特訓
刺されたリリーの傷自体は治癒魔法ですぐにキレイに治ったが、精神的な面の考慮をして、リリーだけ少し早い夏季休暇に入ることになった。光属性を持つ彼女の先行休暇には様々な噂が飛び交う中、ルナティアとリリーが襲われてから3日後、学園は夏季休暇に入った。
長い夏季休暇は、ほとんどの生徒は帰郷する。
ルナティア達も、例年通りならリストランド領に帰るのだが、今年は王都の別邸で過ごすことになっていた。理由は、リストランド領内で度々、魔物の目撃情報が上がって来るようになってきたことにあり、トーマスから「今年は別邸で過ごすように」と指示が出たらしい。
友人たちを見送った後、ルナティアはレグルスとライラ、ジャンと一緒に、クレオチア大国の王都に向けて出発した。
クレオチア大国のシヴィア港に着くと、レグルスから、「先に別邸へ向かうように」と言われた。先に戻っているジークリードに会うため、一度、王城に寄るそうだ。
別れ際、「先客がいるけど驚かないように」とも言われた。ライラと2人、「先客?誰??」と考えながら、馬車に揺られ別邸へと向かったのだった。
「「「お帰りなさいませ!」」」
別邸に着くと、今までソルひとりが出迎えてくれていた別邸は使用人が3人になっていた。
「ソル、元気だった?。」
「はい、お嬢様もお元気そうで何よりです。」
「ふふ、アルブも元気?」
「はい。」
「そう、良かった。…あと人が増えたのね?えっと…貴女たち、お名前は?それと顔を見せてくれる?」
頭を下げたままだった侍女達が恐る恐る顔をあげる。そして2人は震える声で「ニーナです」「ランです」と答えた。
「そう、ニーナとラン、ね。休暇の間、お世話になるわ、よろしくね。」
そう言って、手を差し出すルナティアの行動に、2人は戸惑って顔を見合わせている。
「ルナティア様、おふたりが困っておりますよ。使用人に握手を求めるなど…。」
ライラが窘めると、
「えー、でもお世話になるのは本当だし…どうせなら仲良くしたいじゃない?ね?」
ライラの忠告も気にせず、2人に笑顔で同意を求める…が、返事は無く、ただ、顔を赤く染め俯いてしまった。
「…全く…ルナティア様は、ご自身のこともっとよく理解すべきです。」
「?」
「もう、良いです。さ、お部屋へ参りましょう。…ニーナとラン、また後で。」
ルナティアの手を引き、ライラが部屋へ向かう。その姿を3人がお辞儀をしながら見送った。
自室に着き、ソファーに腰かけ一息つくルナティアに、ライラが早速、注意をする。
「ルナティア様の笑顔に免疫のない方に、あんな近くで「よろしくね」などと言ってはいけません。可哀そうに、赤面して動けなくなっていたではありませんか。
「可哀そう、って…私の笑顔はそんなに酷いの?」
「酷いわけないじゃないですかっ!…極上すぎるのです!」
ライラが力説している途中に、部屋のドアを叩く音がした。
「何か?」
ライラがドアの前に行き声を掛けると、廊下からニーナの声が聞こえてきた。
「あの…お客様がお茶をご一緒したい、と…。」
―お客様―
そう言えば、お兄様が「先客がいる」と言っていたことを思い出した。
「…お客様って…どなた?」
ルナティアが声を掛けたと同時に、ドアの向こうで「きゃあっ!?」という悲鳴が聞こえてきた。
ライラが警戒を強め、一歩下がり、ドアを注視する。いつドアが開いて誰が飛び込んでこようとも対応できるように、身構えていると、ガチャリとドアが開いてリリーが駆け込んできた。
「ルナティアさん!!」
呆気に取られるライラに気づきもせず、リリーは一直線にルナティアの座るソファーへ向かった。そしてルナティアの隣に座り手を取り、ぶんぶんと上下に振りながら、
「待ってたの!暇だったのよ~。良かった、来てくれて。」
と、言った。
突然の来訪と行動に驚き、返事をしないでいるルナティアを不思議に思ったのか、リリーは首を傾げながら質問してきた。
「どうしたの?元気ないの?」
「…あ、いえ…お客様って、グレシャ様だったのですね。もうお身体は宜しいのですか?」
「ええ、おかげさまで。」
「大聖堂にいらっしゃるものと思っていました。どうしてここに?」
「えっとね、大聖堂は万人を受け入れる場所でしょう?警護をするには適していないって言われて…それで、王城以外で一番安全と思われるところはここって言われて連れてこられたの。なのに、屋敷から出ちゃダメだって言われて…私の護衛になったソルに「ついて来て」って頼んだけど断られてしまったの。全く、護衛なんだから黙って護衛をしてくれればいいのに…。」
ブツブツと文句を言っているリリーに、少し困り顔のルナティアが提案をしてみる。
「グレシャ様、お暇だと言うなら、私とお茶でもいかがですか?」
「外に、出かけられる?」
「いえ、それは…。邸内でのお茶になりますが…。」
「え~…ルナティアさんなら分かってくれると思ったのに…。冷たいのね。」
「っ!冷たいとは何ですか?!」
“冷たいのね”の言葉に、我慢が出来なくなったライラが声を上げた。
「ちょっと…ライラ!」
ルナティアは止めようとするが、大好きな主を貶されたと思っているライラは止まらなかった。
「ルナティア様、止めないでください。もう我慢できません!グレシャ様、貴女様を守ろうとしている方々の苦労をご理解していらっしゃいますか?ご自身の身を守ることも出来ないクセに自由に出歩こうなどと…。大体、この邸宅に居るのだって、貴女を守るためなのですよ?」
「分かってるわよ!でも、自由に出歩けないなんて…これじゃ軟禁と一緒じゃない。いくらジークリードの頼みでも、こんな窮屈なら来なきゃよかった。」
リリーの言葉に、その場に居た者全員が、言葉を失った。
少しの沈黙の後、口火を切ったのはルナティアだった。
「…では、お戻りになられますか?」
「え?」
「自由を求められるなら、大聖堂に戻られますか?」
「…私が殺されても…良い、というの?」
「どうして殺されるとお思いなのですか?」
「だって、事実、狙われたじゃない。狙われるから私はここに連れてこられたのよ?あの時だって、クレオチアの影さんが来てくれなかったら私は…。」
思い出したのか、身体を抱きしめ少し震えている。
「そうお思いなら、どうして安全な場所に居ようと思ってくださらないのですか?」
「私が狙われるのと、私が出かけたいのは別の話でしょう?折角だもの、クレオチアの街を楽しみたいの。だから護衛について来て、って頼んだのに…!」
「危険と分かっていて、護衛を連れて出かける、と?」
「危険だから連れて行くのでしょう?」
「万が一襲われたとしたら、護衛が傷を負うかもしれないのに?」
「…そのための護衛でしょう?ルナティアさんだって、そのつもりでライラさんを連れているのでしょう?」
「なっ!?」
また、ライラが前に出ようとする…のをルナティアが手で制した。
「グレシャ様、確かにそう見えるかもしれませんし、ライラはそのつもりでしょう。ですが私はそう思っていません。ライラは侍女であるとともに、私の大切な友人ですから。友人を危険に晒すようなことは慎みます。」
「そんなの、狙われていないから言えるのでしょう?」
拳に力を入れ、ライラはただ黙って我慢していた。
(何も知らないんだ、この人は…。ルナティア様が幼い頃に攫われかけたことも、この間、襲われかけたことも…。自分だけが狙われて可哀そう、と思っているんだ…。)
「いい加減にして」と怒鳴ってやりたいのに。だけど、主がそれを許さない。そう思いながらライラは自分の前に立つ主を見つめていた。
「…グレシャ様は命の重みは人それぞれ違うと思いますか?」
「え?何を…?」
「グレシャ様の命と、護衛の命、違うと思いますか?」
「それは…ち、違わない…。」
「であれば、そのための護衛、は違いますよね?」
「…。」
黙るリリーを暫く見つめた後、ルナティアはそっと手を取り、
「でも、出かけたい気持ちは分かります。なので…特訓しましょう!」
と、満面の笑みで微笑みながら言った。
何が起こっているのか分からないリリーを他所に、ルナティアはライラとソルに指示を出し始めた。
状況について行けないまま、いつの間にかリリーは着替えさせられ、別邸の入り口に立っている。
「…え…っと?お茶は…?」
「お茶は特訓が終わってからです。…さあ、今からこの別邸の周りを5周、それから邸内の階段の上り下りを5周しますよ!その前に柔軟体操をしましょう。私とライラを手本にしてくださいね。イチ、ニ…」
茫然と見ていると、ライラが手を出してきた。
「さあ、こうやるのです。腕を上に上げて…次は前に屈み…それから…。」
「いっ!?…痛、痛い~…。」
「しっかりほぐさないと、後が大変ですから…次は…。」
「ちょっ、ちょっと!ライラさん、私のこと嫌いでしょ?意地悪しないでっ!」
「意地悪、ですか?…まぁ、好きではないですけど。ルナティア様が特訓する、と決めたのですから、好きとか嫌いとかは関係ありません。私はただ、最善を尽くすのみです。」
「でも、痛い…のよ!」
「それは、普段、動いていらっしゃらないからです。」
やっとの思いで柔軟体操を終えた頃には、リリーは息を切らしていた。心配そうにルナティアが声を掛ける。
「…これから走るんですが…大丈夫ですか?」
「走る?え?」
「ええ、さっき話した通り、別邸の周りを5周、邸内の階段の上り下りを5周――」
「無理、無理、無理、ムリ…!!」
「…どれくらいならできますか?」
「やらないとダメなの?」
「…外出、したいんですよね?なら、せめて逃げる練習くらいはした方が良いと思うんですが…。」
「…1周…。」
「仕方ありませんね、今日は初めてですし、1周にしておきましょう。…ソル、お願いしても良い?」
「お任せください。」
「え?ルナティアさんは走らないの?」
「あ…私は10周してこようかと。…さぁ、今日の特訓、行きましょう!お~!!」
呆然とするリリーに向かい、気合十分の声を上げ、ルナティアは楽しそうに走りだしたのだった。