明けない夜
外からの強く目映い光に、思わず目を瞑ったライラは、やっと目を開けられるようになったと同時に、主の無事を確認するためにルナティアの私室へと駆け込んだ。
私室に入ると、そこには灯りもなく、室内にルナティアの気配を感じることが出来なかった。
「そんな…確かにお部屋に入られたのに一体何処へ…。」
焦りながら自身を落ち着かせるため深呼吸をする。そして、より気配を感じようと目を閉じた。…僅かに空気の揺れを頬に感じ、揺れのもと、風が吹いている方へ向かってみると、ベランダで倒れ込んでいるルナティアを見つけた。
「ルナティア様!ルナティア様!」
ルナティアを抱き起し、必死にライラが呼びかる。
呼吸はしているが、反応がない。
少し揺すってみるが、気絶をしているようで、やっぱり反応がない。
「ルナティア様…。とりあえずベッドまで運んでそれからお医者様をお呼びしなければ…。」
そう呟きながらルナティアを抱き上げ、ベッドまで運ぶ。ベッドへ降ろす時、ルナティアの胸元に見慣れないものがあることに気づいた。
不思議に思ったライラは、少し…ほんの少しだけルナティアの胸元のボタンを外して開き、見え隠れしていたものを確認して驚愕した。
ルナティアの胸元には『半円の下半分を三角形が3つ囲うような形をした紋』が刻まれていたのだ。
慌てて胸元を隠し、周りを見る。…誰もいないのを確認し、ホッとしながらも、この先をどうするべきか考える。
(どうして…あのおとぎ話の紋様がルナティア様の胸元に…?おとぎ話じゃなかったとしたら…胸元に紋が出るのは…。…ううん駄目よ、そんなのダメ!大切なルナティア様を守らなければ…。でもそうなるとお医者様を呼ぶのは不味いわ。一体どうしたら…そうだ、レグルス様ならきっと良い案を提示してくださるはず…!)
そう考えたライラは自身の闇魔法・影を使い、レグルスに連絡を取った。
本来であれば、夜半の男女寮の行き来など認められるはずもないのだが、家族で尚且つ、緊急であるなら話は別だ。寮館長にきちんと伝えれば、部屋を訪ねられる。ただ訪ねられる時間は1時間以内、と決められているが…。
(理由は…先ほどの光に当てられて気絶したから、で大丈夫だろう。事前に寮館長にも伝えないといけないけれど、万が一、様子を見に来られたとしても気づかれない様に、しっかりと隠しておかなければ…。)
気絶しているルナティアの胸元のボタンを急いで留め、紋様を見えないように、念のため上着を着せて、更に毛布をかけて寮館長の元へレグルスが来ることを伝えに向かった。
数十分後、ライラの連絡を受け、レグルスが部屋を訪ねてきた。
部屋のドアを開けるや否や、血相を変えたレグルスがライラの肩を掴み、
「ルナティアは?大丈夫なのか?!」
と、普段見たことの無い表情で尋ねた。必死のレグルスに対して、ライラは冷静対処する。
(レグルス様の後ろに寮館長も来ている。…当然といえば当然だけど…寮館長を部屋に入れないようにしなくては…。)
「レグルス様、落ち着いてくださいませ。それと寮館長様もご足労いただきありがとうございます。ですが、お嬢様は先ほど目を覚まされましたのでもう大丈夫でございます。…どうやら先ほどの光に驚いて倒れたようでございます。…私も…目の前で倒れるルナティア様を見て思わず驚いてしまって…本当にお騒がせ致しました。」
ライラが深々と頭を下げると、寮館長がホッとした表情で、
「そうでしたか。大事で無いなら良かったです。…それにしても先ほどの光は驚きましたね。あれは一体何だったのでしょう。…とにかく、それで驚いてお倒れになったのであれば、きっと不安でしょうから、こんな時間ですがお兄様をお迎えしても結構ですよ。少しだけなら…そうですね、夜も更けておりますから…30分程度でも宜しければ…。」
と、レグルスに向かって言う。
それに対し、ライラがお礼を言う。
「寛大なご配慮、ありがとうございます、寮館長様。寮館長様の仰る通り、お嬢様も不安がっておりますので、レグルス様がお傍に来て下されるならきっと安心なさいますでしょう。本当にありがとうございます。」
お辞儀をするライラに見送られながら、寮館長は去って行った。
寮館長の姿が見えなくなったのを確認してから、ライラはレグルスを部屋に招き入れ、カギをかけた。
カギをかけるライラの行動を不思議に思うレグルスが尋ねる。
「ライラ?カギまでかけて一体何を…?」
「レグルス様、こちらのルナティア様の私室に防音魔法をかけていただけますか?」
「防音魔法?何故必要なんだ?話せないことでも…?」
「詳しくは魔法をかけていただいてからお話いたします。時間がないので早く!」
こんなに切羽詰まった様子のライラを見るのは初めてだったレグルスは、取り急ぎ防音魔法をかけライラに向き直った。
「…一体どうしたって言うのだ?それにルナティアは?」
「ありがとうございます、レグルス様。…ではこちらに…。」
ライラに誘われるまま、レグルスがルナティアの私室に入る。そこにはベッドに横たわるルナティアの姿があった。
その姿を見たレグルスはベッドに駆け寄り、ルナティアの状態を確認した後、怒りを含んだ恐ろしく低い声でライラを見ずに声をかけた。
「…ライラ、一体どういうことだ?!どこが『大丈夫』だと?…何があった?!」
「…正直に申し上げて何が起きたのか分かりません。先ほどの眩しい光の後、私室へ入りましたら、ベランダでルナティア様が倒れておられて…。意識を失っているようでしたので、急ぎレグルス様へご連絡した次第でございます。」
「…お前、さっき目覚めた、と言っていただろう?こんな状態なら、医師でも呼んでもらうべきじゃないのか?」
温厚なレグルスが怒りで震えながらライラの胸倉を掴む。
「それは…出来ません。」
「何故だ?」
「…百聞は一見に如かず、と申します。レグルス様…こちらをご覧になってからも同じことをおっしゃいますか?」
そう言って、ライラは掴まれた胸倉からレグルスの手を外させると、ルナティアの上着を脱がせ、ボタンを一つ外し、胸元を少しだけ開いて見せた。
「…っ?!!!…ライラ、何だ、これは…。」
ルナティアの胸元に刻まれた紋を見たレグルスが、よろけながら言う。
「恐らくですが、記憶違いで無ければ…。」
ぐっと、ライラが息を飲む。その後、吐き捨てるように震える声で
「…『宵闇の乙女』の紋と…同じものでございます。」
と、言った。
その言葉に、レグルスが今度はライラの両肩を掴み、
「何故だ?!…何故、妹に…この紋が?…一体、何時?何処で?付けられたというのだ?」
先ほどの怒りに胸倉を掴んだ時とは違い、震える声で縋るように言う。
ライラは首を振り、哀しそうな声で、ゆっくりとルナティアを見ながら答えた。
「…分かりません。分かっているのは、本日の入浴の際には何もなかった、ということだけです。ですから恐らくは…。」
「…さっきの、光、か…?」
レグルスの言葉に、頷くライラ。
「…『二人の乙女』に準えるならば、先ほどの光は…闇が世界を覆う合図、と言う事なのか?確かにその兆候はここ数年あったし、その準備もしてきたはずだ。だから物語のように、乙女が選ばれることも想定してきた。だが…ルナが…乙女に選ばれるなど、想像もしていなかった。乙女は光の魔力と闇の魔力を持つ者だと…誰もが思っていたじゃないか!それなのに…何故…。」
力なく、床に膝をつく。そのまま顔を上げずにレグルスがライラを呼んだ。
「……ライラ。」
「はい。」
「紋様について、知っている者は?」
「私とレグルス様だけです。」
「よし、誰にも言うな。『隠す』ぞ。」
「はいっ!!」
丁度その時、ルナティアが身を少し捩った。
「ん…ぅん…シ、……ル…。」
床に膝をついたままのレグルスが立ち上がりルナティアに声をかける。
「ルナ?気が付いたのか?!僕だ、分かるかい?」
「んん…?お、にい…さま…?」
「あぁ、僕だ。」
ホッとした表情で寝ているルナティアの手を握る。
「…お兄様が…どうしてここに?…私…何を…?」
「眩しい光に当てられて気絶していたらしい。何処も痛くないか?どこか傷があったら大変だから…。」
「…あ、そうよ、私ベランダで…。お兄様が運んでくれたの?」
「いや、それはライラが…。僕はライラからの連絡でここに来たんだ。でも…本当に良かった、目が覚めて…。」
「そうだったの。ライラ、ごめんなさいね、お兄様も。心配をかけてしまって。でも大丈夫よ、どこも打っていないみたい。痛いところなんて無いから。」
「そうか、それなら良かった。だが、今日はこのままゆっくり休むといい。また明日の朝、来るから。ルナは明日は念のため学校は休むこと。3年生だし、もう卒業までの単位は終わっているのだろう?楽しみにしている卒業パーティに出席できなくならないように、しっかり休まないとな。…ライラ。」
「はい。」
「明日は念のため、ルナティアを休ませるから、その手続きをしておいてくれ。」
「かしこまりました。」
「うん、それじゃあルナ、僕は部屋に戻るよ。ちゃんと寝るんだぞ?」
そう言いながら、レグルスが寝ているルナティアに布団をかけ直す。
「ふふ、わかりましたお兄様。」
「ああ、また明日。…おやすみ。」
「はい、おやすみなさい。」
「ルナティア様、レグルス様のお見送りはお任せください。」
「ライラ、お願いね。」
「はい、ではおやすみなさいませ。」
「うん、おやすみなさい。」
自分で布団を顔の半分が隠れるくらいまで引き上げ、ドアの向こうに消えるレグルスをライラの姿を見送った。
ルナティアの私室のドアを閉めると、部屋の出入り口ドアに向かいながらレグルスがライラに小声で話しかける。
「ルナティアが紋様に気づかないようにすることは可能か?」
「難しいと思います。鏡を見れば一目瞭然ですし、鏡を隠せば却って疑われます。」
「そうか…となるとやはり、説得するしかないか…。念のため聞く。お前はルナティアに乙女になって欲しいか?」
「そんな、滅相もございません。そう思っているならレグルス様をお呼びしませんよ。」
「なら良かった。僕もだ。大切な大切な妹だ。神への供物になどさせるものか。」
「同じでございます。ルナティア様を犠牲にするくらいなら世界が滅ぶ方がマシです。」
「…言うなライラも。」
「レグルス様は違うのですか?」
「違わない。僕も同じだ。例え国が…世界が滅びようともルナに生きていて欲しい。だから…明日の朝、また来る。一緒にルナティアを説得しよう。」
「はい。ありがとうございます、レグルス様。」
「じゃあ僕はこれで…。帰りがけに寮館長には明日の来寮の許可を貰っておく。お前は学園に休む手配をしておいてくれ。」
そう言うと、レグルスは防音結界魔法を解除して女子寮の部屋を後にした。
レグルスとライラがリビングで話している頃――
ルナティアは、レグルスとライラが私室のドアを閉めたのを確認すると、ベッドに起き上がり、そっと胸元を確認した。
「…女神様の言った通り…本当に私が『宵闇の乙女』なんだ…。」
と、呟きながら気を失った時に誘われた世界を思い出していた。
あの光に包また世界で、ルナティアは女神に逢った。
――漆黒の闇夜のような黒髪と自分と似た紫紺色の瞳をした、美しい女神に。彼女は自分を『ステルラ』と名乗り、茫然とするルナティアに話しかけた。
「月の乙女よ。初めまして、私はステルラ、創世の闇を司る女神。…もうすぐ魔の時が訪れます。貴女の魔力が必要なのです。どうかその魔力を貸していただけませんか?」
「魔力…?…というか、ステルラ様って…ソール神の2人の妻のうちの…?…闇を司る、女神さまに選ばれたということは…私は…『宵闇の乙女』と言う事なのですか?」
ルナティアの質問に、少し哀しそうな笑みを浮かべながら、ステルラと名乗った女性は頷く。
「そう、ですか…。私が『宵闇の乙女』…。」
少しだけ考えた後、ルナティアが女神に尋ねた。
「私がもし「嫌だ」と言ったら…どうなるのですか?」
「それは…分かりません。が、今代の日の乙女は魔力が少ないので…魔の時を払うことは彼女だけでは出来ないと思います。」
「魔の時…が払えないとどうなるのですか?」
「世界は闇に覆われたまま…魔物や魔族が横行する世になると思われます。彼らは闇を好みますから…。」
「魔物や魔族が横行する世界…そう、ですか…。」
ルナティアは目を閉じ黙り、暫く考えた後に顔を上げ、女神を真っすぐに見つめ話を続けた。
「……分かりました。私に出来ることはします。ただ…出来れば、死なずに済む方法があれば有難いのですが…でないときっと兄達が…(納得してくれない――)」
最後の言葉をぐっと飲みこみ、少し俯きながら、両の手を握りしめる。
「…歴代の乙女を知っているのなら、それは不安要素でしょう。ですが大丈夫です。歴代の乙女たちをずっと見守ってきた私だから気付けたことがあります。その条件を満たしている貴女ならきっと…今までの乙女たちと違う道を選べると思うのです。」
と、ふわりと微笑みながら、女神が話をしてくれた。その内容には驚くべきことが多く含まれていたが、もしそれで命を落とさずに済むのなら、試す価値はあると思えるものだった。
そして最後に、ずっと探していた妖精の情報もくれた。
「そうそう、貴女のお友達についてだけれど、数か月前からずっとここで心だけが眠っているわ。恐らく何かの呪いのせいで、心と身体が分裂されてしまっているようなの。…ここにある心の呪いはもう解けているわ。あとは身体を探して貴女が呼べばきっと目覚めるはず。彼が目覚めれば、この空間と現実を結びつけることが出来るわ。勿論いつでも繋がれる、という訳ではないけれど、この空間と現実が結びつくことが貴女を…いえ、闇の乙女を死なせずに済む方法のうちの一つなの。だから、現実に戻ったら先ず、彼の身体を探して。彼は公国の何処かで眠っているわ。貴女以外には見つけることが難しい場所にいるけれど。……さぁ、そろそろ戻る時間、ね。今代の闇の乙女、どうか貴女に――。」
そこで意識が浮上した。
最後に女神が言っていた言葉は聞き取れなかった。…が、やらなければならないことは分かった。
「シエルを探さなきゃ。…明日、お兄様とライラにこの話をして…宵闇の乙女って知ったら、怒るかも知れないけど。でも、探す協力をお願いしなくちゃいけないもの。…何とか説得をしなくちゃ。」
そう呟きながら、ベッドに横になり目を閉じたのだった。
それぞれが様々な思いを胸に、一夜の時間が過ぎた。…しかし、朝が訪れる時間になっても暗闇が明けることは無かった。




