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14話

 陽の光が窓から差し込む。いつもと変わらない朝に世那は布団の中に潜った。


 6月末。部屋の中だというのに夏らしい陽光に朝5時前から目を覚ましてしまった。

 朝食にはまだ早く、布団の中は暑い。陽の光が届かない場所は窓とは反対のベッドの下だけ。布団の中にいるよりはマシだと布団を日除けにしてベッドサイドに転げ落ちた。


「いってえ……」


 床に軽く手をつき受け身を取って落ちたとしてもやはり痛い。

 世那は腰をさすりながら天井を仰ぎ見た。毎日同じことの繰り返しにいい加減学べよ、と自分に言い聞かせながら横を向いた。


 するといつもはあるはずの何かがない。陽の光があることを忘れ、世那は上半身を起こした。重たかったはずの左足に視線を向けると嵌められていた足枷が見当たらない。ベッドの向こう側に大きくそびえ立っていた杭もない。

 そういえば、スカスカしていた股下もぴたっとしたパンツを履き、なのにいつもの紺色の浴衣を着ていた。


「あ……」


 ようやく頭が覚醒し始めて世那は声を漏らした。昨夜の出来事だというのにどこか夢のようだったため思い出すまで時間がかかってしまった。


ーーーー


 世那の両親の墓へ行った昨夜。世那は車の方へ向かう利津を追いかけた。


「済んだのか」

「あぁ」

「そうか」


 先程見せた愛らしい笑みは幻だったのか、利津は普段と変わらない冷たい声で答えた。


 煙草を吸いながら休憩していた佐藤は主人である利津を見つけると慌てて携帯灰皿で火を消し、利津の座る座席のドアを開けた。

 利津は車に乗り込もうとしたところでひくりと鼻を動かし、佐藤を睨んだ。


「車で吸うな」

「外で吸ってましたよ」

「……」


 そういうことではないと言い返す気にもなれず利津は黙り込んで車に乗り込んだ。

 世那は反対側のドアを開けたところできょとんとする佐藤に声をかけた。


「俺が乗る時に吸うな、ということだろ」

「はー……わかってますよ」


 世那に声をかけられると思ってなかった佐藤は目をぱちくりさせ、すぐに気分を害したと言わんばかりの曖昧な返事をしながらドアを閉めた。


「そうっすよ。そうなんすけど……世那さんに言われると何つーか。いや、世那さんに俺雇われてるわけじゃないし」


 ブツブツ文句を言う佐藤に付き合うことなく世那は利津の座った反対の座席に腰を下ろした。


 決してこちらを見ようとしない利津に世那も利津から顔を背けた。

 来るときもさほど話していなかったが違う空気の重さに佐藤は頭をかき、諦めて運転席に乗り込むと車を走らせた。


 どんよりした空気が車内を更に重いものにする。それゆえ帰り道は行きよりもずっと長い時間に感じられた。

 世那と利津は一言も会話せずお互い窓の外を眺め、佐藤も空気を読んで何も話さず後部座席の雰囲気に溜息を漏らした。


 邸宅についたのは21時を回る頃だった。世那が抜け出していることなど誰も知らなかったようで見張りすらいない静かな庭に車は止められた。


「様子見てきまーす」


 そういうと佐藤は車から降り邸宅の方へ走って行った。

 たった二人になってしまった車内の空気に耐えられず世那がつい声をかけた。


「あの……」


 長い銀色のまつ毛が瞬き利津は世那の方を見るといつもと変わらない視線を向けただけで淡々と話し始めた。


「枷は不要だ。ただ、俺がいいというまで部屋の待機は続けろ。父に見つかれば即刻処分される」

「え、……あぁ」

「あと」

「……?」


 車のサイドポケットにあるナイフを手に取ると利津は当たり前のように自分の手のひらを切りつけた。

 陶器のような白い肌に鮮血が筋を作る。見慣れているはずの光景。世那はあっという間に人間の形をやめて真っ白な髪と赤い瞳へと変貌した。水では満たせない渇きが体の奥底から芽生え、ごくりと喉を鳴らす。

 自分の血に反応し、いつになっても初々しい世那の反応に利津は普段通りの傲慢無礼な笑みを浮かべながら真っ赤に染まった手のひらをそっと世那の前に差し出した。


「褒美がまだだった」

「っ……」

「飲め」


 素直に従いたくない、そう思っても世那の理性を無視して体は反応し差し出された手を包むように掴んだ。

 溢れる鮮血が月明かりに照らされいつになく美しく映る。

 世那はうっすらと口を開け次の瞬間には顔を近づけねっとりと舌を這わせていた。


 狭い車内には世那の荒い呼吸と舌で血を掬い取る水音が響く。抗う素振りもなく従順に吸血する世那を利津は悦とした笑みを浮かべながら見下ろしている。


 何度も丁寧に舌を這わせ、徐々に治っていく傷口に名残惜しさを覚え牙を立てたくなる衝動を抑えて世那は顔を離した。

 真っ白だった髪や赤い瞳は人間のものに戻ると世那の思考も人間のものへと戻っていく。


 そして疑問に思っていたことを思い出す。

 いつも吸血が終われば利津はさっさと部屋から出ていくが今は車内で、出ていくそぶりもなく解放された手を握り自分の膝に置くと利津は再び外に視線を向けて世那からそっぽを向いた。

 世那は興奮から息は上がったまま血濡れた口元を手で拭った。


「……俺ばかりもらうのおかしいだろ」

「なに?」


 呟かれた世那の言葉に利津は低く尋ね返した。


「ずっと思っていた。俺がお前のものだというなら、吸血くらいしたらどうだ」


 思いもよらない提案に利津は目を丸くし、同時に喉が鳴る。幸い体は動かず挙動不審になったことを世那に悟られることはなかった。

 吸血鬼にとって吸血は食事よりも大切なことで、血液パウチで誤魔化そうと生き血に代わるものはない。ましてその血液が愛しい者からだとすれば極上の悦びになることは必至だ。


「……それがどういうことかわかって言っているのか」


 やっと絞り出した言葉は少しだけ震えていた。利津は一度唾液を飲み込み世那の方へ向き直った。


 翡翠色の瞳がたくさんの電灯の光を吸い込み、キラキラと輝く。

 世那の体は動かなくなった。真祖だから、始祖だからではない。普段の冷静沈着な利津が本能のまま世那を獲物として鋭い眼光で捉えているからだ。


 利津は世那の肩を掴み、鋭い牙を見せつけるように大きく口を開く。世那のものよりもずっと立派な牙が怪しく光っている。


「この牙がお前の肉を裂き、血を啜るということだぞ」

「……わかってる」

「わかっていないだろう。それとも貴様は噛みつかれることが好きなマゾヒストなのか」


 違う、とすぐに言えばいいものの世那の喉は張り付いた。

 どういうわけか世那はさほど嫌な気はしなかった。監禁され狂ってしまったのか、はてまた利津という男に毒されてしまったのか。

 嫌というよりも寧ろ噛まれたいなどという感情が沸き起こっていることに世那は一種の不気味さを覚えた。


 何も言わない世那に利津は訝し気に見つめた。そして肩を掴んでいた手に力が入る。

 やりたくないと頭ではわかっている。けれども目の前の獲物が自ら差し出しているのに誰が抗えるだろうか。

 久しく飲んでいない生き血。ずっと憧れていた男の血。本能から来る悦びに利津はうっとりしたように世那を見つめ熱い吐息を漏らした。

 自分よりもずっと日焼けした男らしい首筋に顔を埋めようとした瞬間、利津の方のドアが無遠慮に開いた。


「邸宅の様子は大丈夫そうすね。どうぞ、お降りください」

「いってえ!」


 佐藤の声に利津は世那の肩を押して引きはがした。

 勢いあまって世那は窓に頭を打ち付け頭部を抑えながら声を上げた。その声が引き金となって利津は慌てて佐藤の開けたドアから外へ出ると口を押さえ黙り込んだ。

 その様子に佐藤はきょとんとしたが並々ならぬ利津の雰囲気に漸く自分が何かしでかしたことに気付いて利津と同じように佐藤は口を押えた。


「あっ!なんかお邪魔しちゃいました?」

「……」

「うわっ、あー。すんません。あー、マジか」


 喚き立てる佐藤を放置して利津は足早に邸宅の中へ入り、ドアを開けた先に待っていたメイドや執事の声も聞かず逃げるように利津は去っていった。


 一方、世那は痛めた頭を押さえながら足早に帰った利津を見送り自分で車を降りた。

 自分が発してしまった言葉の重みに気付いたときには時既に遅し。世那は恥ずかしくなって首元を抑えた。

 佐藤はちらりと世那を見るとどこか楽しげに笑いながら非常階段の方を指差した。


「世那さんはあっちっすよ。3階まで上がったら自分の部屋に帰ってください。多分リリィが近くにいますから」

「あぁ……」

「お疲れ様した」


 ぺこりと頭を下げると佐藤は再び車に乗り込み、世那を轢かぬよう気をつけながら邸宅の後ろへ走って行った。

 世那は佐藤に言われた通り非常階段を登り、自室に帰った。リリィが用意してくれたであろう着替えや夜食が目に入ったが食べる気になれず世那は着替えだけを済ませて倒れるようにベッドに身体を埋めた。

お読みいただきありがとうございます。

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