11話
邸宅から出るのはリリィの言う通りそう難しいことはなかった。
部屋から廊下に出た時、辺りを見渡したが人気は全くない。長く続く廊下の端に至るまで誰一人いないのだ。
「ね?言った通りですよね」
「どうなってんだ」
「世那さんは吸血鬼の習性を知っていますか?」
「まぁ、一般知識レベルでは」
「いいですか?元人間の吸血鬼って主人が近くにいるとその人の命令を待つだけになっちゃうんです」
「あぁ」
「ここで真祖は旦那様とご主人様だけ。前も話しましたがご主人様は吸血鬼を作らないんです。なのでここにいる吸血鬼は皆旦那様の吸血鬼ということです。ということは……?」
「……?」
世那が小首を傾げるとリリィはいたずらな笑みを浮かべ、誰もいないにも関わらず世那の耳元でこそっと囁いた。
「世那さんの部屋の見張りをしろなんて誰も命令されてないってことです」
確かに。だがこんなにも見張りがいなくて平気なものだろうか、と世那は思った。
それこそ今から出ようとする非常口から侵入者が入ってくるかもしれない。
現に世那が意識なしにこの邸宅まで入り込んだのだからもっと危機感を持つべきではないだろうか。
リリィは軽い足取りで廊下を歩き、非常口の扉を開けると世那に振り返りにっこり笑った。
「このおうちで一番はご主人様です」
「それはお前にとってだろ」
「いえ、真祖の中で最も優れているのはご主人様です。ご主人様が必要と思えば何でもしますよ」
「じゃあ、俺の部屋の前に見張りはいらないって思ってるってことか?」
リリィは答えずにっこり笑うだけで非常口から出て階段を降りていった。
世那の革靴がカンカンと音を鳴らしてしまうがリリィは気にする様子もなく一つずつ降りていった。本来抜け出すならば音を出すなど御法度のはず。ますます世那は何が何だかわからなくなっていた。
非常階段を降り終えると辺りは暗くなっていた。
西の空はぼんやりとエンジ色をしていて日はまだ降りきっていない。けれども直接の日の光がないためか世那の体に負担はなかった。
「リリィ」
「はい」
「あのさ、俺が必要なおでかけって……」
「世那がいなければ話にならない」
音も気配もなく世那の背後から聞き慣れた声が聞こえ、リリィは深々とその背後の者に頭を下げた。
声の主が誰か世那はすぐにわかった。だからこそ振り向きたくなかった。
「よくここまで連れ出してくれた」
「いえ」
「車を待たせている。行くぞ」
世那はとうとう諦めて振り向いた。
いつもの軍服ではない、白のワイシャツに薄手の毛糸のベストを着た利津が立っていた。
二人の間に強い風が吹き抜け、利津の銀髪がふわりと踊る。
「よく似合っている」
「……」
怪訝な表情を浮かべる世那に利津は嬉しそうに微笑んだ。
世那の中で漸く合点がいった。今着ている服も、抜け出す算段も全て利津の企みによるものだったのだろう。
そう考えればリリィの無茶苦茶な提案も通るわけで、足枷を外したのも利津の命令だということだ。
「それでは私はこれで失礼します」
「え?」
「世那さん、私のこともよろしくお伝えください」
誰に?と世那が聞き返す間も与えてもらえずリリィはヒラヒラと手を振りさっさと邸宅の方へ走って行った。
呆気に取られ、沸々と湧き起こる怒りにも似た妙な感情であぐねいていると、遠くから車のエンジン音が聞こえた。
ライトがピカっと光り、2人の前に車が止まると黒髪で少し釣り目の男が一人降りてきた。
男は運転手用の帽子を浅くかぶり、ワイシャツに紺色のベストとズボン、赤いネクタイが妙におしゃれな見た目をしていた。世那よりもずっと若いと思われる男、佐藤はそそくさと出てきて後部座席のドアを開けた。
「どうぞ、世那さん」
「何で俺の名前……」
「え?そりゃ、利津様からいつも嫌と言うほど聞かされてますから」
佐藤はニコニコ笑いながら簡単に利津を貶した。
あまりにもフレンドリーな対応に世那が固まっているのを見ると佐藤はドアから手を離し、世那の肩を掴んでグイグイ押す。
「ほらほら乗った乗った!」
「佐藤、世那に乱暴するな」
「乱暴ってほどのことしてないっすよ」
「……」
「はいはい。どうぞ、気をつけて乗ってくださいね世那さん」
佐藤は利津に怒られようとたじろぐことなく世那に振り向いた。
利津に言われた通り世那に触れず大人しくドアを押さえて反対の手は車の中を指した。
世那は何が何だかわからぬまま車に乗せられた。「しめますよ」と佐藤の掛け声と共にドアが閉まると佐藤は反対に周りドアを開けた。
利津が当たり前のように世那の隣に腰を下ろし、佐藤はドアを閉めると運転席に乗り込んだ。
程なくして「出発します」と佐藤の掛け声と共に車が走り出した。
窓から見た広く長い石畳を抜け、自動で開く大きな門を潜り抜けると途端に森の中へ入っていく。
鬱蒼と茂る木々たちの間から月明かりがポツポツと溢れている。
「あー……」
初めに声を出したのは世那だった。
窓の外をぼんやり眺めていた利津はゆっくりとした所作で世那の方へ向き直った。流れるような所作は美しい見目も相まって幻想的に映り世那は息を呑む。
翡翠色の瞳がじっと見つめているため世那はたじろいだ。
「あ、いや……」
「なぜこんなまどろっこしいやり方をしたか知りたいか?」
「あぁ?……まあ」
「あそこにいる吸血鬼たちがたとえ父のものであろうと真祖の匂いを感じればそちらに意識が向く。それに殆ど父と同じ血が流れている俺をアイツらは無意識に畏敬の念を持って接してくる。家に入れば自ずと俺を意識してしまって世那が簡単に出ては来られないだろう」
ため息を漏らし深くシートに体を預けながら利津は面倒くさそうに答えた。
――――
車は森を抜けいつの間にか見慣れた街並みの中を走っていた。
決して都会ではないが帰路を急ぐ人々があちらこちらに見受けられる程度には人が住んでいる街。世那が捕まる前よく来ていた場所だった。
「大尉殿」
「利津」
「……りつ」
「なんだ」
「何故俺を連れ出したんだ」
何よりもわからないのはそこだった。
あんなにも縛り付けられていた日々を送らされていたのに何故突然外へ連れ出されたのか。
しかもよく出かけていた街並みを見せられ更に世那は混乱した。何が目的か、はっきりさせなければならない。
利津は名を呼ばれたことが嬉しく、つい口元が緩まってしまうのを隠すように手で口を覆って窓の外へ視線を向けた。
世那が暮らしていた街並みが自然と目に入る。利津の中で嬉しさと後悔が滲み、照れ臭さは薄れていった。
「質問に答えろ」
何も語らない利津に世那は痺れを切らしてを強い語調で問いかけた。利津は口を押さえていた手を顎に滑らせふと鼻で笑った。
「上官にその態度か」
「……」
「まぁいい。世那に敬語で話されるのはなんだか変な気持ちになる」
「え?」
もう一つの疑問が世那の中で浮かび上がる。
初対面であるはずの利津は何故か世那を名前で呼ぶ。名前で呼ぶことを好むということでもなさそうで、現に運転している男は佐藤と苗字で呼ばれている。
何故、何故と疑問ばかり浮かび世那は何も言えなくなった。
過ぎる街並みから視線を世那に向けると利津は蠱惑的な笑みを浮かべ、シートに置かれた世那の手に自分の手を重ねた。
「世那とデートがしてみたかったとしたら」
「……、は?」
「くくっ……」
どんなに考えても理由など思いつくはずはない。利津の放った言葉はあまりにも稚拙であまりにも突拍子もないものだった。
世那の疑問は深まり、利津は満足そうに笑いながら手を離した。
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