声の主
告白の邪魔をされたと思ったクレーマンが、ムッとした表情で声の主を確認した。…と同時に表情は固まり、声を震わせながら、
「あ…わ、分かりました。」
と答え、慌てて肩を抱き寄せようとしていた手を引っ込め、
「しつこくしてすまなかった。でも…挨拶、くらいはしてもいいかな?」
と、頭を下げながら聞いてきた。その様子は、あきらかに怯えていた。
「え、あ、はい…。」
「あ、ありがとう。それじゃ、俺も授業があるから、またっ!」
そう言い残して、しゅたたたた…と音が出そうな勢いで走り去っていった。
「…一体、どうしたのかしら?何にそんなに怯えて…?」
不思議に思いながら、クレーマンが見ていた方を振り返ると、ルナティアのすぐ後ろに、ユグ・ド・オセアノが笑顔で立っていた。
「いや~、まさかこんなところでレディに会えるとは思わなかったな。先生に呼ばれたついでに久しぶりに立ち寄っただけだったんだけど…僥倖だな。」
そう言いながらルナティアに近寄り、肩を抱こうと手を伸ばした…その瞬間、暗器を持ったライラがその間に入り込み、背後にルナティアを庇うように立ちはだかった。
「っと…。へぇ、そうか。なかなかレディには近づけないね。…君は?」
少し冷ややかな目で、ライラを見下ろしながらユグが聞く。
「名乗るようなものではありません。貴方こそ、一般棟の学生ではありませんよね?見知らぬ方が気安くこの方に触れないでいただきたい。」
負けじと睨み返しながら、ライラが答える。
「でも、さっきの奴には、肩に触れさせていたよねぇ?」
「あれは…。多分、今後、このような場は多くなると思われますし、先ほどの方は…たいしてお強くないので…。」
ライラの回答に、一瞬、目を丸くした後、ユグは大笑いした。
「あはは、なるほど。いつでもどうにでもできる相手、だったと。…で、俺はそうじゃないから、ってところかな?だけど…俺は優しくないよ?歯向かう相手には全力で…」
一歩後ろに足を引き、体制を変えようとするユグと、戦闘を予感したライラが暗器を持ち直した時、それまでユグを見たまま、黙っていたルナティアが、
「ライラ。」
と、制止の声をかけた。
主の指示に、ライラが暗器を下ろすと、ルナティアは、ユグを真っすぐに見つめた後、淑女の礼をしながら挨拶をした。
「先ほどは…場を収めていただき、ありがとうございました。殿下。」
「ほぅ、覚えていてくれたか。」
「はい。」
「なら、俺が欲しているモノも覚えているか?」
「…私の名は、ルナティア・リストランドでございます。」
ルナティアは、すっと背筋をたて、ハッキリと伝えた。
「ふむ、ルナティア嬢、か…。名は体を表す、というが、うん、美しい名だ。」
「ありがとうございます。」
「…ところでルナティア嬢、先ほどのような輩からの告白を断る方法が一つあるぞ。」
「そうなのですか?それはどのような…?」
「俺と付き合っている、と言えば終わる。…な?いい案だろう?」
にこにこと機嫌よく笑うユグに、ルナティアはため息を吐きながら首を振り、
「お断りいたします。嘘でもそんなことを言った日には大変なことになることくらい、私でも分かります。」
冷静に答えるルナティアに対し、ユグはルナティアとの間を詰め、
「…嘘でなければいい。」
と、ルナティアの顎に手をかけながら言う。
ルナティアの背後から、今にも飛びかかりそうな勢いで威嚇しているライラの気配を感じながらも、ユグはそのまま続けた。
「あの後、忘れられなくてな。お前の兄に聞いても殿下に聞いても名前を教えてくれないから、手紙すら出すことが出来ずにいた。…俺は、本当になっても構わない、いや、むしろ本当にしてしまいたい。」
そう言いながら、ユグの顔がルナティアにだんだん顔が近づいてきた…にも拘わらず、ルナティアは微動だにしない。
(どうしてかしら。さっきの告白の時はあんなに動揺したのに、どうしてこうも頭が冷静なのか…。)
あと数ミリで唇が触れそうなところで、ユグが
「…逃げないのか?」
と、聞いてきた。
それに対し、ルナティアは、
「殿下が…相手の意にそぐわないことをされると思っておりませんので。」
と、凄く冷めた声で答えたちょうどその時、
――キーンコーンカーンコーン――
午後の授業の予鈴が鳴った。
予鈴の音を聞き、少しだけルナティアの目を間近で見つめた後、ユグはナティアを開放した。
「そこまで言われたら何も出来ないな。…大国の殿下も苦労するだろうが…俺も本気で興味がわいてきた。ルナティア、俺に惚れろ。」
「…お断りいたします。」
「だろうな。なら、惚れさせてやる。楽しみにしていろ。」
ユグは、くつくつと笑いながら言いたいことだけ言って去っていった。
去ったユグを確認したと同時に、ルナティアは、ぺたりとその場にへたり込んでしまった。
『ルナティア、大丈夫?立てる?魔法、かけようか?』
近くでシエルが声をかける。
『シエル…お願いできる?』
『もちろん!』
妖精が見えないライラは、自責の念に駆られていた。
(自分が付いていながら、ただの初告白タイムがとんでもないことになってしまった。それにしても、近づく気配に気づかないなんて…)
落ち込みつつも、腰を抜かしたようにへたり込んだ主を、心配したライラが覗き込みながら声をかける。
「ルナティア様、大丈夫ですか?立てないなら私が…。」
と、そこまで言った途端、さっきまでへたり込んでいたのがウソのように、ルナティアがすくっと立ち上がり、
「心配かけちゃったわね。ライラ、授業遅れちゃうから急ぎましょう。」
シエルの魔法で復活しているなんて知る由もないライラは、驚きながらも、
(それほど大変な事じゃなかったのかしら…?)
と、思いつつ、急ぎルナティアの後を追って午後の授業に向かったのだった。
午後の授業が早く終わった後の放課後、ジュリアとカエラから、学園外のスイーツ巡りをしよう、と誘われたが、今日は断りを入れた。
簡単にお昼休みのことをライラから聞いていた2人は、無理に勧めることはせず、スイーツ巡りはまた今度、となったようだ。
部屋に、戻るとルナティアはリビングのソファーにゴロンと横になった。
「はしたのうございますよ?せめてお洋服だけでもお着替えになってくださいませ。」
ライラも、ルナティアの気持ちを察しているから、本気で注意をしているわけではない。
苦笑いのライラに言われ、着替えるためソファーから立ち上がったルナティアに、着替えの手伝いをしながらライラが話を続ける。
「今日は大変でしたね。『告白』も、もちろんですが…。そう言えばあの方はどなたなのですか?『殿下』とお呼びしておりましたが…。」
「ああ、あの方ね。えーっと…。オセアノ帝国の…第1?いや、第2?だったかな?王太子って言って無かった気がするから、多分、第2王子ね。」
他国の王子殿下だったと知ると、流石のライラも頭の中に『不敬』の二文字が過った。
「どうしましょう…。私、とんでもない失礼を…。」
青ざめるライラに、
「え?学園内は、一生徒だから大丈夫でしょ?いざとなったら、私、学首様に直訴してくるから、ライラは気にしないで?」
ぐっと握りこぶしを作り、気合を入れるルナティアに、青ざめていたライラは、心から感謝し、少しだけ潤んでしまった目を気づかれないようにそっと拭ったのだった。




