16話
足枷が外れて1週間。
世那は自分が囚われていることも忘れるほど充実した日々を送っていた。
前と変わらず部屋から出られないことに変わりはないが、部屋の中をどこにでも行けると言うのは開放感があった。
そしてあの日以来利津がカーテンを開けに来ることは無くなった。
代わりに毎日やってきては世那に血を与える。
仕事が終わって日が降りた頃、決まって利津は世那の部屋を訪れた。いつも白軍服のままやってくるのでおそらく帰ってきてすぐ世那の元にきているのだろう。
今日も御多分に洩れず、日がすっかり沈んだ頃にノックもせず利津がやってきた。ベッドに座り本を読んでいた世那はそちらに視線を向けるとぽんぽんと隣を叩いた。
「珍しいな」
「何が」
「いつもいらないと文句を言うだろう」
「……嫌がったって飲ませるだろ」
「ふふっ、違いない」
世那が促すまま利津は近づき、歩いている最中に短刀を取り出して自分の手を切りつけた。
溢れる血が見え、嗅覚をくすぐられると世那はベッドから降りて床に膝をついた。世那が座っていたところに利津は腰を下ろして真っ白な髪に変貌した世那の前に手を差し出す。
世那は真っ赤な瞳で利津を見るとすぐに目を伏せ、差し出された手に自分の手を重ねると血が溢れる手のひらに舌を這わせた。
以前は2日に一度だった吸血が枷を外してから毎日に変わっていた。
世那にその理由はわからない。ただ体が楽になったことは事実で、飢えて狂うくらいならばちっぽけなプライドを捨てる方がずっとマシだろうと世那は思い反抗することなく受け入れることにした。
傷口が塞がりきると世那の見目は人間のものに戻り、どこか気恥ずかしそうに立ち上がって利津に背を向けた。
何度吸血しようと飲んだ後にどんな顔をして対峙すればいいかわからず誤魔化すようにリリィが置いて行ったポッドから紅茶をカップに注ぎ、利津に差し出した。
だが利津は受け取ろうとしない。何度逢瀬を交わしても利津は簡単に差し出されたものを口にしようとはしなかった。
「あぁ、悪い」
いつものように世那が先にカップに口をつけた。
程よい苦味と甘い香り。リリィが淹れてくれる紅茶は本当に質の良いもので囚われていることを忘れるほど澄んだ香りがする。
世那は自分の飲んだカップを利津に差し出す。すると利津はそれを受け取り口に含んだ。
わかりやすく信用されていないことに世那は苦笑した。何か月経とうと利津は世那に心を開くことはなかった。
それでも少し変わったことはある。
以前は吸血が終わればすぐに部屋を出ていた利津は少しの間だけ居座るようになっていた。何をするでもなく部屋にいて、何のきっかけかわからないが突然帰っていく。
不思議に思ったが世那は尋ねなかった。
世那はあくまで捕縛された身で、利津は審判を下すもの。利津が望むなら好きにすれば良いし、それに抗う必要もない、そう思ったからだ。
「世那」
「……ん?」
「隣座れ」
「あぁ」
手持ち無沙汰に立ち尽くしていた世那に利津は視線を向けると自分の隣を手で叩いた。
世那も拒否する理由がないため大人しく腰を下ろす。
ギシッとベッドが沈み自然と二人の腰が近くにあったことに座ってから気づく。
ゆるりとした紺色の浴衣に身を包みながら世那は近くにいる利津になんとなく緊張した。
隣に座るよりずっと恥ずかしいこと、毎日血をもらっているのになんて幼稚なんだと思ってもその緊張がほどけることはない。そもそも理性を保ったまま利津をまじまじと見たことはあっただろうか。
仕事をしてきたとは思えない利津のふわふわした銀髪は綺麗に後ろへ撫でつけられ、髪の色に負けないほど透き通った白い肌、長い白のまつ毛から翡翠色の瞳が紅茶のカップを映す。
通った鼻筋も薄い唇もよくよく見れば美しいと言うものを全てかき集めたような見目だった。
――また会えたら、その時は……
霞んでよく見えない思い出が頭の中を駆けていく。思い出したいのに思い出せない何かが引っ掛かり、世那の頭の奥がズキンと痛んだ
「いっ……」
「どうした」
つい漏れ出てしまった声に利津は尋ねた。世那は頭痛を誤魔化すように笑うと慌ててベッドから立ち上がる。
「あっ、いや。大丈夫」
「どこか痛むのか」
「ほんと、何でもない」
慌てふためく世那に利津はカップをテーブルに置くと世那の腕を強く引きベッドに引き寄せた。
座った時よりも深くベッドは沈み込み、仰向けに倒れた世那の上に覆い被さるように利津はベッドに手をついた。
「何を隠している」
「何をって言われても。思い出せねえからわかんねえよ」
「思い出せない?」
「ずっと言ってんだろ。ここを襲うまでの記憶も、なんか……もっと遠くの大事な」
世那は眉間に皺を寄せ視線を逸らした。
思い出そうとするたびに誰かに鍵をかけられる。
何かが拒絶し、世那にとって一番大事だったはずの何かがモヤの中に隠れてしまう。
利津の質問に答えたくないわけではない。自分自身も何が原因かわからない。知ることが出来るならなんだってしたい。
黙り込んでしまった世那に利津はある結論に辿り着いた。
「閉じ込めているせいで余計混乱するのだろう」
吐息交じりの声と目の前に溢れる美しい顔に世那は息を飲んだ。時折見せる慈しむような利津の言動に世那の心はざわつく。
そんなことを知る由もない利津は漆黒の瞳を見つめながら呟いた。
「3日後のパーティに護衛として出席しろ」
「は?」
顔を離し上半身を起こして跨る形で利津は世那を見下ろした。普段通りの冷淡な視線に世那は口を閉ざす。
「ほとんどの真祖が集まる。お前を吸血鬼にした犯人が誰かわかるかもしれない」
固まる世那の頬を撫でるように手を滑らせると親指を世那の唇に当て、少しだけ開いて鋭い牙に触れた。
さほど変わらない表情の中にどこか悦に入った利津の視線に世那の背筋がぞくっとする。
「少しずつ俺の血で浄化してやったんだ。本当の主人が現れようと俺を忘れることはない」
世那の唇に当てた親指を見せつけるように舐め、世那を吸血鬼化させた真祖がまるでそこにいるかのように呟いた。
あまりに妖艶な仕草と相反するどす黒い愛の言葉に喉を締め付けられるような恐怖が世那は微動すらできない。
ちらりと世那へ視線を向けると利津は蠱惑的な笑みを浮かべ、ベッドから降り部屋から出て行ってしまった。
―――
夕方、リリィが食事を持ってきた時に世那は尋ねた。リリィは何故か不貞腐れながら答える。
「あぁ、そのパーティはご主人様の婚約披露宴ですよ」
「婚約?」
「えぇ。何でも5歳の頃に決まっていたお話らしくて」
世那の胸がちくりと痛んだ。
「貴族様って感じだな」
「本当。ご主人様が子爵を賜ったことをきっかけに話しが進んでいるみたいです。形としてはもう結婚が決まっていますが、公にするのはそのパーティが初めてなんですよ」
「……」
「大体なんですか。時代錯誤もいいところですよ。ご主人様にはもっと、もっとふさわしい方がいるのに。あんな女性、こっちから願い下げです」
文句を言いながら夕食を並べるリリィの言葉は世那の中に半分も入ってこなかった。
結婚する相手がいると言うのに毎日会いに来てはベタベタ触り、意地悪をし、時々。そう時々。可愛らしく微笑む姿を世那に見せてきたというのか。
結婚相手への配慮が欠けている、そんな苛立ちだろうか。否、そうじゃない。これは……。
気づきそうなところで世那は顔を手で覆った。
「大丈夫ですか?」
作業の手を止め近づいてきたリリィに気を遣えるほど世那の心は正気ではなくなっていた。
言えるはずもない。ましてや認めたくない。
だってこの感情は、嫉妬以外の何物でもない。
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