気持ちの尊重
崩れ落ちるルナティアを抱きとめたライラは、ルナティアをベットに寝かせた後に、報告の為にとテントの外に出ると、目の前には傷ついた兵士たちが多く横たわっていた。
外で起きていたことが分からないライラが、その光景に驚きつつもレグルスを探すと、少し先で傷ついた兵士たちを治癒しているレグルスの姿を見つけた。
「レグルス様っ!これは一体…、何があったというのですか?!」
「ライラ?ルナは…ルナはどうした?!」
「あ…ルナティア様は無事です。今はお疲れで眠っておられますが…。それとルナティア様からのご伝言です。「オリガル様達は無事に公国へお着きになられました」と。」
「そうか。…良かった。」
ホッとした顔をしたところに、ジークリードが現れた。ライラは膝をつき、頭を下げる。
「何が良かったのだ?」
「ルナがオリガルを助けたって話。オリガルは公国に無事着いたって。」
「…そうか…で、ルナティアはどうした?」
ジークリードの問いに、ライラがちらりとレグルスを見る。レグルスが頷くと、頭を下げたままライラが答えた。
「お嬢様は…かなり魔力を使用したようで役目を終えた後、私に伝言を依頼しお眠りになられました。」
「っ!大丈夫なのかっ?!」
報告に顔色を変えたジークリードに対し、レグルスが肩を叩く。
「ジーク、ただの魔力消耗だ。魔力枯渇をしている状況ならライラがこんな冷静に報告に来る筈が無い。だけど…遠隔で魔法を使うのは、ルナティアの膨大な魔力を使い切るほど大変ってことなんだね。…となると、他の人に渡した魔石が使われると困るな。」
レグルスが心配そうに呟くと少し落ち着いたジークリードが答えた。
「いや、多分だが…ルナティアは今日、完全防御魔法を付与した魔石を4つ作り、神鳥様の飛行時に風魔法で防御壁を作って、先ほどは遠隔で魔法を使い続けたんだ。祠の中の時間軸が違うせいで、俺とルナティアはファケレ国を出てから1日しか経っていない。だから魔力の回復がされていないってことなんじゃないか?」
確かに。
レグルス達は、ファケレ国を出て約2日経っているが、祠に入っていたジークリードとルナティアは時間軸の異なる祠の中で過ごしたため、寝ていない。レグルスにとって昨日の出来事が、ルナティアにとっては今日の出来事なのだ。
「そう…か。それは魔力を消耗しても仕方ないな。あんなに大変な魔法を立て続けに使ったんだから。…気休め程度にしかならないけれど、回復魔法を掛けておこうか。…ライラ。」
「はい。」
「ルナティアの所へ行くよ。ついでに目くらまし魔法を解いておかないと。…ジークも来る?それとも休む?」
「行く。こんな状態じゃ休める訳ないだろ。」
「あはは、確かに。」
そう言いながらライラと共に、2人はルナティアが眠るテントへと向かったのだった。
テントに入ると、ルナティアはベッドの上で眠っていた。魔力をかなり使ったのだろう、額に少し汗が滲み、顔色もあまり良くない。
「レグ、ルナティアは魔力を使いすぎて疲れて眠っているんだよな?それなら一角獣の涙の粒を使うぞ。」
「え、でも、ルナ本人が使うなって言っていたはずじゃ――」
「だが、ルナティアは多分、危険な状態でも使うなと言うんじゃないか?」
「それは確かに。僕としても使ってもらえるのは嬉しいけど…目覚めたらルナは怒らないかな?」
「…1つくらいなら大丈夫じゃないか?元々ルナティアは魔力量が多いし…。何より、涙の粒1つでどの程度回復するのかも確認出来ていない。これは涙の粒の効果と回復量の確認のための使用だ。」
「そうだな、確かに確認は必要だね。」
レグルスが眠るルナティアの脇に立ち、眠ったままのルナティアを抱き起こして支える。反対側にまわったジークリードがルナティアの頬を押さえ、一角獣の涙の粒を1つ取り出して僅かに開いた口の中へ粒を入れ、すかさず水を少し流し込んだ。
ルナティアの喉元がコクリと動くのを確認した後、ゆっくりとまた横に寝かす。
暫くすると、額に滲む汗も出なくなり、寝息は穏やかなものになっていった。
「…どのくらい回復したんだろう?」
「さあな。回復したのが分かれば十分だろう?ルナティアの魔力量は多いから、完全に回復するには1つじゃ足りない、と言いうことだけ分かれば十分だ。」
表情を緩めジークリードは立ち上がった。
「…じゃあ俺は行く。レグも…心配なのは分かるけれど、まだ兵士の治癒が済んでいない。ここはライラに任せて俺たちは戻ろう。」
「…はぁ…、分かったよ。ライラ、何かあったらすぐに連絡を。」
そう言って2人はテントを後にしたのだった。
翌日、と言ってもあたりは薄暗い。
兵士たちは前日の戦闘の疲れもあり、見回りの兵士以外のほとんどは、昼の時間まで休んでいた。
まだ兵たちが休んでいる午前中のうちに、レグルスがルナティアのテントを訪ねて来た。
「ルナは?起きた?」
レグルスの問いに首を振りながらライラが答える。
「いえ、まだ…。」
「そうか、思っていた以上に魔力消費をしていたんだな…。そう言えば、昨日はバタバタしていて簡単にしか状況を聞けなかったけど、出来る範囲で構わないから説明してくれないか?」
ライラは頷き、昨晩のことを話した。勿論、ライラ自身、戦った訳でもないので、ルナティアがオリガル達に向けて話していたことから得られる情報しか伝えられないのだが…。
オリガル達が船上で飛行魔獣に襲われたらしいこと、公国に着くまでルナティアがこの場から魔石を介して完全防御魔法を掛け続けたことを話した。
「遠方から魔石を介して魔法を掛けること自体、普通の魔法士には出来ない。完全防御魔法だって、土魔法と風魔法を使える者の中で更に一部しか出来ない上級魔法だというのに、それを掛け続けるなんて…だけど、その無茶のお陰でオリガル達が助かったのは確かなんだよね。でも…ホント、どうしてこうも無茶ばかりをするんだろ…。」
レグルスが言うのを、ライラはただ黙って聞いていた。
「…そろそろ戻らないと。ライラ、さっきのことは僕からジークに伝えておくよ。それから昼過ぎにはここを引き払う予定だから、後でテントの片づけの兵を寄越すよ。それまでにルナの準備も宜しく頼む。」
テキパキと指示をして、レグルスはテントの外へと出て行った。
それから2時間ほど経った頃だろうか、何人かの兵がテントを訪ねてきて、荷物を外に出し、テントの片づけを始めた。
後はルナティアが寝ているベッドを片付けるだけとなり、寝ているルナティアを移動させようと兵士が抱きかかえた所に、ジークリードがやってきた。
ライラが先導して、ルナティアを移動させている様子を目にしたジークリードは、抱きかかえる兵士の元へ行き、
「俺がやる。お前はベッドを片付けろ。」
と告げ、奪うようにルナティアを抱きかかえると、足早に歩きだした。
「あ、あの…殿下。お嬢様を何処へ…?」
予定外の方向に歩いて行くジークリードに、慌てて後をついて行きながらライラが尋ねる。
「俺の側近の命の恩人を置いて行くわけにいかないだろう?このまま、俺の馬まで連れて行く。」
レグルスから状況を聞いたのだろう、振り返りもせずにすたすたと歩いて行く。
「で、ですが、殿下自らお連れしなくても…。」
恐れ多いとは思いつつも、ライラが言葉を発すると、ぴたりと足を止めたジークリードが振り返った。
「ならば誰が連れて行くというのだ?…ライラ、お前が?悪いがお前の馬捌きではルナティアを連れての移動は無理だ。…それともさっきの兵か?」
表情は無表情で感情の読み取りがしにくが、明らかに声に怒気が含まれていると感じたライラは、どう答えて良いか分からずに困っていると、
「ジーク。」
と、前方から来たレグルスが声を掛けた。
その声にも僅かに怒りが含まれているようにライラには聞こえた。
レグルスが来た方に身体を向き直したジークリードが淡々と答える。
「レグ…。何だ、何か用か?」
ジークリードの後ろに立つライラからは、その表情は見えない。
ちらりと少し前に立つレグルスの表情を覗き見ると、レグルスは、一瞬、ライラと目を合わせた後、ジークリードを見て言った。
「ジークこそ、何をしているのさ?」
「ルナティアを俺の馬で移動させる。」
ジークリードの言葉に、レグルスが盛大なため息を吐いた。
「はぁぁ…。自分が何をしているのか分かっているのかい?」
「…。」
「ライラ。」
「あ…はいっ。」
「ルナの荷物を取りに行ってきてくれ。この感じではどうせ、途中なんだろう?荷物をまとめたら、あっちの…岩が見えるかい?あの先に少し開けた場所があるからそこに行って待っていてくれ。」
「…で、でも…。」
「大丈夫、ルナは僕がちゃんと連れて行くから。」
前に立つジークリードの後ろ姿をもう一度見る。
レグルスが『僕が』と言った時、一瞬、ピクリと動いていたが、それ以外は微動だにしていない。
その後もう一度、レグルスを見ると、にっこりと微笑んでいた。…微笑んではいるが、有無を言わせない圧を感じたライラは、
「…かしこまりました。では、お嬢様をお願いいたします。」
と、深々と頭を下げてテントのあった方へ戻って行った。
「さて…ジーク。何がどうしてこうなったのか、説明してくれるかな?」
ルナティアを抱きかかえたままのジークリードのすぐ前まで来てレグルスが聞くと、目を閉じて少し落ち着いたらしいジークリードが少しずつ話し始めた。
一通り話を聞いた後、また、レグルスは盛大なため息を吐いた。
どうやら兵士に抱きかかえられるルナティアを見て、咄嗟に出た行動のようだ。
「いつも冷静なクセに、こういう時は冷静では居られないんだね。…取り敢えず、ルナは僕が預かるよ。」
そう言ってレグルスがルナティアを受取る。ジークリードはやや渋々といった感じではあったが、ルナティアを引き渡した。
「ジーク、僕が君の気持ちに気付いていないとでも思っていたのかい?」
「…。」
「確かに君はルナのことを妹のように可愛がっていたと思う。だけどそれは姫殿下に向ける眼差しとは別のものだ。それでも君が妹を大切に思ってくれているのには変わりないと思って見守っていた。この旅の間だって、君がルナを気にかけていることは共に過ごした兵達みんなが知っている事実だ。だがそれは、あくまでも親友である僕の妹を気にかけている範疇だった。そんな中、僕が居るのにもかかわらず、君がルナティアを抱きかかえて移動なんてしたら、兵士達はどう思う?…間違いなくルナを王太子妃候補だと思うだろう。そうなったらルナはもう役目から逃げられないじゃないか。…頼むから外堀を埋めるようなことは止めてくれ。」
「…。」
「…ジーク、僕は君のことを信頼に足る主だと思っているし、それ以上に大切な友人だと思っている。ひとりの男として見た時に、君以上の男はそうそう居ないと思う。だけど、君は一国の、いやこの世界で一番の力を持つ大国の王太子であることも事実だ。ルナが君を選んだ、というなら僕は何も言わない。…いや寂しいから一言くらい言うかもしれないけど…、だけどルナの気持ちを確認していないなら話は別だ。ルナは幼い頃から色々と我慢を強いられてきた。君もそうだと知っているけれど、王族のそれと貴族のそれは違うだろう?今だってそうだ。こんな役目、放棄すればいいのに、そうすればこんな戦場に来ることも無いのに…。…話が逸れたな。とにかく僕は、ルナの選択肢の幅を狭くするようなことはしたくない。だから周りに誤解を与えるようなことは――。」
「分かった。」
「え?」
「分かった、と言った。…すまない、レグ。俺だってルナティアの気持ちを優先したいと思っていたのに…。倒れた理由を聞いて…、他の男(兵士)の腕の中に居る姿を見てつい…。」
「…いや、分かってくれたなら良いんだ。僕こそごめん。ここが王城だったら、僕は間違いなく不敬罪だな。」
「だとしても、俺がそうさせないさ。お前は俺を正気に戻してくれたんだから、感謝こそすれ、だ。」
2人は目を合わせて笑いあっていると、もぞもぞとレグルスの腕の中でルナティアが動きだした。
「あれ?…ルナ?起きたの?」
「ん…ぅん―?…お、にいさま?」
「うん、おはよう?」
「おはよう、ございます…?あの、兄様?どうして私、抱きかかえられているの?」
「魔力を消耗し過ぎて、ずっと眠っていたんだ。」
抱きかかえられるルナティアを覗き込みながら、今度はジークリードが答える。
「え、うわっ、で、んか?…ちょ…、お、お兄様、下ろして。」
バタバタと慌ててレグルスの腕の中から抜け出ようと動くルナティアに、笑いながらレグルスはゆっくりとルナティアを下ろした。
降りたルナティアの前にジークリードが改めて片膝をつき、片手を取って甲に口づけをした。
「ルナティア、君のお陰で俺は側近を無くさずに済んだ。心から感謝する。」
手の甲へのキスをされたことの無いルナティアは、顔を真っ赤にして口をパクパクさせながら隣に立つレグルスに助けを求めた。
レグルスはそんな妹を楽しそうに見つめながら、
「僕も、感謝しているんだ。ありがとう、ルナ。」
と、反対側の手を取り、甲に口づけを送ったのだった。




