13話
世那と利津。2人の過去のお話です。
その日は初夏を通り越して真夏日だった。
茹だるような暑さはジリジリとコンクリートを焼き、雲一つない空は憎らしいほど水色。風の一つでも吹けば心地は違うだろうが時が止まったように何ひとつ吹く気配はない。
灰色の軍服に身を包んだ世那は袖口で汗を拭いながら訓練に勤しんだ。
こんな日に限ってグラウンドでの実践訓練。土豪に身を隠し、流れてくる敵を模した板の人形が見えた瞬間にアサルトライフルで撃つ。単純だがいつ人形が飛び出すか、長期戦をイメージした訓練は確実に体力を奪っていった。
「よし、今日はこの辺にしておこう」
上官の声と共に世那を含む兵達は土豪から立ち上がり息を吐いた。
暑さと緊張感で疲弊した体はまだ昼だと言うのに既に限界に近い。
世那はライフルを指定の場所にしまい、軍服の襟を緩めながらパタパタと服を揺らして風を送り込んだ。
「影島さん」
不意に声をかけられ世那は振り向いた。暑いと言うのにひとつも汗をかかず、涼しい顔で立つ青年が水筒を差し出している。
「あぁ、ありがとう」
「お疲れ様です」
青年、田中実は高校3年生の学生兵でありながら誰よりもしっかりしていた。
一番に訓練所に現れ、誰にでも挨拶をし、率先して雑務をこなし、上官たちもそれはそれは褒めちぎっていた。
見た目こそ黒い髪の黒い瞳をした普通の高校生たが、どこか普通とは違う気配を纏った不思議な男だと世那は思った。
そんな出来杉くんの指導係に世那が指名された。学生兵の世話係は二等兵が受け持つと決まっているため、世那はいつも通り田中のことも受け入れた。
「あー、汗臭えよな。ごめん」
「いえ」
「昼食ったら次は田中の番な。屋内だから涼しいし、的も動かねえから簡単にできるよ」
田中からもらった水筒を開け、中の水を一気に飲み干した。ぐっしょり濡れた軍服を脱ぎ片手に抱えながら世那は微笑みかけた。
すると田中はきょとんとした目で世那を見ると僅か頬を染めて視線を逸らし、世那の少し後ろをついて歩いた。
照れ屋なのかな、と世那も然程気にせず田中の様子を微笑ましく眺めた。
―――
学生兵退団の日。季節はめぐり黄や赤の葉が落ち始めた頃のことだった。
今日に限っては訓練は休みになり、日中は座学で復習し軍の兵たちもそれに参加する。
そして兵も学生達も最も楽しみにしているのが夜の壮行会だ。
ホテルの大きなフロアを貸し切り盛大に行われるパーティは軍人として気を張っていた学生たちは勿論、常に張りつめている兵達にとっても癒しの場だった。
いつもは汗の染みついた軍服に袖を通しているが、この日に限って兵達はスーツなどを着ておめかしをする。
学生たちは各々の学校の制服に身を包み参加するので互いの学校の話や訓練中の出来事を話し、重苦しい雰囲気は一切ないお祭りのような騒ぎになる。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。学生諸君、これからは学業に専念し帝国のために是非尽くしてもらいたい。そして兵士諸君、今までご苦労であった。今日だけは上司部下の関係を忘れ大いに楽しんでくれたまえ。あ、くれぐれも学生達に酒を与えないように。それでは、乾杯!」
「「乾杯!」」
学生兵担当の大佐の掛け声で、男たちは訓練時と同じ低い怒号に似た声で乾杯の音頭をとった。
シンと静まり返っていたフロアは途端に騒がしくなった。椅子に座る者は少なく、皆グラスを片手に立ったまま話をしている。
世那は与えられた椅子に腰を下ろしながら静かに酒をあおっていた。
中学卒業後から軍に所属してかれこれ7年になる。同じ時期に入隊した者はもうこの場にはいない。皆それぞれ出世していってしまったからだ。
ゆえにここにいる者たちは管理職の大人を除いて学生と大差変わらない10代の青年たちばかり。世那が対等に話せる者などいない。
「隣よろしいですか?」
ぼうっと周りを眺めていた世那の前に見慣れた青年が一人やってきた。
どこにでもある何の変哲もない黒の学ランに身を包んだ田中がオレンジジュースを片手に立っている。
世那はいつものように微笑み隣の椅子を叩いた。
「いいよ」
「ありがとうございます」
「今日くらい俺に気ぃ遣うなよ」
「遣ってません」
「友達と話したりして来いよ」
「影島さんといた方が楽しいです」
「そっか」
兵役のためにたまたま与えられた先輩と後輩という地位すら大切にする田中に世那はくすぐったさを覚え笑った。
軍から与えられた軍服を着ていた時とは違って学ランを着た田中は年相応に見え、世那はじっと田中を見つめた。
その視線に気づくと田中は頬を染め、ちらりと世那を見るとグラスを口につけごまかした。
「あ、ごめん」
「……いえ」
「学ラン着てんの初めて見たから」
「高校生ですから」
ぐうの音も出ない田中の返しに世那は苦笑した。
照れ屋で大人しい田中の軍の成績はそこそこだった。誰よりも真面目だったが目立つようなことはなく、毎年やってくる学生兵と大差ない一般的な成績だった。
それでも世那にとって田中はどの学生兵よりも気に入っていた。
理由は簡単で懐いてくれていたからだ。
可愛い奴め、と世那は内心思った。
世那が何も言わず酒を飲んでいると聞き逃しそうなほど小さな声で田中が呟いた。
「影島さんのスーツも初めて見ました」
「ん?」
「いえ……」
言ったそばから田中はグラスの中身を一気に煽り、空になったことを理由に席を立った。
そそくさと逃げるような田中は大きいくせにまるで小さな子どものように映り、可愛らしいなと世那は心の中で呟いて小さく笑った。
「おい、影島!」
突然上官の声が聞こえ、世那はいつもの反応で背筋を伸ばして立ち上がった。
酒瓶一本丸まる抱えた上官がニヤニヤしながら世那を見ていた。
「今年も一本いっとくか?」
「え?」
「さあさあ!学生ども!ここにいる影島が軍の強さをとくと見せてくれるそうだ!強い男は一本くらいさらさらっと水のように飲むもんなんだ」
上官の大きな声に近くにいた学生たちは笑いながら世那の方を見た。世那は慌てて首を振った。
「いや俺はそんな強く……」
「おい、あの人軍の歴長いくせにずっと二等兵の」
「出来損ないって奴か?」
「どうりで老けてんなって思ったよ」
「上官に馬鹿にされていじられてんだろ」
心無い侮蔑の言葉が世那に聞こえるように学生たちから溢れる。
それに反論する元気は年を重ねた世那にはなかった。
世那は上官の持つ酒瓶を奪い取るとにっこり笑い、学生たちの前に向き直った。
「不肖影島、飲ませていただきます!」
「「おおおお!」」
ーーーー
それから小一時間ほど経った頃。
大佐が再びマイクを取った。
「えー、宴もたけなわではございますが、学生諸君の手前ここら辺でお開きにしたいと思います。今日はお集まりいただきありがとうございました」
たくさんの拍手と共に壮行会は幕を閉じた。
各々が仲のいい者達と出ていく中、一人泥酔して床に座り椅子に突っ伏する世那がいた。
飲めと促した上官は近くにおらず、通りがかる学生達は汚いものを見るような目で避けながら通り過ぎていく。
「大丈夫ですか?」
「うぅー……」
唸る世那の横にしゃがみ、田中は優しく世那の背中を撫でた。
すると少し意識が浮上した世那は田中に視線を向けるとふにゃりと笑った。
「ばぁか、俺のことは放っとけって、言ったろぉが」
「一人で帰れますか?」
「あぁ?」
「とりあえずここは出ましょう。外の風に当たったが……」
「はいはい、出ます、出ますよぉだ」
千鳥足で立ち上がると世那はフラフラと出口の方へ歩いて行く。田中はそれを追いかけ、倒れそうになる世那の脇に肩を通して支えながらホテルを後にした。
ホテルを出るとすぐ目の前に湖があった。
湖を囲うようにいくつものベンチが並んでいて、ホテルの宿泊客らしき人たちもちらほら見受けられる。
田中は世那を抱え、人がいない少し木々の影になったベンチに世那を座らせた。酔っ払ったままの世那は田中が横に座ると遠慮なくもたれ掛かった。
「水とか買ってきましょうか?」
「いらねえ……」
それ以上何も言わず世那は深く息を吸った。
秋らしい涼しい風がそよそよと木々を揺らし、月明かりに照らされた湖がキラキラと輝く。
周りの静かさに溶け込むように田中も口を開かず大人しく肩を貸した。
「田中ぁ」
「はい」
「小さい時に、お前に会ったことある気がする」
サラサラ鳴っていた木々の音が一瞬にして消えた。
揺れていた湖面も風が凪ぎ、まるで時が止まったように景色を映すだけ。
何の前触れもなく告げられた言葉に田中は身を固めた。
「なんか道に迷って……泣いてて、女の子みたいに可愛くてさ。あー、でも。その子は吸血鬼だったような……」
酔いに任せてただ言葉を並べる世那に田中は何も言えない。
覚えているはずがないし、そもそも人間に扮した田中……利津を見分けられるはずなどない。
利津は完璧に人間としてこの3ヶ月を過ごしていた。
黒髪のウィッグを外す時は部屋に備え付けのシャワーの時のみであり、黒い瞳のコンタクトレンズを外すことも寝る前だけだった。
もし仮に田中実が久木野利津だとバレれば今日まで訓練に参加することは叶わなかっただろう。
何も言わない利津のことなどお構いなしに世那は空を仰ぎ見ながら呟いた。
「何て言ったかな、名前。り、り、……」
「……」
「りつだ。そう……」
とうとう名を呼ばれ、利津は肩を揺らしてしまった。
同時に自立できていなかった世那は利津の肩から太腿へ倒れ込んだ。
利津は咄嗟に手を伸ばし頭を支え顔を覗き込んだ。
すうすうと規則正しい寝息が聞こえ、瞼を閉じ眠ってしまった世那に利津は安堵した。
これ以上、利津は平常心を保てなかった。
幼い頃の小さな記憶を、宝石のように大切にしていた思い出を世那も覚えていてくれた。
そのことがとても嬉しくて利津は自分の口を押さえ、溢れそうになる気持ちを抑えた。
「……せな」
「……」
ぽつりと名前を呼んだだけで利津の心が踊った。
無防備に曝け出されている世那の首筋が目に入った。
訓練が終わった今ここで噛みつけば世那を連れ帰ることができる。
真祖の間ではよくある話で、人間たちも真祖の吸血鬼になれたと喜ぶ者もいると聞く。
利津は体を丸め、互いの鼻先が触れ合うほど顔を近づけたところで動きを止めた。
世那が今ここで無防備になっているのは田中実に絶対の信頼を置いているからであって久木野利津に心を許したわけではない。意識がないうちに噛まれ、吸血鬼化されたと知れば世那はきっと許さないだろう。
そもそも利津は人間である世那に惹かれたのであって眷属化したくて傍にいたわけではない。
「お迎えにあがりました」
音もなく現れた見知った気配を感じ利津はそちらを睨むように視線を向けた。
利津の父である清が従える執事の一人が利津の前に来て深々と頭を下げた。
「頼んでいない」
「旦那様のご命令でここに参りました」
「軍にいる間は干渉するなと決められていたはずだが」
「今宵でお修めになられたと聞きました」
「帰るまで俺は田中実でなければならない。そうだろう?」
「では、田中様。旦那様がお呼びですのでご同行願えますか?」
何枚も上手な執事の言葉に利津は睨み、しかたなく頷くと膝の上で眠る世那を一撫でした。
「そちらの方は?」
「田中実の指導係だ」
「なるほど」
「この人を家まで送りたい」
「かしこまりました。場所はお分かりですか?」
「あぁ、軍の寮だ」
「承知いたしました。お送りしましょう」
利津はそっと世那を起こして肩に手を回させ、自ら世那を抱き上げた。
執事が「代わりますか」と言っても利津は変わろうとしなかった。
もう少しだけ触れられるなら、そばにいられるなら自分でありたいと利津は思ったからだ。
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