襲撃情報
烈火山の麓を通り過ぎると、見計らったように魔物の襲撃が多くなった。
毎日、狂暴化した動物たちに加え、魔物たちも襲って来る。ただでさえ兵を分断したせいで人数が少なくなっている状況で、連日戦闘を続ける兵士たちは身も心も疲弊していた。
援軍がくる、と言われていたが、その援軍もなかなか来ない。
王城付近も魔物が増え、流通に護衛を付けていることもあり、手配がなかなか難しいのかも知れない。
あと、3日ほど馬を走らせればリストランド領に到着できるところまで兵が辿り着いたその日、王城との通信を終えたジークリードが血相を変えて戻ってきた。
「レグ、急いで兵を集めてくれ!動けるもの、傷を負っている者も全てだっ!!」
普段から顔色を変えることが珍しい王太子の表情に、ただ事ではないと察したレグルスが走り出し、周りで各々休んでいる兵たちに声を掛けて回った。
ジークリードの周りに、今いる兵、全員が集まった。ひとりで立つことも出来ない者は、誰かに支えてもらいながら。
周囲をぐるりと見渡した後、意を決した表情でジークリードが言葉を発した。
「今、こちらに大量の飛行魔物の集団が向かって来ている。…王城からの情報で分かった。」
情報を聞いた兵たちは、静まり返った。
頭に包帯を巻き、隣の兵に支えられながら経っている兵の一人が、震える声で尋ねた。
「…大量、とは…どのくらい、なのでしょう…。」
「…闇に紛れていて正確な情報は分からない。ただ、集団だったとしか…。魔物たちは海を越え、王城の上空を、見向きもせずに通り過ぎたそうだ。リストランド領方面に向かっていたのを確認出来たため、俺たちに連絡が入ったそうだ。もちろん、リストランド領にも連絡済みと聞いている。」
「飛行魔物って…もう、これ以上、俺たちにどうやって戦えと言うのですか?!全員、満身創痍です。動けない者を守りながらなんて…っ!!」
悲鳴を上げる者も居た。
膝を折り、絶望に打ちひしがれる者も居た。
意気消沈する者も居た。
兵たちの様子をじっと見つめていたジークリードは目を閉じ、
「すまない。俺に…俺が…力が足りないばかりにお前たちに苦労を…。…だが、何とか防ぎきってくれ。運命だと諦めないでくれ。神を…太陽神を、女神達を…乙女を信じて、俺と共に抗ってくれ…!」
と、頭を下げた。
一同、しん、と静まり返った。
兵たちはみな顔を見合わせている。正直、絶望的な状況には変わりない。だが、自分たちの将が、ここまで共に戦い、身を挺して庇い案じてくれた王太子が頭を下げているのだ。
半ば錯乱状態で戸惑う中、それまで黙っていたルナティアが兵の集団の中で声を上げた。
「皆さんが不安に思う気持ちはあるでしょう。ですが、殿下を…兄を信じてください。きっと神はお守りくださいます。それに――…。」
その場にいた兵たち全員が、ルナティアを見つめている。
ルナティアはまるで心を落ち着かせるように、すうっと息を吸い込む。
――まさか…!!
反射的にジークリード、レグルス、ライラまでもが険しい顔になり、想像したくない『言葉』を思い浮かべた。
ルナティアの一番近くにいたライラが、背後から言葉を遮ろうと手を伸ばしたが、ルナティアはふわりとそれを躱す。躱された瞬間、ライラとルナティアの視線が交じる。ルナティアのその目は謝罪の色が含まれていた。
前方からレグルスとジークリードも駆け寄ろうとするが、密集する兵たちが邪魔でうまく辿り着けない。
「ルナティア、駄目だ!!!」
「頼む、言うな…!!」
人目も憚らず、大声を上げる2人を一瞬、兵たちが振り返る。
少し離れたところから大声を上げる2人にも視線を向け、謝罪と慈愛の色を含んだ眼差しで微笑んだ後、
「――それに、ここには乙女が居るのです。私が守ってみせます。」
と、自身の襟元を広げ、胸元に刻まれた『宵闇の紋』を見せた。
紋を目の当たりにした兵たちは、息を飲んだ。そして、息を吹き返したかのように歓喜の雄叫びを上げ始めた。
「なんとっ!俺たちには乙女が同行していたのか!」
「女神様の代行者、宵闇の乙女に勝利を!」
「女神様と共に…!」
兵たちが精神を立て直し歓喜に震える中、ジークリードとレグルス、ライラだけが呆然と佇んでいた。
それからの兵達の動きは速かった。
『乙女を守る』
その一点で気持ちを立て直した兵たちは、自分に出来ることをそれぞれに探しながら、飛行魔物の大群が襲って来る準備を進めていた。
あの後、ルナティアはレグルスに叱られライラには泣かれた。
二人が何故叱り泣くのか、理由は分かっている。乙女であることを明かしたことにより、強制的に祈りの塔へ送還され、祈りを捧げることを強要されるかも知れないからだ。
一応、ジークリードによって兵たちへ口留めはした。勿論、レグルスもした。だが…情報は何処から漏れるのか分からない。もし、クレオチア大国の貴族に知られることがあれば、より強い祈りを求められ暁の乙女と2人、祈りの塔に閉じ込められてしまうかもしれない。そしてそれは、宵闇の乙女の寿命を削ることに直結するのだ。
そんな中ジークリードは、叱りも責めもせず、黙々と戦闘準備の指示に明け暮れていた。
「…何故、なにも言わないんだ?」
レグルスが指示をしているジークリードの隣に来て問う。
しかし返事は無かった。
「何で何も言わない?ジークはルナが心配じゃないのか?それともやっぱり王太子としての――」
「心配に決まっている!!
言葉を遮り、ジークリードが声を荒げた。
「心配しない訳がないっ!俺だってあんな公表、させたくは無かった、だが…俺はルナティアの気持ちを尊重すると約束をしたから…―」
「…尊重した結果、歴代の乙女と同じ道を歩むことになったとしても良いと?」
「そうじゃない!そんなこと、考えたくもない。だが…ルナティアの言葉で…間違いなく戦い抜く気持ちが強くなった者たちが居ることも事実だ。そう考えると…感謝こそすれ責めることなんて…出来ない。」
戦闘において気持ちの強弱は、肉体的なそれよりも勝敗に大きく作用する。それが肉体的に劣っていないのなら尚更だ。
今回ジークリードと共に選抜されたメンバーは、王城騎士団の中でも腕利きの猛者たちで、気持ちが負けさえしなければ、例え数で劣っていたとしても十分に戦えるはずなのだ。
実際、ルナティアが乙女であることを明かしたことで、どん底まで落ち込んでいた兵たちの士気は上がった。王族は勿論だが、それ以上にこの戦いに重要な乙女を守らなければならない、という使命に全員が燃え上がっている。そう考えると、ルナティアの発言は決して間違いではなかった。だが、兵の士気より、何よりもルナティアを護ることを一番に考える者たちにとっては、本意ではない発言なのだ。
黙々と戦闘の準備を進めるジークリードに向かって、レグルスが言う。
「…だけどそれは…ルナの犠牲の上に成り立つ可能性が高くなるよね?…乙女としての矜持を求められたらルナはきっと受け入れるだろう。それすらも覚悟して明かした筈だよ。」
「…そうだろうな。…だが少なくとも今のままではルナティアを護ること自体が困難になってしまう。…ルナティアは弱っている者を見捨てて生き延びようとするような令嬢ではないだろう?彼女は自分が犠牲になったとしても弱っている者を守ろうとするはずだ。例えその結果が、共倒れになったとしても…。」
「…。」
「弱っている兵たちではルナティアは守れない。だが、乙女であることを明かしたことで兵たちの士気は上がり、兵たちがルナティアを守り、ルナティアが兵たちを守るという相互扶助が成り立つはずだ。そうすることでより彼女の安全が守られる…はずなんだ。」
「…だけど、目先で守ることが出来たとしても、祈りの塔へ連れていかれたら…。」
「レグ。俺は今までもこれからも、ルナティアを大国に…いや世界に渡すつもりはない。それで俺自身が裏切りや狂乱、と捉えられたとしても違える気はない。…俺の全てを掛けて護り抜くだけだ。」
自身の手を見つめながらジークリードが力強く決意を言う。
レグルスだって同じだ。例え、父と対立することになったとしてもルナティアを護ることが最優先だと思っている。
「…分かったよ。ジークの気持ちも。…信じるよ、ジークのその決意。」
ぽん、と軽くジークリードの背中を叩く。
「よし、先ずは目先の襲撃に備えないと。ケガ人は隔離で良かったよな?隔離はルナに任せていいよな?土属性は今はルナしか居ないし…。ついでにルナも一緒に隠れてくれたら良いけど…無理だろうなぁ…。」
そう言いながら、ルナティアが待機するテントへとレグルスは向かって行ったのだった。




