1話
お久しぶりです。
前作から2年弱、間をあけてしまいました。
※BL要素を含みます。苦手な方はお気をつけください。
※レイティング付きです。15歳未満の方は引き返してください。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
以上のことにお気をつけください。
春一番の風が森を抜け、他の季節とは異なる甘い香りが鼻腔をくすぐる。
帝国の城下町を過ぎた少し小高くなった山。そこには中世ヨーロッパの貴族の家を模した建物が一つ、まるで城のように聳え立っている。囲うように張り巡らされた鉄格子、不必要なラウンドアバウト。何もかもが規格違いで見るものを圧倒する。
だというのに警備する者の姿は見当たらない。人の目は頼りないなどと当主は言い、全て機械に任せている。幸いこれまで侵入を許したことは一度もなかった。そう、今までは。
しかし今、邸宅の前で一つの影がゆらりと揺れた。
その影はあらゆるセンサーを掻い潜り建物は近づいてきた。黒の軍服姿、手には短刀を一つ。髪は異様な白さで月明かりを受けているが、真っ赤な瞳は少しの光も受け入れず暗い。
男はセンサーやカメラの死角を抜け、当然のように裏口のドアを開けて難なく侵入した。
邸宅の中は外側と変わらず厳かな佇まいだ。白い漆喰の壁、大理石で出来た床。一枚一枚が手作りなのか硝子窓は少し歪んでいる。天井からは小さなシャンデリアが所狭しとぶら下がり、いかにもな厳かさに胸焼けを起こすほど。普通ならばハッと息を呑むような光景だと言うのに男は視線を彷徨わせることなく一点を見つめながら歩き続けた。
「誰だ、お前は」
遠くにいた執事が男を見つける。その声は悲鳴に似ていた。侵入者は握った短刀をだらしなく下げたまま執事の声に反応せず歩みを止めない。
「おい、止まれ」
警戒しながら執事は侵入者の前に立ちはだかった。すると男は漸く足を止めた。
握った短刀が執事に向ける事もなく、侵入者はただ呆然と立ち尽くした。惚けたような態度の侵入者に執事は首を傾げた。おかしい、あまりにも無気力な様子に執事は男の身なりを見つめた。
平均男性よりも少し背が高い、顔立ちもまあまあ、歳の頃は20代後半といったところ、軍服に隠れてはいるがそれなりの筋肉がありそうだ。まじまじと見つめていると執事はあるものを見つけ息を詰まらせた。二の腕付近に縫い付けられた黒の部隊章が目に入ったからだ。
執事は恐る恐る尋ねた。
「親なし吸血鬼か?」
男は答えない。何を捉えるでもない座った目でじっと執事を眺めている。精悍な顔立ちのせいで余計に不気味に映り、執事は息をのんだ。
そして執事はそっとポケットに手を入れ警棒を取り出し一振りする。と同時に男と同じ白髪に赤い瞳へと変貌を遂げた。
「ここが久木野邸とわかっていての侵入でいいのだな。ならば手加減はしない」
「……くぎの……」
執事の言葉に男はゆっくりと口を開いた。すると今まで無感情だった表情が一変、唇を真一文字に結び短刀を構えると執事に向かって飛びかかった。執事も負けじと警棒で短刀を抑え込み男を振り払う。
「くっ……」
男と執事では圧倒的に力の差があった。執事はやっとのことで振り払うことが叶ったが次に向かってきた時に勝てる自信はない。間を置かずして男は短刀を握り直し、壁を蹴って執事の上から飛びかかった。執事は完全に避けきることはできず手首から血が溢れる。
その時、鼓膜を突き破るような低い音が響いた。ダンッと鈍い音の後、向かってきていた男は途端に力を失い床に伏した。腹部から真っ赤な血の池が作られていく。
「大丈夫か?」
執事の背後からもう一人の執事が銃を構えたまま近づいてきて、先にいた執事は安堵の溜息を吐いた。
「銀弾を撃ち込んだ。そう長くは生きられまい」
「旦那様はご無事か?」
「急遽入った出張でここにはいない」
「……不幸中の幸いだな」
「利津様は?」
「もうすぐおかえりのはずだが」
「はぁ……減給じゃすまないぞ。下手したら俺たちはクビか、最悪殺される」
執事たちは男に武器を向けたまま警戒しつつ話し続けた。
撃たれた男の腹部からは血がとめどなく流れ、はじめこそ荒く息をしていたが徐々に呼吸がか細くなっていく。
合わそうにも合わない焦点、気管が狭くなっていくような息苦しさ。死が近い、そう思うと男の瞳に光が戻った。
――なんで俺は今ここにいるんだ?なんで地面に……。
問いたくても喉が締まって声が出せない。もう何も考えたくないと思考が白けてきたところで違う声が男の耳に届いた。
「何の騒ぎだ」
聞こえた声に死にかけた男の体はぴくっと反応した。二人の執事たちも話を止めると背後に視線を向け、深々と頭を下げた。
「お、おかえりなさいませ」
執事は男から銃口を逸らさぬままでいられたことが奇跡だった。現れた男に体が無意識に恐怖し、執事達の声は震えている。
現れた男、久木野利津はきりっとした鋭い翡翠色の目を細め、倒れている男を睨んだ。
「倒れているそれは何だ」
「はっ、これは……」
「侵入者です!」
コツンコツンと硬い革靴の音が広い廊下に響く。
癖のある銀髪は後ろに撫でつけられてかっちりと固められ、その髪色に負けないくらい日焼けを知らない肌の色の性でひょろりとした体形に映る。が、歩く姿から相当鍛え抜かれていることがわかる。
利津はゆったりとした足取りで重心を移動し、銀色の長い睫毛を瞬かせ翡翠色の瞳でジロリと倒れている男を見下ろした。
倒れている男は、か細い呼吸を繰り返しながら焦点の合わない目で利津を見上げ、ハッとした。
威圧的な言動からは想像できないほど美しかったからだ。
天井からぶらさがる電飾を背に銀色の髪は煌めき、まるで後光のようだ。少し影になって見づらいがすっと通った鼻梁、薄い唇、二重で持ち上げられた瞼から見える綺麗な翡翠色の瞳。作り物か、と思うほど美しい吸血鬼が男を見下ろしている。心なしか男を見て表情が固くなっているように見えるが、気のせいか。
危ないから近づかないほうがいい、執事たちはそれすら言えず体を固くして立ち尽くしている。人間の血が一切混じっていない真祖の吸血鬼、久木野利津は何の迷いもなく倒れた男を持ち上げた。
「これは俺が預かる」
「へ?」
「父に報告は無用だ。俺から伝える」
「え?あの……」
「口答えをするつもりか?」
たった一言でその場にいるものは息を詰まらせた。元人間である吸血鬼にはない捕食者の覇気。二の句を告げられないほどの確固たる言動に誰が言い返せよう。
「……いえ」
執事の一人がやっと声を絞り出すと利津は血濡れた男を抱えながらその場を後にした。
男は頭が逆さまのまま抱えられ、どこへ連れて行かれるかわからないまま意識を飛ばした。
――――
「おい親なし吸血鬼がここに侵入したぞ」
「え?親なしって、元人間なのに主人がいないとかいう輩のことか?」
「そうそう。主人がいないから何するかわかんねえって特別部隊に入れられてる奴らだよ」
「なんでそんな奴が、帝国の貴族様の屋敷にどうやって。サイレンだって鳴らなかっただろ」
興奮冷めやらぬ執事二人は休憩用の部屋に戻るなり同僚たちに口早に伝えた。この邸宅が出来てから一度たりとも侵入を許したことはない。そんな場所に侵入者が来たとなれば騒がずにはいられなかった。
「貴族っつったってここ真祖の家だぞ」
「そうそう。しかもよりにもよって真祖様の頂点に立つ久木野邸に」
「しかしよく一人で来たよな」
「吸血鬼は夜目が利いて身体が丈夫っつったって限度があるだろ」
「まぁ、銀弾で一発だったけどな」
主人がいないことをいいことに執事たちは下品な声で笑った。
「ま、俺たちは親なしじゃなくてよかったよな」
「あぁ。旦那様に血を抜かれる時の快楽ったらもう……」
「な。命令される時の何も考えられなくなる感じとかさ。人間じゃ味わえねえよ」
思い出すだけで背筋を通り抜ける快楽に執事たちはうっとりし、下世話な笑いを浮かべた。だが、一人の執事が「はぁ」とため息を漏らして腕を組んだ。
「しかし、利津様はいつ眷属をお作りになるのか」
「旦那様のたった一人息子だろ?そろそろしっかりしてくんねえと」
「旦那様の手前、俺たちが色々してるけどなんつーかな。心から嬉しくねえっていうか」
「悦びがない」
「そう!」
「な?」
そうこう話していると突然、ドアが開いた。その音に執事たちは口を噤み一斉にドアに視線を向けた。
「おつかれーす」
執事たちの緊張をよそに、若い男は帽子を脱ぎながらネクタイを緩め入ってきた。
30歳に差し掛かろうとする執事たちとは違い、20歳になったばかりの瑞々しさを溢れさせながら男はくりっとした茶色い目を細めた。
「おう人間。ここは吸血鬼様たちの部屋だぞ」
「噛まれたくなかったらとっとと部屋に帰んな」
帽子で蒸れてしまった頭を掻きながら若い男は執事たちに目もくれずデキャンタからコップに水を注いで一気に飲み干した。もちろん執事たちは無視されて黙っているつもりはない。執事の一人が若い男の横に行き顔を覗き込んだ。
「言葉もわかんねえのか?」
ひしゃげた笑いを浮かべる執事とは対照的に若い男は執事を見て大きくため息を吐いた。
「利津様の悪口言うってことは遠回しに旦那様ディスってるってことだろ?そんな奴の言葉なんかわかんないね」
「なんだと?」
執事は若い男の手首を掴むと強く引き寄せ、同時に見た目は白髪に変わり真っ赤な瞳が若い男の首筋を捉えにんまりと笑った。だが若い男は表情一つ変えず吸血鬼化した執事を見据える。
「おやめください」
一触即発のこの場にそぐわない強く凛とした女の声が響いた。執事の動きがぴたりと止まる。他の執事たちも現れたメイド服姿の少女に視線を向けた。
男達の中に立ちはだかるにはあまりに小さく、それでいて幼い女はおさげに結われた三つ編みを揺らし、大きな黒い瞳でじっと執事たちを睨んでいる。
「おやめください、だって。フフッ」
「かわいらしい人間の女が俺たちに口答えしようってのか?お前まだ15かそこらだろ?お兄さんたちが可愛がってやろうか?」
下品な物言いの執事達をものともせず、女は入ってきた時と同じように芯のある声で答えた。
「ウチの馬鹿を引き取りに来ました」
「馬鹿じゃなくて佐藤な、リリィ」
今にも捕食されそうになりながら若い男、佐藤はリリィに反論した。リリィはじっと佐藤を睨むと執事たちに視線を戻し佐藤を指さした。
「この男の血は汚れています。吸血はやめた方がいいかと」
「ハハハッ、間違ってねえけど酷い言いようだなぁ」
「吸血以外の方法で処罰する方がいいかと。いえ……処罰してください」
「え?やー待てよ。助けに来てくれたんじゃないの?」
「誰が誰を?」
「えー……」
二人の漫才じみたやりとりに腕をつかんでいた執事は嫌気がさして振り放した。見た目は人間の者へと戻り、佐藤を掴んでいた手をまるで汚いものを触ったかのように大きく振った。
「あー人間臭えったらありゃしねえ。仕事に戻ろうぜ」
「そうだな」
「はあ……」
執事たちはブツブツ文句を言いながら部屋から出て行った。
腕を掴まれていた佐藤は痛くもなかったくせに痛いと言わんばかりに手を振り、ポケットから煙草を取り出すと口に咥えて火をつけた。
「ふぅ……まじやべえ」
「外で吸う約束でしょ」
「いいじゃん。誰もいないし」
「仕事頼みに来たんだけど」
「あー?今さっき利津様連れて帰って来たばっかなんですけど」
佐藤は話しながらソファに腰を下ろして煙草を深く吸ってゆっくりと吐き出した。背もたれに頭を預けようとしたところでリリィが意地悪な笑みを浮かべた。
「その利津様からのお仕事」
「……うわぁ、先に言えよ。吸っちまった」
声にならない声を上げながら佐藤はポケットから携帯灰皿を取り出し煙草をもみ消す。
「怒られるわね」
「図ったな?」
「さあ?」
「わぁ……もうマジ、うわぁ……」
佐藤は注いだ水を口に含み、ぐちゅぐちゅと口内をすすいで出すところもないのでそのまま飲み込んだ。そしてだらしなく首からぶら下がっていたネクタイを抜き去りジャケットを脱いでワイシャツの袖口をめくりあげた。
仕事内容を伝えていないにも関わらず動きやすい格好に身を整えていく佐藤にリリィは感嘆の溜息を漏らした。
「よくわかったわね、力仕事だって」
「そりゃわかるよ。侵入者だろ?」
「早耳」
「馬鹿な吸血鬼様たちがお話あそばされておりましたからねぇ」
ふざけながら言う佐藤にリリィは何も言わず利津から聞いてきたメモを差し出した。その内容を確認すると佐藤は「はいはい」と返事をした。