たまたま調子の悪かった日の俺様
存在を忘れなければすぐ終わります。
気軽にお付き合いくださいませ。
俺様もビックリして毛が逆立ってしまうくらいに寒い日だった。
たまたま、本っ当にたまたまその日は運が悪く。
出かけるときにお気に入りのベルトのバックルが壊れた時点で気が付けばよかったと、ボロボロの黒コゲになりながら後悔してしまうくらいには運が悪かった。
通りがかった先の火山では子育て中のワイバーンのメスにはキレられ、失恋中のシーサーペントの八つ当たりに遭い、部下には謀反を起され城は燃やされる。挙句の果てにお向かいさんの人間界では『神のくしゃみ』なんぞ呼ばれるくしゃみどころじゃない激痛が走る雷に打たれ、ついには再生魔法に回していた魔力が尽きかけ、貴様何様人間界を脅かす魔王様である俺様が、国境にある森で死にかけていた時――……。
「うわっ黒っ! …焼けた熊?」
「誰が熊だ。誰が」
「死体が喋った!?」
失礼千万な人間の女が現れた。
ちょっと毛皮のマントと全身が黒焦げなだけで、俺様の見た目は熊ではないはずだ。
多分。
「俺様が死ぬものか。ちょっと冥界に遊びに行く手前かもしれんだけだ」
「それ世間では死ぬって呼称されるんじゃ…」
「人間界のルールなんぞ知らん。それよりも人間の女、俺様に恐怖も湧かないとは中々に肝の据わったヤツだ。城が燃えてなかったら持ち帰って遊んでいたところを」
「最後の物騒な言葉はともかく、なんか壮絶だねえ…。どの世界でも生きるのは大変なのか…」
女はそう話しながら何やら体をまさぐっている。いや、鞄から何かを取り出そうとしているのか。人間は小さいから動きがちょこちょこしていて分かりにくい。
「あったあった。これを使いなよ。喋る魔界出身の熊でも自然由来の物ならなんとか効くでしょ」
使いなよと言いながら女は俺様に何やら緑色の液体をかけてきた。なんか臭い!
「酸か!? 女、俺様に何をする!」
「いやいやいや、流石に死体蹴りみたいな業の深いことはしないよ。……どう?」
質問を受け、俺様の魔力が回復していることに気付く。
慌てて全身に再生魔法をかけ直す。ほぼ全損に近い装備はボロボロで黒焦げのままだったが、肉体の損傷は徐々にだが回復してきた。これならば一晩回復に集中すればぶらり冥界ツアーをせずに済む!………………そこではなく。
「人間界の薬か! 何故俺様にそんなものを――…」
「効果は抜群でも臭くて在庫が沢山あるんだ。死にかけの熊がいてちょうどよかった」
「俺様を便利な押し付け先みたいに言うな!」
「押し付け先なんだよなあ。ま、回復したようでよかったよ。これでも神職の一端を担う人間なんだ。救える命が助かって万々歳! 寄付については魔界経由の怪しいお金でも貴重な素材でも我が宗派は受け入れております!」
「商魂精神が根づきすぎてる宗派もどうかと思うが…」
「余裕がなければ信仰は生まれないってね。じゃあ、そろそろ暗くなってきたから私は帰るよ。熊さんもせっかく助けたんだから生き残ってよね~」
俺様が制止する声を開く前に女は消えた。呆然と女がいた場所を見つめていた俺様だが、肉体の回復が進むにつれ、目を逸らしたい事実と向き合わねばならないことを悟ってしまった。
この!魔王である俺様が!人間の女に助けられてしまった!
失態。いや失態どころではない。
魔界の「一年に一度ウソをついても謀反を起してもお咎めのない日」でもこんな冗談を言ってしまえば周囲のドン引きは必須。魔王様はジョークがヘタクソと揶揄される。。
幸い、周囲には動物の気配がなかった。俺様の本当の姿も装備が焦げていたせいで分からなかったようだし、あの女が吹聴しなければ。俺様が黙っていれば済む話……。
だが、それでよいのだろうか。
魔王様である俺様が、周囲の目を気にして命を救った者の存在を無視していいのだろうか?
いくら悪逆非道と人間界で恐れられ、いくつもの謀反もなんのそのと叩き潰し、力で従わせてきたおそらくこの世界の「最も悪い存在代表選手」である俺様魔王様にだって、命を救った恩人に何か返したいと思う気持ちが湧いてきてもしょうがないのではなかろうか?
「……等々、考えてる時点で。俺様はあの女に恩を返すと決めているのが」
まずは傷を癒すか。女を探すのはその後でもよい。
そう思った俺様はひと眠りすることにした。
―――俺様の「ひと眠り」が人間界にとっては一人の国王が戴冠し、何事もなく時代に未来を継ぎ、天命を全うするほどの長さだということに気付くのは、俺様が謎のご神体として祭られ、人間たちのお祭り騒ぎに目を覚ました後だった。