春の雷
「……雷か」
自室にいたリオレティウスは、窓辺に寄って空の様子を窺った。
先ほど、燻るようにゴロゴロ鳴ったあと、ドーンと一つ大きな音がした。しばらく前から遠くをうろついていたそれは、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。
春が訪れる頃、ウレノスでは特に夜、雷がよく起こる。この時期は大気が不安定で、こうした天気は一週間ほど続くこともある。
――もう春か、早いな。
変わる季節に自ずと思い巡らしつつ、リオレティウスは自室を出て寝室へと向かった。
寝支度を整え、夫婦の寝室へ。隣国から妻を迎えてはや二か月ほど、この流れももう日常になった。
シェリエンの部屋の居室を通り、続き間になっている寝室へ入る。彼女は大抵ソファーに座って、本を片手に待っている。
だが、その晩は少し違った。ソファーに彼女の姿がない。
あれ、と思って部屋を見渡すと、ベッドの上の布団がこんもり不自然に盛り上がっている。
――あれはシェリエンか。具合でも悪いのか。
リオレティウスがベッドに近づいた瞬間、またもドーンと大きく雷が鳴った。音に合わせ、その不自然な山がびくっと揺れる。
布団は中にいるであろう人物に端を引き込まれ、ぴったり閉じた空間を形成している。中の人――間違いなくシェリエンだろうが――は、息ができているのだろうか。
「……シェリエン?」
このへんかとあたりをつけ、布団の一部をそっと捲ってみる。すると、頬を真っ赤に染め、今にも泣き出しそうな少女の顔が現れた。
雷鳴は遠慮を知らず、そうする間にも布団は小刻みに震え続ける。
「雷、怖いのか?」
「…………」
さらに一つ、雷鳴。ひっ、と短く、声にならない悲鳴が上がる。
質問への答えは聞くまでもない。
「大丈夫か……?」
「…………」
雷の音は近い。どうやらしばらく、この辺りに滞在することを決めたようだ。
これではとても彼女は眠れないだろう。どうしたものか――考えあぐねていると、雷の合間にか細い声が聞こえた。
「リオ様は、朝早いので……わたしのことは気にせず、寝てください……」
「そう言ってもな……」
リオレティウスは寝つきがいいほうだ。外が嵐だろうと雷だろうと、どんな状況でも寝床に入ればすぐ寝入ってしまう。
だが、この世の終わりのような顔をした少女を隣に残して眠るのは、さすがに憚られる。
「今までは、どうしていたんだ?」
ガイレアとウレノスは気候が少々異なる。この地のように一週間も夜の雷が続く地域はめずらしいが、しかしガイレアにも雷はあったはずだ。そのたびに、彼女はこうして山にこもって耐えていたのだろうか。
「母や、おばさんが……一緒に、寝てくれて……」
再度か細く、途切れ途切れに返事が返ってきた。
彼女の母は数年前に亡くなったと聞いている。おばさんというのはその後の養母だろう。
リオレティウスは、以前彼女が母に抱きしめられて眠ったと言っていたのを思い出した。あれはきっと、こういう夜のことかもしれない。
震える少女は、寝室へ来た夫のために掛け布団の半分を元に戻し、残りの半分でまた山を作ろうとしていた。瞳はうっすら潤んでいる。
「…………」
シェリエンが整えたほうの半分を捲って、リオレティウスは布団に入った。
片手を枕のようにして頭をもたげ、横向きに寝転がる形になる。それから、もう片方の腕を彼女に向けて広げてみせた。
「ほら。一緒に寝たら怖くないだろ」
「え……」
潤んだ瞳が、広げられた懐あたりに視線を止めた。
――母親代わりを申し出たつもりだが、さすがに抵抗があるか。
無理にとは言わない、そう彼が言いかけたとき、一際大きく雷鳴が轟いた。
「…………!」
シェリエンの身体がぴょんと跳ねる。
そしてその勢いで、彼女はぽんとリオレティウスの胸へ飛び込んできた。
「おっと……」
予想以上に勢いよく飛んできたため、彼は慌てて少女の身体を抱きとめた。
ふるふると震えるその背を、宥めるようにそっと撫でる。
――妻を迎えたというより、子どもを拾った気分だな……。
彼の脳裏にはそんな思いがよぎったが、嫌な気はしなかった。ふっと笑みをこぼしながら、布団を整える。
そうして彼は、雷が落ち着くまでそうっとシェリエンの背を撫で続けた。
外が静かになる頃には、安らかな寝息が二人分、寝室に聞こえていた。




