レグルスの魔力測定④ 見えない扉
ルナティアはレグルスと手を繋ぎ、大聖堂へ向かう長い廊下を歩いていた。その後ろ、少し離れた位置からジャンがついてくる。
宿泊施設と教会は、繋がっていて、宿泊施設の2階と1階に渡り廊下がある。渡り廊下の先の扉を開けると、教会の長い廊下が続いていて、長い廊下の突き当りが大聖堂となっている。
大聖堂まで続く長い廊下の途中には部屋がいくつかあり「『鍵がかかっていない』部屋なら入っても良い」と言われたので、2人は探検を楽しんでいた。
探検を楽しんでいると、ルナティアの耳にふと「ここよ、ここ…」と、声が聞こえてきた。立ち止まり、声が聞こえた方を振り返ると、そこには他の部屋の扉と違った色の扉があった。
(…さっき、ここに扉、あったかな?)
そう思いながら、レグルスに尋ねた。
「兄様?ここの扉から…何か聞こえない?」
「…扉?いや、聞こえないが……『ここ』とは?…ここには扉はないように見えるけど…。」
「えっ、兄様には、扉、見えないの?」
驚き、レグルスを振り返って見つめた後、再度、扉の方を見ようと振り返ると
「うそっ…扉が…ない…。」
「ルナ…。」
「…本当なの!兄様。さっき、ここに扉があって…「ここよ、ここ…」って…。」
話しながらだんだん俯いていく妹の頭を撫でて、
「大丈夫。ルナの言っていること、信じてない訳じゃない。ただ、ルナに見えたものが、僕には見えなかっただけだ…僕的には寂しいけど…。ところでルナ、その『扉は』『今は』見えないのかい?」
「うん…今は見えないし、声も聞こえない。」
「そう…ジャンは?」
「私にも扉は見えておりませんでしたし、何も聞いておりません。」
「…ルナにしか見えなかった扉と声、か…。……うん、後で父上に報告しておこう。…それでルナ、どうする?このまま探検、続ける?それとも部屋に戻る?」
「……続ける。大聖堂に行って『乙女と王子』の像、もう一回見たいもの。明日の儀式じゃ、私は近くで観れないでしょ?」
「そっか、そうだね。僕は明日、近くに行くことが出来るけど、多分、緊張してゆっくり眺めるなんてことできないと思うし。…それじゃ、気を取り直して行こうか。」
レグルスは、改めてルナティアの手を握り直して、廊下の突き当りの先にある大聖堂に向かった。
大聖堂に入ると、他の貴族の令息令嬢らしき者たちが何人かいた。
令息たちはお互いに挨拶をしたり、大聖堂の内装を見たりしていたが、令嬢のほとんどは、『乙女と王子』の像の周りに集まり、うっとりと眺めていた。やはり『二人の乙女』の物語の影響力なのだろう。
レグルスとルナティアが像に近づくと、うっとりと眺めていた令嬢たちが、近づく足音に振り返り、2人を見た瞬間、固まった。が、レグルスはそんなことは気にもせずに、笑顔で令嬢たちに声をかけた。
「失礼。僕の妹も『乙女と王子』の像が見たいようなのです。…お仲間に入れていただいても…?」
微笑みながら声をかけるレグルスに、令嬢たちは頬を赤らめながらコクコクと頷いた。
「ありがとうございます。…さぁ、ルナ、君と同じように『乙女と王子』の像を見にいらした方々だ。きっとお話も弾むだろう。一緒に見て楽しんで来たら良い。…僕はここで待っているから。」
「はい、兄様。…では、皆様、お邪魔いたします。」
お辞儀をして顔を上げると、あんなに沢山いた令嬢たちのほとんどが、レグルスの周りへ移動し、挨拶や自己紹介をし始めた。
どうやら固まった理由はレグルスにあったようだ。
(凄い…兄様、大人気だわ。あんなに沢山のご令嬢に囲まれて…ふふっ、私の自慢の兄様だもの、当然よね。)
顔をほころばせながら人の減った『乙女と王子』の像の近くに寄り、ひとり、像の顔や姿かたちを眺め観察していると、
「どうです?素敵でしょう?」
急に、隣から声をかけられた。
振り向くと、ルナティアよりは少し年上らしい、ウェーブがかった黒髪の青い瞳の少女が声をかけてきたようだ。
(うわ~、夜空のような真っ黒な髪に、昼間の空の色の目…キレイ…でも、どこかで会ったような…?)
ルナティアは返事も忘れて、少女に対する感想を考えていたのだが、少女は返事が無いことなど全く気にしていない様子でそのまま話をつづけた。
「私、『二人の乙女』のお話、大好きなんです。…貴女もお好きですか?」
不躾なほど少女の顔を見つめたままのルナティアに、少女は笑顔を向けた。
「あっ、うん。…じゃなくて、はい。」
「…ふふっ、本当に、可愛らしい方ですね。」
「あの…?」
「失礼いたしました。私、この教会の司祭の娘でリリーと申します。…先ほど、父がリストランド辺境伯様のご一家をお部屋に案内いたしまして…。部屋に戻るなり、ご子息とご令嬢のことを誉めておりましたので…つい…ご無礼と思いながらもお声をかけてしまいました。」
「あ~、なるほど。良かったです、スッキリしました。」
「…何がスッキリですか?」
「貴女を見て、どこかで会ったような気もするし、会ってないような気もしていたから。先ほど案内してくれた、司教様のお嬢さんなら、納得です。似ていますね。…それに、夜のような黒髪と昼に広がる青空の瞳、すっごくキレイです。」
ふふっ、と笑顔で返事をしたルナティアを見て、リリーは少し頬を染めた。
「そ、そうですか?…この黒髪をキレイなんて褒められたのは初めてです。(小声で)むしろ「怖い」と言われることの方が多くて…。」
「えっ?すみません、最後の方が良く聞こえなかったけど…。」
「あ、いえ、お気になさらず…。私なんかより、お嬢様の方が、ずっとずっとお綺麗ですよ?銀色なのに、日に当たるとプラチナブロンドに見える髪も、紫紺の瞳も…。瞳はキラキラしていて吸い込まれそうです。『天使』と噂ではお聞きしておりましたが、間違いじゃないと確信いたしました。」
「…天使?噂?」
小首を傾げてルナティアが聞く。
「あぁ、すみません。実は昨年、魔法省のノーランド様のご子息が『魔力測定』にお越しになりまして、その際、この『乙女と王子』の像を見ながら、ノーランド様が仰っていたのです。「リストランド辺境伯様のご令嬢はマジ天使」って…。」
(ノーランド様?…確か、魔力封じの時に立ち会っていただいた方…だよね。あまりお顔は覚えていないんだけど…。)
「お会いして、本当に可愛らしい方だなって思いました。」
その後も、リリーと暫く『二人の乙女』の話をしていると、
「ルナ。」
少し疲れた様子の兄が声をかけてきた。
「そろそろ部屋に戻ろう。…と、君は?」
リリーに気づいたレグルスが訪ねた。
「あ…。初めまして。私は先ほどお部屋にご案内いたしました司教の娘で、リリーと申します。」
お辞儀をしながらリリーはレグルスに挨拶をした。
「あぁ、司教様の。…司教様には、お仕事中にも関わらず、色々とお訪ねしてしまったから…貴女からもお礼を言っておいてもらえますか?」
「は…はい。」
「では…。ルナ、戻るよ。」
「あ、はい。…リリーさん、とても楽しかった。ありがとう。」
軽く礼をして去っていく2人の姿を、リリーは少し熱くなった頬を押さえながら見送っていた。
部屋に戻ると、ライラが飛びついてきた。
「お嬢様、何事も無かったですか?」
「うん、大丈夫。」
「全く、ライラは僕やジャンを信用していないの?」
少し不機嫌気味にレグルスが言う。
「そんなことはございませんが…。」
「…まぁいいや。それより、父上。」
ソファーでライラが淹れた紅茶を飲みながら寛いでいる父に、レグルスが声をかけた。
「ルナと一緒に大聖堂の長廊下を歩いておりましたら、ルナにだけ見えた『扉』があったそうです。」
「…ルナにだけ?」
トーマスとデメーテルは顔を見合わせた。
「ルナ、そうなのかい?」
「うん…でも…少し目を離したら無くなっていて…気のせいだったかも…。」
「その『扉』から『声』も聞こえたらしいのです。」
「ふむ…。ルナ、その『扉』が見えた場所を教えてくれるかい?」
頷くと、トーマスとレグルス、ライラと一緒に、大聖堂へつづく長い廊下へ向かった。
「このあたりです、父様。」
大聖堂に向かって、右に階段、左は壁、という位置で、壁に向かってルナティアは言った。
「…そうか。因みに、声とはどんな声だった?何と言っていた?」
「えっと…女の人の声みたいだった。「ここよ、ここ」って聞こえたの。」
「……。」
「父様?」
「あ、いや…。そのことは父様に任せてくれるかな?父様が調べるから、ルナはこの話を他の人に言っちゃダメだ。父様と約束してくれるかい?」
「うん、約束する。…あ、でも、兄様とジャンは知ってるのよ?あとライラも…。」
ルナティアは、後ろに控えるライラを振り返った。
「それは大丈夫だ。レグルスにもジャンにも、父様から話しておくから…。ライラは…大丈夫だよな?」
「勿論、お嬢様の為になることですよね?」
「あぁ。」
「であれば、当然です。どんな仕打ちを受けようとも、このことは決して口外いたしません。」
「仕打ちって…物騒だなぁ。」
と、トーマスは笑い声をあげた。
その日の夜、ルナティアが眠った後、トーマスは、デメーテル、レグルス、ジャン、ライラをリビングに集めていた。
「レグルス、ジャン、昼間の扉と声のことだが…、忘れろ。『忘れろ』ということは、『他人に知られるな』ということだ。」
「知られると…困ることなのですか?」
「……あぁ、困る。とにかく、ルナティアと一緒に居たいと思っているなら、絶対に口外するな。」
「父上がそこまで言うことであれば、口外いたしません。ですが、理由くらい教えていただいても…。」
「…理由は、学園に行けば分かる…かも知れない。」
「今は時期でない、ということですか?」
「…いや、知らないまま済むならその方がいい。…もし、学園で知ったとしても、決して騒ぐな。…ジャンも、だ。」
「はい、かしこまりました。」
「そしてライラ。」
「はい。」
「君も、ジャンと同様だ。もし、学園で知ったとしても、騒がずに余計なことは言わず、ルナティアを守ってくれ。」
「…勿論でございます、旦那様。お心に沿いますよう、尽力いたします。」
ライラは、深々と頭を下げた。
黙って聞いていたデメーテルが最後に3人に頭を下げて言った。
「絶対に、他言無用ですよ。私からも…お願いします。」
トーマスとデメーテルがこれほどまでに言うということは、余程、知られては困ることなのだろう。
3人は改めて、口外しないと強く心に誓ったのだった。