偽りの乙女
食事を終え、自室内の私室へ戻る。
私室のベランダの外とドアの前には、相変わらずレグルスとライラの使い魔の気配がする。その気配を感じながら、自分の机の引き出しを開ける。中には、銀と虹色の装丁の魔法書が入っている。
「女神様は『脱出するのは簡単』と仰っていたけれど…。」
机の中の本を手に取り、ステルラが言った通りに魔法書を開きパラパラとめくると、途端に、魔法書は淡い虹色の光を放ち、魔法書自体が段々と薄れていく。
「えっ?何、コレ…消えて…いるの?」
そう呟くと同時に、両手で持っていたはずの魔法書は影も形も無くなり、淡い虹色の光の玉となった。そしてその光の玉は、スーッと寄ってきてルナティアの身体の胸のあたりに吸い込まれるようにして消えた。
「え?え?…何?魔法書が私の中に入ったの?…っ!なんで…うっ…あ、頭の中…混ざ…。」
頭の中に『何か』が流れ込んでくる感覚に襲われた。その『何か』は最初は小さく、段々と広がりながらぐるぐると渦が巻かれるように広がっていく。広がりと共に、立っていられなくなり、足元から崩れ落ち、ルナティアはそのまま意識を手放した。
「……ア様、…ティア様、ルナティア様っ!!」
自分を呼ぶ声に、ゆっくりと目を開ける。
「ん……、ライラ?」
「っ、良かった…。お気づきになられたのですね。」
気づくと自分のベッドの上だった。
「え…っと、…私は…?」
「ルナティア様は、あそこで倒れていらっしゃったのです。」
そう言いながら、ライラが窓際の机を指さした後、振り返って顔や肩をペタペタと触れながら確認する。
「見つけた時、私がどれほど驚いたことか…。どこも痛いところはございませんか?」
「大丈夫よ。急に頭が痛くなって倒れてしまったけれど、今は全く痛くないの。多分…色々あって疲れていたのだと思うわ。」
「ですが…。念のため、お医者様に見ていただいた方が…。あ、それとも…レグルス様に回復魔法をかけていただいた方が良いでしょうか。もうすぐいらっしゃるでしょうし…。」
「もう…ライラったら…本当に大丈夫よ。もし、次に頭が痛くなるようなら、その時はお医者様に見てもらうってことにしましょ?」
倒れた時のことを思い出しながら、ゆっくりと自分の胸をさする。魔法書が吸い込まれたあたりだ。
胸に魔法書が吸い込まれ、今は魔法書が自分の一部になったのを感じられる。女神様が言ったように、どうすれば私室から脱出できるかも分かる。ただ、脱出する方法を知っている、と言うことを今は知られるわけにはいかない、そう思いながら、安心させる為に笑顔で答えた。
ちょうどその時、自室のドアを叩く音がしたのでライラがドアを開けると、レグルスが立っていた。
「(ドアが開くまで)遅かったけど、何かあったのか?…ん?ルナティアは何処だ?」
「はい…あちらに…。」
私室のベッドで横になっているルナティアを見つけると、レグルスはもの凄い勢いでベッド脇に来た。
「ルナ?!一体どうしたんだ?何があった?どこか悪いのか?」
「お兄様、大丈夫です。ちょっと疲れただけで…。」
「疲れた?…まぁ、色々あったからな。……ルナ、念のため回復魔法をかけておくよ」
そう言ってレグルスは呪文を唱えた。
回復魔法をかけてもらうと、やはり少し疲れがあったのだろうか、身体が軽くなるのを感じ、ベッドから起き上がり、服装を整えリビングに行く。そこには先にリビングに戻ったレグルスがソファーに座りお茶を飲んでいた。
「お兄様、回復魔法、ありがとうございました。お陰で疲れも随分と取れたようです。」
レグルスの向かいのソファーに座りながらお礼を言う。
「あははっ、礼を言われることじゃない。でも元気になったのなら良かったよ。…立つ前に元気な姿のルナが見られないと、僕自身、討伐どころじゃなくなってしまうからね。」
レグルスは今日の船便で大国へ向かう予定だ。大国に着けば、王太子殿下と共に、太陽の剣を探しながらの魔物討伐に向かうことになる。
「出発は…何時、ですか?」
「3時発だ。予定通りなら、明日の夕方には大国の港に到着するはずだけど。」
何事も無いかのように普通に答えるレグルスだが、今は、朝も昼も暗闇のため特に海上での方向確認が難しく、逐一、周りを確認しながら進めないと事故につながるため、普段よりも時間が掛かる、と聞いている。その上、海上にも魔物が出没しているらしい。
「お兄様、…その…本当に大丈夫なのですか?前に言っていましたよね?海にも魔物が出る、って。」
心配そうな顔でルナティアが聞くと、レグルスは、安心させるためルナティアの隣に移動して座り、頭を撫でながら答える。
「問題ないよ。闇に包まれてからの一番最初の船便は、確かに襲われて酷い有様だったと聞いているけれど、その後は、船に防音魔法と防御魔法をかけるようになって、それからは襲われていないそうだよ。それに、昨日の情報では、船旅に2日くらいかかりそうだと聞いていたけれど、今さっき聞いた話だと、1日くらいで到着できるように船に色々と細工をしているらしい。だから僕のことは心配しなくても大丈夫。…それよりも、ルナの方が心配だ。…ちゃんと大人しく待っていて欲しいんだけど…。」
「……。」
「それについてはやっぱり納得はしてくれないのかい?…じゃあ、仕方ない。やっぱりジャンを置いて行くことにする。脱出しようと外に出たら、使い魔が反応するように魔法を発動してあるから…ルナには可哀そうだと思うけれど、ライラとジャンを振り切るのは無理だよ。だから諦めて大人しく待っていて。大人しくしていてくれるなら、寮内くらいは自由に過ごしていいから。」
返事をしないルナティアに、再度、念押しをする。
「ルナが負い目を感じないように、すぐに闇夜を終わらせて見せる。だから安心して待っていて。」
そう告げて、レグルスはルナティアの部屋を後にしたのだった。
レグルスを見送った後、自分のベッドの上に仰向けに横になり両手を天井に向けてあげ、手の甲を見つめる。
「…イメージ…か…。」
さっき体内に入り込んだ特級魔法書が自分に教えてくれる。
――主の魔力が持つ限り、望む魔法を望むだけ使える―と。
望む魔法を使う場合の第一条件は、脳内にハッキリとしたイメージを作ること、らしい。イメージが出来たら、発動のための言霊を言うことが第二条件。この2つの条件が揃えば、どの魔法書にも載っていない魔法だって使える、らしい。ある意味、最強の特級魔法書だ。
だが、欠点もある。
自分が望んだ魔法に使われる魔力量が分からない。調子に乗って使っていると、魔力切れ、つまり死んでしまうことになり兼ねない、『諸刃の魔法』なのである。
加えて、どんなに望んでも、命の再生は出来ないらしい。
「…そんなに都合の良い魔法書なんて無いわよね…。…でも、取り敢えず、女神様が言っていた、『脱出する方法』はこのイメージ魔法(仮)を使えば解決できるわね。後は、部屋から出た後、どうしたらいいのか、よね。シエルが連れて行ってくれるって言っていたけど…今日はまだ姿を見ていないわね。どうしたのかしら?」
姿を見せないシエルの心配をしていると、部屋の外が騒がしいことに気が付いた。
確認をしようと私室のドアを開けると、丁度、自室の廊下側のドアを開け、ライラが確認していた。
「ライラ?騒がしい原因、分かった?」
近寄りながら声をかけると、振り返ったライラが急にドアを閉めた。
「え?…あ……、どうやらジュリア様の御父君が…先ぶれもなくお見えになったようで、寮館長がお話されているようです。」
「そうなの?…あ、でも…ジュリア様のお父様って…確か短気な方って聞いていたような…?」
「ええ、それで騒がしいみたいです。娘を連れて帰るのに先ぶれがどうとか、と文句を言われているようで…。」
「…ねぇ、ライラ。ジュリア様とお話出来ないかしら?」
「難しいのではないでしょうか…。御父君があの様子では…。」
少し、ドアを開けて廊下を覗くライラの後ろからルナティアも覗いてみる。
遠目に、ジュリアが頭を下げながら怒る父親の後をついて寮から出て行く後ろ姿が見えた。
ジュリア親子が出て行き、集まった女子生徒たちに自室へ戻るように、と寮館長が指示をしていると、指示を受けた令嬢の中に居たアリシアが、ドアから覗くルナティアと目が合い、こちらにやって来た。
「ごきげんよう、ルナティア様。もう悩み事は無くなりまして?」
隙間から覗くルナティアに、微笑みながらアリシア・カフスが聞く。
アリシア嬢は、入学時に「仲良くしてあげても良くってよ。」と言い、「無理に仲良くならなくても…。」とルナティアに断られた令嬢だ。
アリシア本人は、本当にルナティアと友達になりたくて、その後も何かと声を掛けていたのだ。だが、アリシアの取り巻き令嬢達は、あのもの言いを誤解し、勝手にルナティアに対して嫌味を言っていたことを知り、アリシアは、生まれて初めて他人に頭を下げた。
それからは、友人としてよく話をするようになった。話をするのは、主に寮内での食事の時間だが、今朝のルナティアは何かを考え込んでいるように見え、声を掛けづらかったらしい。
ルナティアの指示でライラがドアを開け、アリシアを招き入れ、ライラが用意したお茶を飲みながら、先ほどの騒動について、アリシアに聞いてみた。
アリシア嬢は噂好きの友人のせいか、結構、情報を持っているのだ。
「ジュリア様をお迎えに来たようですわ。…先ぶれが無かったために寮館長が手続きを、と仰ったことが気に入らなかったようで騒いでいらしたようです。」
「そうでしたの…。でも、お迎えにいらっしゃるなんて、お優しいではありませんか。」
アリシアの情報に、ルナティアが答えると、ひと口お茶を飲んだ後カップを置き、アリシアが身を屈めてルナティアに顔を近づかせ小声で言った。
「それが…わたくし、聞こえてしまいましたの。ジュリア様の御父君、小声で呟いていましたわ。「闇属性が宵闇の乙女に違いない」と。」
身体を起こし、普通に座った状態に戻ってアリシアは話を続けた。
「…今朝早くに、暁の乙女が現れたとの発表がありましたでしょう?それで確信してお迎えにいらしたのではないかと思いますの。」
―暁の乙女が現れた―
その情報が発信されたことは知らなかった。それどころではなかったから…。
くるりと振り返りライラを見ると、ライラは目線を反らした。どうやら暁の乙女が現れた情報は『知っていた』らしい。
とりあえず、今は、アリシア嬢から話を聞くのが先だと判断して会話を続ける。
「でも、お迎えには船便を使わなければならないでしょう?今は、海にも魔物が出るとかで、普通は船便を使えないのでは?それに、今朝の情報を得て、今日、公国に来るのは不可能です。クレオチアと公国間の渡航は、今、最短でも1日は要する、と、先ほど兄から聞いたばかりですよ?」
「え…、先ほどって…レグルス様がいらしていたのですか?」
ほのかに頬を染め、アリシアが聞く。
「ええ、兄達は今日の午後の船便でクレオチアに向かう予定で、その挨拶に来てくれたのです。その時に、渡航時間も…。」
「今日の便?何時出航ですの?」
「…3時…と聞きました。まだ時間は大丈夫ですから…。」
食い気味に尋ねてくるアリシアの姿に、少し毒気を抜かれたルナティアはクスリと笑って答えた。
3時と聞き、一旦落ち着いたアリシアは、誤魔化すようにカップを手にしてお茶を飲んだ。
「んんっ。…それで、お迎えの話でしたかしら?確かにレグルス様の仰るとおりなら、今日のお迎えはおかしいですわね。先に乙女の出現を知っていたか、もしくは…ジュリア様が、宵闇の乙女であると最初から確信して既に公国に来ていたか、ですわね。」
「…。」
「…ジュリア様が宵闇の乙女なのでしょうか。確かに、暁の乙女が光属性のリリー様だったのですから、宵闇の乙女が闇属性である可能性は高いですけれど…。…不穏な噂もございましたでしょう?」
それは、昨晩、アリシアが他の女子生徒たちと話をしていた、
――世間では、宵闇の乙女を探すため躍起になっている。闇属性を持つ者に焼き印まで押しているらしい――
と、言う噂だ。
ギュッとスカートの生地を握りしめる。
自分が名乗り出ないことで、友人までも苦しむことになったら…
そう思うと、辛くて不安で仕方が無かった。
「ルナティア様?」
顔色が悪くなってきたルナティアを気遣い、アリシアが声を掛ける。
「あぁ、すみません。大丈夫です。…どうぞお話の続きを聞かせてください。」
咄嗟に笑顔を作ってアリシアの話を聞く。
「大丈夫なら良いのですけれど…。…もし、ジュリア様が宵闇の乙女だとしたら…その…逢えなくなってしまうかも知れないでしょう?ですが、宵闇の乙女で無かったとしても…あの御父君の剣幕からだと、大変なのでは…と思いまして…。」
そうなのだ。――ジュリアは宵闇の乙女ではない。
魔力測定の時から、娘の属性を否定してきたあの父親が、闇属性で宵闇の乙女でなかったらどんな酷い言葉を言うのか…そう考えると心が痛い。何とか助ける方法が無いだろうか…。
ふと、船便の話のことを思い出し、アリシアに聞いてみる。
「因みにですけど…アリシア様、兄の見送りに行く予定はございます?」
「えっ?えぇっ?…えっと…。」
急に振られて、頬を染めて狼狽えている。その姿を可愛い…と思いながら、本題、手紙を届けてもらうことをお願いしてみた。
アリシアは、どうしてルナティアが見送りに行かないのか、と尋ねてきたが、外出を禁止されていることを上手くごまかしながら取り敢えず納得してもらった。
急ぎ、兄宛に手紙を書き、見送りのための準備に部屋へ戻ったアリシアに、ライラ経由で渡してもらう。
「あとはお兄様にお任せしましょう。…私が名乗り出ないせいで他の方に迷惑をかけてしまう部分については、全ては無理だとしても、出来る限り回収していただかないと…。」
ルナティアは寮を出て船着き場へ向かう、アリシアと護衛の姿を窓から見送り、ひとり呟いていた。




