番外編 佐藤と利津
(side:佐藤)
誰よりも適当に生きてきた自信がある。
小さい頃から毒親に育てられたからか、愛ってのもわからないし、知りたいとも思わない。
親に捨てられてから児童養護施設とか言う胸糞悪いとこに行ったけど俺の性に合わなかった。皆仲良く助け合って、なんて反吐が出る。
小学校すらまともに行っていなかった俺は気付けば裏の住人になっていた。17歳の夏、利津様に会うまでは。
――――
「駄犬が。吐くならトイレ行けっつったよな?」
「っう、……」
「トシ、この薬やばかったんじゃねえの?」
「あ?そりゃ、やばいに決まってんだろ。だからこいつに飲ませて試してんじゃん」
「うえー、きったねえモン吐きやがって」
「ほら、なんつったっけ。中和?とかできたらいいんじゃね?」
「それ知ってる!サンセイとアルカリなんちゃらってやつ」
「じゃこっちの薬飲ましとけ」
「へいへい。ほら、犬。これ飲むといいってよ」
児童養護施設を出てしばらくホームレスをしていた。
けれどまだ中学生くらいの年齢だった俺がまともに生活できるわけがない。悪い大人たちに捕まって、衣食住を賄ってもらう代わりに怪しい薬の実験台にされた。
あらゆる方面の薬を体に入れられたことだけはわかる。惚れ薬、胃腸薬、それに吸血鬼化した人間を元に戻す物だとか、御伽話のような胡散臭いものばかりを何処かが作っているらしい。
人間の俺に試して何の意味があるかわからないが、命の危険はないかそれだけを確認したいとか言っていた。
「っぁ……あ゛ぁ……」
内臓が焼けるほど痛い。
液体の薬を飲まされ体は拒絶し吐いてしまった。何度も何度も吐いても楽にならない。
床に吐いてしまったことがよくなかったらしい。大人たちは俺を足蹴にした。
すると一人が俺の前に新しい粉薬を投げてきた。これで治るならいいなと俺は確認もせずそれを飲んだ。
「ぐえっ……ぁ゛……っ」
確かに吐き気は治った。効くの早すぎるだろと疑問なんて抱かない。楽になれるならそれでいいと思った。
ただ、代わりに体の内から強い熱が一気に押し寄せてくる。
これは知っている。
「ほら、吐かなくなったろ?」
「すげえな、山さん」
「でもコイツ、なんか変じゃね」
「すげえ、妙な匂いしやがる」
「吐くっつーのは、体にヤバいもんが入ったって信号だろ?だからそれは受け入れていいですよって教えてやったんよ」
「へえ」
「な、犬。受け入れたいよな?」
汚物まみれの俺の前に山さんは優しい笑みを浮かべ近づいて来た。
ゴウンゴウンと排気用のプロペラの音が大きく聞こえる。薄暗い廃墟で合法なことが行われるわけがない。
内から溢れる熱と、涙で濡れた目で俺は山さんを見つめた。
「ここの工場まだ水が出るだろ。さっさとこの汚ねえもん流してやれ」
「ういーす」
「すぐにたっぷり可愛がってやるからな」
後になって気づくとあの頃の俺は狂っていた。
馴染めなくても施設にいた方が100倍マシだったし、こんな目に会うこともなかった。
いや……結局、俺のことだからどんなに遠回りしてもこうだったんじゃねえかな。
――――
ある日大人たちに言われ、俺はコンビニに買い出しに行った。
ぐしゃぐしゃの万札片手に頼まれたものを袋にいっぱい買い込んだ。俺の分はもちろん一つも入っていない。
「あれ?」
溜まり場になっていた廃墟に着くとさっきまでの雰囲気とは違っていた。
銃を構えた軍隊が工場の周りを取り囲んでいる。ずらっと並ぶ軍隊の中から一人年老いた男が拡声器を持って話し始める。
「大人しく手を上げて出て来い。違法に薬物を生成し、人々に売り渡していた罪は重い。抵抗するなら命はないと思え」
外に出ていてよかった、なんて。中にいる大人たちに言ったらすごいキレるだろうな。
俺は袋を手に持ったままその場を離れようと振り向いた。
「どこへ行く」
夜の月を背負い銀色の髪が空へ舞い上がる。
自分よりも幾分か背の高い白の軍服を着た男が翡翠色の瞳でじっと俺を見つめた。
―あぁ、これは逃げられないか
と思ったが、もし捕まったらどうなるのだろう。
今更施設に送られて平々凡々に生きられないし、刑務所行きだとしたらもっと嫌だ。
俺は敵意がないよ、と伝えるためニヘラと笑った。
男は案の定驚いた顔をしたので俺は持っていた荷物を男の方に振り投げて路地裏の方へ走った。ここら辺の道は大体わかっている。振り返ることなく俺は目の前の細い道を全速力で走った。
上がる呼吸に息苦しくなる。
何度か角を曲がったところでボスっと誰かにぶつかった。
「あ、すんませ……」
俺がぶつかったのはどこからともなく薬を持って来て俺に飲ませる山さんだった。
「犬。どうした。まさか逃げ出すつもりじゃねえよな」
「え?」
「買い出しは終わったのか?にしては荷物ねえな。……まさか金をくすめたのか?」
「いや、違う。俺は……」
今の状況を説明しようと口を開いた瞬間、頬に強い衝撃を受けて俺は地面に伏した。
受け身を取れず打たれた衝撃のまま顔を打ち、俺は片手で顔を押さえながら見上げた。鬼の形相で怒る山さんが拳を振り上げていた。
「まさかサツにチクリに行くんじゃねえだろうな」
「っ、そんなわけないでしょ」
「だよな?お前の体は薬でボロボロだ。俺たちがしょっぴかれた後、お前も刑務所行きだぜ?」
拳を握っていない方の手で俺の胸ぐらを掴み乱暴に引き寄せる。
山さんが物凄い力の持ち主なのもあるが、ろくに飯を与えられていない俺の体は歳よりもずっと軽かった。
怯える俺を見て山さんは喉を鳴らし笑った。そして金髪だった山さんの髪は一気に白くなると瞳も真っ赤に染め上がった。
見慣れた山さんの吸血鬼姿。もう俺にできることはない。
「犬。仲間への裏切りは死に値する。今ここで俺がお前の血を全て飲み干してやるからな」
鋭い犬歯を笑うことで見せつけ、力が抜けてしまった俺の体をいとも簡単に抱き寄せ山さんは首筋に噛みつこうとした。
だが、それは叶わなかった。
俺が恐怖で強く目を閉じていると何もされず地面に降ろされた。
何が起きたかわからず俺は目を開けた。そこには両手はだらんと降ろし膝をつき、俺の背後の何かを呆然と見つめる山さんがいた。
「お前が主犯か?」
「……はい」
らしくない山さんの返答に俺は恐る恐る振り向いた。
先ほど対峙した白軍服の男が山さんを見下ろしじっと立っていた。翡翠色の瞳が俺を捉える。座り込む山さんが邪魔で次は逃げ出せなさそうだ。俺は諦めて両手を上げた。
「なんだ」
男は怪訝そうに俺を睨みながら尋ねる。
「捕まえるんでしょ?だったら手荒なことしないで欲しくって」
「誰を?」
「え?」
「捕まるのはそこに座っている男だけだ」
男は俺の横を通り過ぎ、膝をついている山さんと視線を合わせるようにかがむと山さんの顎に指を滑らせた。
まるで猫が主人に撫でられた時のように山さんは男の手に擦り付き酔いしれたように男を見上げた。
どんなに金を稼ごうが、女を手に入れようが、俺を殴ろうが見せたことのない山さんの悦ぶ表情。俺は気持ち悪いと思うのと同時に羨ましくなった。
―羨ましい……?うん、羨ましいよな。
「親なしだと主人の血を飲んでいないことが殆どだ。だから真祖の匂いだけでこんなにあてられてしまう」
聞いてもいないのに男は俺に教えるように淡々と話した。
甘える山さんから手を離すと男は立ち上がり、山さんも釣られて立った。
「ついてこい」
「……はい」
「お前も」
「俺も?」
「コイツを少尉殿に預けたら俺は帰る」
「あぁ、……ん?」
「行く所がないのだろう」
そういうと男は俺の返答を待たずにアジトに使っていた廃墟の方へ歩き始めた。
山さんはぼうっとしたまま男の後を追い、俺も後ろについて行った。
男の言った通り、山さんとアジトに残っていた男たちは捕まった。
少尉と言われた老齢の男としばらく話すと男は一度敬礼をして俺の方へ向き直った。
「帰るぞ」
「え……あ」
どうせ先のない人生だ。施設でも刑務所でもないなら俺はどこだっていい。
男は目で合図をすると駐車していた黒塗りの車に乗り込んだ。
運転手の1人でもいそうな見た目のくせして男は運転席に座ると慣れた手つきでエンジンを蒸した。
「乗れ」
「えーと……お邪魔します」
なけなしの礼をして俺は乗り込んでシートベルトをした。
男はチラリとも俺を確認せずシートベルトを閉めてゆっくりと車を発進させた。
工場群を抜け煌びやかな電灯の中を走り抜け、赤信号で車が止まると男はぽつりと話し始めた。
「どれくらいの頻度で薬物に手を出していた」
「あー、どれくらいですかね」
「あの男はよくお前の血を飲もうとしたな」
「殆どいつも噛みつかれてましたけど」
「……イかれてるな」
「そうすか?」
「少なくても俺はお前の血を飲みたいとは思わない」
別にこの男を好きでもないけれどお前の血はまずいと言われたような気がしてショックだった。
フラれた時とかの気持ちに似てる。告白してないけど。
信号が青に変わると男はゆっくりと車を走らせた。決して乱暴ではない運転。今知り合ったばかりだけれど、この男はきっと誰よりも気遣いのできる男に違いない。
高慢な態度のくせに謙虚な運転につい俺は笑ってしまった。
「何を笑ってる」
「えっ!いやぁ……別に」
男はウィンカーを上げ右車線に入るとすぐに右に曲がった。
途端に人気がなくなり森のような周りの景色を眺めていると男は一つため息を漏らした。
「まずは薬物の常用性を消さなければならない」
「俺別に薬欲しくないっすよ」
「2、3日もすれば狂うだろうな」
「そんなことないと思うけど……」
「その後は運転免許をとりに行ってこい。普通に運転するだけではない。人を運べる免許だ」
「え?」
「金の心配はいらない。俺が全て負担する。きちんと免許を取れた暁には俺の専属運転手として雇ってやる」
品のある見た目からして相当おぼっちゃまなのだろう。
あそこにいた時点で簡単に受け入れていいような人物ではないのに世間知らずからか男には何の迷いもなさそう。
俺が何も答えないのに男はブレることなくゆったりとしたハンドル捌きで森を抜けた。
その先にあったのはドラマとかでしか見たことのない大きな鉄の門。その向こうにクルクル回る道路があって、更に向こうに海外の映画で見るような城のような建物がどでんと建っていた。
マジもんのぼっちゃまだった。
男の車が近づくと自動で門は開き、綺麗なカーブを描きながら屋敷の前に車をとめた。
すると中からゾロゾロと執事やメイドが出てきて深々と頭を下げている。男はシートベルトを外し俺も倣って外すと車から降りた。
「おかえりなさいませ、利津様」
「お車はこちらで駐車しておきますのでご安心を」
「お風呂も沸いております」
「お食事も」
「先ほど旦那様はお城へお出かけになりました」
ぶわっと押し寄せる情報に俺はクラクラした。まるでロボットのように決められた言葉をそれぞれが勝手に話し始める。
男、利津様は執事たちに目もくれず屋敷の入り口へ向かった。
執事たちは俺の姿を見ると一斉にこちらへ姿勢を正し、利津様にしたように頭を下げた。
統一された動きに圧倒され、俺は笑いながら頭を下げる。怖すぎてつい笑ってしまった。
屋敷の中は更にすごかった。二時間ドラマとか昼ドラとかとにかく現実にあるのかって思うような位の高い人たちが住むような屋敷。入ってすぐ目に入ったのは大きな階段。大広間の真ん中に聳え立つようにある階段の脇にはたくさんの扉。
「あれらは全て父のものだ」
「え?あぁ、出迎えてくれた人たちのことすか?」
「あぁ」
「へえ。……じゃあ、利津様のお抱えの人は?」
階段を登りながら話していた利津様は俺が名を呼んだことでぴたりと足を止めた。
「……利津様?」
「今の人たちがそう言ってたから」
「……」
振り返ることなく黙り込んでしまったことに俺は何かをしでかしてしまったのかと、階段を数歩上がって顔を覗き込んだ。
「え?」
癖のある銀髪の隙間から見える耳がほんのり赤くなっていた。
「っ……。馬鹿馬鹿しい」
「えー?」
捨て台詞を吐き捨てると利津様は早足に階段を登った。俺も負けじと追いかけながら顔は覗かず後ろをおとなしくついて行った。
「とにかく、俺の世話をする者はいない。さっさと一人前になれ」
「マジっすか。つか、なんで俺?」
目的の階数にたどり着いたのか利津様は大きな廊下を歩きながらやっと話し始めたかと思うとまた足を止めた。
また顔を真っ赤にしているのかと俺は黙って立ち止まる。
するとさっきとは打って変わって利津様は涼しい顔をしながら俺の方へ振り向いてきた。
いちいち所作が美しい。癖のある銀髪がふわりと揺れ、長いまつ毛の向こうから翡翠色の瞳が俺を捉えた。
「お前は人間だろう」
「そうっすね」
「その汚れた体もいい」
「……イヤらしい」
「なぜ」
「いや、なんかすんません」
「吸血鬼たちは純な血ほど好む。水が澄んでいればいいのとかわらない。お前の体に流れる血は薬物によって飲めるものではなくなっていて、おそらく薬物を絶っても変わらないだろう」
「はぁ」
「あのような木偶の坊は俺にとって必要ない。自分で考え行動するものが俺は好ましい」
つまり、吸血鬼ではなく人間が好きと言うことか。
ただ普通の人間をこんな吸血鬼の巣窟に連れてきてやっていけるはずはない。毎日噛みつかれて血を抜かれていくのがオチだ。
ならば所謂汚れた俺ならば吸血鬼の餌になりえず、それでいて利津様が好きな人間の部下ができると言うことだろうか。
よく考えられているけれどやっぱり腑に落ちない。
「なんで俺なんすか」
「ん?」
「俺、あそこにいたんすよ。半ば奴隷みたいな扱いだったけど、あそこにいた事実は変わんない。学もないし、違法なことばかりやってきた。アンタがどんなに良くしてくれても俺は仇で返すかもしんないのに」
馬鹿だなと思った。
いつもみたいにヘラヘラしてれば衣食住はおろか金目のものをたくさん盗んでトンズラしちまえばいいのに。よりによって真っ正直に答えてしまった。
利津様は目をぱちくりさせ、そうしてふと笑った。鉄仮面みたいに表情が変わらなかったくせに今更ズルい。
「仇で返す者はそう言わない」
俺より年齢は多分少し上だろうし、軍人だからしっかりした体つきをしているしどこか怖い雰囲気のある人。
けれど今目の前で微笑む利津様は誰よりも美しかった。宝石のような翡翠色の瞳が俺を捉え、決して逸らさない。こんなにも俺自身を見てくれた人が今までいただろうか。
視界が揺らぎ、頬に一筋の雫が伝うのを感じた。
利津様は知ってか知らずか俺から視線をそらして話した。
「明日から医者を呼び、お前の体を調べさせ適宜対応する」
俺は答えられなかった。次から次へと溢れる涙と受けたことのない扱いに指先が震えた。
「それと今まで父の眷属に頼んでいた仕事をお前に渡す。部屋の清掃、食事の管理。隙を見て運転免許の勉強も進めろ」
自分勝手なことばかり言ってるくせに俺にとっては心地いいものだった。命令されていることが嬉しいわけじゃない。何もできない俺に仕事を与え、更に上を目指す機会をくれる利津様に俺は心底惚れてしまった。
役に立てるならいくらだって努力したい。そう思った。
ーーーー
その後、利津様の言った通り何日か経って俺の体はおかしくなった。食欲も意欲もなくなり、ガンガン痛む頭に起き上がれなくなった。
利津様のお父様、旦那様の執事たちが嫌々世話してくれたのをぼんやり覚えている。初日に見に来てくれた医者の処方した違法ではない薬を飲んだり、処置を受けたりして半月ほど。やっと自分で起き上がれるようになった。
与えられた4畳ほどの部屋。
その日は朝日と共に俺は目を覚まし、久しぶりに頭がスッキリしている。執事たちは吸血鬼だからこの時間にはやって来ない。
ぺったんこな布団から上体を起こし髪をぐしゃぐしゃにかき乱してゆっくり立ち上がった。筋力が落ちたせいか少しふらつく。
窓の方に近づいて軋む窓の桟をつかんで無理やり開けた。ここに連れて来られて来てから半月しか経っていないのに外の景色は緑の葉から赤と黄へ変色していた。ふんわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「起きれるようになったか」
「あ、おはようございます」
ドアが開く音に振り向くと白の軍服に身を包んだ利津様が眩しそうに此方を窺っていた。俺は少しだけ背筋を伸ばしてぺこりと頭を下げた。
あれから毎日、利津様は俺の部屋にやってきた。仕事もあるだろうに欠かさず来ては執事たちを威嚇して出ていく。おそらく人間の俺が何かされていない見張っていたのだろう。
そんな真面目な利津様を見ていて絆されない方がおかしい。俺は更にこの人の虜になってしまっていた。
「朝食と昼食を持ってきた」
「利津様がそんなことしないでください」
「吸血鬼たちは夕方まで起きて来ない。空腹で死なれても困るからな」
そう言って片手に持っていた大きなバスケットを円卓に置いた。中にはおにぎりとサンドイッチ、紙パックの野菜ジュースと麦茶、缶コーヒーが一つ入っていた。
いつもならすぐに出ていくのに今日は俺を見ると靴を脱ぎ畳の上に上がってきた。
窓辺にいる俺は何か話したいことでもあるのかとその場に座ろうとしたが、利津様の手が静止した。俺の手を掴むとぐいっと強く引き寄せ首筋に顔を近づけたのだ。
―まさか、吸血しようとしている?え、この人、真祖だよな。てことは、噛まれたら俺はこの人の眷属になるってこと?
なんて、利津様が俺に牙を立てることはなかった。
俺が身を固めていると利津様は俺の耳元で笑い顔を覗き込んだ。
「汚れたままだ」
「……は?」
「これだけ匂うならここの連中に噛み付かれることはない」
「え?俺そんなに臭いっすか」
「人間なら気づかないだろう。太い血管から毒々しさが溢れている」
「……すっげぇ悪口」
「いや、褒めている。ここまで回復したのに出会った頃のままお前は腐っている」
「やべえ、酷すぎて笑える」
俺はつい声を出して笑ってしまった。普通こんなこと言われたらキレるだろ、とか思っても利津様には多分通じない。感じたまま素直に話せる立場で生きてきた人だ。
さすがお坊ちゃん、と心の中で思った。
でも決して嫌な気持ちにはならない。だってこんなに楽しく笑えたことなんてなかったから。
「明後日から教習所に行け」
「いや、俺まだ17だから」
「18だ」
「いやいや、17ですって」
「戸籍を取り寄せた。お前の本当の名前も、年も、出生地も全て調べ上げた」
「え……」
「俺は軍人で主に城で勤務をしている。お前の身元を明らかにすることなど造作もない」
俺の本当の名前なんて俺も知らない。施設にいた頃でさえ俺が何者か探っても結局わからなかったと聞く。
なのにどうやって調べたのだろう。
聞く間もなく利津様は手を離して靴を履くとドアを開けた。
「佐藤」
「……?」
「今日と明日、少しでも体を動かしておけ」
突如呼ばれた平々凡々な苗字に俺は首を傾げた。利津様はそんな俺を見て小さく笑うと部屋から出て行ってしまった。
ありきたりな苗字。決して珍しいわけではないけれど妙にしっくりきた。
「さとう……」
胸の内から何だかくすぐったいものが湧き起こる。初めて人になれたような気持ち。
俺は体を縮こませてくすくす笑った。笑いながら目から涙が溢れた。
―――
あれから数ヶ月後にリリィが、そして世那さんがやってきた。
特に世那さんが来た日のことは多分一生忘れない。
「遅くなりました、利津様」
リリィに渡されたメモに書かれていたものを抱えながら指定された部屋に向かった。
ドアを開けるまでもなく開け放たれたそこに気絶しベッドに寝かされた世那さんとそれを見下ろす利津様がいた。
俺の声を聞くと利津様は煩わしそうに振り向いた。
「遅い」
「だから遅くてすみませんて言ったじゃないすか」
「謝罪はなかった」
「はいはい、すみません」
めんどくせえな、と思いながら抱えた荷物を部屋に下ろしてドアを閉めた。
自然と俺の鼻がクンと動く。
それほどまでに利津様からいつもは香らない血の匂いがする。人間の俺でもわかるほど強い香りに顔を上げると利津様の口元が血濡れているのが見えた。
「噛み付いたんすか」
「その逆だ」
「……は?」
「俺の血を分けた」
「マジっすか」
ガチャガチャと音を立てながら持ってきた工具を出しながら思いもよらない言葉に俺はつい手を止めてしまった。
利津様は不気味な笑みを浮かべて世那さんを見ている。
―あぁ、あの人のこと好きなんだろうな
多分他の人が今の利津様を見たら震え上がるだろう。でも毎日顔を合わせている俺からするとそうにしか見えない。
案の定、俺に任せっきりで利津様は倒れている世那さんの横に座ると愛おしそうに見つめながら血濡れた軍服を脱がせ始めた。
何をおっ始めるつもりだ、なんて思わない。
リリィが先に用意して置いてったであろう紺色の浴衣を手に取ると利津様は男をの服を簡単に着替えさせてしまった。下着を外さずそれは見事に着せ替えていて帯を締め、前を閉じたところで手を突っ込んで見えない形で下着を脱ぎ取った。
利津様は俺を見ずに手を差し出してきた。
「はいどうぞ」
用意されていた足枷を利津様に渡して俺は鎖や杭の最終チェックをした。
人の力でもなかなか外せないようにした。我ながらとんでもないものを作ったなと額の汗を拭いながらそれらを見つめた。
世那さんの足に枷を嵌めると優しく布団をかけて利津様は何事もなかったかのように立ち上がった。
「ここを片付けておけ」
「はーい」
「日常の世話はリリィに任せてある」
「りょーかいです」
「お前はいつも通り送り迎えをするだけでいい」
「あの」
「ん?」
「この親なし吸血鬼」
「世那」
「……せな、さん。がリリィに噛みついたりしませんか?」
「リリィがそれを許すはずがない」
「はは、そうっすね」
「それに、世那には俺の血以外を与えるつもりはない。始祖の血に狂い、俺だけを求め、俺なしでは生きていけない体にする」
―好きすぎでしょ!
ツッコんだら殺されそうだから心のうちにそっとしまって置いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。久しぶりにもかかわらず一章を終えることが出来たのはここまで読んでくださった方のおかげです。
本当に、本当に、ありがとうございました。
引き続き二章もよろしくお願いいたします。




