の身の毛もよだつ恐怖と畏怖、そして憧憬。
西和田隊長とは比べ物にならない美しさに俺は自然と目を奪われた。キラキラ輝く銀色の髪、宝石のような翡翠色の瞳がじっと俺を見つめ時折長いまつ毛が瞬く。
初めから好意を抱いていた。
だが、紡がれる言動は酷いもので俺を同じ生き物としてすら扱わないことにその好意は隠れてしまった。
足に嵌められた銀の枷は徐々に体力を奪い、煌々と窓から差し込む日の光で更に加速し、1日一度は与えられていた血液パウチすら支給されず、俺は吸血鬼としてあっという間に衰弱していった。
メイドのリリィは仕事として俺を甲斐甲斐しく世話してくれた。けれど隙だらけのリリィから血液を摂取しようとは微塵も思わなかった。
理由はわからない。けれどもちっとも欲しくなかった。
吸血鬼として路地裏で血を啜った時、獲物があれば誰でもよかったのに目の前にいる若々しい肉体に気を向けることはなかった。
ーーーー
時折見せる利津の言動に違和感を覚えた。
高慢で何人たりとも寄せ付けない吸血鬼の王として君臨しているくせに、漏れる弱さに俺は愛しさを感じた。
地位も名誉も金も全て持っているくせに何か満たされていない。
何一つ持っていない俺に対し、外面は見下し無碍に扱う。けれど本当にそうしたいわけではなさそうだから不思議だ。
そもそも邸宅に忍び込み武器を構えた時点で殺されてもおかしくはない。殺されないとして牢に入れ苦しみを味わせるのが当然ではないだろうか。
俺が何も覚えていないというのは虚言かもしれない、そう思ったって良いはずだ。
なのに俺の待遇は正反対のものだった。
鎖で繋がれ、吸血をコントロールされてはいるがそれ以外の不自由はない。温かい食事、入浴、柔らかなベッド。人生でこんな生活を送ったのは両親が健在の時だけだ。
「いって……」
父さんや母さんのことを思い出した時、何か靄のかかった記憶が蘇った。
小さな女の子、いや男の子か。俺を見て嬉しそうに笑う。
近所の子どもだったか、何だったか更に思い出そうとしたところで妙な頭痛を覚えて俺は頭を押さえた。主人を忘れることよりもずっと大切な何かをなくしている。
誰だったのだろう。遠くにいる銀色の髪の……
「世那」
ドアが開き、聞き慣れた声が俺を呼ぶ。髪を乱したまま俺は睨むように利津を見上げた。
――――
婚約者がいると聞いた時は背筋が凍った。
貴族なのだから当たり前だと言われればそれまでだし、利津のような見目の男が許嫁の1人2人いない方がおかしい。
事実としては受け入れられた。
でもじゃあなんで俺に好意を向けるのか。婚約者への愛がないなんてよくある話と言えばそれまでだが、利津の感情の向かい方がそれとは違う気がする。
敢えて婚約者に触れたくないのか、何か理由があって拒まないのか。考えたところで本人が答えるわけもないし、結局のところ俺は世間から見たら不法侵入者であり未遂であれ誰かを殺そうとした犯罪者。何かを尋ねる立場にない。
でも、でも気に入らない。
この部屋で監禁され、何も知らされずやってくる利津を待ち続けていればこんな感情知らないままで済んだかもしれない。
本当に?
黙って監禁されているほど俺は大人しかったか。
本当の俺は、どんな奴だったか。
記憶を探ろうとした時、何かもう一つ大事なことを抑えられている気がした。
俺を吸血鬼にした真祖の記憶、消えた子どもの記憶、その向こうにがっちり固められた何かがある。
本当の俺は、本当は、ただ利津が欲しい。それだけじゃないか。
二章に入る前にどうしても書きたかったことを挟みます。
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