憂患(ゆうかん)
カエラを見送るルナティアに、リリーが声をかけた。
「ところで…ルナティアさん、ペルプランを間近で見てどうでした?」
「どう、とは?」
「その…『魅了』は大丈夫かな、と思って…。ほら、彼はプルクーラと姉弟なんだもの、魅了が使えるかも知れないでしょう?だからもし、不安なら浄化した方が良いかな、って…。」
「あぁ、多分、大丈夫だと思います。…なんとなく、ですけど。」
にこりと微笑んでルナティアが答える。リリーはその表情を見た後、レグルスの方に振り返った。
「…ルナ、一応、浄化してもらったらどうだ?…念のために。」
レグルスの言葉に、少し考えてからルナティアが答える。
「大丈夫だと思うけれど…お兄様は心配なのよね?…それなら念のため浄化していただきます。ただ…カエラ様と一緒にお願いします。」
「えっ?カエラ嬢と?なぜ?」
「カエラ様は「操られた」と仰っていたから。このままでは、この先に操られる可能性もあると思うんです。操られた原因が、魅了の一種かも知れないし…。だからカエラ様も一緒にお願いします。」
「なるほどね…。リリー嬢、大丈夫だろうか。」
納得したレグルスがリリーに確認すると、リリーは頷く。
「それじゃあ、カエラ嬢の試合が終わったら浄化をお願いするよ。一緒の方が魔力の消費も少ないだろうから。…ルナは見学席に言って良いよ。カエラ嬢を応援したいのだろう?」
うずうずしているルナティアに、呆れ顔でレグルスが言うと、嬉しそうな顔をしてルナティアは選手用見学席へと向かって行った。
ルナティアを見送った後、今度はジークリードが言う。
「リリー嬢、ペルプランという者のことなのだが…恐らく、今日はもう邪魔されることはないと思う。だが、対策は必要、という意見はもっともだ。だから、今日の夜、オリガルとカートリスも同席させて改めて対策を練りたいと思うのだが…。」
「そうね、私もその方が良いと思うわ。」
「後は俺とレグ、ルナティア、…ライラも同席した方が良いかな?狙いがルナティアかも知れないなら、彼女を守るライラも知るべきだろう。あとはジャンとキュリオ…それから折角、王都に来ているのだしトーマス殿にも同席いただけるか?」
ジークリードの言葉に、レグルスが頷き、
「それは大丈夫です。今夜は別邸に泊まる予定ですから…。では、場所は我が別邸ということで…。」
と、レグルスが答えると、リリーが質問をした。
「あの…浄化もリストランドのお宅で?」
「いや、浄化は控室で行ってくれ。」
「分かったわ。それじゃあ、私はここで待ってる。…2人はどうするの?…出来ればどちらかでも一緒に居てくれると嬉しいんだけど。ほら、光魔法を使えるの、私しか居ないし、浄化が出来ることも相手にはバレてるハズだし、私はルナティアさんのように戦えないもの。お願い、どちらかで良いから、ここに残って守ってくれない?」
と、リリーが懇願した。
学生同士、とはいえ、レグルスにならともかく王族に「守って」など不敬に当たるように思うが、リリーも稀有な光魔法を持つ、ラソ教の聖女候補だ。万が一、彼女がケガなどをしようものなら、いざという時、ラソ教の協力が得られなくなるのは国として、とても困るのだ。
考えた末、ジークリードが答えた。
「分かった。レグも悪いけど残ってくれるかい?決勝戦後、2人を連れてくるのはジャンかキュリオに頼めばいいだろう。」
「本当?そうしてくれると安心だわ。ありがとう、ジークリード。」
と、嬉しそうにジークリードとレグルスの間に入り、2人の腕を取りながらリリーは微笑んだ。
少し前に、ひとり控室を出たルナティアは、カエラの試合を応援するため、選手用見学席に座って一息ついていると、背後から褐色の両腕が伸びてきて急に後ろから抱きしめられた。
「…ユグ殿下。お戯れは止めてください。」
伸びてきた腕に軽く抱きしめられた状態で、冷静、というか冷めた声でルナティアが言う。
「なんだ、男に抱きしめられて動揺もしないのか?」
つまらなそうな口調でユグが答える。しかし、腕を緩める気は無いようだ。
「はぁ…、ユグ殿下『人目』というものを気になさったことは?」
「…ないな。隠し事は嫌いだからな。」
「隠し事をなさらないのは素晴らしいと思いますが…お気に入りの妹に対して、とは言え、このような軽はずみな行動は、お控えになるべきかと。」
ユグは魔法科に行ってからもモテていた。
オセアノ国の第二王子である上に、褐色の肌をした逞しい体は多くの女性を魅了していた。
典型的な王子様タイプがジークリードやレグルスならば、どんな時も守ってくれる騎士タイプがユグだった。…王子だけど。
事実、来るもの拒まず、といった交友関係をしているのは有名で、一度でいいから、と夢を見て告白する女子生徒が後を絶たなかった。それもかかわらず、不思議と揉め事にならないのは、ある意味、彼の人徳なのかもしれない。が、ルナティアにとっては、ただそれだけだった。
「全く…普通の令嬢…いや女性なら頬を染めるところなのに、相変わらず手強いな。」
ルナティアの言葉に、のらりくらりと答える。
いつもそうだ。
「嫁に来い。」という割に、その言葉に本気度を感じられない。
(私にちょっかいを出すのも、お兄様達の様子を見ている感じなのよね…。婚約者でも決まれば、落ち着かれるのかしら?…そう言えば、お相手探しについて、お兄様が言っていたわね…。)
夏季休暇中に耳に入った話を思い出しながらユグに声をかける。
「長期休暇中にたくさんのご令嬢と交流をなさった、と聞きましたけど、婚約者はお決めにならなかったのですか?公国にも打診したと聞いていますけど。」
「はっ?!」
想定外の言葉だったのか、ユグは思わず立ち上がった。
お陰で、ルナティアを拘束していた褐色の両腕が離れ、その隙に、ルナティアも一定の距離を取り立ち上がる。
「確かに交流はした…だがそれだけだ。…国が勝手に騒いであちこちへ打診しているだけだ。というか、何故クレオチアまで知れているんだ?婚約をしたわけでもないのに…。」
「それはですね…」
周囲を確認した後、少し声を潜めてルナティアがユグに小声で続けた。
「オセアノ国からグレシャ様に求婚があったと聞きまして…。」
「なっ?!…クレオチアは決まってもないことを言いふらす習慣でもあるのか?」
「言いふらすだなんて…。あ、そうか…ユグ殿下は、今回の長期休暇中、グレシャ様が我が別邸で過ごしていらしたことをご存じないのですものね。求婚の説明はリストランド別邸でされたのです。ですから、当事者と私と兄、それと王族の方しか知りませんよ?」
「…まさかの滞在先だったとはな…。だが、俺はまだ婚約も結婚もする気が無い。まぁ、興味のある女性の名が候補に連なれば分からないが…。」
「そうなのですか?グレシャ様も満更ではなさそうでしたけど…。だとしても、私に構うのは止めていただけると有難いのですが…。と、そろそろカエラ様達の決勝戦が始まりますね。どうか、お静かに。」
しぃ…っと指を立ててユグを黙らせ、ルナティアは自身の席についた。そして、闘技場の中心部を真剣な目で眺めている。その視線の先には、友人のカエラの姿があった。
ユグは、座っていた後ろの席から、試合に集中しているルナティアの席のひとつ席を空けた隣の席に移り、静かに腰を下ろした。そして、自分が近くに居るにもかかわらず、自分に全く興味を示さない令嬢の横顔を眺める。その意識は闘技場内の友人に向けられ、自分に向けられることはない。
最初は、自国にも名前が知れ渡っていたクレオチア大国の護り刀と称される、リストランド家の令息に興味があった。…ルナティアに対しては、その令息の妹、という認識だけだった。初見で自分に食って掛かったのも、小動物が威嚇している、としか思っていなかった。…ただ、彼女にちょっかいを掛けると、リストランド令息とクレオチアの王太子の表情が変わるのが面白くて、ちょっかいを掛け続けていた。ただ、それだけだったのに…。
今日の彼女は、今まで見たどの女よりも気高く想像以上に美しかった。…一瞬、本気で欲しいと思ってしまった。
「…参ったな…。」
欲しいと願えばほとんどのものが手に入るが、一国の王子であるが故、伴侶だけは自由に選べないのも事実だ。だからこそ、婚約者が決まるまでは、自由に来るもの拒まず、で遊んでいるのだ。
そう言えば、公国の聖女候補に打診した、と聞いていたが…あれがリリー・グレシャ嬢のことだったのか。興味もなかったから返事もしなかったが…。
「婚約者に、と望んだら手に入るのか?…いや、国としては聖女とのつながりの方が望ましいか…。それにしても…祈り守られる女と、共に並び戦える女…か。」
ひとつ隣の席に座り、目を輝かせながら友人の雄姿を応援する令嬢を見つめ、ユグは小さくため息を漏らしていた。




