オセアノ帝国の王子
「お疲れ様、兄様。」
一足先に観客席に戻っていたジークリードと一緒に、控室へ行ったルナティアが、表彰式が終わったばかりのレグルスに笑顔で労いの言葉をかけた。
「1年生で3位なんて、十分に凄いって母様が褒めてたわ。」
と、言う笑顔の妹に、
「ありがとう。…だけど…やっぱり父上には適わないってことなのかな…。悔しいな…あと少しだったのに…。」
そう言うレグルスは、少し肩を落としながら苦笑いともとれる笑みを浮かべていた。
確かに、ユグ・ド・オセアノとの準決勝も、僅差の勝負だった。
ユグは暗器で準決勝に挑んできた。
それまでのほとんどの試合は片手剣で戦っていたのに、何故かレグルスの試合の時だけ、暗器を選んだのだ。
(暗器の方が得意なのか、それとも舐められたのか…前者であることを祈りたい…)
レグルスが、そんな思いで両手をぎゅっと握りしめた時、控室のドアを叩く音がした。
3人は顔を見合わせた後、レグルスとジークリードはアイコンタクトを取り、ジークリードがルナティアを背に隠すような位置に立ったのを確認して、レグルスがドアを開けた。
すると、そこには――武術大会で優勝した、ユグ・ド・オセアノが笑顔で立っていた。
ユグは、14歳とは思えないほど、がっしりとした体格をしている。間近で見るとレグルスより二周りくらい大きく見え、すごく体格差を感じる。
外見は、オセアノ国特有の褐色の肌をしていて、髪は黒髪・瞳は緑色と、美しい、というよりは格好いい、という類の人種だ。
レグルスは少し警戒をしながらも、それでも優勝した先輩を称えて言った。
「優勝、おめでとうございます、ユグ様。…ところで、どうされたのですか?僕に何か御用でも?」
控室の奥の方には、黙ったままのジークリードが立っていた。
ユグは、奥に立つジークリードに一瞬、視線を向けた後、レグルスに向き直り、
「用…という訳はないが…。正直、準優勝のサリル・モンヌールより、1年生のお前の方が手強かったからさ、トーナメントの位置が違えば、準優勝はお前だろうと思って。1年なのに3位という快挙を達したお前を称えようと思って来てみたってところだ。流石は名高いリストランド卿のご子息だな。…ふむ、そうだな…、用は今思いついた。一度、リストランド卿と手合わせを願えないか?」
「…父と、ですか?」
思いもよらない申し出に、驚いた表情で聞き返すと、
「ああ、彼の名前は当帝国にも轟いているし、確か、リストランド卿が在学中は、1年で準優勝だったんだよな?その記録は未だに破られていない。だから、どれほどのものなのかと…。もちろん、お前よりは強いのだろう?」
(お前より『は』だと?大国一の父上に対する侮辱…!いくら先輩だろうと、他国の王子であろうと抗議を…)
手を握りしめ、レグルスが声を上げようとした瞬間、部屋の奥から抗議の声が聞こえた。
「いくら先輩だって、たとえ優勝者だって、そんな言い方、失礼ですっ!!」
見ると、ジークリードが背に隠していたハズのルナティアが、姿を現し、ビシッっと人差し指を立ててユグに向かって言い放っていた。
慌ててルナティアの前に再度立ち、隠そうとしたジークリードだったが、もう遅い。
一瞬、キョトンとした表情をしていたユグだが、ニッと口元に笑みを浮かべて、ずかずかと控室に入ってきた。レグルスが制止しようとしたが、体格の差があるからだろう、無理やり入ってきて、ジークリードの前に立ち、恭しくお辞儀をしながら、言った。
「ジークリード殿下、その背後にお隠しのモノをお見せください。」
――モノ――
レグルスもジークリードも怒りの表情を瞬時にし、臨戦態勢に入ろうとしたとき、
「ジーク兄様、どいてください。…それに…私、モノではありませんっ!」
ルナティアの前で庇うように立っているジークリードを押しのけて、ルナティアがぷんすこと怒りながら姿を見せた。…見せた途端、ユグはルナティアの手を掬い、跪き、いきなり手の甲にキスをした。
「「「?!!!!」」」
驚く3人をスルーし、ユグが言葉を発した。
「これは失礼を致しました。…麗しいご令嬢、お目にかかれて光栄です。どうか、この私にお名前を教えていただけませんか?」
妙に艶めいた表情でルナティアに請う。
手の甲へのキスなどされたこともないルナティアが驚きのあまり、口をパクパクしていると、
「そのような表情も可愛らしいですね。」
手を握ったまま、にっこりと微笑む。
…ほとんどの令嬢が目をハートにするほどの笑みだ。
一番先に冷静になったのは、ジークリードだった。
気づけは、手刀でルナティアの手を握るユグの手首を叩き落とし、また、ルナティアを背に隠した。
手首を叩き落とされたユグは、手をぶらぶらと振りながら立ち上がり、ジークリードを見下ろし、
「っ!…痛いなぁ、ジークリード殿。そして何故お隠しになる?せっかく俺が彼女に想いを伝えているというのに…。彼女はまだ貴方のモノではないのだろう?」
「だから、彼女はモノではないっ!」
ジークリードが声を荒げた時、ドア付近にいたレグルスもルナティアを隠すため、ジークリードの隣に立ち、怒りを含んだ声で言った。
「ユグ様、お引き取りください。この子のことは…先輩に名前を教えるつもりはございません。それから…父との手合わせも、お断りします。」
きっぱりと言い放ち、睨み返すレグルスとジークリードに、仕方なくユグは引き下がることにした。
「はぁ…お前ら2人がかりだと流石に勝ち目はなさそうだしな…。今回は仕方ない、引き下がってやるよ。」
そう言って、ドアに向かい、
「だが…令嬢、俺を覚えておけよ。オセアノ帝国第2王子、ユグ・ド・オセアノだ。…また逢う日を楽しみにしてる。」
部屋から出る時に振り返って、ルナティアにウィンクをし、片手を挙げながら去って行った。
ユグが出ていくとレグするはすぐにドアを閉め、カギをかけた。
「なんなんだ、あれは…。学年が違うから接点もなかったけど、あんな奴だったなんて!!…ジークはあいつと会ったことあるのか?」
珍しく怒気を含んだ声でレグルスが言う。
「…ああ、国は違えど、王家の人間同士だからな。だが前に会った時は…あんな感じではなかった。もっと、こう…どうでもいい、的な…そんな印象だったんだが。」
「…お前と一緒ってことか…じゃあ、アレはまずいな…。」
顎に手を当ててレグルスが呟くと、
「ちょ…、俺と一緒ってどういうことだよ?!」
「ん?…ああ、だってジーク、女性に対してどうでもいい、だろう?妹以外は。」
図星を言われたジークリードは一瞬、口を噤み、ルナティアをチラリと見た後、平然とした顔を作って
「そうだな、アレはまずいな。」
と、レグルスの意見に同意した。
「…だけど、ユグ王子殿下は、今、2年だし、少しだけ魔力もあるようだから魔法科へ進むと思うけど、ルナが入学する時は4年生のはずだし…。普通科と魔法科の校舎は離れているから、会う確率は…低い、よな?」
続けて確たる自信を持ちたくて、レグルスはジークリードに更なる同意を求めた。
しかし、ジークリードは無言のまま、考え込んでいるようだった。
その間、最初はぷんすこと怒っていたルナティアだったが、兄と殿下2人の「まずいな。」の言葉に、自分の怒りに任せて取った行動が良くない方向になってしまったのかと、不安に思い、黙って立っていた。
その様子に気づいたジークリードが、ルナティアを安心させるように笑顔を向け、
「ルナティア、大丈夫だから気にするな。俺たちがちゃんと守るから。」
と、ルナティアの頭を撫でながらレグルスと視線を合わせ言った。
隣でレグルスも頷いている。
「…ごめんなさい。父様と兄様を…軽んじているような言い方につい、カッとなってしまって…。こんなんじゃ、淑女なんてまだまだよね。…もっと大人の対応が出来るように頑張るわ。」
「いや、ありがとう、ルナ。僕たちのために怒ってくれて、僕は嬉しいよ。だけど、さっきのことは悪い夢だったと思ってさっさと忘れよう。…さぁ、きっと母上もお待ちだろうから、そろそろ戻ろうか。」
まだ反省顔のルナティアの手を取り、顔を覗き込みながら笑顔でレグルスが言うと、安心したのか「はい。」と嬉しそうに返事をして部屋を後にしたのだった。
闘技場の出入り口には女生徒がたむろしていた。
「あっ、レグルス様がいらっしゃったわ!」
「素晴らしかったですわ、レグルス様!!」
わらわらと集まってきた女生徒たちは、隣にいるルナティアなど気にもせずに、レグルスへ賞賛の言葉をかけ、印象付けようと必死なようだ。
女生徒たちの勢いに押し出される…と思った瞬間、ジークリードがルナティアの両肩を押さえ、すっと人込みから避けてくれた。
「…ここで俺は別れて、家族団欒を…と思ったんだが…あの様子じゃ、レグルスに任せるのは難しそうだな。」
ルナティアの肩に手を置いたまま、レグルスの方を見ながらジークリードが呟く。
ジークリードの視線の先を見つめながら
「さっきも思ったけれど…兄様ってすごい人気なのね…。確かに素敵だけど…ジーク兄様だって素敵なのに、兄様の方が人気あるみた…あっ、ごめんなさい。」
「いや、本当のことだから構わない。レグへの異常な人気は、俺にも原因が無い、とは言えないから、ある意味、申し訳ないとは思うんだけど…。」
「えっ?それはどういう…?」
聞き返そうとしたが、避難したはずのルナティア達の近くにも女生徒が詰め寄り始めた。
「とりあえず、リストランド夫人のところまで行こうか。大丈夫、レグはこれに慣れてるし、何とかするだろう。」
そう言うと、ジークリードはルナティアの手を握り、すたすたと歩き始めた。
「え…?で、でも…?」
戸惑うルナティアだったが、兄の方を振り返ると、ぐるりと女生徒に囲まれてはいるが、焦る様子もなくプレゼントやら賞賛の言葉やらに対して受け答えをしているようだ。
(本当に慣れているみたい。兄様の人気があるのは嬉しいけど…ちょっとだけ寂しい、かも。)
少し凹んだ様子のルナティアに気づいたジークリードは一旦立ちどまり、人目のつかないところへルナティアを連れて行き、頭を下げた。
「すまない、ルナティア。さっき、俺にも原因がないとは言えない、と言ったが、レグルスに好意が集中しているのは、俺が…女性に、冷たい、からだ。」
目の前で頭を下げるジークリードに驚きだったが、その発言に更に驚いてしまった。
「あの…ジーク兄様のおっしゃっていることが良く分からないのですが…?」
だって、ジークリードは良く笑う。
知り合って最初の頃の表情は強張っていたかも知れないけど、兄様と親しくなるにつれ、自分に対しても同じ笑顔を向けてくれる。
そして兄と同じく優しい。
そのジークリードが…冷たい?
――そういえば、兄様も言っていた…ジーク兄様は女性が苦手で、笑わない、って…。
「…女性が、苦手…?」
ぽつりと呟いた後、声に出していたことに慌てて
「す、すみません、へんな事…。」
とルナティアが謝ると、少し驚いた顔をした後、ジークリードが話し始めた。
「…レグに聞いていたのか?…実はそうなんだ。俺、女性が…ハッキリ言って嫌い、なんだ、と思う。」
想定外の言葉に、ルナティアの顔は少し青ざめていった。
(どうしよう…嫌い、なのに、兄の妹というだけで、私にも優しく振舞ってくれていたけど、きっと無理をさせてしまっていたんだわ…)
ルナティアの表情を見て、ジークリードは慌てた。
「あ、違う。違うんだ、ルナティアは大丈夫だから。…あと、妹姫も…。だから、妹は大丈夫なんだと思う。…うん、大丈夫なんだ。だけど、他の女性たちは…。」
何かを抱え込んでいるような表情のジークリードを見て、ルナティアは静かに話しかけた。
「…分かりました。ジーク兄様は妹以外の女性が嫌いだからあまり笑わないということなのですね?」
「ああ…。入学以降、いやその前から、女性に対してほとんど笑わないし、あまり優しいとは言えない対応をしていたら……段々と俺の周りに纏わりつく女性が減ってくれたんだが…。」
「…代わりに兄様の周りに、と言うこと?だから、ジーク兄様にも原因がある、と。」
ジークリードが申し訳なさそうな顔でこくんと頷く。
その様子を見た後、ルナティアはもう一度、レグルスの様子を見てから聞く。
「…兄様が、そのことでジーク兄様のこと、責めたことありました?」
「いや…。」
「ふふっ、兄様らしい。分かりました。それじゃあ、先に行きましょう?兄様は大丈夫みたいだし…。でも…兄様と殿下の関係って、素敵ね。」
珍しく殿下と呼び、楽しそうに笑いながら母の待つ場所へ歩き始めたルナティアの後ろを、ジークリードは、ほっとした表情でついて行ったのだった。