EPISODE Ⅶ 「僕のメイドさん←彼女の願い」
「いってェー!!脳天にクリーンヒットしたぁー!!痛いよ、死んじゃうよぉー!!」
木刀による一撃を頭上にくらい、少年は地面をのたうち回った。
「もう……。流石にその三文芝居に騙されてあげるほど優しくはありませんよ。冗談かましてないで、早く立ってください」
「あ、やっぱバレたか」
適当に嘘ついて切り上げようと思ったのに、このメイドには全く通用しない。
こうなってしまえば従わざるを得ないので、仕方なく電子で構成された木刀を手に取った
「本来は実物で練習するのが1番いいのに、ARでやらせてほしいって頼んできたからコレでやってるんですよ?少しは真面目に取り組んだらどうです?」
白銀のロングヘアーに、純白のメイド服を着用した気品のある魅力的な女性は、仮にも主人の息子である少年に対して臆することなく、且つ忖度など微塵もない言葉を浴びせた。
しかしここまで辛辣にモノを言われても少年は一切反論できない。
何故ならメイドとの関係性は『主人と従者』という括りから抜け出し、『姉弟』の枠組みへ変化しつつあるからだ。
「フィナが強すぎるんだよ。少しくらい手加減してくれてもいいだろ?」
「それでは裁弥様のためになりません。対AR犯罪対策組織『エクストラ』に入りたいんでしょう?これくらいでめげててどうします」
そう、少年───黒宮 裁弥には夢がある。
いつかエクストラに入隊して、この世からAR犯罪を無くすこと。
それが裁弥が長年思い描いている未来図だった。
「確かにそうだけどさ。朝からずっと休憩なしでやってたわけだし、今日はここら辺にしとかない?」
「ハァ……。休むほど動いているとは思えませんが、まあいいでしょう」
満足のいく答えを得た裁弥はガッツポーズをとった。
仮想の木刀を宙に放り、ビット状に分解されるのを見届けた裁弥は、フィナをジッと見つめる。
何かしらの意味が込められていると悟ったフィナは思考を巡らせると、数秒後には理解したらしく大きく息をついた。
よし、交渉成功だ。
厳しくも充実感のある練習を切り抜けたあとの楽しみとして、『フィナの手料理』というご褒美が待っているのだ。
稀に根気負けして失敗するも、大体はこうしてキッチンのある隠れ家に気怠そうに向かってくれる。
「もちろん準備していますよ。まったく……。偶にはあちらの本邸の方で召し上がってみては如何です?夜はそうしておられるようですが、本来は朝昼夜と全ての食事を食堂で摂ることが原則となっておられるはず」
フィナはそう言いつつも食材に手を伸ばし、淡々と調理を始めていく。
「……うーん。まあ、正直に言うと大所帯で飯食うの嫌いなんだよね。特に不特定多数の人に見られながら食べるのとかさ。食欲なくなるし、なにより気が休まらない。だからこうやってメンタルケアも兼ねてフィナと一緒にいるんだけど、そこら辺どう思う?」
「気持ちは理解できます。それでも100%賛同することはできません。私も一応、今は貴方のお父様のメイドなわけですから」
香ばしい牛肉の匂いが鼻腔をくすぐる。待ち望んでいた一品だ。
唾液が口腔内に溢れ、大人しく待っていられるのも時間の問題だろう。
ソワソワしている様子はまるで幼児のようだが、それほどまでに裁弥の理性は眼前の料理に奪われていた。
そんな裁弥だが、フィナが悲しげな表情をしているのに気付き、本能をグッと堪えて話を切り出した。
「前にも話したけど、親父には僕がエクストラに入ったら家を出ていくと言ってある。その時の身の回りの世話をしてもらうため、っていう名目でフィナも連れていきたいことも……。だからさ!」
興奮するあまり、声を張り上げてしまった裁弥の目の前のテーブルに、フィナは音を立てて皿を置いた。
「ええ、ついていきます。───ですから、裁弥様も頑張って練習に励んでくださいね?」
皿の上に載せられていたのは、予想通りの品『ローストポーク』。
日光に照らされて煌めく赤銅色のソース、申し訳程度に添えられたパセリやクレソンといった緑黄色野菜。
そして、薄切りにカットされたメインディッシュ。
これを目の前にして我慢していられようか。
「ああ!」
裁弥は嬉々としてフォークで肉を突き、口の中に入れていく。
次の瞬間、腔内がガーリックソースの甘みとローストポーク本体の柔さで満たされた。
これこそ裁弥が待ち望んでいたモノ。
かつて、夜中に目を覚ました裁弥が空腹に耐え切れず、キッチンを漁っていた時、偶然通りかかったフィナが作ってくれた料理。
何も言わず、ただの善意で。
そのおかげでフィナと親交が深まり、こうして個人的に話せる間柄になった。
自分にとっては姉でもあり今は亡き母代わりでもあり、淡い感情を抱く大切な人でもあり───。
嗚呼、どうかずっといつまでも、この平和で楽しい時間が続いてくれますように。
食事を終えた裁弥は屋敷に帰ることにした。
フィナは片付けをしてから戻るということなので、裁弥1人だけで本邸への帰路を辿っていく。
といっても正門から堂々と帰宅するわけにはいかない。
そんなことをしてしまえば厳格なメイド長や執事に詰問されるのは当然として、運が悪ければ親父の耳にも入って長い長い説教をくらう羽目になる。
それだけは御免こうむる。
それを回避するためには誰にも見つからないよう裏口を通って、ステルスミッションの如く『自室への帰還』を遂行する必要がある。
裁弥は慣れた手つきでゆっくりとドアノブを開け、潜入を成功させた。
よし!これなら……!
〝─────?〟
なんだ?いつもと違う。
裁弥は違和感を覚えるが、正体はすぐに分かった。
臭いだ。嗅いだことのない、鼻をつく厭な臭い。
その悪臭がする方へ足を運ぶと、裁弥が到着したのはある部屋の前だった。
ここは確か客間だ。それも用事があってやって来た客人を待たせるための。
〝なんで、こんなところから……?〟
本能的に開けてはならぬと気付いていながら、裁弥は開けた。
中は真っ暗だった。電球のひとつも灯っていない。
電気を点けようと踏み入った矢先、足元で液体が撥ねる音がした。
暗闇であったが、体の隙間から差した光によって看破してしまった。
そして見えてしまった。電気を点けなかったのは正解だったかもしれない。
夥しい数の、使用人の死体。
裁弥は悲鳴こそ上げなかったが、仰け反って部屋から飛び出した。
壁に背をぶつけ、息を荒げながら足を見た。
───血だ。べったりとくっ付いている。
悪寒と恐怖でパニック状態となり、脳はフリーズして機能停止。
次に起こす予備動作すら考え抜いて実行することさえ難しいであろう。
「気のせいじゃない。こっちから物音がした」
男の声だった。
察知されたのは予想外だったが、そのおかげで脳の処理システムが回復したらしい。思考が上手く働く。
裁弥はなんとか四肢を動かし、音を立てないように外に出た。
あれからまだ時刻はそう経過していない。
居るはずだ。
目的地に『帰って』きた裁弥は、見慣れた後ろ姿を発見した。
良かった。精神が安心感で満たされ、最低限の音量で声を掛ける。
「フィナ……!」
期待通り声が届いたらしいフィナは、既に戻っているはずの裁弥を見て、目を丸くした。
それもそうだろう。
フィナからしてみれば元気よく去っていったご子息が、数分後に絶望に染まった顔をして再度姿を現したのだから。
事情を知らないフィナとて、裁弥の身に何らかの異常事態が降り掛かったことだけは理解できた。
「……なにがあったんです?」
茶化すことなく、目線を合わせて真剣に尋ねる。
裁弥は全てを話した。
家の中でみんなが死んでいたこと。
何者かが侵入していること。
その何者かは───自分の存在に薄々勘づいていること。
対するフィナは口を紡ぐことなく、頷きながら黙って聞いていた。
本邸にいる普通のメイドや執事だったら笑い飛ばして終わりだろう。
ただし、眼前にいる専属の使用人だけは別だ。
黒宮 裁弥という人間の性格を知っているし、なによりこんな場面で巫山戯られる度胸がこの男にはない。
「分かりました。では裁弥様はここに居て下さい。私が様子を見に行ってきます」
とんでもない事を口に出した。
この女は何を言っているんだ?普通は逃げて、警察なりに通報するのが当然の流れだろう。
何故、自ら殺人鬼のいる死地に赴くのか、裁弥には到底理解できなかった。
たとえ自分がエクストラを志す者だとしても、今は悪から背を向けるのが妥当だと。
そしてその気持ちを察したらしく、フィナは頭を撫でてこう言った。
「勿論、怖くて逃げたい気持ちはありますよ。でも、今の私は黒宮家の使用人です。貴方や貴方のご家族を守るために、無茶を承知でも行かねばなりません。それがメイド兼身辺警護を命じられた私の責務ですから」
叱りつけることはなく、ましてや軽蔑の眼差しを向けるわけでもなく。
ただ裁弥の心を覆っていた恐怖を溶かすために優しく諭した。
「なら、俺も行く。1人で残ってるより、ティナと一緒に行動してた方が安全だろ。それに、今ので目が覚めた。まだ未熟だろうと、家族同然の奴らを殺した連中を放ってはおけない。だからついてく」
自分に出来ることなど皆無に等しいだろう。
それでも裁弥の中で滾りつつある『怨恨』は持ち前の正義感を加速させ、残留していた絶望や葛藤を拭った。
屋敷への再入場を果たした裁弥を待っていたのは、またしても例の臭いだった。
人が生み出す醜悪の香り、いわゆる『死臭』というもの。
実のところ、今までの現象は夢または幻で死体など自らが生成した虚構であると淡い期待を抱いていたのだが、叶わぬ願いであった。
意を決して死体が詰められた部屋を通り過ぎ、螺旋状に連なっている階段がある広間に辿り着く。
2階へ続く道のひとつ。登れば父親が居るであろう書斎があるが、地獄へ塗り替えられた我が家にて猶予は幾許もなかろう。
「行こうフィナ。父さんが無事なら───」
「待ってください。……誰かいます」
フィナはそう言うも裁弥自身の肉眼では視認できない。
ならば気配、或いは殺気か───?
両方とも未だ感じ取れる能力を会得していない裁弥にとって、ナニが、ダレが潜んでいるのか判らなかった。
ドクン、ドクン、ドクン───。
心臓が破裂しそうな緊張感。背筋は震え、額から汗が滝のように零れ落ちる。
これがホンモノの戦場なのだ。練習ではなく、仮想でもなく、たった1個の生命を奪い合うことだけを目的とした無情の極地。
やってクル。死が、そこまで───。
「見つけたぞぉ」
闇から出てた存在に襟元を掴まれ、引っ張られた。
しかし反応したフィナがソレに銀のナイフを突き立て、回避を優先したソレは裁弥を放して飛び退ける。
「貴方が襲撃犯ですか?」
黒髪の無造作ヘアに赤ネクタイと白ワイシャツ、その上に黒のジャケット、ロングコートを羽織った如何にも『仕事人』と形容できる人物が目の前にいた。
「ああ。……まさか戦闘をこなせる奴がいるとはな。ったく、聞いてないぜ」
面倒くさそうに後頭部を搔く仕事人は、コートの内側からオートマチック式の黒い拳銃を取り出した。
「寝首切り落としてぶっ殺すのが俺の戦法なのによ、これじゃ任務失敗?……でもまあ、テメェら全員殺れば結果オーライになるんだし、別にいいかぁ!?」
話の流れが全く以て不明瞭であるが、男はこちらの様子など気にせず銃口を向けて引き金を引く。
殺される、と予見した裁弥の前に立ったフィナはナイフを弾道に置き、さも当然のように弾を切り裂いた。
「へぇ、中々やるじゃねえか。だが、刃物1本でどこまで防ぎ切れるかな!」
斬られたことに動揺する素振りがないどころか、それを承知の上で男は弾を撃ち続ける。
「そらどうしたぁ!?刃が削れてきてるぜ!?」
銃撃という熾烈な猛攻のせいでフィナの扱うナイフの刀身はみるみる破損していき───。
「こいつで終いだ!」
あと一撃で粉砕されようというところで、フィナはナイフを投擲した。
たとえ鉄屑に成ろうが攻撃力だけは低下していない。男が油断すると予想していたフィナの判断は功を奏し───懐から回転式拳銃を抜いて放った。
溢れんばかりの威力によって男は右胸を撃たれ、風穴を空けたまま地面に倒れ伏す。
終わった。侵入者を駆逐した。これで、一時の平穏が訪れ───。
「あっぶねぇ。死ぬとこだったぜ」
腔内から血を垂らし、倒れたまま男は呟く。
腕に力が入り、体躯を持ち上げて何事も無かったかのように口を拭って不気味に笑った。
「ハハァ、驚いたか?ネタバラシすると、殺られる前にコイツを着けたのよ。身バレするからあんまし使いたくはなかったんだがな」
男は右目に装着されているゴーグル型デバイス『Moa-001』を指差した。
ARソフト『イージス・ガーデン』がインストールされているらしく、頭上にプレイヤーネームであろう『ファウスト』と書かれたプレートが浮遊している。
───そして驚くべきことに、胸の穴は黒いガスが集まって肉片や皮となり、修復されつつあった。
「イージス・ガーデンが現実の肉体に影響を及ぼすなど聞いたことがありません……!貴方は一体何者なのですか!?」
「そんな概念、俺らはとっくに超越してんのさ。もう現実の弾や剣は効かないぜ。なんせ俺のスキル『スモッグチェンジャー』の発動中は命中させることはできても、そんまま通り過ぎちまうからな」
あまりにも、非現実的だった。
人としての形は成しているものの、在り方が人間のルールから逸脱している。
そうなってしまえば、もはや其処にいるのは人間ではない。形容するなら人智を超越した、怪物。
「予め言っとくが、残っていた家族とかは俺の仲間が全員殺したぜ。だからもう諦めろ。素直にそのガキを渡せ」
「応じると、本当に思ってるんですか」
「いいや、便宜上言っておいただけだ。ハナから期待してねえよ」
ファウストはあろうことかフィナではなく、裁弥に銃口を向けて引き金に指をかけた。
あからさまな罠だ。考えれば直ぐにわかる。
だが、得体の知れぬ怪物を目の当たりにし、正常な判断能力を失ってしまったフィナでは至ることはできず、咄嗟に裁弥の前まで体を動かした。
もはや結果など、火を見るより明らかであろう。
肉体は弾丸によって撃ち抜かれ、空洞から夥しいほどの血液が噴き出る。
そして顔から返り血を被ってしまった裁弥はまたしても想念の隔絶───即ち、思考の停止を発動して意識を保った。
手を伸ばすも、赤い水溜まりの中で倒れている躯に触れることは叶わず、ファウストに抱き上げられてそのまま眠らされた。
あれから、何時間経過しただろうか。
まだハッキリとはしてないが、着実に覚醒しつつある意識を活用して周囲の状況を伺った。
「……………………だから言ってんでしょう。計画どーり、ガキは捕まえてこうして転がしてある。なにが不満なんだ」
「判ってませんね。我々の依頼は飽くまで『隠密行動を主とし、殺害は最低限必要な人数のみ可』と申し上げたはずです。それがなんですか、この有様は」
「しゃーねーだろ。連中、なにかと勘がよくてよ。もしも殺らなきゃ捕縛以前に全滅してた可能性だってあったぜ」
「仮想を現実化する改造を施した『Moa』があるのにも関わらず?冗談も程々にしなさい。……とにかく、子供は私が預かります。あなた方は事故処理でもしていて下さい」
口調の荒い方は例のファウストとかいう男だろう。
ただ声がくぐもって、まるで変声機を介して話しているようなもう片方の人物に関しては見当もつかない。
更にセンスのない無地の仮面をつけており、素顔は拝めずじまいである。
しかし会話から察するに仕事内容の相違で揉めているようだ。
それも一時的に解決したらしく、変声機の人物は自分を連行しようと肩を掴んだ。
「ボス、緊急事態です。階下にて何者かがメンバーを殺しながらこちらへ向かっていると情報が」
黒服の男が早口で言った。
「なに?屋敷内の生き残りは始末したはずだ。……まさか、エクストラか?」
「いえ、彼等が来るのはまだ先。───やはり、貴方に任せておいたのは失敗でしたね。問題を解決してから再度連絡をお願いします。それでは……」
変声機の男は自分から手を離し、体全体から霧を放出して消えた。
「勝手な野郎め。……おい、計画を台無しにしやがったカスを潰す。───やれ」
ファウストの掛け声と共に黒服達は『イージス・ガーデン』を介して設置型のガトリング砲を展開した。
合計3機の自動機関銃が大広間のひとつしかない正面扉を囲うように銃身を傾け、鉄の雨を降らせるべく回転を始めた。
足音が、聞こえる──────。
人間1人分の足音だ。普段なら足取りだけで人物を特定するなど到底不可能な話ではあるが、今回は違う。
知っているんだ。それも、脳内で再現できるほど正確に。
そこから導き出される結論に、裁弥の口角は僅かに曲がっていく。
それと同時に現状をどうにかせねば『彼女』が蜂の巣になってしまうと推察して、行動に移そうとするも、動かない。
身体機能に異常があるわけではない。ただ理由は直ぐに解明できた。
単に、怖いのだ。
自分への不甲斐なさに泣きたくなるほどだが、そうしている間にも足音は確実に近づいてくる。
ついに扉の前で歩が止まり、裁弥は覚悟すると共に息を呑んだ。
「───」
一瞬の静寂が訪れた後に、勢いよく扉が開かれて二刀のナイフが水平に飛んだ。
得物は黒服らの首元に突き刺さる。予期せぬ先制攻撃に反応しきれなかったファウストは遅れをとってしまうが、設置済みの自動機関銃だけは予定通りセンサーを用いて目標をロックし、弾丸を掃射する。
『彼女』は持ちうる限りの筋力を使って地面を蹴り、宙を舞った。
弾は人体ではなく天井を撃ち抜き、やがて銃身は『彼女』から投擲されたレイピアによって串刺しになって機能停止を余儀なくされる。
「バカな……。有り得ねぇ」
裁弥も同意見だった。
強いことは重々承知の上ではあったが、これほど常識の範疇を超えていたとは今初めて知った。
「つーか……。その身体能力も巫山戯てるがな。俺が1番に驚いてるのはお前がどーして生きてるかだ。なあ、教えてくれ。血塗れのメイドさんよ」
「……………………貴方に……言う必要は、ありません……」
フィナはとうに限界を迎えていた。
あれほどの銃撃を胴や四肢に受けながら、平然と立っていられるはずがない。
体の至る所から流血し、致死量を大きく上回っている。
それでも何故、活動を継続できるのか。
答えはひとつ。───守るべき、大切な人がいるから。
ただそれだけでメイドであるフィナの生命力は大幅に増加した。
そう。さして難しい理由ではない。
だからこそ、死と殺人に染まっているファウストには考察できるはずはなく、そのまま質問を後にした。
「───そうかい。まあ、興味本位で聞いただけだから答えなくたっていいさ。……それよりよ、お前は俺の商売をご破算にしてくれた。ツケは払ってもらわねえとな……!」
ファウストは激昂しながら拳銃をフィナに向ける。
事態の危険度からか、裁弥の足が恐怖という拘束具から解除され、叫びながら立ち上がった。
「よせッ!!」
目標の意外な横槍に苛立ちを募らせたファウストは銃口を裁弥へと変えた。
「邪魔すんじゃねえ、クソガキが!!」
今にも発砲しそうな剣幕が表情に表れている。
もはやファウストに理性はない。たとえ裁弥であろうと構わず撃ってくるに違いない。
それを判っていながらも、裁弥は走った。僅かばかりの希望を胸に、無謀だともいえる行動に出た。
フィナも合わせて残されたナイフを片手に駆ける。
よし、注意はこちらに向いている。頭に血が上っている今なら、気配を察知されることなく倒せる。
───銃撃音が鳴り響いた。激痛を考慮して目を閉じ、歯を食いしばっていたが、一向にその感覚は襲ってこない。
目を開いて、現実を確認した。身体から血は出てない。
前を見た。
フィナが、死んでいた。
なんで?おかしい。だって銃は僕に向いていた僕を撃たなきゃいけないのになんでフィナが死んでんのおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。
処理が追いつかない。
心が追いつかない。
現実が、追いつかない。
混乱している裁弥に、ファウストは打って変わって上機嫌で笑った。
「フフフフ。マジで俺が正気失ってテメェを撃つと思ってたか?んなわけねえだろ。たとえ取引がオジャンになっても、テメェという切り札を持っておくのは悪くねえ。だからこうして、B級映画も真っ青な芝居をうったわけよ」
丁寧に説明したが、裁弥には届いていない様子だった。
もう現実を受け入れるほどの精神力を備えていない。
人の形をした抜け殻、になるはずだった。
「……………………裁弥……様……」
この声を聞くまでは。
裁弥は駆け寄った。幻聴かと思ったが、構わず走った。
「裁弥、様。頑張って…………立派な人になって下さい…………。貴方なら、できます…………」
もはや言葉に覇気はない。裁弥は掠れている声をなんとか聞き取った。
「無理だよ……!フィナがいなきゃ!」
「無理でも…………やらなければ…………。大勢の人を救って…………新しい家族を見つけて…………」
もう命の灯火が消える寸前だった。棺桶の蓋がしまりつつある。
涙を堪えて最後に、伝えたいことを───。
「フィナ。僕は君のことが」
言い切る前に、裁弥の顔面に大量の血液が付着した。
フィナは額を撃ち抜かれ、強制的に生を終わらされた。
「もういい。別れ話は済んだだろ。ったく長いったらありゃしねえぜ」
済んでない、本当に聞きたかったのは───。
裁弥はおもむろにジャケットのポケットから『Moa-001』を取り出して、血だらけの顔に装着した。
『気質』がそうさせた。彼の中に眠っていた、未知なる気質が。
「なにしてる?まさかメイドがイージス・ガーデンのレイピアで、同じ機関銃を壊したからいけるとでも?ありゃあどっちも仮想だからいけたんだよ。俺みたいに仮想を現実化できないお前じゃ、いくら頑張っても無駄だ」
『頑張る』。さっきフィナに言われた言葉だ。
それを、お前みたいなクズが使うな。それを使っていいのは『俺』みたいな正しい人間だけなんだよ。
『俺』は正しい。お前らクズを全員殺して、立派で誇れる人間になる。
「……無駄じゃねえ。俺ならやれる。『今』の俺ならな……!」
裁弥はイージス・ガーデンを起動させる。
ロードを終えた後、手の中には今まで顕現することがなかった『スタートアップ・サービス』の武器『黒霧刀』が出現していた。
全てが黒い刀。それを握って、裁弥はフィナの骸に背を向ける。
「おいおい、ホントにやるってのか?バカにも程が───」
クズの御託などどうでもいい、という風に裁弥は胴を突いた。
「い、いてェェェ!!?」
起こり得ぬ現象が発生していた。
市販のARデバイスを使って、他者を傷つけて血を流させる行為。
裁弥は決して不正な改造など施していない。中身は純正そのもの。
それはプロの犯罪者であるファウストを以てしても解らず、解析不明の異能力だった。
ただ肝心の裁弥本人は気に止めておらず、さもARの『黒霧刀』で人を斬れるのが当然のように冷静を保っていた。
「なにをしやがった……!?なんでお前がソレを使える……!?」
取り敢えず怪奇現象ともいえる事象が発生している中、生身でいるのは危険だ。
そう判断したファウストはすぐさま『イージス・ガーデン』を有効化し、物理攻撃が遮断できるスキル『スモッグチェンジャー』で肉体を防護する。
これで如何なる剣戟や銃撃も無力化することが───。
「ダークネス」
裁弥が呟いた単語と共に剣を横に薙いだ。
敵ではなく虚空を裂いた『黒霧刀』の刀痕から『闇』が出現して、近くにいたファウストを呑み込む。
「な……!んだこりゃあ!?」
まるで底なし沼に嵌ったかのようにゆっくりと、着実に堕ちていく。
助かるべく足掻くも徒労に終わり、もはやファウストに生還の兆しはみえなかった。
「俺を殺して満足か……?俺を殺して……!満足したかよ……!!」
「ああ。───いい気分だ」
ついに『ダークネス』に総てを呑まれ、その姿を永遠にコロした。
裁弥は天井を見上げ、目を閉じた。
ファウストは闇に消えた。脅威は失せた。地獄から解放された。
「これはこれは。派手にやってくれたねえ」
瞬時に反応して声がした方向へ剣を向ける。
そこにいたのは黒のスーツに身を包んだ黒髪に黒縁のメガネをかけている20代後半と思わしき男性。
男は半壊している手すりに腰を下ろし、こちらに敵対心の無さをアピールすべく両手を上げている。
「誰だ……?いや待て、知っているぞ。アンタ、『エクストラ』だろ」
「へぇー、よく知ってるね。僕も少しは有名になってきたかぁ」
ニヤけて悦に浸っている男に裁弥は駆け足で近寄り、胸ぐらを掴んだ。
「なぜ……!なぜもっと早く助けに来てくれなかった!?」
「だって連絡なかったしさあ。こうして僕が来たのも君の親御さんに用があってのことで、ホントの偶然なわけだし。───あ、でも無理か。たぶん連中のことだから、周囲にジャミング装着なり置いて電波妨害の信号送ってたはずだもん」
「……父さんは死んだ。こいつらが殺した」
「そんなの見ればわかる。ひとまず応援呼ぶからさ。君を保護して、死体回収して、綺麗サッパリお掃除しなきゃ」
裁弥からイラつきはなくなり、手を離して呆然と立ち尽くした。
「俺はこれから、エクストラに行くのか」
「身寄りのない君じゃ無難だと思うけどね。それに良かったじゃない。エクストラに入るっていう長年の夢が叶ってさ。───でしょ?黒宮 裁弥君」
『イージス・ガーデン』をONにしているため頭上には『SAIYA』と刻まれたネームプレートが表示されている。
男が自分の素性を看破できたのはそのためだろう。
それより───。
「なら早く連れ出してくれ。もうここには居たくない。もう……な…………」
意識が途切れ、その場に倒れた。
「──────議は待ってくれる?今、病院にいるから。……違う違う。私じゃなくて、今ウワサの彼の付き添い。……そう。じゃまたね」
知らない女の声だ。いつも聞いていた声と違う。
身体中が痛い。ケガなんてしてなかったはずなのに、どうして?
目が開けられそうだ。瞼の隙間から光が差し込んでくる。よかった、生きてた。
「あら、目覚めてくれたわね。おはよう、どこかおかしなとこはない?」
女は黒髪ロングヘアーに赤の瞳。物腰柔らかそうな性格で、黒のスーツを着ていた。
「痛い……。全身がズキズキしてて痛い」
「初めて全力で実戦をした弊害ね。無理にアビリティを酷使したからそうなったのよ。別に気にすることじゃないわ」
「そうか……」
話している内に意識も回復していき、女に支えられながら上体を起こした。
暫くすると女が呼んだのか、医師と複数の看護師が来て自分の健康状態を診て、異常がないことを判断したらしく退散していった。
そして女との会話に戻る。
「私は旭山 零加。エクストラの人間で、ここはその管轄内にある病院」
「……なあ、ひとつ聞きたい」
「なに?」
裁弥はおもむろに聞いた。
「みんな死んだんだよな。俺以外に、生きてたやつなんていないよな」
「残念ながら、いないわ。貴方だけが唯一の生き残り」
現実を再確認した。そして、僅かばかり残されていた希望への終止符でもあった。
「俺はこれから何をするんだ?」
「貴方が望むことを。もしもエクストラに入るなら今すぐ退院してもらうわ。でも別の道を歩んで、平穏に過ごすなら少し待ってもらうことになるけど」
「行く。アンタと一緒に、ここを出る」
既に答えを知っていたかのように、零加は微笑んで椅子に立て掛けてあったバックを広げた。
「これ、貴方の着替えね。本来はエクストラ本部に行って書類提出やら色々しなくちゃいけないんだけど、もう私がしといたから。貴方にはこれから過ごすアパートに行ってもらう。……それじゃ外で待ってるから。終わったら出てきて」
そう言い残して零加は廊下に出た。
ふと時計を見ると、例の惨劇から1日しか経過していない。
なんて手際の良さと思いたくなると同時に、悲愴感が心に溜まっていった。
支度を終えた裁弥は廊下に出た。
「似合ってるじゃない。サイズも丁度いいわね。じゃ、行きましょうか」
病院から出ていく間、零加とは一言も交わさなかった。
退院手続きはどうなったのか。
エクストラにはいつから配属なのか。
黒宮の屋敷はまだあるのか。
聞きたいことは山ほどあったが、今の裁弥のメンタリティはそれができるだけほど回復していなかった。
気付けば駐車場まで歩いていたようで、零加に連れられて黒のセダンに乗り、病院を後にした。
それからも会話なんてなかった。
零加も察しているのか、話題を振られることはなく、ただ車の走行音のみが車内に轟いていた。
そして───。
「ここが貴方のお家。今は誰も住んでないから気を使う必要はないわ」
ボロアパートだった。
つい先日まで屋敷で平和に暮らしていた裁弥にとって見聞のみでしか知らない建築物であり、実在するなんてという気持ちの方が大きかった。
「安心して。研修が済んだら私のいる旭山の屋敷に来れるから。それまでは社会勉強だと思って一人暮らしを満喫してちょうだい」
車を降りてアパートの2階へ向かう。
『202』号室と書かれた部屋の前で止まり、零加は裁弥に鍵を渡した。
「1番キレイなのがここね。他は年月が経ちすぎてボロボロだし」
ドアを開けると外装と打って変わって清潔そのものだった。
目立つ汚れなど微塵もなく、まるで新築仕立てのようである。
「文句ないでしょ?生活に必要な物資は揃ってるし、なにかあったらここに連絡して」
零加に渡されたのは『旭山財閥』の連絡先が書かれた名刺だった。
「あっ、それと最後に聞いておかなきゃ。コードネームはどうする?エクストラで『隊員』として戦うとなれば、本名はまず名乗れない。だから今のうちに決めて」
想定外の質問だった。そんなの即興で思いつくはずかない。
なにか───なにか───なにか───。
───そうだ!
「『ロースト』。ローストで頼む」
「ロースト?美味しそうな名前だけど、それでいいの?」
「ああ。俺の未来と過去を繋ぐ言葉だ」
「───わかったわ、申請しとくわね。これで手続きはおしまい。これからよろしくね、ロースト」
「こちらこそ、よろしく」
ローストは差し出された手を取り、握った。
去っていく零加を見送り、独りで部屋に戻ると、何気なくドアをみつめた。
エクストラに入れた。夢が叶った。喜ばしいことだ。
でもどうして───こんなにも───胸が苦しいのだろう。
答えはすぐに解った。
本来、ここにいなくてはいけない人物がいないから。
その人物は自分を護り、傷ついて、死んでいった。
最期まで、自分を案じて。
〝ええ、ついていきます。───ですから、裁弥様も頑張って練習に励んでくださいね?〟
ローストもとい裁弥の目に、溜め込んでいた様々な気持ちが泪として具現化し、零れていった。
泣き続けた。自分の過去と、大切な人への別れを込めて。
そして誓った。また手にすることになるであろう大切な人を、今度こそ絶対に失わないようにと。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
ローストの少年期ということで、かなり長くなってしまいました。
ちなみに終盤で出てきた眼鏡の男は「カルニ」です、
次回からは通常の過去編に戻りますので、今後ともよろしくお願いします。




