『初』デート②~事件~
「美味しかったですね。」
「ああ、そうだな。…これからどうする?どこか行きたいところ―」
店を出て、話をしながら歩いていると、話の途中で、急にルナティアの表情が険しくなった。
「どうした?ルナ。」
「っ、ジーク様。すみません、ついて来てもらえますか?」
表情を見るに、良くないことだと察したジークリードは、無言で頷き、それを確認したルナティアは、港の方に向かって走り出した。
着いた先は、公国の唯一の出入り口である港だった。
港につくと、中年の男性がひとりの青年を叱っている声が聞こえてきた。どうやら叱られている青年が、運んできた荷物の一部を破損してしまったらしい。
(仕事で失敗したのかな。それなら割って入るのは違う気がするし…さっきの嫌な感じ、は…今はないから…大丈夫、かな。)
そう思ったルナティアは、そっとその場を離れようと背を向けた瞬間、
―背筋がゾクリとした―
同時に、
「危ないっ!」
と、傍に居たはずのジークリードが声を上げた。その声に振り返ると、目に入ってきたのは、先ほどまで叱られていたハズの青年が、中年の男性に向かって刃物を突き立てている姿だった。
衝撃の場面に驚き固まっているルナティアに、走り出しながらジークリードが指示をした。
「ルナは治療を!」
そして、再度、刃物を振り下げようとしている青年に飛びかかったのだ。
ジークリードが飛びかかる姿に我に返り、急いで刺された男性のもとへと駆け寄り傷の具合を確認した。男性の傷は思ったより深いようでかなりの出血をしていた。
(…どうしよう。私が今使える魔法は、体力回復魔法だけなのに…。何もしないよりはマシかも知れないけど、根本的な解決にはならない。せめて街に行って、誰か助けを呼ぶことが出来れば…。だけど、ここにこの方を置いたまま呼びになんて行けないわ。離れているその間に体力が尽きてしまうもの。一体どうしたらいいの…?。)
取り敢えず授業で習った通り、傷口を押さえて止血を試みながら色々と考えを巡らせ居ていると、目の前が急に暗くなった。ふと顔を上げると、目の前には青い髪の男性が笑顔で立っていた。
「ルナティア、何か手伝う?」
笑顔の男性は、ルナティアの手元に視線を落とし、手が傷口から出る血で染まっているのを見ると、少し顔を歪めて言葉を続けた。
「…これ、治せばいい?」
「え…?」
思いもよらない言葉に驚いたルナティアだったが、青い髪の男性は返事も待たずに、聞いたことも、読んだこともない呪文を唱え始めた。
すると、押さえていた傷口から温かい光が広がり、いつの間にか男性の傷口も血に染まっていたルナティアの手も綺麗になっていた。
目の前で起きた急な出来事に、傷口と自分の両手を交互に見ていたルナティアだったが、我に返り、お礼を言おうと顔を上げた時には、青い髪の男性は居なくなっていた。
(…一体、何が起きたの…?青い髪の人、は…?)
「…ぅう…。」
傷を負ったはずの男性が小さく身じろぐ。傷は治っているものの、刺されたショックでまだ目が覚めないようだ。
取り敢えず、ほっとして青年に飛びかかったジークリードの姿を探した。ジークリードは飛びかかった所よりも少し先の港の広場で戦っていた。戦う相手をよく見てみると、先ほど刃物で男性を刺した青年の服を着ていたが、顔が人のそれではなかった。
さっきは確かに“青年”だったはずだ。
なのに、今、ジークリードと戦っているのは、目から血を流し、口が裂け、牙がむき出しになった2足歩行の獣にしか見えなかった。
2足歩行の獣は、ジークリードが何度も何度も体に拳を入れているのにも関わらず、倒れない。その拳には、魔法を纏わせているのにも関わらず、だ。
どうにか助けに入りたい、けれど、気絶したままの人を放置もできない…そう思ったルナティアは、戦闘を見つめながら、
「…シエル、いる?」
と、声をかけた。
ルナティアが呼ぶと、先ほど治療してくれた青い髪の男性が「何?」と言いながら目の前に現れた。
「え…。シエル?」
いつもの小さな妖精姿で現れると思っていたルナティアは、急に現れた自分と同じ、いや自分よりも体格の良い人型の姿に驚いて少し抜けた質問をしてしまった。
「そうだけど?」
「さっき…いた?」
「うん、これ、治したよ。」
そう言いながら、シエルと名乗る青い髪の男性は、地面に横たわる中年男性を指さした。
「え、いつのまに人型…って、いや、今はそんな場合じゃないわ。取り敢えず、彼を見ていてくれない?私、ジーク様のところに行きたいの。」
「えー、うーん…でも、ルナティアのお願いだもんね。良いよ、見ててあげる。」
「ありがとう。」
ルナティアは、シエルに礼を言うと、ジークリードが戦っている広場の方へ見つからないように気を付けながら向かっって行った。
(思わずびっくりしてしまったけど…今はジーク様とあの青年の戦いを止める方が先よね。それにしても…ジーク様はどうして魔法剣を使わないのかしら。)
普段、愛用している剣を持っていなくても、ジークリードには探検大会でも使った『炎神』と呼ぶ魔法剣を呼び出し使えるはずなのに、ただ魔法を纏わせた拳で叩くだけなのだ。
不思議に思いつつ広場に近づくと、戦う2人の表情までもが確認できるようになった。
2足歩行の獣は、時々、苦しむように顔を歪めながら、何度も何度も襲い掛かろうとし、ジークリードもその度に辛そうな表情で相手を殴っていた。
(ジーク様…もしかしたら青年を殺さないために…魔法剣を使わないの?)
ルナティアは、以前、ジークリードに聞いたことがある話を思い出していた。
ジークリードの持つ魔法剣の威力はすさまじく、それで切ると、下級魔物程度は跡形もなく燃え消えてしまうのだ、と。下級といっても、魔物は魔物、一般の人と比べようが無いほどに肉体は強い。その下級魔物が消え去ってしまうほどの威力に、中身はどうであれ、人が耐えられるはずがない。
魔法剣を使わない理由が、あの青年を守るためだとしたら、ジークリードが拳のみで戦っていることに合点がいく。
(何か、突破口を探さなきゃ…せめて2足歩行の獣の意識を反らすことが出来れば…。…あ、そうだ。)
ルナティアは、いつも身に着けている護身用の暗器を1本手に取り、両手で包み込んで風魔法の呪文を唱える。そして唱え終わった後、暗器を2足歩行の獣に向けて思いっきり投げ、叫んだ。
「ジーク様っ!屈んでっ!!!」
ルナティアの声に、ジークリードは咄嗟に頭を低くした。ジークリードの頭上を、投げた暗器が2足歩行の獣目掛けて飛んで行く。
気を引くついでにかすり傷を負わせることが出来れば上々、と思ったのに、獣の俊敏性があるのか、2足歩行の獣はギリギリのところで暗器を躱した。躱しながら、暗器が飛んできた方を確認した2足歩行の獣は、ジークリードを突き飛ばし、ルナティアに向かって突進してきた。
「っ!ルナティア―!!」
突き飛ばされたジークリードは、すぐに態勢を立て直し2足歩行の獣を追った。
ちょうどその時、ジークリードの右頬のすぐ横を、ヒュッと何かが通り過ぎた。
暗器だ。
ジークリードは通り過ぎる暗器を見た瞬間、何かを確信して続けて大声を上げた。
「右肩だ。右肩にヤツが居るっ!!」
ジークリードの言葉を聞き、ルナティアが「右肩…」と呟くと、暗器はそれに反応するように、背後から2足歩行の獣の右肩に刺さった。
2足歩行の獣は、ルナティアの目の前に来ていて、あと数秒遅れたらその爪の餌食になってしまうほどの距離での出来事だった。
「ギャアアア!!」
断末魔のような悲鳴を上げたと同時に、2足歩行の獣は倒れこんだ。暗器が刺さった右肩からは、黒い靄のようなものがブワッと噴き出した。
「火球!」
ジークリードが黒い靄のようなものに向けて呪文を唱えると炎が黒い靄を包み、やがて炎と共に消えた。
目の前で倒れた青年と、炎に包まれ消えていく黒い靄を見たルナティアは、その場に座り込んでしまった。
「ルナティア!」
座り込むルナティアの元に駆け付けたジークリードが、いきなり抱きしめた。
「すまない…俺が迷ったせいで…お前を…失くしてしまうかと…。」
と言いながら抱きしめる手は、少し震えていた。
緊張と抱きしめられたことに驚いたルナティアだったが、震えているジークリードの様子を見ているうちに、段々と落ち着ついてきた。そして、懺悔を続けるジークリードの背にそっと手を添えながら答えた。
「…私は無事です。だから謝る必要はありません。それに、命を傷つけたくないと思ったジーク様の判断は間違っていないと思います。…ジーク様が命を慮る方で…私は嬉しいです。」
少しでも安心するように、ぽんぽんと背を軽く叩いていると、ジークリードも次第に落ち着いてきたのか、震えが治まってきたようだ。
ホッとしたころ、背後からガサガサと音がして誰かが近づく気配がしたので、ルナティアは慌ててジークリードを突き放した。
「おや、これは…。」
そこに現れたのは、ラソ教の教皇だった。
「お邪魔してしまいましたね。すみません。」
申し訳なさそうに謝る教皇に、急ぎ向き直りルナティアは挨拶をした。
「いえ、邪魔など…。それよりも、お久しぶりでございます、教皇様。」
ルナティアに急に拒絶されたと思い、一瞬ショックを受けたジークリードだったが、突き放された理由が分かると、同じように姿勢を正し挨拶をした。
「ちゃんとご挨拶するのは初めてですよね。私はクレオチア大国の第一王子、ジークリードと申します。教皇様にお目にかかれて光栄でございます。」
「ふふ、お二人とも、公式の場ではありませんので、そのようにかしこまらずとも…。ですが、ご丁寧にありがとうございます。ところで、これは一体…。」
教皇が視線を送った先には、手前で地面に倒れている中年の男性と、今、ここの足元近くに倒れている青年がいる。
2人は顔を見合わせた後、教皇に先ほどまでの状況を掻い摘んで説明をした。
「…そうですか、分かりました。」
説明を聞き終えた教皇がにっこりと微笑んで言う。その様子に、少し訝しんだ声のジークリードが返す。
「ありがとうございます。ところで、今更ですが、教皇様は何故ここにいらっしゃったのですか?」
タイミングが良すぎる、とでも思ったのだろう。その思いを感じた教皇が答える。
「今からクレオチア大国に向かうところ、なのですよ。」
「…それにしては護衛もありませんね。教皇様ともあろう方がお一人で出歩くなど…。」
「疑わしいですよね。…ですが、そういう意味では貴方方も、ですよ?」
笑顔の表情から感情は読み取れなかった。その表情のまま、教皇は続けた。
「護衛というか、お付きの者は居たのですよ。ただ…不穏な空気を感じたので私だけ先に来たのです。多分、もうそろそろ来る頃ではないのでしょうか。」
教皇が顔を上げると、遠くから「教皇さまぁ~。」と呼ぶ声が聞こえてきた。その声を聞いた、ジークリードは、胸を撫でおろし頭を下げた。
「大変な無礼をお許しください。」
「いえ、私の無実が証明されて良かったです。ところで…貴方方はどうしてここに?」
その言葉には、ルナティアが返事をした。
「あ…私が。上手く言えないのですが、嫌な感じがして…それで―」
「ここにいらしたのですね?」
「はい。」
「そうですか、ご無事で何よりです。」
笑顔の教皇の返事は、思いの他、あっさりとしたものだった。
あまりにあっさりとしたものだったので多少気にはなったが、お付きの方々が来たため、ということにしてそれ以上、深くは問わなかった。
追いかけてきたお付きの方々は口々に「…教皇様、急に居なくなるのは止めてください。」「あちこち探したんですよ。」など、文句(?)を言っている。その言葉を全く気にした様子もない教皇は、お付きの方々に、倒れている青年と年配の男性の介抱を指示してから、ジークリードの傍に寄り、何か小声で言った後、
「さあ、ここは私たちに任せて、お2人は戻っていただいて大丈夫ですよ。」
と、最後はルナティアにも聞こえるように言った。
これからクレオチア大国に向かうという教皇に、お任せして良いものか、とも考えたが、「ついでだから」という言葉に甘えることにして、2人は街中へ戻って行ったのだった。