僅かな齟齬と記憶
あまりにも強い光に目を開けていられなかったジークリードは、何があっても決して離れることにないように、咄嗟にルナティアを抱き寄せた。
強い光が段々と和らぐと、2人はゆっくりと目を開けた。抱き合ったままの2人は、お互いの視線が交差したことで現状に気づき、慌てて離れた。
「すまない。こう…光に包まれるときは離れ離れになることが多かったから、つい。」
「い、いいえ、確かに離れ離れになることが多かったかもしれませんね。…こんなところで一人っきりになるのは流石に不安ですもの…ありがとうございます。」
恥ずかしそうにルナティアが頬を染めて答えると、それを見たジークリードが顔を背けた。
少ししてお互いに気持ちが落ち着いてきたころ、改めて周囲を確認すると、そこは真っ白い壁に包まれた部屋の中のようだった。だが、家具らしき者も何も見当たらない。
「ここは一体何処なのでしょうか…。」
「…押した宝石のようなものにココへ飛ばされたのだろうか。それにしても先ほどの祭壇にも何もなかったし、ここも全くと言って良いほど何もない。そもそも西の祠は一体何のための祠なのか…神鳥様に聞けば…いや、聞いたところであの様子では答えてはくれなかっただろうが…。どう言えば、妖精は何か言っていないのか?」
「それが、傍に居ないようなのです。…さっきの祭壇に置いて来てしまったのかも…。」
どうしましょう、とルナティアが不安気な顔をする。
「そう、か。でも妖精なら大丈夫だろう。しかしただボーっとしていても仕方ない、見えないだけで何か手掛かりがあるかも知れない。取り敢えず周りを探してみよう。」
頷きあい、2人で手がかりを探し始めようとした瞬間、急に背後に気配を感じた。
誰も居なかったはず…と、ゆっくり振りかえるとそこには、額から角の生えた真っ白い馬らしきものが立っていた。
無意識にルナティアを背に庇いながらジークリードが呟く。
「…一角獣か…?一体、何時の間に…。」
すると、目の前の一角獣は足を折り、まるでお辞儀をしているかのようにジークリードに向けて頭を下げた。
『ようこそ、太陽の子孫様。そして我が友よ。無事に逢えたことを嬉しく思います。』
直接、脳に響くその声は、とても穏やかな心地よい音だった。
「…西の祠では貴方に逢うことが目的、なのでしょうか。…私達は不死鳥(様に「西の祠に」と言われてきたのですが…。」
心地よい音に絆されまいと首を振り、心を落ち着かせてジークリードが聞いた。
『ええ、私と逢うのも目的、ですね。』
「…逢うのも…?それはまるで、他にも目的があるように聞こえますが?」
その問いに、一角獣は、ジークリードの背後にいるルナティアをじっと見つめている。その視線は懐かしむような優しいものだった。
視線に引き寄せられるようにルナティアが姿を現し、一角獣へと近づく。
「ルナティア?!」
ジークリードが掛ける声も、どこか遠くから聞こえるような気がする。
(こんな感覚は初めて…。本で一角獣を見てもこんな感情にならなかったのに…不死鳥様や神鳥様の時も、…こんな…こんな…)
ふらふらと一角獣に近寄り、目の前まで行き両手を広げる。まるでそうしていたかのように…。すると一角獣も、肩に縋りつくように首を下げた。その首をゆっくりと抱きしめ、
「…アミー…。」
と、呟いた。
ルナティアは自身の呟きにハッとして、慌てて一角獣を抱く手を離した。
「あ…私、一体何を…?」
自分の両手と目の前の一角獣を交互に見つめた後、自分の頭を両手で抱え、その場にしゃがみ込んで小さな叫びを上げた。
「分からない…!何、これ…。何の記憶なの?!…アミーって…誰?!」
「ルナティアっ!大丈夫か?何があった?」
急にしゃがみ込んで混乱しているルナティアに駆け寄り、ジークリードが背をさする。
「分からない…何で私は…、…知っているの…?」
ルナティアが顔を上げると、目の前に心配そうに覗き込む一角獣の顔があった。その顔に再度手を伸ばす。一角獣は撫でて欲しいのか、目を閉じて鼻を突き出した。その鼻を撫でていると段々と落ち着いきた。
(この感触を、私は…記憶している…でも何故…)
『それは…貴女が月の女神の現身だからですよ。』
ルナティアの疑問に答えるように、一角獣が急に話した。
「え、どうして疑問が…?いえそんなの関係ないわ。…月の女神…って、神鳥様もそのようなことを言っていたけれど…。私は人間よ?多分、違うと思うわ。」
『いいえ、貴女は歴代の現身の中でも特に近しいようです。…もしかして…月の女神と…逢ったことがあるのでは?例えば、夢の中で、とか…。』
「…多分、無いと思うけど…。夢の中でも神様とお逢いしたのは、女神様としか…。」
ルナティアの呟きに、今度は一角獣が一歩下がって首を傾げた。
『どうも認識に食い違いがあるようですね。月の女神がステルラ様なのですが…。そもそもですが、月の女神と太陽神の話はご存じ?』
「?…いいえ。太陽神と陽の女神、闇の女神の話なら知っていますけど…。」
答えながらルナティアがジークリードを見る。ジークリードも同意するように頷いた。すると一角獣は大きなため息を吐いて、
『どうやら人の世界では、異なった伝説が伝わっているようですね。』
と、言った。
「異なった伝説、ですか?」
『ええ。…少し長くなりますが、創世の神々の話をしましょうか。恐らくそれも私の役目でしょうから…。』
そう言ってその場に座り、一角獣が話してくれた内容は、伝えられている歴史と微妙に異なるものだった。
―――この世界の始まりに、ひとりの男神とふたりの女神が居た。
男神は太陽を司る神、女神は月を司る神と陽の女神だった。
月の女神は太陽神と対の存在で、太陽神の最愛の妻だった。陽の女神は太陽神の同士で、陽の女神にとっても月の女神は特別な存在だった。
3神は、仲睦まじく地上で人を導きながら暮らしていたが、ある時、別の世界に住む魔族がこの世界を…というか正しくは、月の女神を奪おうと攻撃をしてきた。闇に巣くう者達にとって、夜の暗闇を照らす穏やかな存在は憧れでもあったのだ。
愛する妻、愛する親友を渡すまいと太陽神と陽の女神は月の女神を隠し、2神で魔族と対峙をするが、陽の女神の神力はそれほど強くはなく、太陽神ひとりの神力では魔族を追い払うことは困難を極めた。
一旦は大人しく隠された月の女神だったが、共に戦おうと、自身の持つ膨大な神力を惜しむことなく太陽神と陽の女神に差し出した。それによって無事に魔族を退けることが出来た。だが、ほとんどの神力を2神に渡してしまった月の女神は、最後の神力で自身の化身を天に作り、ただ人となり寿命を終えた。
最愛の妻と親友を失った太陽神と陽の女神は、悲しみに暮れていたが、月の女神が隠されていた先で仕えていた者からの言伝を聞き、その遺言を守るため、その後夫婦となり地上を治める子孫を作った。子孫には僅かな太陽神の力が受け継がれた。僅かではあったが太陽神の力を持つ子を産むことに耐えきれなかった陽の女神は、子孫を産んだ数年の後、お隠れになった。太陽神は子孫が成長するのを見守り、月の女神と同じように自身の化身を天に作った後、自身を地上を守る剣に姿を変え、今も妻や同士が愛した地上を守っている―――
『――以上が創世の神々の話です。』
一角獣の話を聞き終えた2人は、暫く呆然としていた。
「そんな…言い伝えられていたことと事実が…微妙に違うなんて…。」
言い伝えでは、陽と闇の女神2人が太陽神の妻、と言われていた。だが一角獣の話の通りなら、最初の妻が闇の女神で、闇の女神の遺言で陽の女神が太陽神の妻になったことになる。その上、闇の女神では無く、正しくは月の女神だという。
『確かに微妙な違いがあるようです。些細な事かも知れませんが、この先で手にするはずの、太陽神の剣にとっては大きな違いがあるのです。…今まで、太陽神の剣を手に入れようと辿った者の中に、女神の現身は居ませんでした。居たのは太陽神の子孫様だけ。それならば些細な違いでも問題ないと思いますが――』
「彼女が居ることで、些細な違いが問題になると?」
『ええ。太陽神にとっては月の女神は最愛の妻だったのです。その最愛の妻の現身に間違った愛情が伝えられていると知ったら…きっとお嘆きになられるでしょうから。』
「なるほど…。だから正しい情報を…。でも、どうして過去の子孫にはその話をされなかったのですか?話していただいていればもっと前から史実が変更になっていたのではと思うのですが…。」
『それが…彼らには…私が見えなかったのです。勿論、話すことも出来ませんでした。』
「何故…?」
『私は月の女神の神獣、不死鳥は陽の女神の神獣です。子孫様は太陽神と陽の女神の血筋ですから、2神の神獣の姿を見ることや声を聞くことが出来る者も居たかも知れませんが、月の女神とは接点がありません。故に私の姿も声も聞くことが出来なかったのです。それに、何より一刻を争う状況でそのような話をする者も居なかったのでしょう。』
「確かに、そんな状況ではないですね。分かりました。…ここで伺った話は、必ず史実を変えるためにお伝えします。」
『ええ、頼みました。…ところで――』
話が一区切りつくと、一角獣がルナティアに向けて声を掛けた。
『ルナティア様、と仰いましたね。』
「え?あ…はい。」
『やっと、お逢いすることが出来ました。…何処となく月の女神様に似ておられる。』
嬉しそうに目を細めて言う。
「女神様に、ですか?…そんな、恐れ多いことです…。」
『恐れ多いなどとご謙遜を…。確かに月の女神様は、漆黒の御髪でしたが、貴女様と同じ紫紺の瞳をされておりました。その御髪も女神の化身たる月の輝きのようでお美しい。』
一角獣のあまりの誉め言葉に、恥ずかしくなり段々と肩をすくませていると、急に声のトーンが下がり始めた。
『実は…月の女神がお隠れになられてから…一度も…一度たりとも…私は現身の方どなたとも、お逢いすることが出来なかったのです。…魔族の封印の祈りの時、人の目には見えませんが、太陽神とその神獣の龍と共に私たちも一緒に祈りの場へ行くのですが、いつもそこで見られるのは、子孫様と陽の女神の現身の方だけ。そこには確かに月の女神の神力を感じるのにお目見えすることが出来なかったのです。それが、…今代でやっとお逢いできて、本当に、本当に嬉しい…。その上、「アミー」と名を呼んでいただけて…こんな嬉しいことはない…。』
そう言いながら、一角獣は涙を流した。
流れた涙はやがて丸い粒となり、カツンと音を立てて、床にパラパラと散らばった。
『…申し訳ございません。嬉しくて流す涙など何時ぶりでしょう。…いつもは悲しくて寂しくて流す涙でしたから。…と、いけませんね。話が逸れてしまいました。その涙の粒をお持ちください。』
「これを…?」
床に落ちた夜空に浮かぶ月のように輝く涙の粒を拾いながら、ジークリードが聞く。
『ええ、涙の粒は色々と役に立ちますので…。例えば、神力が枯渇しそうな時に飲みこむと神力の補充が出来ます。』
「…神力…ですか?」
『えっ?!…神力をご存じない?…お2人ともお持ちのようですが…。…ルナティア様は風と土がお得意なようですね。子孫様は…炎と雷、でしょうか?』
一角獣の言葉に、2人が顔を見合わせる。
「…魔力のことでしょうか…?」
「みたいだな。」
『…今は「魔力」、と呼ぶのですか?あまり良い響きではございませんね。魔族の使う魔力とは全く異なる性質なのに…。』
不満気に一角獣が言う。想像よりも感情が豊かだ。
神力と魔力の違いについて説明を聞いたが、どうやら人に判別するのは難しいようだ。
「因みに、ですが…、魔力を持っている人が一角獣の涙を飲むとどうなるのですか?」
『魔族や魔物が飲むと苦しみ弱ります。勿論、魔力は回復しません。人で魔力を持つ者の場合は、魔族ほどではないと思いますが少し体調を崩すかもしれません。人になら使ってみるのが一番だと思います。神力が回復すれ良し、回復しなくとも少し怠さが残る程度だと思います。』
「人に悪影響はない、と思っても?」
『ええ。人である限りありません。』
「分かりました。…全て有難く頂戴いたします。」
手に入れた涙の粒を入れた服を持ち上げながら、ジークリードがお礼を言った。
満足気に目を細めた一角獣は、
『多少、時間に余裕が出来た、と言ってもあまりゆっくりは出来ませんから…先へ案内しましょう。ついて来てください。』
そう言って踵を返した。
2人がついて行くと、来た時とは全く異なった道を通って、祠の出入り口に辿り着いた。
『この先の明かりを目指して進めば外に出られます。お仲間もきっとそこで待っているでしょう。後はお導きの通りに…。ところで…ルナティア様。』
「っ!…はい。」
急に呼ばれ、驚きつつ返事をすると、一角獣は首をルナティアの肩に摺り寄せながら
『最後にもう一度、私を名前で呼んでくれませんか。』
「そ、れは…。恐れ多いこと…で…。」
一歩後ずさりながら答えるが、一角獣の懇願するようなキラキラした訴える目と視線が合ってしまった。
(か、可愛い…)
目をギュッと閉じ、抱き着きたい衝動に駆られながらも、グッと気持ちを抑える。抑えながらゆっくりと目を開け、
「う…。そ、それじゃあ…。「アリー」元気で。ありがとう。」
上目遣いになりながら、ルナティアが頬を赤く染めて言うと、本当に嬉しそうに目を細めて
『はい…!貴女様にご加護を…。…ルナティア様のご無事を心からお祈りしております。』
と、言って見送ってくれた。
洞窟の中で一角獣と別れ、明かりを目指して外に出ると、出入り口から出てきたジークリードを見つけたレグルスが駆けてきて、飛びついた。
「無事で良かった…」
そう言いながら、後から出てきたルナティア共々、抱きしめた声は、涙声だった。




