脱出~クレオチア大国へ
遠くで汽笛が聞こえる。
一日1便となった今日の船便、出航の合図だ。
「アリシア様、ちゃんと渡してくれたかしら…。どうかジュリア様が無事にお戻りになりますように…。」
窓辺でそっと祈る。
トリントン男爵が公国に来たのは、恐らくもっと前だろう。来ることは出来たとしても、帰る方法は、基本的に船便しかない。空を飛ぶことが出来る魔法が使えるなら話は別だか、自分が飛ぶことは出来ても、誰かを共に連れて長距離を飛ぶのは無理だ。それに、飛ぶことのできる魔法使いなら、それなりに有名なはず…。
そう考えれば、ジュリアを連れて帰る方法は一択、今日の船便、つまり兄と同じ便、ということになるわけだ。だから、アリシア経由で兄に手紙を渡し、ジュリアを船に乗せない方法を考えてもらうように頼んだのだ。
祈りながらアリシアが戻るのを待っていると、急にシエルが現れた。
『ルナティア、何してるの?…ボクが来ない間に、何かあった?』
ルナティアは、昨晩の夢の話から今までのことについて、小声で話す。
『そっかぁ…。夢のことは知っているけど、ボクが目覚めるまでにもいろいろあったんだね。』
「…目覚める?シエルも何かに目覚めたの?」
聞くと、首を振りながら説明するシエルの話はこうだった。
ルナティアと女神を夢の中で会話させるために、シエルの魔力を大量に使う必要があったこと、大量に使った魔力をある程度回復するまでに少し眠ることが必要だったこと、今現在、なんとか動ける程度の回復しかしていないこと、を聞いた。
「何とか動ける程度の魔力って…大丈夫なの?」
『うん、無理さえしなければ明日には人型を取れると思うけど。』
「…今日は難しいのね。そんな状態で大丈夫?その…抜け出した後…。」
『それは問題ないよ。ボク、案内するだけだから。それより、ルナティアの方こそ抜け出すことは出来るの?』
「そこは大丈夫。…あの特級魔法書が教えてくれるから。」
『そっか、それなら後は、今夜迎えに来ればいいだけだね?そうだなぁ、抜け出るのはどこからの予定?』
「ベランダからになると思うわ。」
『わかった。じゃあ、今夜の日付が変わる少し前に、ベランダの下の…あの木の陰で待ってるね。』
待ち合わせの確認だけすると、まだ本調子ではないシエルは、一旦、休むと言って消えた。
シエルが消えてから少しすると、アリシアがジュリアと共に寮に戻って来た。どうやら、レグルスが上手く対応してトリントン男爵を納得させたようだ。
夕食時、アリシアと共に、ジュリアの無事を喜んだ。
取り敢えず、目先の心配事は無くなった。これで安心して大国へ飛べる。
夕食後、ライラに「おやすみ」と伝え、私室のベッドに入る。
相変わらず、私室のベランダとドアの前には使い魔の気配がある。違うのは、レグルスの使い魔からジャンの使い魔に変わったことだろうか。いずれにしても気づかれれば、ライラとジャンが手加減せずに追ってくる。
ルナティア自身、その辺の騎士には負けない程度の戦闘能力はある。だが、ライラやジャンは暗殺部隊の孤児施設長直伝の追跡術と戦闘術をマスターしているのだ。正攻法では、絶対に撒くことは出来ない相手だからこそ、見つかってはいけない。
ベッドの上で、抜け出すイメージを膨らます。
――身体を消すこと。そして、代わりにベッドに寝ていてもらう人形に一時的に魔力を少し残した上で、自分の魔力を一時的に消すこと――
上級魔法書に、身体を消す魔法は載っていても、魔力を一時的に分け与える魔法は載っていない。しかもそれを同時に行うなんて、普通なら出来ない。
自分の魔力を暁の乙女に与える、膨大な魔力を持つ宵闇の乙女で、尚且つ、特級魔法書の情報があるからこそ、人形という無機物に対しても分け与えることが出来るのだろう。
十分にイメージが出来た頃には、夜もすっかり更け、ライラも眠りについているようだ。物音を立てないよう気を付けながらベッドから降りる。
用意していた最低限の荷物を片手に持ち、もう片手をベッドに横たわる人形に触れながら、言霊を唱える。
『―希求』
言霊を発したと同時に、ルナティアの姿がすぅ、と消えた。持っているはずの荷物も見えない。
すると、ベランダの扉が風で開いたり閉まったりし始めた。ベランダの外に居る使い魔は、急に開いた扉に驚きつつも、風が吹いたことと、部屋の異変がないことを確認すると、ベランダの扉を閉めてまた通常の見張りを続けた。
風でベランダが開いた時に、ルナティアは駆け出し、あっという間に外に出ていた。勿論、自身に防音魔法も掛けてある。走っても音は出ない。
使い魔が部屋の中を確認している間に、ベランダから飛び降り、浮遊魔法を唱えて地面に着地した。
少し前でチカチカと光っている光が見える。
光に近づき、
『シエル、お待たせ。』
と、声を掛ける。
『…えっ?…ルナティア?何処?』
『今は姿を消しているの。消えているうちに移動を済ませたいから、連れて行って。シエルの光を頼りについて行くわ。』
『…分かった。それじゃ、ついてきて。』
シエルの光の後をついて学園内にある、雑木林の中に入る。…クレオチアの女子寮からは随分と離れた場所だ。
『ルナティア、姿、見せられる?』
「それは大丈夫だけど…姿を現すと多分、人形に残してきた魔力も消えちゃうけど大丈夫かしら?」
『…みんな寝てるし、大丈夫だよ。物音がしたらバレちゃうと思うけど、寝ながら魔力の存在を気にするなんて、戦場でもない限り、しないよ。ルナティアだってしないでしょ?』
「…確かにそうね。じゃあ……『希求』。」
姿を現すイメージを作り、再度、言霊を唱えると、僅かな荷物を手にしたルナティアが姿を現した。
『すごいね。それ、女神様が教えてくれたの?』
「うーん…、そうなるのかな?女神様が言った通りにしたら、特級魔法書が身体に取り込まれちゃって…その本が教えてくれるの。」
『…え…、魔法書を取り込んじゃったの?大丈夫なの?』
「分からないけど…別に体調は悪くないのよ?むしろ、魔力が漲っているような気がするくらいなんだけど…良くないのかしら?」
『魔力をずっと使っている状態じゃなければ良いけど…。…うん、使い続けている感じは無さそうだね。』
「それなら良かった。…あと、特級魔法を使う時、使う魔力量がよく分からないから、使い過ぎが心配なのよね。」
『そこはボクが見張っててあげるよ。それ以上はダメ、と思ったら教えるから。』
「ふふっ、ありがとう。頼りにしてるね。…ところで、この後はどうしたら良いの?」
ルナティアの問いに、シエルがキョロキョロと辺りを見回している。
『えーっとね…あ、居たっ!ルナティア、あっちに王子様が居るよ。』
シエルが言う方角を見ると、ルナティアと隣でチカチカしている光を確認した、ジークリードがこちらに向かって走って来た。
「無事に来られたようで良かった。レグが居ないから、抜け出せたのか?」
「いえ、そう言う訳では…。取り敢えず、ライラやジャンに気づかれないうちに先に行きたいのですけど…。」
「…レグの奴、ジャンまで置いて行ったのか?…それほど行かせたくない、ってことか。…ルナティア、もう一度確認するけど、本当に乙女として大国に向かって良いのか?」
「はい。…お兄様達には悪いと思うけれど…無理やり宵闇の乙女に仕立て上げられている女性が居ると聞きました。そんな話を聞いたら…。」
段々と俯いていくルナティアに、ジークリードがそっと頭を撫でた。
「決意は固いということか。…分かった、では見つかる前に行こう。ただ…。」
少し言いにくそうに語尾を濁しながら、ジークリードがルナティアを見ている。
真っすぐに見つめ返すと、
「魔法陣までのルートを教える訳にはいかない。教えてしまったら…君に選択肢が無くなってしまうから…。だから申し訳ないが、目隠しをした上で防音魔法をかけさせてもらう。」
そう言えば、王族だけが知っていると言っていた。当然、自分は王族でないのだから、と頷き目を閉じると、閉じた目に布を巻かれ、防音魔法をかけられる。
目を覆う布にも魔法がかけられているようで、隙間があっても何も見えない。
見えない状況に少し不安になっていると、ふわりと肩を抱かれた。
「悪い…何かに躓いたりしたら危険だから…少しだけ我慢して。」
耳元でジークリードが呟く。途端に、ぶわっと頬に熱が集まるのを感じた。幸い、暗闇で頬の赤みに気づかれなかったようだ。
ジークリードに肩を抱かれ、ゆっくりと歩を進める。
直進、右折、直進、右折、左折、立ち止まると、今度は急に下へ足場が移動する感覚がある。そしてまた直進、左折、直進、右折、右折、直進、左折…。
「着いたぞ。」
そう言われ、目を覆う布を外されると、目の前には、大きな魔法陣が僅かに浮いていた。驚いていると、時間を確認したジークリードが、
「…日付も変わったな。今夜中に色々済ませた方が良いだろう。さぁ、ルナティア、お手を…。」
と、言いながら、恭しく手を差し出した。
その手にに、少し笑いながらそっと手を乗せると、ジークリードは優雅に優しくルナティアを魔法陣の上に誘った。
魔法陣の上はフワフワとしていて、宙に浮いているような気分だった。…実際、魔法陣自体が浮いているのだが…。
魔法陣の中央に着くと、ジークリードが向かい合う形て立ち、
「…ルナティア、じっとしていてくれ…。」
と、言ったと同時に、ふわりと抱きしめた。
…一瞬、何が起きたか分からなかったが、自分が抱きしめられていると認識すると、また頬に熱が集まるのが分かった。
(じっとして、と言っていたもの。これはきっと移転するために必要なのよ。そうよ、途中で逸れたら大変だからよ。そうに違いないわ…。)
目をギュッと閉じながら考える。
(…転移に必要…なら、グレシャ様にも…同じようにしたのかしら…。)
ふと、ジークリードの胸に抱きしめられた状態で顔を見上げる。目の前には、小声で呪文を唱えているジークリードの凛々しい顔があり、それを認識すればするほど、自分の胸の奥の方がチリチリとしていた。
何故…と考えていると、急に周りの風景がぐにゃりと曲がり、自分が真っすぐ立っているのか、逆さになっているのか、天と地がひっくり返ったような感覚に陥り、自分を抱きしめているジークリードに無意識に抱きついた。
脳内までぐるぐるし始めた頃、
「…着いたぞ。目を開けても、もう大丈夫だ。」
ジークリードの優しい声が聞こえてきた。気づけば、自分から、かなりしっかりとジークリードに抱きついていたようだ。
「っ!…も、申し訳ございません…!」
慌てて両手を放すと、ジークリードは、少し苦笑いをしながら、
「いや…むしろ(離れて)残念だ。」
と、呟いた。
転移魔法で、クレオチア大国に着いたルナティアは、休む間もなく、ジークリードの案内で謁見の間へと向かった。向かいながら、軽く頬をパタパタと手で仰ぎながら、自分の心を落ち着かせる。
(…余計なことは考えちゃダメ。今は、陛下に事実を申し上げることが先決なんだから…。)
謁見の間のドアの前で一度、深呼吸をしていると、ジークリードの合図でドアの前に居た兵士たちが、謁見の間の重厚なドアをゆっくりと開けた。
扉が開ききるまでの間に、ジークリードがルナティアに手を差し出しながら、
「さぁ、ルナティア、お手を…。ここから先は、どんなことがあっても俺は君の味方でいる。だから安心して、君の望むとおりに伝えると良い。…俺は、君が笑っていられるように最善を尽くすと決めたから…。」
と、微笑んだ。
謁見の間の重厚な雰囲気にのまれそうだったルナティアだったが、差し出された手に自身の手を添えた途端、何とも言えない安心を感じ、微笑み頷いて、ジークリードと共に、一歩を踏み出したのだった。




