175、【◎閑話】再会の旅と灼熱の太陽(その七 異形の娘)
※今回は142話のエルフ繭になる前に、アニエスに起こっていた事件についてのエピソードです。(※アニエス9歳)
「………………」
ぱちりとアニエスが目覚め、モノすごい違和感が脳みそを駆け抜ける。
何だか……手足の存在を感じない。
代わりにネパネパと吸盤のようなものが身体の縦に前身を走り、どうやら起動範囲は狭いものの自由に動かせそうである……。
というか、胴体部分がやたら長い気がするのはどうか気のせいであれ!
まさか足が無い代わりに胴体部分がそこをみょーんとカバーしている!?
アニエスは憂鬱な気分だった。
ただひたすら今の自分の姿を見るのが怖い……。
だがもしも、もしも……もうそうなっているなら、今さらジタバタしたところで変わらないし、むしろとっとと現状把握するのが賢いように思えた。
ここら辺はさすが謀りと戦術と効率重視のアニエスといえる。
ドテンと転がるようにベッドから降り、吸盤を規則的にキポキポ動かし、三面鏡のドレッサーへと近付く、なっがい胴体を何とかフンッと持ち上げてドレッサーにしがみつくと、そこには……!
「!! (ガーン)」
はい、残念! 予想は的中していた。
アニエスは現在……虫になっている!
そう……朝、アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアが不安な夢から目覚めると、ベッドのなかで、ものすごい虫に変わっていたのだ!
ついに……ついに真っ当な(?)人外になってしまったと、ガタガタと身体を震わせるアニエス。
全体的に芋虫っぽいのにミノムシやとんぼの幼虫のヤゴのような固いトゲトゲした装甲に背面が守られ、鎧や兜っぽくも見える。
顔は意外とかわいく、目がつぶらでクリクリとしていた。
だが、そうは言っても巨大な虫には変わりない!
「……んピーッ! ……んピピーッ!」
どうやら声帯もご愁傷さまのようである……。
縁日の玩具のような笛とも呼吸音ともつかない音しか喉から発することが出来ないではないか!
受け入れ難い現実に、頭が白くなるアニエス。
だが、その時である。
ガチャリと部屋のドアが開いた。
「あら、お嬢様。お目覚めですね?」
「……!!?」
馴染みのメイドがにこやかに部屋に入ると、いつも通り、鼻歌まじりにカーテンの紐を引っ張り、ビロードのカーテンをスるるるるるっと左右上下にと開いていく。
「昨日はよく眠れましたか、お嬢様?」
「………………」
なぜ彼女はこんなに平然としているのか? もしかして自分には虫として映るこの姿が、彼女には人間にしか見えない……とか?? アニエスは現在、ひじょうに混乱している。
「それにしても昨日は驚きました……お嬢様が苦しんで苦しんで苦しんで身体を丸めた次の瞬間に……まるい卵になって、それから本当に瞬きをしたその間に、その姿になっていたんです! あれには本当にびっくり致しました……」
「……ぴー?」
ああ、なるほど。
変身する様子を目の当たりにしていたために、どうやら彼女はすんなりアニエスの現状を受け入れているらしい。
うん……だが目の前にしたとして、果たして受け入れられるものなのだろうか??
アニエスは前々から感じていたが、この屋敷の者たちは、時々尋常じゃない適応能力を見せる気がするのだが、これはやっぱり気のせいなのだろうか??
「お嬢様! 朝食をお持ちしました」
普段の朝なら身支度から始まるが、この姿に身支度もクソも無い。
ましてやアニエスは病人ということになっている。
アニエスは素直に「んピピーッ」と言ってベッドに戻ると、メイドはそこにベッドトレイテーブルに小さなテーブルクロスを敷いて準備をしてくれた。
今日の朝食は何だろう?
アニエスが朝食のメニューにソワソワわくわくしていると、メイドがいったん部屋を出て、食事を乗せた台車をガラガラと運んでくる。
ゴトンッ。ゴトンッ。ゴトンッ。
そして、置かれたのが丸のキャベツ。
それをよーっポンッとばかりに、何だか縁起の良い山の形にトレイテーブルに三個も積まれた。
「……………………」
困惑してチラッとメイドを見るアニエス。
しかしメイドはにこやかに微笑むだけだ。
これはもしかして嫌がらせなのだろうか……? いやいや、彼女は今までそんな事をしたことなど無い人物である。
人を簡単に疑うのは良くない!
とはいえ、……じゃあこれは……??
「あ! ご安心下さい。ちゃんとデザートにリンゴとスモモとスイカもご用意いたしました!」
因みにそっちも丸のままである。
「……………………」
アニエスは非常に文句を言いたかった……とはいえ用意されたものを一口も口にせずに、文句を言うのも何だか気が引けて、一応、一度口にすることにする。
ただせめて、ドレッシングの一つも用意して欲しかったな……と思いつつシャクリとキャベツを一口齧った。すると……。
(あっまああぁああああい……! キャベツ甘ああああああああつ!?)
そう、それはまるで金賞受賞の最高級メロン! ……いいや、もしかしたら最高級肉の最高部位の甘さに近いかもしれない……!?
本能が歓喜し、頭の上でラッパのハーモニーがパッパラーと鳴り響く美味しさに、アニエス虫は感動に震えている!
(キャベツ美味しい! キャベツうまーッ!)
アニエス虫は夢中でむしゃむしゃとキャベツを頬張った。そして気付けばあっという間にキャベツ三つを完食してしまう。
「……(けぷっ)」
普段なら絶対にしないゲップも、この姿なら難なく抵抗なく出来てしまうのは、怪我の功名と言うべきなのか……。
アニエス虫は非常に満足気にベッドの上で微睡んだ。
だが、アニエス虫……略して『アニ虫』は当然この後の虫の生理現象に苦しむことになるのである!
ぶるぶると全身が震える……こ、これは……!?
アニ虫は急いでベッドから降りて、各部屋、個室に付いているバスルームへとキポキポ……キポポポポッと吸盤を忙しなく動かし急ぐ。
トイレのフタを触覚で開け、座ろうとするも長い身体が滑り上手く座れない!
……というかこの身体のお尻はどこなんだ!? っていうか、そこかあぁああ!?
え、じゃあ……一体どうやって……? アニエスは焦りと限界にぷちパニックを起こす。
「お嬢様、お嬢様! コチラです!!」
だが、その時。いつの間にかやって来ていたもう一人のメイドが、そうアニ虫に声をかけた。
見ると部屋には小さな絨毯サイズのトレイに、室内犬に排泄をさせる時のような準備が整えられている。
「……! …………!?」
だが、アニエスは腐っても超名門ロナ家のご令嬢。人前で公開排泄するだなんて、死んでもするわけにはいかない。
……というか、その時点でアニエスは半ばひどい便秘による腸閉塞から訪れるであろう、死すら覚悟した。
アニ虫はイヤイヤとキポキポと逃げ出したが、……そこはさすがのロナ家の超優秀な使用人勢である。
すでにいつの間にか待機していたその三、その四のメイドによってシュババッと迅速に網で捕らえられ、完璧な連携とファインプレイで犬用ペットシートまで敢なく連行となった。
「……んピピ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!?」
虫の悲痛な叫びも虚しく…………、また、虫ゆえの本能に忠実な体質から、アニ虫の身体はペットシートまで来ると、コロ、コロ、コロンと勝手に蠕動運動を行い、健康的な生命維持活動を行った。
「「「「お嬢様、とってもお上手〜〜〜〜!!」」」」
上手く排泄できたことに、四人のメイドから拍手喝采と共に絶賛されるも、アニエスは羞恥で当に虫の息である! 虫だけに……。
アニ虫はポロポロと涙が出て止まらなかった……。
「それにしても……何て輝きでしょう」
「綺麗っ」
「持ち帰りた〜い!」
「触っても大丈夫なのかしら……?」
その言葉に瀕死だったアニエスがビクッと動き、サササッと自分の出したものの前に通せんぼをする。
というかコレは一体なんの羞恥プレイなのか!?
だが、そこにある人物が現れた。
「こらこら君たち。家のお姫様をあんまり虐めないでやってくれ?」
現れたのはロナ家現当主。
黒髪に金目の美しく居るだけで空気を一新してしまう存在。ロナ公爵イライアスだった。
彼の登場にメイドたちはお喋りをピタリと止め、ささっと襟を正して、横一列に並んで全員が腰から四十五度の角度でお辞儀をする。
「「「「おはようございます。旦那様!」」」」
「はい、おはよう。ところで何を騒いでいたんだい?」
「はい、実は……」
ペットシートに目線を向けるメイド達の視線。
それをたどり、イライアスは驚きに目を見開いた。
「んん? これは……」
見るとペットシートの上には艷やかな翡翠や琥珀。水晶や瑪瑙の様なまん丸の宝石そのもののような美しい物体がコロコロと転がっている。
イライアスはそれを、それは物珍しそうにヒョイッと拾い上げた。
「ほうほう……これは素晴らしいね!」
だがソレに雷に打たれたように怒り狂ったアニ虫が、キポキポと突進しベシベシと泣きながら、そんな父親を長い胴体で攻撃する。
「わあっ! えと……何だいアニエス?」
「……んピピーーーッ!! (怒)」
真っ赤になりながらキポンキポンッと身体をくねらせ大きくジャンプして、アニ虫は身体全体で怒りを表した!
「?? アニエスは何をこんなに怒っているのか……君達はわかるかい?」
「えーと旦那様、あの……実はその手にしているものが……」
物心ついた娘にとって、父親に自分の排泄物を見られた上に、素手で触られること以上の恥辱が、果たしてそうそうこの世にあるだろうか?
アニエスはすっかりしょげてしまい部屋の隅に引きこもってしまった……。
身体からは不信感が漏れ出て、まるで保健所の犬のようにこれ以上無く人間を警戒している!
「アニエス〜、私も全く知らなかったんだ。許しておくれ?」
「……………………(悲)」
だがアニエスはソレに、なお心の壁を展開して、しゅるるるるるるっと白い糸を吐いて、気付けばその繊維の衣で完全に外界を遮断してしまった。
というか、それはまんままるで巨大な蚕の繭のようだ。
「おやおや、これはしばらく話せそうにもないな…………困ったぞ……?」
「……旦那様、私たちも、お嬢様が可愛くてついはしゃいでしまい申し訳ございません!」
「キャベツを一生懸命に食べる姿がかわいくって……」
「キポキポ嫌がって逃げる様も愛らしく……ついどこまでも地獄の果てまで追いかけたくなってしまって……!」
「難しいお年頃なのに、思わず『グへへへへっ……』と構いすぎてしまいましたぁ……ッ!」
彼女たちはデリカシーに欠けた数々の失態を繰り広げはしたものの……それもアニエスを愛しく想うがゆえのものだったようで、メイドたちも素直に反省する。
それにイライアスもやれやれとため息をついた。
「私も迂闊だったよ。だから人のことはあまり言えないが、今度からはあまりやり過ぎないように頼むよ?」
「「「「はい……かしこまりました〜〜〜〜」」」」
「また、何か変化があれば私たち夫婦にすぐに報せてくれ」
「「「「はーい、承知致しました!」」」」
そうしてアニ虫はようやく、騒がしい外界から遠ざかりやっと静かに一心地つくことが出来た。
ふわふわとする白く明るい繭の中で、アニ虫が目をつむると身体が次第にドロリと溶けていく……。
『変体』をとげるために身体が繭という蛹の中、一度液体に変化しているのだ。
身体が溶ければさらなるパニックになりそうなのに、何故かその時のアニエスは心底にその変化を受け入れ、ああ、今じぶんは何者でも無くなるんだな……と逆に柵が解かれ自由を手にするかの様な満たされた心地になる。
けれどそんな解放された身体の一方で、アニエスは『エルフ』とは……『自分』とは、何者なのかについて考え始めた。
ここ数ヶ月から一年近く。
半永久に生きるとされるエルフ特有の免疫・抗体を作る過程を繰り返してきた。
それは幾度となく地獄の苦しみを味わうものだったが、まるで何度となく無限に生まれ直し、作り直されているようでもある。
そんなに生まれ直して最後には一体何になるのか……そんなのはアニエスには皆目見当もつかない。
けれど今はただ溶けて変化していく身体をアニエスはただただ受け入れるしかないのだ。
(しょうがない……や)
アニエスは半ばヤケクソの諦めの境地というか、完全に開き直った心境になる。
そして意識を手放し、やがて深い深い眠りにつき、彼女は新たな自分に生まれ変わるのであった。
ロナ家のメイド……まず全員が、虫が全然平気なのがすごいです。




