暗影
次はいよいよ準決勝だ。
ルナティアの相手は予想通りカエラ、その前の対戦は、テーレ共和国出身のイーサン・ディオーロとクレオチア大国出身の平民ルプスの対戦となっている。
少しの休憩時間の後、今はリオン対ルプスの試合が行われている。
ルナティアは控室に設置された特別映像でイーサン対ルプスの戦いを眺めながら、少しだけ険しい顔をしていた。
ロイドとの試合後、控室に戻ろうとした時、僅かだが上空に違和感を感じた。
(会場には魔法無効化と結界魔法が掛けられているはずだし…でも『魔力』を感じたんだよね、空から…。だから上空を見てみたけど…何も居なかったのよね。いや、居るはずなんかないんだけど…。…気にはなるけど、会場内には審判員も変装した陛下も、お父様も居る。違和感があれば気づいくはずだもの。きっと鳥か何かが飛んでいたのよ。)
―そう、気のせいなら良い。
ぼうっと考えていると、
「勝者、ルプスっ!!」
特別映像から、審判長の声が聞こえてきた。どうやら勝負がついたらしい。
ルナティアは気を取り直して立ち上がり、闘技場に向かう準備を始めた。
いよいよだ。カエラが初めて会った時に「騎士を目指している」と言った時から、いつかは剣を交えて見たいと思っていた。
「…これからの戦いに集中しなくっちゃ。楽しみにしていたんだから。」
そう呟いて控室を後にした。
闘技場の出入り口に着くと、会場は大盛り上がりだった。
それもそうだろう、大会初の準決勝への女生徒進出、しかも2人だ。その2人が対戦するのだ。
こんな光景を想像もしていなかった観客たちは、
「何故同じ側に組み込んだのか。トーナメントを左右別で組んだなら、決勝まで進んだかもしれないのに。」
と、口々に『クジ引き』で決まった対戦カードへの不満を言っている。
「どうぞ、会場にお進みください。」
出入り口担当の人がルナティアに声をかけた。
ルナティアはぺこりと頭を下げ、闘技場内に歩を進めた。向かい側の出入り口からは、カエラがこちらに向かって歩いてくる。
2人は闘技場の中央で向かい合うと、審判長が声を掛けるより先に、握手を交わした。
「やっと、だね。貴女の強さは十分に見せてもらったから、私も全力で行く。だから―」
「ええ、私も。貴女と戦うのを楽しみにしていたんだもの。力を出し尽くすわ。」
「始めっ!!」
審判長の声を合図に、2人の少女は同時に地面を蹴った。
ルナティアが体勢を低くし下から剣を振り上げると、それに対し、カエラが上から剣を振り下ろす。カキンと金属同士がぶつかり合う音が会場内に響いたと同時に、激しい打ち合いが始まった。
剣を交えながら、ルナティアがカエラの足を払うと、それに気づいたカエラは一歩後ろに下がって躱し、体勢を整えて、すぐに飛びかかる。流石は「騎士になりたい」と言っていただけはある。反射神経もなかなかいい。
カエラの攻撃を避けるため、ルナティアが地を蹴り、高く飛び上がると、カエラはチャンスとばかりに空中から落ちてくるルナティアに向けて剣をふるう。ルナティアも向けられた剣に対応すべく、ふるわれた剣筋を弾き飛ばす。
一進一退の攻防は続き、その攻防に見惚れた観客たちは、一同、固唾を飲んで見守っていた。しばらくの間、静まり返った闘技場内に、お互いの剣がぶつかり合う音だけが響いていた。
(流石はカエラ様だわ。筋力だけに頼らず、持久力もあるなんて…この体格差は体力だけでは埋められないかも…。どうにかして突破口を見つけないと…。)
剣を交えながら、必死に突破口を見つけようと考えながら戦っている最中、急に、カエラの表情に陰りが見え、少しだが動きに違和感を感じ始めた。
(おかしい…何かが起きている…?さっきまでのキレが無いわ。傍から見たら分からない程度だけど…。それにあの表情…怯えている?一体何に…?)
そう思ったとほぼ同時に、急に上空から不気味な殺気を感じたルナティアは、一瞬だけ、カエラから目を反らし、空を見た。
「――逃げてっっ!!!」
カエラの叫びに振り返ると、カエラの剣が目の前に迫っていた。
ギリギリのところで、身を反り、カエラの剣を躱す。しかし、剣を躱し体制を立て直そうとしたルナティアに、間髪入れずにカエラが覆いかぶさってきて身体を地面に押さえつけた。
「お願いっ!―避けてっ!!!」
押さえつけているカエラは、悲鳴に似た声を上げながら、ルナティアに馬乗りになった状態で剣をルナティアの顔面に振り下ろす。
その行為に、会場内も悲鳴に包まれた。
いくら相手を傷つけないように魔法をかけた武器でも、突けば怪我をする。その剣をルナティアの顔面に突き立てようとしているのだから。
ルナティアは…というと、カエラの悲鳴に似た声を聞きながら、自分に対して行われる動きを冷静に眺めていた。
(カエラ様がおかしい。理由は分からないけど、何故か行動と言葉が一致していない。なら、なんとかして避けないと…!!)
ザクリ
カエラの剣が、ルナティアの顔、左側の地面に突き刺された。
間一髪、ルナティアは身体ごと右に避け、顔面に突き刺されるのを何とか回避した。代わりに、白銀の髪の一部が切られてしまったけど。
「はぁ、はぁ、はぁ…。」
ルナティアの上に馬乗りになったまま、地面に突き刺した剣から手を放し、カエラが震えながら目に涙を浮かべ、
「…よ…かっ……っ。」
と、自身の顔を覆った。手の間からは涙が流れている。
「…勝者、ウーラノス・カエラ!」
駆け付け、状況を確認した審判長が声をあげる。
悲鳴の後、静まり返っていた会場内も、わぁっ、と盛大な声を上げた。
ルナティアは、地面に寝たまま、上に乗っているカエラの手から落ちる涙をすくおう手を伸ばすと、ふとカエラの奥、上空に影、のようなものが見えた。その影は凄い勢いでこちらに向かってくる。
自分の上でまだ泣いているカエラの肩をガシッと掴み、右側へ回転させて体勢を入れ替え立ち上がる。と同時に、黒い影に見えたものが、闘技場に土埃と共にルナティアの目の前に降り立った。
土埃がおさまって段々姿が見えるようになる。
姿が見えるとその黒い影は、羽の生えた男の人だった。彼は魔族なのだろうか、漆黒の髪と金の瞳を持ち、その金の瞳は、少しでも気を抜けば惑わされそうなほど整った顔をしていた。
「へぇ…やっぱり避けるんだ。いいね、その反射神経。…ま、でも、君の綺麗な顔に傷をつけるのは流石に抵抗があったから、逸らしてあげたんだけど…優しいっしょ?」
羽の生えた男は、怪しげな笑みを浮かべながら、地面に散らばった切れたルナティアの髪を手に取った。
少しでも時間を稼ぎたいと思うルナティアは、警戒をしながら質問をする。
「…貴方、誰?…上空から来たってことは…さっきの殺気は貴方?」
「あはっ、それもやっぱり気づいた?ま、そのお陰で隙が作れたんだけどさ。…ちゅっ。」
得体の知れない羽男は、一瞬驚いた表情をした後、返事をしながら、先ほど手にしたルナティアの髪にキスをする。
「良いモノ、手に入れたなぁ~。」
うっとりと手にした白銀の髪を撫でていると、急にざぁっと風が吹き、羽男の手から髪が飛ばされた。
「あっ!!…何するお前…!!」
羽男が怒鳴る方向には何も見えない…が、ルナティアの切られた髪がふわふわと浮いている。
シエルだ。
『お前にはやらないよ~だ。』
シエルが言うが、ルナティアと羽男以外の誰にも姿は見えていないようだ。
「寄越せっ!!!」
羽男が見えない浮いた髪に飛びかかる。
『やだね。』
それだけ言って、シエルはルナティアの髪と一緒に消えた。周囲からは浮いていた髪が風に飛ばされ消えたように見えていた。
「くそっ、折角、手に入れたのに。あの妖精め…。」
羽男は捨て台詞は吐き、また闘技場に降りてきた。そしてルナティアに向かって、小首を傾げながら甘えるように
「髪、くれない?」
と、言った。
「…嫌よ。それより…貴方…カエラ様に何かした?」
睨みながら冷たい声でルナティアが聞く。
「したした~。肢体を俺が自由に動かせるようにちょっとね。それより…うん、いいね、その表情も。やっぱり髪ごときじゃなくて、目とかいいなぁ?いや、全部…。」
くすくすと笑いながら羽男が段々とルナティアに近づいてくる。手を伸ばし、もう少しでルナティアの顔に手が触れそうになった瞬間、ルナティアの背後から本物の剣が振り下ろされた。
「ちっ。」
羽男が後ろへ下がる。
気が付けば、ルナティアの前には、観客席に居たはずのジークリードとレグルスが剣を構えて立っていた。