封印
カートリスとプルクーラの噂が流れ始めると、内容は日々更新され、「あのカートリスがプルクーラのお気に入りらしい。」「いつも一緒にいる。」などと、親密な関係を思わせる噂まで聞こえるようになっていた。
夏季休暇を目前とした最後の休日、ルナティアは街の中心部の広場にあるベンチに腰かけ、街の喧騒を聞きながら呟いていた。
「噂を聞くようになってからもう随分経つけど、本当に大丈夫なのかしら…。」
今日のルナティアは、帰郷を前に、公国内でしか手に入らないお菓子や小物などをライラと共に買い物に来ていた。そして現在、広場に出ている飲料店で飲み物を購入するため、並んでいるライラを待っている最中だった。
行きかう人を眺めながらカートリスの心配をしていると、急に目の前に誰かが立塞がった。ゆっくりと顔を上げると、目の前にはリヒト・トルマンディが笑顔で立っていた。
「久しぶりだね、元気だった?ルナティアちゃん。」
リヒトの笑顔はいつも通りに見え、とても魅了に掛かっているようには感じられなかった。
だが…リヒトは、魔法科の1年生なのだ。
――魔法科1年の男は、強弱はあるが、半分は陥落していると思う――
そう言ったユグの言葉が頭をよぎる。
あれからもう1ヶ月が経つ。ジャンからの報告でも、「魔法科の1年生の男子生徒は、ほぼ|陥落《かんらく》していると思って間違いない」とあった。
「どうしたの?ルナティアちゃん、俺の顔、忘れちゃった、とか言わないよね?」
無言で見つめるルナティアを、不思議そうな顔をしながら聞くリヒトに、慌てて返事を返した。
「そんな訳ないです。ただ…急で驚いて…それにこんなところで会うとは思わなかったので…。」
沈黙を誤魔化すように、もごもごと口を濁す。
それを聞いたリヒトは、
「そ?良かった。忘れられたんじゃなくて。」
と、普段通りの笑顔に戻り、笑いながらルナティアの隣に腰を下ろした。
(…誤魔化せた、の…かな?)
ちらりと隣のリヒトの様子を見る。…やっぱり前と変わらない気がする。
(もしかしたら…まだ、魅了されていないのかも。報告だって、ほぼ、だし、まだ大丈夫な人が居るかもしれないもの。もし、まだ大丈夫なら、今、魔石を渡せば…)
カエラやジュリアとお揃いのブレスレットに加工した魔石にそっと触れた…と、ほぼ同時に、リヒトがこちらを振り向いた。
「あのさ…、ルナティアちゃんに紹介したい人が居るんだ。」
「え…?」
聞き返しながらリヒトの顔を見ると、今の笑顔は、さっきまでと少し違い、歪んで見えた。確かに、顔全体は笑顔なのだが、なんとなく頬が引きつっているような…とにかく、ルナティアにとっては、何か引っかかる笑顔だった。
ルナティアが感じた不信感に気づいていないリヒトは、そのままぐいっ、とルナティアの腕を引き、半ば強引に立ち上がらせ、
「ね?今から行こう。…ライラちゃんには内緒で。」
耳元でこそりと囁きながら、引いた腕に、何かを付けた。
何を付けられたのかと腕を確認しようとするも、リヒトは何食わぬ顔で更に腕を引き、足早に歩き出した。
「ちょっ…トルマンディ様?!今からって…。それに、何を付けたのですか?」
「何って…プレゼントだよ。彼女から君に、特別に、って。だから抵抗なんてしないで。大丈夫、彼女はとても優しいから、悪いようにはしないさ。」
プルクーラの名前を言うたび、リヒトは恍惚とした表情をする。その表情にゾッとしながら、必死に抵抗を試みるが、引っ張るリヒトの力は信じられないくらいだった。
「…悪い様にしない、って、こんな強引に連れていかれたら心証だって悪いに決まっています。」
「どうして心証が悪くなるのさ。君も彼女を悪く言うの?彼女は優しくて美しくて、それを妬んでいる奴らが悪く言っているだけだよ。君ならそういう妬みも無いだろう?それに、彼女が君に会いたいって言っているんだ。頼むよ、君を連れて行ったら俺の株が上がるし。…カートリスになんか負けない…。」
最後の言葉はあまり良く聞こえなかったが、カートリスの名前だけが聞き取れ、その言い方は憎悪を感じさせた。
(カートリス、だなんて先輩を呼び捨てにするような方ではなかったのに…。)
思えば、リヒトはプルクーラ・ファケレライ達と同じ、ファケレ国の出身だ。昨日の定期報告で、「魔物の対策会議にファケレ国のみ出席していない」「ファケレ国内が色々と疑わしい」と聞いたばかりだ。
一般科時代、なんだかんだと声を掛け、助けてくれたリヒトの、心酔するような状況に心が痛んだ。だが、同情はしても、ここで自分が一緒に行くことに、解決策があるとも感じられなかったルナティアは、少しの間大人しくして、リヒトが腕を掴む力を緩めたころ合いを見計らって、
「…放してっ!!!」
と言って、無理やり腕を振り切った。
手から腕が放れ、振り返られたリヒトの顔は、感情が読み取れないほど無表情だった。
無表情のままにじり寄るリヒトに、恐怖を感じたルナティアは後退る。
後退りながらも、視線はリヒトから反らさず、目を見つめたままリヒトに話しかけた。
「トルマンディ様は…プルクーラ様のことをお好きなのですか?」
ピクリとリヒトの動きが止まった。そして
「…好き…すき…いや、違う…そんなんじゃない…いや、すき…愛してる?…違う…。」
と、自問自答を始めた。
どうも様子がおかしい。だけど、今が逃げるチャンスだ、と思ったルナティアは、無我夢中で駆けだした。
自問自答をしていたリヒトだったが、逃げだしたルナティアの後ろ姿を見て、またすぐに無表情に戻り、ルナティアの後を追いかけてきた。だが、思うように距離が縮まらない。それもそうだ、ルナティアは毎朝、こっそりと学園内を走り回り鍛錬を続けている、リストランドの令嬢なのだ。
対してリヒトは、というと、普通レベルの体術と普通より少し下の剣術、普通より少しだけ高いレベルの魔法…。一般的には平均より高いレベルの貴族子息ではあるが、普通でない令嬢の、ルナティアの本気の逃げについて行くのは至難の業だった。
少しずつ距離が開き始めた頃、角を曲がったルナティアは、道端に生えているケヤキに気づき、そこに身を隠すことにした。
するするとケヤキの木に登る。ちょうど葉に隠れる位置に登り枝に身を潜めた頃、リヒトが角を曲がってケヤキが生えている通りに辿り着いた。
リヒトが角を曲がると、目の前に居たはずのルナティアの姿は無かった。
「何…で、消えた…?転送魔法でも使ったのか…?いや、アレを付けたんだから魔法は使えないはずだ、それなのに…。くそっ!プルクーラ嬢たってのお願いだったから…カートリスから奪い返すチャンスだったのに…。あぁ、プルクーラ嬢…。」
悔しがったかと思うと、今度はプルクーラの名前を愛おしそうに呟きながら、リヒトは去って行った。
リヒトが去った後、ルナティアは暫くの間、ケヤキの枝に腰かけたまま、リヒトのことを考えていた。
(去り際の愛おしそうな呟きも魅了によるもの、なの?トルマンディ様の本当の気持ちは何処にあるのかしら…。普通に、本当に心から恋をしているのなら、応援したいけど、それすらも作られたものだと言うなら、なんて酷い魔法なの…。)
そう考え、落ち込みそうになっていると、
「ルナティア様っ!」
と、呼ぶ声が聞こえてきた。
慌ててケヤキの枝から降りると、ちょうどそこへ、ライラが駆けてきて抱き着いた。
「何処に行かれていたのですか?!…心配したんですよ?」
心なしか声が震えている。
きっと、もの凄く心配をかけてしまったのだろう…
「ごめん。実は…」
と、ベンチに腰かけていたところから、さっきまで起きたことを掻い摘んで説明をした。
話をしている間に、魔石のついたブレスレットをしている腕と反対の、今日、リヒトに引っ張られていた腕に、バンクル型の腕輪がつけられていることに気づいた。
話を聞き終えたライラは、傍を離れてしまったことを、ただただ深謝した。…それはもう、ルナティアが困るくらいに。
寮戻り、自室でつけられた腕輪について2人で話した。
「アレってコレのことね…。どうやったら外れるのかしら?」
「…盗聴とか、映像を送る、とか無いですよね?」
「それは分からないわ。……あっ、魔法が使えないはず、って言ってた気がする。ちょっと試してみる。えーっと…。」
ベランダへ向かい、一般的な風魔法を唱える。
「青東風。」
…何も起きない。普通なら、ベランダ前の木々を優しく揺らす風が吹くはずなのに…。
「ライラ、大変。…本当に魔法が使えないみたい。」
驚いたライラは、急いでその事実と今日の報告をするため、ジャンに連絡をとったのだった。