秘密の共有
別邸に到着した翌日、リストランド一家は揃って王城へと向かった。
トーマスは陛下に呼びつけられ、デメーテルは王妃とお茶の約束があり、レグルスとルナティアは殿下と姫殿下に会うために一家総出で王城に来たのだ。
「姫様、もう2歳になられたでしょう?入学前にお会いした時も愛らしかったけれど、きっともっと愛らしくなられているのでしょうね。ジーク兄様も「可愛らしい」と仰っていたもの。会うのが楽しみだわ。」
馬車の中で想像を巡らせてうっとりとしているルナティアをレグルスは微笑ましく見つめていた。
王城につくと両親と別れ、レグルスとルナティアは迎えに来てくれていたキュリオについて行き、ジークリードの書斎へと案内された。
書斎の中に入ると、ジークリードは机に積まれた書類と睨めっこをしていた。
「…大丈夫か、ジーク。」
心配気にレグルスが声を掛けると顔を上げずに答えた。
「ああ、レグか。すまないな、ちょっとだけ待っていてくれ。」
その後2人は、キュリオが淹れてくれたお茶を飲みながら一息ついていると、いきなり書斎のドアが開き「リュナ~」と女の子が一直線にルナティアに飛びついてきた。ルナティアはその女の子を抱きとめ、
「お久しぶりでございます、姫様。」
と、笑顔で迎えた。
リリアと最後に会ったのは、ルナティアの入学前、王城へ立ち寄り陛下達に挨拶をしたとき以来だ。当時は、よちよち歩きだったのに、今は(まだ怪しいところもあるが)走ることも出来るようになっていた。勢い余ってよく転んだりしているようだが…。
ルナティアに抱き上げられ、とてもご機嫌な様子のリリアだったが、隣に座るレグルスが挨拶をすると、ルナティアの胸にサッと顔を埋め、小さな声で「うん。」と返事をするだけだった。
レグルスとルナティアで顔を見合わせていると、仕事がひと段落ついたジークリードがこちらに来ながら、
「…どうやら人見知りが始まったようなんだ。それで乳母たちも困っているようだよ。だけど、人見知りもルナティアには関係ないようだね。」
そう言いながら笑ってソファーに腰かけた。
ジークリードの言葉にルナティアは、膝に抱く幼いリリアを笑顔で見つめていると、
「リュナ、いいにおい、しゅき~。」
目が合ったリリアは、ルナティアの胸にすりすりとした。
「ふふ、私も姫様のこと大好きです。」
ちょうど肩の位置にある、リリアの頭にルナティアも頬擦りしている。
「…その溺愛っぷりは、我が妹ながらちょっと妬けるくらい、だな。」
「…できあい?」
ジークリードの言葉に、リリアージュが反応して気になる単語を復唱すると、
「そう、溺愛。全部が好きで好きで仕方ないってこと。」
と、リリアージュに説明をした。
リリアージュは少し考え込んだ後、ぱっと顔を上げ、ルナティアに向かって更に抱き着いて言った。
「…リリ、リュナ、できあいしゅる~。」
リリアージュの発言に、ジークリードもレグルスも、思わず席を立ち、何か言葉を発している…が、自身の膝の上で抱き着く、愛らしく幼い姫殿下の溺愛発言を貰ったルナティアには嬉しくてその言葉は聞こえないらしい。
「まぁ…姫様、嬉しいです。」
そう言って、ルナティアも抱きしめ返している。
抱きしめ返してもらったリリアは、嬉しそうにまたルナティアに抱き着き、そして自慢気に兄殿下とレグルスを見ていた。
その後、ルナティアとリリアは、侍女と連れ立って庭園へ向かった。その後ろ姿を見送ったジークリードとレグルスは、夏季休暇の課題や休暇明けの行事、次年度の生徒代表の候補者の選出などの話をし始めた。
どれくらい話していただろうか、ひと段落ついた時にふと、レグルスが言い出した。
「今更だけど…ジーク、さっきのリリア様の発言に…他意はない、よな?」
「他意?…多分無いと思うが…。だってまだ2歳だぞ?男女のなんたらも分からないだろう?ただ、人としてルナティアのことが…す、好きなんだと思う。」
『好き』の言葉が言いづらいのか、少しどもっていたが、そんなことは全く気にしないレグルスはスルーして話を続けた。
「…だよな。」
「そう思うと、ヘンな男に現を抜かすことはないから、兄としては安心だが…。」
「こっちの兄としては、最愛の妹を取られて面白くないけどな。」
「…お前、自分で最愛とか言うか?」
「言う。僕は言う。だって、僕の妹は可愛いんだから仕方ない。」
「俺は、リリアージュより、お前の方が心配だな。ちゃんと妹離れできるのか?」
「さあ?ルナより魅力的な女性が居ればできるんじゃないのか?」
「…魅力的って…、そう言えばお前の好みとか聞いたことないな。どんな女性が好みなんだ?」
「ルナティア。」
「即答か。それじゃ話にならないだろう。そうじゃなくてだな…。」
「分かってるよ、分かってるけど。ちょっと待ってくれ、考えるから。うーん…あ、そうだ。それじゃあ、ジークの好みも聞かせてよ。」
「俺?」
「そう、僕だけなんて不公平だろ?」
「まぁ…確かにそう、だけど。でもなぁ、そんなこと考えたこともないから…そもそも俺は女性が好きじゃないし…。」
ジークリードが考え込んだ時、タイミングよくドアを叩く音がして、ルナティアが入ってきた。
「ルナティア、どうした?リリアージュは?」
妹姫と一緒に遊んでいるはずのルナティアの姿を見て、ジークリードが心配そうに声を掛けた。
「姫様はお疲れになって眠ってしまいました。庭園でもはしゃいでいらしたから…今は侍女の方がお部屋にお連れしていると思います。」
ルナティアは、笑顔で答えながら、
(本当に姫殿下のことが可愛くて仕方ないのね。)
と、内心、兄妹愛を微笑ましく感じていた。
「ところで…お兄様方のお話の方は?」
「まぁ、ひと段落ってところかな。ちょうど休憩にしようと思っていたところだよ。な、ジーク?」
「ん?ああ、そうだったな。」
ジークリードがベルを鳴らすと、キュリオがティーセットを持って部屋に入ってきた。
「ちょうど良かったわ。…ライラ、お菓子を持ってきて。」
ルナティアの指示で、ライラが持ってきたお菓子をテーブルに並べ始めた。
「これは?」
ジークリードが何か言いたそうな顔でお菓子を見て言う。
「別邸で私が作ったお菓子です。…形がおかしいのはご容赦くださいませ。」
ルナティアの言葉に、ジークリードはレグルスを振り返る。レグルスは黙って頷くだけだった。
「休暇前にルナティアが作ってくれた焼き菓子と同じ効果があるのか?」
「いえ、これは食べても特に何も変化は無いと思います。…領内でも誰も何も言わなかったので…。あ、でも、美味しくなかったら言ってくださいね。」
笑顔でルナティアが言うその後に、レグルスがかしこまったもの言いで、「そのことで…」と、話を切り出し始めた。
話の内容は、夏季休暇中にリストランド領内で、魔法付与されたお菓子の効果を試した結果と、そのことを家族総出で秘密にする、と決めたことだった。
「…という訳です。殿下にとっては国益になることでもあるとは思います。ですが…。」
「そのためにルナティアの魔力を献上したくない、と?」
「…今は。」
レグルスの返事に、少し考え込んだ後ジークリードが質問をした。
「その様子だと、他にも何か秘密がありそうだな。…思えば、入学前からルナティアに注目が集まらないようするためだから、と戦えることも秘密にしてほしい、と言われたな。普通に過ごしていても、あのリストランドの家系の令嬢で、このみた目だ。注目されないはずがない。その上、魔力が高く戦闘能力も高いとなれば、更に注目となる、必要以上に注目を浴びるのは困る、と。まぁそこまでは令嬢を持つ父親の気持ちとして分からなくもないと考えていたのだが…この案件から考えると、魔力に関して隠したいことがあるのではないか?」
今度はレグルスが俯き黙った。
(さすがは殿下だ。先まで見通すとは…。)
今回の報告と依頼をすることは、事前にトーマスと話済みだった。トーマスも「魔法付与の結果を報告すれば、殿下ならその先の何かに気づくかもしれない」と言っていた。「もし、殿下が気づいた時、秘密を教えるかどうかは、普段一緒に行動しているお前の判断に任せる」とも。
レグルスから見て、ジークリードは気の合う友人であるとともに、尊敬すべき相手でもあった。学園で共に生活をしていくにつれ、その尊敬と信頼は増していった。学園を卒業後、許されるのであれば領地に帰らずに王都で彼の片腕になりたいと願うほどには。
その相手に、一家の、いやラソ教教皇との秘密を明かしていいものなのか、それについてはトーマスと話をしてから、ずっと考えていたことだった。
沈黙の後、レグルスが顔を上げてひとつ質問をした。
「先にひとつだけ質問が…。殿下、殿下は我が妹のことをどう思っていらっしゃいますか?」
思いもよらなかった言葉に、ジークリードは一瞬、狼狽えながら答えた。
「っ、急に…!それは…先ほどの質問に関係あるのか?」
「はい。」
ジークリードはちらりとルナティアを見た後、周りを見渡す。室内には3人以外誰もいない。ドアの外にひとり、ライラの気配を感じるだけだ。ライラも敢えて気配を発しているのだろう。
「どう、と聞かれると…大切に思っている。いつも笑顔でいてほしいと…。」
顔を少し俯かせながら答えた。ジークリードにしては凄く珍しい。
「それは、臣下として、でしょうか?それとも友人として、でしょうか。それとも、他の―」
「友人として、だ。」
今度は、はっきりとした口調で答えた。
そんなジークリードの様子を見て、安心したのか、普段の友人口調でレグルスが話し始めた。
「良かった。ではジーク、ここから先の話は王太子としてではなく、友人として聞いてほしい。良いだろうか。」
“友人として”という割には深刻そうな顔で話す親友に、目を反らさずジークリードは頷いた。
“友人として”聞いた話は驚くことばかりだった。
ルナティアの持つ『透明な魔力』についてだけでも驚きなのに、それが100%もあるなんて、魔力は高ければ高いほど良しとされているが、100%を占めることは先ずない。なぜなら、魔力100%を使い切ってしまったら、死に直結するからだ。だから属性単位で80%以上の魔力を持つ者は、魔法科に上がると、魔力枯渇を起こさないための学びを特別に行うことになっている。
「…100%なんて…聞いたことが無い…ぞ?それに…『透明な魔力』とは何だ?無属性…ではないのか?」
「教皇様が仰ったことですが…無属性ではなさそうです。」
ジークリードは頭を抱えた。王太子としての自分と友人としての自分で問答をしているのだろう。その様子を見ながらレグルスが話を付け加えた。
「2年前、ルナティアの魔力が判明した後、クレオチア大国の王城に『特級の魔法書』が届けられたと思いますが…。」
「あ、あぁ…『特級の魔法書』が新しく発見された、なんて珍しいから覚えている。」
「あの魔法書は…ルナティアのもの、だそうです。…それも教皇様が仰っていました。」
「使用者がもう分かっている魔法書、ってことか。陛下はご存じなのだろうか。」
「分かりません、教皇様がどうお伝えしたのか…。」
「そう、だよな。」
また、沈黙が流れた。
先に口火を切ったのは、ジークリードだった。
「…レグルス、それからルナティア。俺は、友人としてこの秘密を受け取ることにする。…だが、もし、俺が王太子としての責務を全うすると言ったらどうするつもりだったんだ?」
「…そんなことはしないと思っていたからさ。もし、ジークに王太子として秘密には出来ない、と言われたら…ルナティアは即座に実験材料にだ。そうなったら、リストランドは―。」
「分かった、いや、分かっている。だが、父上には一応、確認を取りたい。勿論、明かしてくれた秘密を話したりはしない。『特級の魔法書』を預かった時の話を確認してもいいだろうか。」
“友人として”の話だから、陛下に確認してもいいか、と聞いてくれるのだろう。そう思ったレグルスは、ルナティアに目配せした後、
「ああ、問題ない。僕は僕の親友を信じている。」
と、答えたのだった。
その夜、ジークリードは父である国王陛下に、『特級の魔法書』について確認をした。
結論から言うと、陛下は『持ち主については知らない』だった。ただ、預かった際、教皇様から「いずれ持ち主と共鳴する」「急に無くなるかも知れないが、その時は持ち主が持っているはずだ」と伝えられたそうだ。
当時、それほど興味も持っている様子もなかった息子が、急に『特級の魔法書』の話を聞いてきたことに少しだけ訝しんでいたアレンだったが、ジークリードから卒業研究材料だと聞かされ話してくれたのだ。
そうしてリストランド一家ともう一人、秘密を共有した仲間が増えた夏季休暇は終わりを告げたのだった。




