リリーの教育係兼護衛
「母上!」
「お母様!」
レグルスとルナティアが驚き声を上げた後、我に返りレグルスが改めて挨拶をする。
「お元気そうで何よりです。ご連絡いただければ、お迎えの準備などをしておりましたのに…。」
「おほほ、連絡はしてありますよ。ね?ソル。」
「はっ。」
「ただ、貴方達に秘密にして頂戴って頼んでおいただけよ?…それより…。」
砕けた様子で話していたデメーテルが姿勢を正し、ジークリードに向き直る。
「…王太子殿下の御前で、挨拶が遅れてしまいましたこと、大変申し訳ございません。どうぞご無礼をお許しくださいませ。…殿下におかれましてはご健勝でなによりでございます。」
先ほどまで、お茶目なくらいに楽しそうにしていたデメーテルだったが、流石はクレオチアの『蝶』と称された洗礼された所作は目を見張るほど美しかった。
「あ…ああ。リストランド夫人、そのような堅苦しい挨拶は不要ですよ。ここでは友人たちと話していたのですから…。貴女もお元気そうで何よりです。」
ジークリードが答えると、微笑み返し、その場にいる者同が見惚れていることも気にせずに、今度は急に真顔になりリリーに向かって話しかけた。
「それで…貴女が乙女候補ですの?」
学園では、同級生の貴族令嬢達からの物言いに、全く物怖じしないリリーも、流石の貫禄に何も言えず、ただただ、デメーテルを見つめ固まっているだけだった。
「…お返事も出来ないのかしら?」
「あ…いえ、母上。多分、恐縮しているのではないかと…。」
レグルスが間に入り、話を一旦切ろうとするが、デメーテルは止めなかった。
「まぁ、私のことが恐ろしいと言うの?」
「いえ、そういう訳では…。」
「…なんて、ウソよ。」
「は?」
想定外の冗談(?)であったことに、レグルスは間抜けな声で返事をしてしまった。
それすらも気にせず、デメーテルがリリーに向けて話しかける。
「とりあえず、貴女、本場の社交の場での威圧は初めてでしょう?私ごときくらいで物怖じしていてはいけないわ。いい、社交の場では、身に着けた立ち振る舞い、言葉遣い、知識が全てよ。他人に侮られないくらいの礼節は身に着けておかなければいけません。…貴女が私に恐縮したのは、あなた自身が礼節に自信が無いからなのよ。…という訳で、彼女の護衛兼教育係には、アンを付けることにします。」
「え…ちょっと、母上?いきなり来て、何の話をしているかもご存じないでしょう?それなのに、護衛にアンだなんて…。」
「あら、不服?」
「あ…いえ。…じゃなくて、ですね。」
「話は…全部、という訳ではないけれど、ほとんど聞いていてよ?…そうねぇ『乙女が現れる保証がない』とかのあたりから…」
「この話のほぼ全部ではないですかっ!…全く、どれだけ楽しめば気が済むのですか…。」
はぁ…と頭をかきながらレグルスが突っ込む。
一連のリストランド家の母息子のやり取りを全員が口を挟むのも忘れ、見つめていたが、慌ててオリガルが挨拶をする。
「お初にお目にかかります。お…私はノーランド家の嫡男、オリガル・ノーランドと申します。リストランド夫人の噂は常々、母から聞いております。以後、お見知りおきを…。」
「まぁ、クリスティの?魔法省長官になってからはなかなか会えなくて…お母様はお元気?」
「はい。」
「そう良かった。…あ、もし、お時間があれば、明後日、ティティスの所に来て欲しいって伝えてくれるかしら?」
「え?…ティティス…様?ですか?」
誰だろう?と頭を悩ませているオリガルに、ジークリードが「俺の母上だ。」と耳打ちする。
「ひぇっ!恐れ多くも、王妃殿下の名前を呼び捨てに…申し訳ございません!あの…母には必ず伝えますので。」
若さを楽しそうに見つめながら、デメーテルは頷いていた。
ひと段落ついてから、リリーも挨拶をする。
「リリー・グレシャと申します。一応、司祭でございます。以後、お見知りおきを。」
リリーの所作を見たアンが、デメーテルに視線を合わせた後頷き、一言、言った。
「リリー嬢、失礼ですが、お生まれは?司祭様の中で、今はどのような位置でいらっしゃるのですか?」
てっきり、デメーテルに話しかけてもらえると思っていたリリーは、驚きながらもアンに答えた。
「えっと…生まれはセイグリットの大聖堂です。今は司祭参の位を賜っています。」
「…そうでございますか…。奥様、承知いたしました。この方を夏季休暇中に少しはマシになるよう、私が教育をいたします。」
アンがデメーテルに頭を下げる。
「え?ちょっ…、決まりなの?」
つい、素でツッコミを入れてしまったリリーに、
「お行儀が悪うございますよ。」
と、ピシリとアンが言う。その様子をニコニコと眺めていたデメーテルは、アンに対し、
「ふふ、宜しくね。」
と、言った。
「あの、母上?」
レグルスが口を挟む。
「なあに?」
「アンがついてくれるのは助かるのですが、母上の侍女はどうされるのですか?」
「私の?それこそ、ニーナかランに…あ、いいわ。2人についてもらいましょう。いいわよね?ソル。」
「…勿体ない事でございます。ですが、ただの侍女としてならばいざ知らず、護衛も、となると…。2人にはまだ至らないと思いますが…?」
「だからよ。誰でも最初は出来ないものよ?ゆっくり…と言っても限られた期間だけれど。それに、護衛は問題ないわ。この国で一番信用できる護衛が明後日、王城に来るもの。明後日以降は彼に守ってもらうから大丈夫。彼女達もこっちでの用が済み次第、私と一緒にリストランド戻って学び直すよう伝えて頂戴。」
「かしこまりました。ではそのように2人に伝えておきます。」
デメーテルとソルのやり取りと聞いていたレグルスが、また声を掛けた。
「母上、ニーナとランをリストランドに連れて行くとは…?アンはどうされるのですか?」
「もちろん、置いて行くわよ?アンは、彼女の護衛も兼ねるのだもの。」
「アンはそれで良いのかい?」
「奥様のお決めになったことですから、問題はございません。それに、ルナティア様のお傍に居られるのは、リストランド領内の者にとっては憧れでもございますから…。というわけで、ライラ、貴女も至らなければ、私が交代いたしますよ?」
その言葉に、びくり、とライラが身体を引き締めた。
「…本当に、妹君って人気なんだぁ…。」
少し離れた場所で、オリガルが呟くと、同じく離れた場所に立っていたジークリードが振り返る。それに対してオリガルが言葉を続けると、
「いや、学園内は知ってるけどさ。領内の民からの人気も絶大だと思って…。」
「一度、リストランド領に10日くらい滞在すればよく分かるよ。」
と言って、ジークリードは、くすりと小さく笑って答えた。
自分の知らないところで、自分に関することが決められていくことに、少し納得のいかない様子のリリーだったが、
「短い期間ではございますが、何卒よろしくお願いいたします。」
と、侍女ながらも完璧な所作をするアンを見るともう何も言えなくなってしまった。
もう一人、不満そうな顔をしているルナティアに、デメーテルが話しかける。
「ルナティア、貴女も襲われたのよね?その理由が分からない限り、簡単に動くべきではないと思うわ。だから…とりあえず貴女がすべきことは、リストランドとして腕を磨くこと、それから魔力量に恥じない魔法を扱えるようになることに集中してみてはどうかしら?あぁ、あとは、そうね、貴女も明後日、私と一緒に王城にいらっしゃい。姫殿下が楽しみにされているようだから。」
デメーテルがにこりと微笑んで言うと、思い出した様にジークリードが付け加える。
「そうだった。リリアージュから頼まれていたんだった。…ルナティア、急で申し訳ないが妹の相手を頼んでも良いだろうか。」
「それはもちろん、光栄なことですから…。姫殿下ももうすぐ4歳におなりですものね。また一段とお可愛らしくなられたのでしょうね。楽しみです。」
先ほどまでの不満そうな顔は何処へいったのか、ただ単純なのか、ルナティアは笑顔で答えた。
伝言に快諾をもらったことに頷ぎ、ジークリードが各人に向かって言った。
「では、よろしく頼む。…それじゃあ少し話が逸れてしまったが、現状の報告と、リリー嬢の護衛問題はそのように。レグとオリガルは面倒でも定期的に王城に来てくれ。…あ、あとカートリスだが…。」
「ああ、元気になるまではこちらで預かる。トルマンディの件も任せてくれ。」
ジークリードの言葉にレグルスが答えると、ジークリードは安心したような顔で頷き、それぞれ、帰って行った。