初代リストランド領主
――賢者――
その役職を正しく知る者は多くない。
普通に王城の役職…魔法省の長官であったり、商家の開発者であったり、時には吟遊詩人のように各国を歩き回る者であったり…とにかく『自由』に生きた者が多い。
能力値はとても高く、だからこそ能力を隠すことにも長けていた。
そして、それだけの能力があった者は、誰に言われるでもなく何故か自分のすべきことを理解し、乙女が現れない時期の光と闇の均衡を保つことに尽力していたという。
「精神世界から送り出される時、確かに女神様は「ルナティアは賢者」と仰っていた。」
ジークリードがそう話すと、急にトーマスが周りを気にしながら話を打ち切った。
「殿下、この話はまた後程にして…取り敢えず、兵達もかなり憔悴している様子、ここは一旦、我が領へ向かうのは如何ですか?1日近くは馬を走らせることになりますが…。」
「そうだな。もうずっと長いことこの少人数で兵達には苦労させてしまったから、卿の提案を受けさせていただこう。少しの間、世話になる。」
「かしこまりました。先に伝達馬を走らせて参ります。…レグルス。野営を引き払う準備の指示と殿下をお支えしろ。ライラは他の影たちと共にルナティアを荷馬車に乗せ付き添え。」
トーマスはレグルスとライラ達に指示をした後、自軍の方へ向かう。
その数分後、僅かな人数のジークリードの軍は野営地を引き払い、リストランド領へと向かった。
移動前、ジークリードはレグルスに治癒魔法を掛けてもらい、なんとか一人で歩ける程度にまで回復し、荷馬車に乗り込んだ。
荷馬車の奥には、眠ったままのルナティアを守るようにライラとランが乗っていた。背格好が似ているニーナはルナティアの鎧兜を着込み、ルナティアのフリをして馬に跨り、隊と一緒に移動することになっていた。
乙女の祈りが足りないのか、僅かだが闇が深くなったように感じる。
リストランド領に向かう途中、何度か魔物の襲撃に遭遇したが、リストランド軍によって呆気ないほど簡単に魔物は倒されていった。
怪我人が多いこともあり、兵団はゆっくりと進み、途中、休憩を挟みながら丸1日半かけて、リストランド領へと辿り着いた。
リストランドの邸でデメーテルがトーマスを迎える。
傷ついた兵達がリストランド夫人に挨拶をすると、デメーテルは笑顔で挨拶を返し、侍女長のアンに指示をして兵達を兵舎へと案内をさせた。
兵舎に案内された討伐隊の兵のほとんどは、手当てを受け、温かいご飯を食べると用意された簡易ベッドで泥のように眠りについた。命の危険に晒されない状況で眠りにつくのは、3週間以上ぶりだった。
兵達とは別に、邸宅の個室へ案内されたジークリードは、改めて治癒魔法を受けた後、リストランド夫妻と共に食事をし、今はリビングで野営地での賢者の話の続きと今後の行動について、トーマスやレグルスと話し合っていた。
賢者という存在について、トーマスは知っていた。…いや、正しくは忘れていたことを思い出した。
昔、まだ学生だった頃、学園の図書室の奥に秘密の通路を見つけたトーマスは、ひとりでその通路を奥へと進み、小さな部屋を見つけた。
部屋には、乱雑に並んだ本と日記帳らしきものが置いてあり、そこで日記帳らしきものを読んだのだ。
日記帳を夢中になって読んでいると、急に背後に誰かが現れ、気を失い、気づくとトーマスは図書室の奥で眠っていた。そして、その時の記憶が全く無くなっていたのだ。
賢者という言葉を聞いて、当時の記憶が甦る。そう、あの時見た日記は、確かに賢者の記録だったのだ。
「では、父上が在学中に、賢者と呼ばれる存在の方が居た、ということですか?」
「恐らくな。」
「ですが、当時、何かで名を残した方はいらっしゃらないですよね?」
「隠すのが上手いなら、存在も隠すだろう。…俺の記憶を消すくらいなのだから…。」
トーマスとレグルスの会話を聞いていたジークリードが呟く。
「もしかしたら、それは…お祖父様…かも、知れない。」
「「えっ?」」
ジークリードが言う、お祖父様とは、先代陛下のことだ。
「何故、そのように思われるのですか?」
「王族が使える転移魔法、あれを構築したのはお祖父様と聞いている。それと、クレオチア大陸で王族が使える通信もお祖父様が開発されたと…。」
トーマスが頷く。
先代陛下は既に崩御されている。
確か、ルナティアが産まれる1年くらい前、正しくはデメーテルが身ごもった頃…。
「…間違いないでしょう。」
賢者がお隠れになったから、次期賢者が産まれた。
「乙女は偶然指名されると記録されていますが、賢者も偶然、なのでしょうか…。そういったことは記録に記載は無かったのですか?」
ジークリードがトーマスに尋ねる。
「記載はありました。…賢者は…偶然ではなく血筋です。」
「「っ!?」」
ジークリードとレグルスは驚きを隠せない。
血筋、というのなら、リストランド家も王家の血筋ということになる。
「とはいえ、我がリストランドの初代が王族だった、という遥か昔の話なのだか…。」
そう言ってトーマスは、リストランド領の創立の話を掻い摘んで説明してくれた。
初代リストランド領主は、当時の国王の妾腹の子だった。
その子は、妾腹の子にもかかわらず、王家の血筋を一番濃く受け継いでしまっていた。
当時の国王は、後継者争いを避けるためと、母子を守るため、早々に臣籍化し、母と子に王都から一番遠く且つ一番重要であるこの地を与えたのだという。
本来、王族が臣籍化した場合、公爵とするべきところを辺境伯としたのは、母である女性が望んだようだ。自分たちは後継者争いには加わらないという意思を込めて…。
「…そのような過去があったとは…。では、その初代の血筋が、リストランドから賢者が産まれた理由、なのだな。」
ため息交じりにジークリードが呟く。
すると、黙って聞いていたレグルスが、
「…だとしても…何故、ルナなのです?僕でも良いじゃないですか。どうしてルナばかりが…こんなに色々と背負わなければならないのですか?!…せめて…せめて賢者が僕だったら…。」
と、両手をわなわなと震わせ握りしめながら立ち上がり訴えた。
「レグルス、お前がルナティアを可愛がっているのは知っている。だが、ルナティアが背負うのも意味があるはずだ。だから、お前は…いや私も、あの子の助けになってやるべきなのだろう。」
諭すように、淡々とトーマスが言葉を綴る。
「ですが…!…だとしても、賢者と乙女、本来ならば重複することは無いというのに…。」
「それは――」
通常の周期より早く魔族が攻めてきた、としか考えられない。
乙女が選ばれる時期が予想外に早かったのだろう。本来なら、魔族の進攻は、あと50年ほど後で、当面は安泰であったはずなのだから…。
沈黙が流れ、各々が少しだけ落ち着いたころ、トーマスが次の目的地の話に切り替えた。
「殿下、最後の目的地はこのリストランド領内の東の湖、と踏んで、こちらに向かわれていたのですね。因みに、どうして東の湖なのです?」
トーマスの問いに、ジークリードが説明する。
ルナティアが女神様に夢で「王太子殿下の感じるままに」と、言われたこと、レグルスに確認をしたら、その方角がリストランド領の東の湖付近であったこと、その湖で過去にルナティアが遭遇した水の増減のこと、水の増減には新月の夜が関係ありそうだ、ということ…。
一通り話を聞いたトーマスが、
「…新月の夜、ですか。…明後日、ですね。」
と、窓から空を眺めて呟く。
「こちらは明日の夜に出発するのが良いでしょう。それまではレグルスの隣の部屋を用意いたします。どうかごゆっくりお休みください。」
そう言って、トーマスはリビングを後にした。
トーマスが去った部屋で、レグルスと2人っきりになったジークリードは、リストランド邸に到着してからずっと気になっていたことを聞いた。
「レグ。…ルナティアはどうしている?」
到着から敢えて聞かなかった。だが、ずっと、ずっと気になっていたことだ。
「…まだ目は覚ましていないと思う。」
「…そうか。」
思えばルナティアにはずっと無理ばかりさせていた。
先ほどの賢者の話も乙女の話も、そんな存在を知らないうちから彼女の魔力量に頼ってしまっていた。
それは兄であるレグルスも同じだった。
「取り敢えず、父上の言うように、今夜は身体を休めるべきなんだろう。大丈夫、ルナが目覚めたらちゃんと報告するから…部屋へ案内するよ。」
そう言ってレグルスはリビングのドアを開け、ジークリードを誘ったのだった。




