41、お嬢様と髪型 ☆※new挿し絵あり
気付いたら朝を迎えていた。
見知らぬ天井……というか天蓋に一瞬戸惑う。
(ああ、そうだ。旅行に来ていたんだっけ)
と思い出し、でも瞼が重たくてまたすぐ眠りの世界に戻ろうとする意識の中、右上から光の束が襲ってきた。
「!!」
それが朝の日差しだと気付き、そろそろと目を開けると日差しにその飴細工のように繊細な輪郭が浮かび、その人物の姿に気付かされる。
「おはようございますお嬢様」
久しぶり過ぎるその光景で、これは過去を夢で見ているのかと思った。
けどそれは紛れもない現実。
「二度寝は寝坊のもとですよ? 早く起きてください」
「もしかして……本物?」
アニエスはもっそりとベッドから抜け出た。
ぼーーーーっと相手を見つめてみる。
「凄い寝ぐせですね……」
その長い睫毛、アレクサンドライトの瞳。
整いきった目鼻立ち。
「アレクサンダー……なんでここに? 今日来るにしても、まだ朝だからいないはずじゃ……?」
アレクサンダーはアニエスのベッドを整えながら答える。
「昨晩の最終列車に飛び乗って、こちらには今朝方、着きました」
ベッドを綺麗にすると今度は長い指で、アニエスの乱れた髪を簡単に整えた。
「今メイドを呼んできますから。顔を洗って着替えたらお嬢様の御髪は、僕がしても宜しいですか?」
それを聞きアニエスは笑顔になる。
「アレクに髪をしてもらうのなんて、一年ぶりだわ! もちろんお願い!」
アニエスは自分の髪を整えていたアレクの綺麗な手を手繰り寄せ、愛おしそうに頬ずりした。
「……指が、冷たくて気持ちいい……」
そうしていると寝起きで若干青白かった頬に、逆に薔薇のような赤みが差していく。
うっとりとした眼差しは、睫毛の下で潤み唇は紅も差していないのにほんのりと赤く滲んでいた。
その様子に、アレクサンダーの手は思わず逃げだす。
アニエスはどうしてアレクが手を引いたのかわからず。一瞬びっくりした表情になったがすぐに切り替えた。
「メイドを呼んでちょうだい」
それでアレクサンダーはいったん部屋を退室する。
水差しの冷たい水が洗面器に注がれ、顔を洗ってから渡されたタオルで拭いて、それから歯を丁寧に磨く。
寝間着を脱ぎ、一瞬、何も身に着けていない肌がすべて露わになるも、すぐに二人のメイドが下着を着せた。
少女用の夏らしい薄手のモスリンのドレスをアニエスに着せ腰に帯を巻き背中にリボンを作る。
もう一人のメイドがアニエスにタイツと短めのブーツを履かせ、紐はアニエスが自分で言って自分で丁寧に結ぶと、そこでアレクサンダーが呼ばれた。
アニエスは大きな鏡台の前に腰掛ける。
慣れた手つきでアレクサンダーが、アニエスの艶やかな白金髪の髪を豚毛のブラシで、梳かしはじめた。
「髪型のご要望はございますか?」
「久々に下ろした感じにしたいわ。王宮ではいつも結んでいたり上げていたから」
「じゃあ上の方で髪を編み込んで、それ以外は下ろしましょうか……毛先は少し巻いても?」
「アレクにおまかせします!」
そう言うと、アレクサンダーは器用にササッと耳の脇から細い三本ずつの編み込みを作り合わせていく。
アニエスはここ一年。
行儀見習いとして自分のことは自分で……その中にはもちろん髪も自分で色々するのだが、中々に苦労をしていている。
だからアレクサンダーの見事な手際に見入って感心した。
「改めて……すごく上手ね」
「そうですか? 一年間、自分以外の誰の髪も触ってこなかったので……やっぱり腕が鈍っているなと思いましたが……」
そう話しながら髪の毛一本の後れ毛もアホ毛もたっていない。
「そんなことないわ。私なんてコテを使って髪を巻くとすぐに指先を火傷するし……」
「……きちんと薬を塗っていますか? 傷を残すようなことは絶対やめてください」
アニエスは大袈裟な……という顔をしたが、アレクは急に手を止めると、しゃがんでアニエスの手を取った。
「……やっぱり適当にしていますね。少し火傷が残っているじゃないですか……」
アレクサンダーはアニエスをじっと睨む。
「こ、これは昨日できたばかりで目立つだけよ! 組手のうち身に比べれば、小さいものでしょう……? それに私の体質ならよく眠ればすぐに治るわ。最近は少し寝不足だったの」
アニエスはたじろぎ余計な言い訳をする。
そうするとアレクサンダーはごく真面目な顔でさらに質問した。
「……六月の件でのケガなどは残っておりませんか? あの時は申し訳ありませんでした」
アニエスはそれに笑って首を振る。
「もうとっくにそんなの治ってしまってるわ。それに、かすり傷や打ち身の一つや二つで……」
アレクサンダーはそれに間髪入れずに言う。
「お嬢様はもう小さなお子様ではないんです。かすり傷だって身につけるべきではないんです」
そう強くも静かに諭した。
「でも、それではアレクやエースと鍛錬できないじゃない?」
アニエスが困ったように言うとアレクサンダーはアニエスの手を丁寧に扱いながら強く握る。
「はい、もうそうゆうことはされない方が宜しいかと……何かあれば僕が盾になって何があろうと貴女をお守ります」
アニエスは思わぬ発言に目を見開き、悲しそうに瞳を揺らした。
「……嫌……なんで、私ばかりを仲間はずれにするの?? ずっと三人一緒に頑張ってきたのに、それは私が女だからなの?」
アレクサンダーは頷いた。
「はい、お解りのようですね。今はまだそこまででなくとも、いずれは目に見えて体格にも差が出てきます。そうしたら、とてもお嬢様と一緒には今までのように鍛錬するわけにはまいりません。……貴女を壊してしまいそうで、僕らも怖いんです」
アニエスはそれにカッと血がのぼり立ち上がる。
「なによ! 壊してしまいそうって……私はそんなに柔じゃない!! 人を壊れ物みたいに勝手に言わないで!!」
アニエスはさらにアレクサンダーに詰め寄った。
「私の何がそんなに弱いというの? さあその口で言ってごらんなさいよ」
アレクサンダーはそれに気圧されることも無く、堂々とアニエスの瞳を見返す。
「貴女は弱くなんてない。ただ男たちにとって貴女の存在はあまりに綺麗すぎるんだ」
強くはっきりとした言葉だった。
けれど、それに対しアニエスは眉を下げて急に変な顔になる。
「……………………………………貴方に言われても、その…………説得力が………………」
アニエスは口をもごもごさせた。
アレクサンダーはイラッとして、アニエスの頬をぐいっと引っ張り逆に詰め寄る。
「……何がおっしゃいたいんでしょうか? お嬢様?」
絶対零度の眼差しで冷ややかに見降ろし、アレクサンダーはアニエスを睨んだ。
「怖い!! 美人なだけに余計に!」
キャーキャー言うアニエスに、アレクはもう片方の頬もぐいっ引っ張る。
「……本当……どう怖いか、いっそその身体に教えてしんぜようか……」
「アエフ……ほへほり、はひのふふひほひへほーはひ」
アレクサンダーは手を放して解放すると、ため息をついた。
「……じゃあ毛先を巻きますから、早く座ってください」
そうして毛先を巻き終わると、そこには実に可憐な公爵令嬢(※見かけ)が完成する。
もうそろそろ八時だ。二人は朝食に降りるため部屋を出た。
「アレク! アレク!」
「今度はどうしたんですか?」
「せっかくだから手を繋ごうよ! 昔みたいに」
アレクサンダーは少し赤くなって困った顔になる。
「何をそんな小さな子じゃあるまいし……」
しかし、アニエスは勝手にアレクサンダーの左手を取った。
「ふふっ! もお、放さないもんね!」
先程アレクサンダーに対して腹を立てたのをすっかり忘れ、ご機嫌にその手をぎゅうっと握る。だがそうするとアニエスはあることに気付いた。
「……さっきも思ったけど、何だかアレク……かなり手が大きくなってはいない?」
そう一年前はまだ大して変わらなかったはずである。それなのに……。
「だから言ったんですよ」
アレクはぼそりと言う。
「僕らは変わるんだって」
珍しくもアニエスのお嬢様らしい日常です。普段アレですからたまには……。




