氷解
その日の夜、遅れて到着したレグルスと一緒に食卓を囲むルナティアとリリーの姿があった。…が、明らかに疲れている様子のリリーにレグルスが声をかけた。
「リリー嬢?大丈夫かい?疲れているようだけど…。」
「…え?あぁ、ちょっと…。」
口ごもりながらルナティアを見る。
「グレシャ様は私と一緒に体力づくりをされたんですよ。」
にこにこと笑顔でルナティアが答える。
「へぇ…ルナティアと一緒に…。凄いね、ついてこれるなんて…。」
「ち、違うわっ。ついてなんか行けてない、あんなの…無理よ。」
リリーは、ぶんぶんと頭を振りながら否定をする。
「なんだ、違うのか。」
その様子を見てレグルスが笑っていると、リリーがムッとした顔で質問を始めた。
「ルナティアさんって、学園と全然違うのね。令嬢なのにあんなに体力もあって…その上、それを隠しているなんてどうして?」
「普通の令嬢は体力づくりなんかしないからだよ。」
至って冷静にレグルスが答える。
「それは知ってるわ。私が知りたいのは、どうして隠しているのかっていうことよ?」
「わざわざ広める必要がある?」
「え?」
「隠している、訳じゃなくて、広めていないだけだよ。それに、夏季休暇明けには、全生徒に知られると思うけど。…だろ?ルナ。」
「ええ、武術大会にエントリーするつもりだもの。」
想定外の言葉に、リリーはルナティアを凝視した。
「え?…武術大会に…出るの?」
「はい。」
「ルナティアさんが?ライラさんじゃなくて?」
「…ライラ、も、出る?」
くるりとルナティアがライラの方を向き、尋ねるとライラは首を横に振った。
「出ないみたい。あと、カエラ様も出るでしょう?当たるかしら、楽しみ~。」
嬉しそうに話すルナティアを、信じられないという顔で見つめながらリリーがレグルスに言った。
「レグルス、貴方、妹が大好きよね?可愛い妹がケガをしてしまっても良いと言うの?」
「…どうしてルナがケガをするの?」
「どうして、って…。武術大会よ?出るのは腕に覚えのある男子生徒ばかりなのよ?そんな中に女子生徒が出て、勝てる訳ないじゃない。」
「そうかな?今までだって、女子生徒は何人か出ていただろう?彼女たちだって結構勝ち進んでいたと思うけど。」
「それはそうだけど…ほとんどが騎士の家柄じゃない。だけどルナティアさんは―」
「リストランド、だよ。騎士の家系ではないけど、辺境の地を守る大国一の武人トーマスの娘だ。」
レグルスの冷静な答えに、少し黙った後、リリーが尋ねた。
「もしかして…小さなころから?」
「…ルナは幼い頃に攫われそうになったからね。それから自由は無くなった。僕の魔力測定までの3年間は屋敷から出ることも叶わなかった。でもルナは強かったよ。みんなが心配しないように、いつかは自由に歩けるように、って自分を鍛える道を選んだんだよ。」
リリーはハッとした。
昼間、「自由に出歩けないなんて…これじゃ軟禁と一緒じゃない」と言ったことを恥じ、自分はただの我が儘を言っているだけだと実感した。
(彼女は幼い頃から、いつか自由に出歩くために自分を鍛えていたのに、私は…)
そう反省した。そして「自分を守ることも出来ないクセに」と言ったライラの言葉の意味にも気づいた。
ライラの主は、出かけるために人に守ってもらうのではなくて、自分から動いたのだ。その主を「狙われてないから」と非難した自分が恥ずかしかった。
その後、食事が終わった後、リリーはルナティアの部屋を訪ね、部屋に入るなり頭を下げた。
「ルナティアさん、ごめんなさい。」
「?」
急な来訪と謝罪に疑問を感じていると、顔を上げたリリーが言葉を続けた。
「昼間、「狙われていないから言えるでしょう?」って言ったこと…知らなかったとはいえ、攫われたことのある方に言う言葉じゃなかったと思って。」
「…経験の無い方にも言っていいとは思いませんけど。」
ぼそりとルナティアの背後からライラが呟く。どうにも、ライラはリリーが好きではないらしい。
ルナティアがライラを軽く睨むと、肩を竦めて部屋の奥に下がった。
「こちらこそ、ライラが失礼な態度を取り申し訳ございません。それと、昼間のことは、私は気にしておりません。…立ち話もなんですから、どうぞ、お入りください。」
にっこりと微笑んで、リリーを部屋の中へと招き入れた。
案内されるまま部屋のソファーにリリーが腰を下ろすと、目の前にお茶が出された。差し出した先では、もの凄く不満そうな顔をしたライラが「どうぞ。」と言っている。
「…ライラさん、私のこと嫌い?」
リリーが尋ねると、
「今更ですか?」
と、ライラが答え、ルナティアがそれを窘める。
すると、リリーが
「ルナティアさん。少し、ライラさんとお話してもいい?…これからここで暫く一緒に過ごすんだし、嫌われたままじゃ…ね?」
と、言い出した。
ルナティアは目の前に座るリリーと、隣に立つライラを交互に見た後、軽くため息を吐きながら言った。
「分かりました。…ライラ、貴女の分もお茶を用意して、私の隣に…。」
ルナティアに言われるまま、ライラは自分の分もお茶を用意し「失礼いたします」とルナティアに一礼をして、隣に座った。
「グレシャ様、取り敢えず私は、基本的に口を出さないようにいたしますから、居ないものとしてお話しください。」
ルナティアがお茶を口に運びながら言うと、リリーは頷き、ライラに向かって話し始めた。
「ライラさん、貴女が私を嫌いな理由を教えて?」
ライラがルナティアをちらりと見ると、目が合ったルナティアは「思うことを話せばいいわ。」と小さく言った。
「グレシャ様、確かに私は貴女様のことをそれほど好きではありません。」
「好きじゃない?ウソ、嫌いでしょう?」
「嫌い、という訳ではないです。」
「でも、いつも冷たいじゃない。」
「それは、貴女様が…。」
「…私が?」
「…立場を弁えずにお話しなさるからで…。」
「誰と?レグルス?それともジークリード?…貴女、レグルスかジークリードが好きなの?」
「なんでそうなるのですか?」
「え、だって、好きな人のことを呼び捨てにするから腹が立つんじゃないの?」
「違いますっ!私ごときがレグルス様や殿下のことをだなんて…ありえない。」
「じゃあ、なんで?」
「レグルス様や殿下に対してもそうですが、何よりルナティア様に対して、です。」
「…えっと…?ルナティアさんに対して?私、そんなに変な態度取っているの?」
「自覚が無いのですか?!親しい友人でもないのに「さん」付けで呼ぶなんて…。」
「でも、ルナティアさんは年下よね?」
「ですが、伯爵令嬢です。しかも辺境伯令嬢ですよ?」
「…学園では関係ないのでは?」
「じゃあここは学園ですか?」
「…違う、わね。」
「そういうところです。先ほどの食事の時も、レグルス様を呼び捨てに、ルナティア様を「さん」付けで呼んで…。そもそも、ルナティア様は「さん」付けで呼ぶことを許されたのですか?」
黙って隣に座るルナティアに、ライラが質問してきた。
ルナティアは、暫く考えた後、
「ない、と思う。」
「なら、ルナティア様を許可なく「さん」付けで呼ぶのはおかしいですよね?!」
ルナティアの返事に立ち上がり、リリーに食いつく勢いでライラが言った。
「…そう、言われれば…そうかも?あ、でも、ルナティアさんは嫌なの?「さん」付け。」
「別に―」
「嫌です!」
答えようとしたルナティアの言葉を遮り、ライラが続ける。
「というか、その聞き方はずるいですよ?面と向かってそんなこと言われて、ルナティア様が「嫌」っていう訳ないじゃないですか!」
「…そうなの?」
今度はリリーがルナティアに質問した。
「…まぁ、全く知らない方とか、あまりお近づきになりたくない方でなければ…。」
ルナティアの言葉に、ガックリとしてしまったリリーに、一呼吸開けてルナティアが話しかけた。
「あの…グレシャ様。私、「さん」付けで呼んでいただいでも結構ですよ?」
「ルナティア様っ!!」
ライラが止めようとすると、今度はルナティアが言葉を遮った。
「ライラ。グレシャ様の事、嫌いではない、のよね?」
「えっ…?まぁ…はい。」
「じゃあ、何故、そんなに「さん」付けを嫌がるの?」
「…それは…。」
向かいに座りうな垂れているリリーを見る。
「それは…グレシャ様が、時や場所、場合によって礼儀を守らないから…。他の令嬢の方々だって言っています。無作法だって。それにあの卒業パーティの時だって、レグルス様や殿下を呼び捨てにされてたじゃないですか。」
ライラは、堰を切ったように捲し立て始めた。
「卒業パーティは、社交界の縮図です。練習の場です。皆、その上で礼儀を持ってパーティを楽しんでいるハズなのに、グレシャ様は、“学園内”という言葉を盾に、レグルス様も殿下のこともいつも通りに呼んでいました。それまでは…レグルス様のご友人として見ておりましたが、あの時から私は―」
「つまり。」
ルナティアがライラの言葉を止めた。
「…ライラは、お兄様のご友人が礼儀を守られなかったのが許せなかった、ということね?」
「っ…はい…。」
ふぅ、とルナティアは一息ついて、今度はリリーに向かって話しかけた。
「グレシャ様、全く関係の無い話なのですが…グレシャ様は教会…教皇様のことをどうお思いですか?」
思いもよらない質問に、顔を上げリリーはキョトンとしている。
「え…っと?どうって…もちろん尊敬しているわよ。教皇様になるには、ソール様に選ばれなきゃならないのよ?それに、お人柄だって素晴らしい方だもの、尊敬しているに決まっているわ。」
「…では、その教皇様のことを、親しみを込めて“実名”で、しかも“呼び捨て”でお呼びする方がいらっしゃったらどうされますか?」
「そんなの、怒るに決まっているじゃない。不敬よ。ラソ教のトップ、教皇様なのよ?どんなに親しくたって…人前で実名呼びするなんて……あっ!」
何かに気づいたように言葉を詰まらせるリリーに、にっこりとルナティアが微笑む。
「お気づきになられましたか?例えその方が友人だとしても、公共の場で、尊敬している方を呼び捨てにされて嬉しい方など居りません。」
「……。」
「ですから、時と場所などによって弁えることが必要なのです。せめて公式の場ではご注意いただくことは必要だと思います。そうすることで、大切な友人が非難されることも無いでしょう?…とは言っても、折角の友人にずっと堅苦しい挨拶されるのはお嫌でしょうから、他人が居ない時はいつも通りで宜しいかと思いますが…。」
「そう…ね。」
黙って聞いていたリリーが口を開いた。
「ルナティアさんが言う事、よく分かったわ。…私、クラスメイトの令嬢達が非常識だって責めるから、躍起になっていたみたい。そんなの面倒くさいって…。でも、そうね。怒る令嬢達の気持ちも分かったわ。これからは気を付けます。…ライラさん。」
「…何か。」
「ありがとう。そして、また何か気づいたことがあったら言ってね。最初は…少し怖かったけど…貴女みたいに真っすぐ言ってくれる人、居なかったから…。それからルナティアさん。」
「はい?」
「良かったらお友達になってくれな―」
「なりませんっ!」
また、ライラがリリーの言葉を遮った。
「なんで遮るのー?」
「ルナティア様のご友人には100年早いです。」
「何でよ~。」
賑やか騒ぎ立てる2人を見ながら、
(意外と気が合うみたいね)
と、口を綻ばせながらお茶を楽しむルナティアだった。




