女神の記憶
――ジークリードside――
ジークリードとルナティアの火と風の合体魔法は想像を遥かに超えた威力を放った。
(多分、ルナティアの唱えた風魔法は、上級のその上、特級レベルなのだろう、あれほどの大竜巻は見たことがない。一掃できたのはルナティアのお陰だな。)
そう思いながら、後方で魔法を放っているはずのルナティアを振り返る。
「よし、想像以上に上手く行ったな。ルナティア、急いで防御壁へ――」
――戻るぞ。
そう言うつもりだった。
――自分の視界に、一矢を見つけるまでは。
視界に飛び込んできた矢は、ルナティアめがけて、少しおかしな軌道で飛んで来ていた。
「――危ないっ!!」
気づいた時には、ルナティアの腕を掴んで自分の内側に囲っていた。
「うっ…!!!」
右肩に痛みが走ったと同時に、意識が遠のく。
(何だ…?矢が右肩に刺さっただけなのに…急に意識が…これは…ど、く…?)
遠くでルナティアが呼ぶ声が聞こえている。
(大丈夫だ、と伝えたいのに…声も、身体も…意識も…うごか……ルナ…ティ…ア)
段々と意識が浮上するのを感じる――。
目を開けると、俺の目の前には、一人の美丈夫な男性と、その男性の隣に、漆黒の髪に紫紺の瞳をした美しい女性、そしてその隣に金色の光輝く髪を持つ可愛らしい女性が立っていた。
(どこかで見たことがあるような…。いや、今はそんな場合では…)
ここが何処なのか尋ねようと声を掛ける。
『談笑中すまないが、ここは何処だろうか?』
3人は尋ねるジークリードの声に返事をしない。無視したまま談笑を続けている。
『無視をすることは無いだろう?場所を聞いているだけだ、答えてくれても――』
近くの男性の肩に手を伸ばすが、掴めない。男性の肩をかすめる自身の手を見つめて気づいた。
(透けている?――)
手だけじゃない、腕も足も、確かに自分の身体を認識できるのに、身体の向こう側が見える。
バッと顔を上げ、目の前の3人をもう一度見る。
ふと、黒髪で紫紺の瞳をした女性と目が合った、…気がした。女性は気づいた、とも気づいていないとも取れる仕草で、隣の男性に話しかけていた。
(…俺は見えていない、のか?まさか、死んだ…?いや、夢の場合もある。俺は肩に矢傷を負って眠っているだけなのかも知れない)
そう思いながら、3人の会話から何かヒントを得ようと耳を澄ませた。
男性が金髪の可愛らしい女性を「クラール」と呼び、漆黒の髪に紫紺の瞳の美しい女性を「ステルラ」と呼んでいた。ということは、男性は「ソール神」ということか…。
太陽神は闇の女神の腰を抱いている。その闇の女神の反対側の腕には日の女神が腕を絡めていた。
話を聞いていると、どうやら3人の関係性は、太陽神と闇の女神が夫婦で、クラールは闇の女神に心酔しているよだ。
(男神が1人に対して女神が2人の夫婦、と史実にはあるが、関係性は少し違うようだな…)
そんなことを考えていると、目の前にぶわっと風が吹き、思わず目を瞑る。
風が止み、目を開けると辺りの景色が変わっていた。
今度は遠くに煙が見える。
ふと自分の背後から話し声が聞こえてきた。
「君はここで隠れているんだ。私が…私たちで何とかする。いや、してみせる。」
「でも!」
「狙われているのは貴女なのよ?!あんなヤツに貴女を渡したりしないわ。私たちにとっても貴女は大切なの。お願いだから、ここで隠れていて。貴女の夫と親友を信じて…!」
「嫌よ、貴方たちだけで行かせるなんて…!…うっ…!!」
僅かにドスッと鈍い音が聞こえた後、背後の洞穴から、 太陽神と日の女神が飛び出し、自分の身体をすり抜けていく。
すり抜けながら「すまない、ステルラ…。」と 太陽神の懺悔の声が聞こえた。
また急に目の前に風が吹く。
目を瞑り、再び目を開けると、太陽神の叫び声が聞こえてきた。
「ステルラ!!どうして…頼む、私を置いて行かないでくれ…!目を…目を開けてくれ…!」
見ると、太陽神の腕の中で、安らかな表情で目を閉じている闇の女神の姿と、泣き叫ぶ 太陽神の向かいに呆然と立ちすくむ、日の女神が居る。
(これは…魔の者が世界を襲った時か…?)
泣き叫ぶ 太陽神の姿に、胸が痛んでいると、黙って涙を流す日の女神の背後に一角獣が近づいて来た。
「…アミー…、ご、めんなさい…貴女の主を守れなかった…。私の力が弱いから…私に、もっと力があれば守れたのに…。」
そう言って一角獣の首にそっと両手を回した。
すると、一角獣の声が頭の中に流れ込んできた。
『主は、主と愛する方が大切にしてきたこの地を守りたいと言っておられました。洞窟内で目覚めた後、私を呼び、伝言を賜りました。…今からお見せいたします。』
告げたのと同時に、一角獣の角が光り出し、その光の中に、闇の女神の姿が浮かんでいた。
「ステルラ…!」
腕に闇の女神を抱きながら、 太陽神が片手を伸ばす。
光の中の闇の女神は、優しい笑みを浮かべながらゆっくりと話し始めた。
『アリーが私を映し出している、ということは、私はもう居ないということね。…ごめんなさい、ソール。貴方の想いを知っていながら貴方を置いて行く私を許して。私は、貴方がゼロから作ったこの地が好き。私に愛を囁いてくれた湖が、丘が、野原が好き。この地に向ける貴方の想いが好き。それを私も守りたかったの。…唯一の心残りは、愛する貴方の子孫を残してあげられなかったことだけ…。』
「そんなっ!俺は子孫より君の方が――」
『クラール、お願いがあります。貴女に、ソールの血を後世に残してもらいたいの。幼い頃からずっとソールの傍に居た貴女だもの。貴女にしか頼めないの。…私は貴方達の子孫を天から見守っているわ。この先、闇が悪を囁こうとも、対比する闇の安らぎでこの世界を、貴方達の子孫をずっと見守るから…。』
光が段々と弱くなり、その中に居た闇の女神は、少し哀しそうにも見える微笑みを宿したまま消えていった。
「…いやだ…、嫌だ…!行かないでくれ!ステルラ!…ステルラ…。」
闇の女神の亡骸を抱きかかえたまま、崩れ落ちる 太陽神を横目に、日の女神が踵を返して地上が見える崖端へと立つ。彼女の命で繋がれた地だ。
「ステルラ…貴女の意志を必ず…私が果たします…!」
そう告げる彼女の目には涙が溢れていた。
また急に目の前に風が吹く。きっと違う記憶が目の前に広がるのだろう。
(創世の記憶…?…だが、一体、誰がこれを見せているのか…どんな意味があるというのだ?)
変わる記憶に、ふとした疑問が沸き上がると同時に、隣から声が聞こえてきた。
「私よ。」
声の方を振り返ると、先ほどステルラと呼ばれていた黒髪の紫紺の瞳をした美しい女性が隣に立っていた。
「あ…ステルラ、様…?」
「そう、そう呼ばれていたわ。…何故ここに私が居るのか不思議そうね?貴方がさっき見た通り、私は命を落として肉体と魂が離れたわ。そしてその魂と現在の私の意識が融合した存在が、貴方をこの世界に呼び込んだ今の私よ。」
改めて見れば、隣のステルラも透けて見える。
「魂の存在…。それじゃ俺も…。」
――死んだのですか?
そう聞こうと顔を上げると、
「貴方は違うわ。まだ死んでないもの。完全に魂の存在となったから、自由に空も飛べるし他に移動だってできるけど、貴方はそこから動けないもの。」
確かに移動できない。
透けている足は動かせるが、歩く動きをしても風景が変わらない。今も風が吹き荒れているだけだ。
「ここは精神世界よ。心だけ、魂だけが行き来する世界。貴方の心だけを呼ぶつもりが不幸な事故で魂ごとこの世界に来てしまったみたいね。でも魂はまだ肉体と繋がっているから…多分戻れると思うわ。だからそれまでの間、この世界で起きたことを見て行って。」
ステルラがそう告げると、目の前の風が消えた。
今度はどこかの大広間らしい。
そこには玉座に座る者とその前に立つ2人の人影が見えた。
『陛下、我がラソ教会からの急な謁見の申し出をお受けいただきありがとうございます。』
『…挨拶は良い。それよりも教皇自らが謁見を申し出るなど…魔の者との戦いは10年ほど前に終わったばかりだろう。』
『はい、今代の乙女たちと陛下のお陰で無事に世界は救われました。』
『ならば、暁の乙女…いや今は聖女殿だな。彼女まで連れて一体、何事だと言うのだ?』
『はい、実は…本人が直接お伝えしたいことがある、と仰ったので…ルムア様。』
教皇と呼ばれる者の少し後ろに控えていた女性がすっと前に進み出て顔を上げる。
『お久しぶりでございます。陛下。』
『あぁ、ルムア殿。お元気そうでなにより。して、伝えたいこと、とは?』
『わたくし、身ごもりましたの。』
『…は?…相手は?誰だと言うのだ?』
驚きながらも王が聖女に問うと、んー…と考えた顔をした後、聖女は笑顔で答えた。
『強いて言うなら…神でしょうか。』
元暁の乙女で現聖女のルムアが言うには、ある夜、夢の中で既に儚くなった宵闇の乙女に逢った。そして彼女がルムアに「西の祠で一角獣に逢って」と言われたという。その夢の言葉通りに一角獣に逢いに行くと、一角獣の角と不死鳥の羽を渡され、それを煎じて飲んだところ、子を身ごもったというのだ。
あまりに信じられない話に、ジークリードは隣にいるステルラに尋ねた。
「ステルラ様、これはどういうことなのですか?彼女は嘘をついているのですか?父親は…。」
「居ないわ。彼女は嘘をついていないもの。…彼女はこの世界に『賢者』を産む役割なの。」
「賢者…?」
「そう、賢者。」
女神がそう答えたと同時に、また目の前に風が吹き荒れたのだった。
今度は真っ暗な空間に、女神と2人、それとぼんやりとした明かりの中に、テーブルと椅子が見えた。
「ステルラ様、ここは…?」
「私の空間よ。取り敢えず座って。お話をしましょう。」
女神は椅子に腰かけ、ジークリードを誘った。
「先ず状況を説明するわ。私はステルラ。貴方がさっき見た死んだばかりのステルラであり、違うステルラでもあるの。ややこしいけど…いつもルナティアと逢っていた私とさっき死んだステルラとが融合したのが今の私。」
「…過去の女神様と未来の女神様が合わさった、ということですか?…そんなことが出来るのですか?」
「普通は出来ないわ。そもそもこの空間に他人を呼ぶなんて出来ないもの。」
「ならどうして…」
「妖精のお陰よ。…と言ってもその妖精に力を与えたのはルナティアだけど。ルナティアが妖精に名前を付けて自分の傍を縄張りにしたお陰で、ただの妖精がただの妖精じゃ無くなったの。妖精は妖精王にもなれる器よ。まぁ…ならないと思うけど。」
「…何故、シエルが妖精王にならないと思うのですか?」
「妖精王になるには、もう少し栄養が必要なの。…シエルがルナティアを縄張りとしたことで、彼の命はルナティアと繋がってしまっているの。一度繋がった命を絶つには、その存在ごと栄養にしなければならないのよ。でも、彼はそれをしないでしょう。彼は彼女と命運を共にすることを選ぶと思うから…。…そもそも妖精王は本来、突然変異で産まれるものなのよ?産まれてから妖精王に成長する妖精なんて、少なくとも私が知っている中では見たことがないわ。…と、話が逸れてしまったわね。貴方が先ほどから見たものは私の魂の記憶よ。この世界を作った時のこと、初めて魔族が攻めてきた時のこと、そして賢者が産まれる時のこと…。」
「っ!そうです、賢者。賢者とは一体何者なのですか?少なくとも私が見た王家の記録にはそのような者が居た記録は無いのですが…。」
「賢者は王家の血筋では無いし、そもそも私が勝手に賢者と呼んでいただけだから…。でも、乙女の血筋よ。その中でも莫大な神力を持って産まれる突然変異のことを賢者と呼んでいたの。…乙女の代わりに影ながら世界を魔族から守っていた者たちのことよ。乙女と賢者が同時期に産まれることは本来、無いことなの。たまに伝説に残るような偉業を為した者とかいたでしょう?彼らが賢者よ。」
「…ひとりで敵陣突破した、とか、転送魔法を開発した、とか…?」
「そうね、賢者の所業ね。」
伝説に残る者は確かに居た。それは強さだったり賢さだったり様々だが、確かに記録に残っている。
直近なら…リストランド卿もその部類なのかもしれない…、そんなことを考えていると、女神が話を続けた。
「貴方に見せたのは、ソールの執着を知っていて欲しかったのと、賢者の存在を認識して欲しいからよ。」
「太陽神の執着?」
「そう、貴方はソールの器になる人だから。意識をしっかり持っていないと乗っ取られてしまうかもしれないもの。」
「乗っ取られる?私が?太陽神に?」
「…可能性の問題よ。私もいつも通りに乙女に接点を持ってしまった後で気づいたのだけど、特に今代の宵闇の乙女は神力がとても強いでしょう?間違いなく私よりも…。その上、彼女は私と同じ紫紺の瞳をしているでしょう?歴代の乙女は紫紺の瞳をした者は居なかったわ。…ソールはね、この瞳が大好きなの。だから…もし、彼が彼女を手に入れたいと思ったら…。」
「…私を乗っ取るかも知れない…?」
こくりと頷く。
「…例え乗っ取っても悪い様にはしないと思うけど…貴方自身もルナティアを愛しているのでしょう?傍目には貴方がルナティアを愛しているように見えるけれど、それは本当の貴方じゃない。…それに――」
一呼吸おいて、女神が続けた。
「私自身も、彼が他の女性を愛するのは…これ以上、見たくない、の…。」
記憶の中で一角獣が見せた幻影の、消える寸前の女神の表情と重なる。
(きっと、あの時も…本当は同じ思いだったのだろう…。俺だって、心から彼女を愛したい…)
「分かりました。…私が、気を強く持っていれば大丈夫なのでしょうか?」
「えぇ、えぇ、より強い想いが勝つわ。貴方にとってルナティアが大切なら負けて欲しくないの。」
「大丈夫です。絶対に、この想いは負けませんから…!」
力強く答えるジークリードに、女神は頭を下げた。
「ありがとう、そう言ってくれて…。……もう、そろそろ時間みたいね…。」
「…時間?」
そう聞き返してジークリードは自分の手を見る。
透けていた身体がもっと薄くなっていて体のラインもハッキリ区別が出来ない程だ。
「あの!最後にひとつ。ルナティアの傍に居たからシエルはただの妖精では無くなった、と仰っていましたが、あれはどういうことですか?」
「あぁ、ルナティアはね――。」
最後、女神が言った言葉に驚き、ジークリードは精神世界から消えたのだった。




