魔石の浄化
――大国の祈りの塔――
「久しぶりですね、リリー。」
「教皇…様?どうして、ここに…?」
2日前、ここ祈りの塔に連れてこられてから、暁の乙女は彼女の世話をするヘレンと数名の侍女としか会えていなかった。
懐かしい顔に破顔で駆け寄る。
「お会いできて嬉しいです。…乙女として祈らなければならないのは分かっていますが…ひとりは寂しくて…。」
そう言って口を噤む。
(良くも悪くも『人』が好きな子だから寂しいのだろう。さて、どうやって宵闇の乙女のことについて伝えるべきか…。見つかったことは喜ぶだろうが、共に祈れないことについては落ち込むか、それとも反発するか、それを見極めなければ…。)
リリーを見て微笑み、少し考えてから教皇は話し始めた。
「実は『神託』を受けましてね。大国へご報告に来たのです。」
「えっ…神託ですか?凄い!滅多に受けれないことではないですか。教皇様は流石ですね。それで…どのような神託なのですか?」
「…乙女と祈りについてですよ。」
「それでは、宵闇の乙女も見つかったということですか?何方が?やはりジュリアさん?ライラさん?それとも私の知らない闇属性の人?」
リリーの表情が、明らかにぱぁっと明るくなった。
「…名は明かせません。」
教皇がそう告げると、明るくなった表情が、一気に不安に満ちた表情へと変化する。
「どうして?一緒に祈ってくださるのでしょう?」
「…共には…祈りたくても、祈れないのです。」
「それは…どういう…?」
教皇は言葉を選びながら、宵闇の乙女は、祈りだけでなく、別に試練を告げられたことを『神託で告げられた』こととして伝えた。貴族達に伝えたことと差異がないよう、後々、辻褄が合わなくならないように…。
聞き終わったリリーは明らかに落ち込んでいた。
「…一緒にここで祈ってくれると思っていたのに…。ひとりじゃ、寂しいです…。」
共に祈ることで宵闇の乙女の命を削ることになってしまうことを知らないリリーはただ寂しそうに呟いた。
「…ここに来てから、誰も会いに来てくれないんです。知り合いも居ないし、ジークも連れてきた時だけ。乙女は大切にされるものだと思っていたのに、ここから出してもらえなくなるなんて思っていなかった…。」
「リリー…。…殿下は太陽の剣を探しに旅立たなければなりません。その準備でお忙しい。でも、旅立つ前にはきっと来てくださるでしょう。それから、塔から出れないことについては、ここが一番安全ですから貴女の身の安全のために――。」
「それは分かってます!分かってるけど…理屈じゃないんです。」
両手をギュッと握りしめて俯くリリーにどう答えるべきか考えていると、
「失礼する。」
背後から声が聞こえた。
二人が振り返ると、そこには陛下が立っていた。
慌てて二人が頭を下げる。それを見てにこやかな笑顔を作りながら陛下が近づいて来た。
「そう固くならなくても良い、暁の乙女。…名は…リリー嬢、でよかったかな?」
「あ、はい。リリー・グレシャと申します。」
「うむ。…すまないな、このような場所に閉じ込めるようなことをして。だが、魔族にとって乙女は最大の障害であると同時に手に入れたい存在でもあるのだ。そんな乙女を守るには、厳重な結界が必要となる。…なるべく早く乙女が解放されるように、1日も早く王太子が太陽の剣を手に入れるよう、最善を尽くすつもりだ。それまでは耐えてくれないだろうか。」
「…乙女が魔族たちの障害であることは理解していますが、手に入れたい存在、とはどういうことでしょうか。」
「正直、魔族の考えは分からないが…歴代の乙女を手に入れようとした痕跡があるようなのだ。」
「そうなのですか?でも、それじゃあ、宵闇の乙女が試練でここから出て祈るのも危険なのでは?」
「知られれば、な。幸いにも宵闇の乙女が誰か、一見では分からない。…紋も普通に服を着ていれば隠せるからな。だから暁の乙女で無く、宵闇の乙女に試練を与えたのだと思う。」
「…だから、名も明かせないし、ここで共に祈れない。…私にも会いに来てくれない、ということですか…?」
段々と俯いていくリリーを見て、少し間をあけて陛下が優しく声をかけた。
「先ほど、理屈じゃない、と言っていたな。」
「あっ、あれはっ…!」
「いや、良い。本音だろう。ひとりは確かに辛い。こちらの配慮が足りなかった。…そうだ!君が寂しくないよう君の友人をここに招くのはどうだろう。祈りの時間以外を共に過ごせる人は必要だろう?」
「…私の友人…?」
「あぁ、勿論、相手に承認をもらえたら、だが…。誰か希望は居るかな?出来れば複数人上げてもらえると交渉しやすいのだが…。」
陛下の言葉に、リリーは少し考えてから頷き感謝を述べた。
その様子を確認した陛下は、後で連絡をもらう約束をして、塔を後にした。
「取り敢えず貴女がひとりにならなくて良かった。」
ホッとした優しい表情で教皇が言うと、だいぶ落ち着いたのか、申し訳なさそうにリリーが謝った。そして、改めて教皇に聞く。
「随分と話が逸れてしまったけど、乙女が共に祈ることが出来ないと、闇は濃くなるばかりなのでは?どうやって祈りで闇を薄れさせるのですか?」
「貴女だけが祈るのではなく、離れていても共に宵闇の乙女と魔力を共有できるようにするために、私がここに来たのです。」
「離れていても魔力を共有出来るのですか?」
「ええ、ただ、魔力の共有を可能にするには、これから私が言う儀式が必要なのです。良いですか、よく聞いてくださいね。手順は――。」
説明を聞いた後、暁の乙女と教皇以外は塔から出てもらい、二人だけで手順に従い準備を始める。
まず、国宝の虹色の魔石をそれぞれに持ち、祈りの間の周りに配置されている霊水を使い、タイミングを合わせて禊を行う。霊水は、祈りの間の周囲に、東西南北それぞれの方向にある。
暁の乙女は、黒ずんだ小ぶりの魔石を手に持ち、東の霊水から南、西、北の霊水の順に、教皇は透明の魔石を手に持ち、西の霊水から北、東、南の順に禊を行う。この禊を同時に行う必要があるため、通信魔法を使う。今回は魔力の量から、教皇側が通信魔法を使い、主導することになった。
「リリー、準備は良いですか?」
西の霊水の前でほぼ裸体の教皇が尋ねる。
「はい、準備は出来ました。」
東の霊水の前で同じようにほぼ裸体のリリーが答える。
「では、改めて確認です。私の合図で、右足から霊水に入ります。右足左足と1歩ずつ進み、9歩目の右足で両足を揃えます。歩く速度は、1、2、3、のスピードです。そしてその場で両膝をつき、持った魔石を両手で霊水に浸します。魔石が全部霊水に浸かるように浸してください。次の私の合図で魔石を霊水から出し、両手に持ったそのままで額の紋に当ててください。そして5数えたら、今度は左足から後ずさりで霊水から出ます。そして次の霊水へと向かいます。これを4回繰り返します。私からの合図は、それぞれの霊水場で2回だけです。いいですね?」
「はい。」
「では、始めますよ?……『水端』」
二人が一緒に、東と西の霊水に右足から入る。9歩目で両足を揃えると、辿り着いたその場所は思ったよりも深く、そこで跪くと身体が胸まで霊水に浸かる深さだった。そこで両手に持った魔石を霊水に浸す。少し経つと、
「『敬虔』」
教皇の次の合図があり、魔石を霊水から出す。リリーは額に魔石をあて5、数える。教皇はそのまま立ち上がり、ゆっくりと後ろ向きで霊水際に戻る。リリーも5数え終わった後、後ろ向きで霊水際に戻る。
「…出来ましたか?」
見計らって教皇が声を掛ける。
「はい。」
「では、お互いに次の霊水場へ向かいましょう。…また合図します。」
そうして、4か所全ての霊水場で禊を行った後、薄絹を纏い、二人は祈りの間の中央に向かう。
リリーが少し遅れて祈りの間に入ると、濡れ髪を下ろしたままの教皇が中央に佇んでいた。
「ちゃんと出来ましたね。」
振り返りながら微笑む教皇は、薄絹一枚のせいか、濡れ髪のせいか、妙に色っぽく見えた。リリーは、少しドキリとしてしまったが、悟られないように少し俯き、小さく頷きながら透明になった魔石を差し出した。
「ありがとうございます。お陰でキレイな元の魔石になったようですね。この後は…。」
「あ、あのっ!」
「?…どうかしましたか?」
「服を…その…身を整えてから続き、ではダメですか?」
顔を真っ赤にして俯いたまま言うリリーに、自身の身も薄絹一枚だったことを思い出した教皇は、
「あぁ、そうですね。濡れたままでは風邪を引いてしまいますね。貴女は大切な身ですから…失礼。」
そう言って、教皇は風魔法を唱え、リリーの濡れた髪と身体を乾かし、
「さぁ、これで乾きました。あちらで一旦服を着てきてください。私も身支度を整えますから。」
と言って、服を脱いだ東の霊水場を指さした。
リリーは「ありがとうございます。」と頭を下げ、教皇の顔を見ずにそのまま東の霊水場まで走って行った。
リリーは、急いで服を着て深呼吸をする。
「…教皇様が思ったより逞しい身体だったから恥ずかしかったけど…これは儀式、儀式なのよ。落ち着いて。まだ終わっていないのだから…。」
そう自分に言い聞かせてから、祈りの間へ戻る。
中央に立つ教皇は、既に祭服を纏い、髪もまとめ上げられていた。いつもの姿にホッとしながらリリーは中央へ歩を進めた。
「お待たせ致しました。」
「いえ、こちらこそ気づかずにすみませんでしたね。…さてこの後、ですが…。」
そう言って小ぶりの魔石をリリーに渡す。
「夜の祈りの時に、こちらを持ってきてください。」
「これを…ですか?」
「ええ、儀式の続きは夜の祈りの時に…。私は一旦失礼しますが、夜の祈りの時間に改めてここに参ります。その時に、私の合図に合わせてこの魔石を額の紋にあて、言霊を唱えていただきます。唱える言霊は、また訪れた時にお伝えしますね。取り敢えず、禊で疲れたでしょうから、祈りの時間まではゆっくりお休みなさい。」
そう言って祈りの間を後にしようとした教皇が、ドアの前で足を止めて振り返る。
「…そう言えば、今日の夕方にリストランド卿のご子息達が到着すると聞きました。きっと貴女に逢いに来てくださるでしょう。」
それだけ告げ、部屋から出て行ったのだった。




