151、王子の華の成人と血の晩餐舞踏会(タニアの過去⑤ 怪物王妃と時を駆ける少年) ☆NEWフレイ挿絵あり
※フレイと杖
「な……ぜ…………そ……なたガ……ココニ……」
王妃パトリシアの身体は膨らみ本来の五倍以上になる。
美しかった黒髪は不気味に波打ち、その息は非常に生臭かった。
「見てられないね……本当にタニアがここにいなくてよかった」
フレイが無感情な目でそう呟く。
「! ……ソナタカ……ソナタガ……タニア……ヲ!!」
身体をズルズルと引きずりながら、彼女が怒りでもうもうと煙のような湯気を上げた。
目は相変わらず忙しなくギョロギョロ動く。なんだかカメレオンみたいだ。
「いったい貴方は何がしたいの? 娘と一つになりたいなんて正気じゃない。貴方はいつもそうだよね……自分の居場所がどんどんと無くなっていくのに、自分は決して動かず、幼子に寄りかかってばかりだ……!」
王妃の目は白目が赤黒くなっている。その目に睨まれるだけで、常人なら震え上がるだろう。
「セオドリックは嫌いだけど、その点に関してだけは同情を禁じ得ないよ。貴方が仕事が出来ないから彼がすでに肩代わりしてるものもあるんだ。少しは恥を知ったらどう?」
「ソナタナン……ゾニ……ナニガ……ワカル、コワッパ!」
「……ねえ、聞いて。最後だろうから、とっておきの僕の秘密を教えてあげる……なんで僕が君の息子と同い年なのかわかる?」
フレイは静かに言う。
「……あのね。僕は国王と腹違いの弟ということになっている。前国王、最後の妃の子だと……でもそうじゃない。本当は僕は国王とは両親を同じくした王子なんだ」
「………………」
「……独学で魔法の次元と時空の関係性を研究をしている中、僕の身体は知らず何度となく時のループを繰り返し、時間が歪み、折りたたまれ、果ては平行世界に飛ばされ、戻った時には気付けば甥と同年代になっていた」
魔女や魔女に近い資質の最も優れた魔法使いは、最大の魔法『時間や時空の魔法』を使用できる。
しかし、それは常に大変な危険が伴い、気付けばフレイもその犠牲者の一人になっていた。
彼はずっと時空の迷い人になっていたのである。
「とんでもない過去に飛ばされたこともあったっけ……たぶん実年齢だけでいえば、すでにとっくに兄君を超えていると思うよ? ゆえにもう研究したくなくても、しないわけにはいかない悪循環の無限ループなんだ。でも、不思議なものでね。……経験や知識や実力は着実に身体に蓄積しているのに、身体や感情やそれに伴う思考は若いまま止まっているんだよ? まあ、この辺りはもしかしたら、人にもよるのかもしれないけど……」
「……コノ……バケモノ……」
「まずは自分のことを鏡で見てから言ってくれないかな?」
フレイは心底不愉快そうに眉を寄せて睨む。それから観察していた。
彼女が今のその呪われた身体に馴染むのを……馴染む前に片付けるのはフレイの実力ならば簡単だったが、彼女は王族で、裁判にかけなくてはならない。
だから、彼女をまだ生かしておかなくては……例え殺したくても今は我慢しなければならなかった。
「僕が時空の迷路からやっと抜け出せたのはタニアのおかげなんだ。彼女は……僕の運命の片割れだから……彼女が光になって目印になることで、僕はここへ帰ってこれたし、本来の時間が正常に歩み始めた。…………だから、僕は貴方を絶対に許さないし、きっと裁く。例え貴方からどんな呪いを食らおうとね!!」
「ノロイ……ソシテコロス……」
「へー強気だね……身体はそろそろ馴染んだかな?」
そう言うとパトリシアは尖りだした歯をむき出しにニヤリとする。
次の瞬間、パトリシアが今度は紫の靄を出し、急にしぼんで元の大きさへと戻った。
そこにいるのは誰もが記憶する美しかった頃の彼女。……黒目が赤黒い。それ以外は……。
彼女が右手を上げると、そこら中に一ヤード(※約一メートル)の球体状の大穴が空いた。
それは壁や家具はもちろん。後ろに控えた人間の身体を含む空間も当てはまり、不幸にもまた命が散った。
フレイはとっさに結界を張って、難を逃れている。
「ずいぶん厄介な魔法を刻みつけているな……」
フレイはそう口にすると同時に、鎌イタチのような風を起こし、パトリシアの身体を切りつけた。
地面や空中に舞うチリを瞬時に集め、風の刃のようにすることで、無数の武器を作り出す。
パトリシアの腕へ集中してそれらを放ち、パトリシアの腕を間もなく切り落とされた。
恐らく黒魔術の使用をするため、パトリシアのその身体中に『無色魔法陣』が数多に彫ってあった。
何故それがわかるのかというと、先程の魔法は黒魔術の一端であり、フレイはそれをよく知っていた。
今回の『霊込めの禁じられた黒魔術』の他にも、残念ながら王妃パトリシアには余罪があるようである。
そんなパトリシアは腕を切り落とされても、へらへらと笑っている。泣き叫ばないのは痛覚がすでに麻痺しているためだ。
(痛覚が無いのは厄介だが、それ以上に厄介なのは……)
パトリシアの周りに一瞬突風が起こる。
現れたのは腕が元通りに戻ったパトリシアだった。
(……この自由自在な変身能力。腕のあった自分に変身するとはね? ……だが、さすがに刻まれた魔法陣の形は覚えていないはずだから、先程の術はいずれにせよ、この後は使えないはずだ。それからもう一つ厄介なのは……)
魔法を使うのには脳を酷使し、精神や体力をもすり減らすと同時に、逆に身体や精神の影響を受ける面がある。
だから、魔力が残っていても身体や脳の負担が大き過ぎると激しい痛みとなって、自身でストップをかけてしまう……。
しかし、今の理性と痛覚がバグを起こしているパトリシアはその限りではなく、脳がいくら摩耗し焼かれようと、魔力がある限り永遠に魔法が使えた。
そうパトリシアは今、無敵状態にある。
(僕はまだ大技を使っていないし、無駄な脳の酷使を避けるために、わざわざこんなドでかい年輪一枚一枚に無数に魔法陣を書かれ重ねて作った杖を持ってきている。……とはいえ子どものこの身体。長期戦は不利になる)
そんな風に頭を巡らすフレイの周囲を火の柱が襲いかかる。
見るとパトリシアが今度は火蜥蜴になり火炎放射を放っていた。
「ソナタ……ガ……ドンナ二……スグレタ……マホウツカイ……デモ……コドモノカラダ……ヲヤカレレバ……テモアシモ……デナイデ……ショウ?」
フレイはすんでのところで躱したが、わずかに火傷を負う。
氷水魔法で瞬時に冷やすものの、パトリシアは最初からフレイの魔力をすり減らすより、子どもの身体の限界を狙っていたことを知り、唇を噛んだ。
(彼らの母親だけあり、パトリシアは残念ながら馬鹿ではない)
フレイの知識や経験。膨大な魔力に対してその身体があまりに脆弱なことを彼女はすっかり見抜いている!
「ウンディーネ!」
フレイは召喚魔法を使った。
大技を使うことを避けていたが、作戦変更である。
一気に大技で叩き、殺す気で向かわなければこっちやられてしまう!
呼び出された水の精霊が、マッハを超える高速の水鉄砲で火蜥蜴の身体に風穴を空け、さらにその口の辺りに粘り気ある水となってへばりつき、呼吸を出来なくした。
パトリシアはその攻撃に息が出来ずぶるぶると震えたが、またもや変身し今度は屋敷の屋根を破壊しながら一つ目の巨人『サイクロプス』となり、フレイを踏みつけ、棍棒で叩きつけようとする。
フレイが殴りかかってくる、高速の柱のような棍棒をその場で重力魔法を杖に掛け、受け止めた。
ウンディーネを再度追加で召喚。
息の根を止めんとサイクロプスの顔面をウンディーネに覆わせる。
痛覚は無くとも、呼吸を止める苦しさには耐えられないようで、肺近くまで塞がれたことにサイクロプスは藻掻き苦しむ。
(……ごめん……タニア……)
このまま彼女を殺すことになるだろうことを、フレイは愛する人に懺悔する。
だが、その時だ。
「あらあらあら、それでは殺してしまいますわ。王弟殿下?」
真っ直ぐに流れる烏の濡羽色の長い髪を優美に揺らし、紅い唇を微笑の形にして彼女はその場に現れる。
スラリとしながらも形の良い大きなお尻と、豊かな胸をたずさえた身体を、ピッタリとした黒衣のドレスに包み……魔法使いだってめったに被らない、つばの広い三角帽子を被るその人はいつもは王宮奥にいて、フレイですら近くで見えるのは初めてだった。
「魔女……閣下……!?」
「ふふっ、近くでご挨拶するのは初めてですわね? ガブリエラです。改めまして、ご機嫌よう!」
地獄絵図の最中、まるで初めての茶会で交わす挨拶のように、ガブリエラはゆったりと微笑む。
「あらでも、こんな風に挨拶している場合じゃありませんでしたわね? まあまあ、王妃様ったら前に会った時とはずいぶんとお姿が変わりましたこと……?」
ガブリエラの声を聞いた途端。
サイクロプスになり、息が出来ずに藻掻いていたパトリシアの動きがピタリと止み、ギョロリとガブリエラを睨みつけた。
「あらあら、私が分かるということは、わずかに理性が残っているのかしら?」
ガブリエラはおほほと笑い、扇子で優雅に顔を覆う。
そんなガブリエラに向かい、サイクロプスはフレイに向けたのとは比べ物にならない殺意に満ち満ちた様子で、棍棒をがむしゃらにガブリエラに向け振り回した。
だが、それをガブリエラはヒョイヒョイひらりと、人間を小馬鹿にする虫のように簡単にその攻撃を躱してみせる。
「相変わらず感情的なお方だわ……。だから陛下も面倒くさくなって、飽きて貴方から離れてしまったんですよ?」
「んん゛ぎゃアぁぁあアアアああああああああああああああああアアあああああああアアアあああああああああああアアアアあああああああああアアアっっ!!!?」
「!! ウンディーネがっ!?」
サイクロプスが力の限り咆哮を上げ、それにより、あのウンディーネが吹き飛ばされた!?
フレイが、再度、攻撃をかけるため杖を構える。
だがそれを、さっとガブリエラが手で静止した。
「殿下。あれで彼女はもう十分に貴方様の攻撃は効いています。……これ以上は本当に殺してしまうので、どうかこの後始末は私にさせてくださいませ。彼女も私との決着を望んでいるだろうしね?」
「……決着?」
「せめて彼女を最低限。人の姿に戻してあげましょう……」
ガブリエラは両手を広げると、バッとそのままサイクロプスの心臓に向けて突き出す。
すると、ずっと上空のサイクロプスの身体が、ドンという音と共に胸の周辺が凹み、その巨体が花火のような強い光を四方に放った。
そして、その真ん中には赤黒い肌の人の姿をしたパトリシアが浮かび、そのまま頭を下に落下してくる。
それをガブリエラは落下地点に瞬間移動し、その身体を受け止めた。
「誰か! 王妃パトリシアを連れていって下さい」
そうガブリエラが拡声魔法で声を上げると、後ろに控えていた騎士が全力で走ってきて、パトリシアの身体を受け取る。
「出来るだけ早く医者に診せてくださいね?」
「承知致しました!」
そう頷き、騎士は全速力で駆けて出ていった。
それを見届け、フレイはその場に座り込む。
ゼーゼーと小さな肩で息をしていた……。やはり子どもの身体には負担が大きかったのだ。
そんな、フレイの頭にポンと手のひらが乗った。
「殿下、素晴らしかったですわ。お一人であんな怪物をやっつけたのだから……」
そう言い、頭をナデナデしだす。
「な、……や、止めてください!?」
フレイはガブリエラの手を思わずバシンッとなぎ払ったが、一瞬にして、やり過ぎたことを反省し、顔を青くした。
けれど、ガブリエラは全然、気にしていないようでニッコリとする。
「そうですわね。抱きしめられる方が殿方は嬉しいに決まっているのに、私ったら対応を間違えましたわ?」
「はいっ!?」
「……それとも、こんなにボロボロですし、宜しければこのあと一緒にお風呂にでも入りましょうか? 殿下のお背中を私がお流し致しますわ」
輝く肌の妖艶な美女が、フレイにそう耳元で囁く。
「い、いったい何を仰っておいでなのか、ご自分でわかっているのですか? 信じられないお人だ!!」
「あらあら、殿下はまさか私が誰にでもこんなことを言ってるとお思いですか?」
「……それか、からかうのが趣味の方なのだとお見受けします」
「まあ、からかうのは確かに楽しいですわ!」
「やっぱり……」
「でも、コレに関しては本気ですのよ?」
ガブリエラはフレイを見つめた。
その瞳は見たことも無いほど深く澄んだ色をしている。
「フレイ様……宜しければ、私の弟子になっては下さいませんか?」
【おまけ閑話︙因果】
夫である国王が王妃パトリシアにいつから冷たくなったのか……そんなのは前すぎて覚えていない。
彼女がいくつかの無自覚の自分勝手と失態を懲りずに繰り返し、彼の心は徐々に徐々に離れていった。
ただ彼だって最初は本当に優しく。辛抱強く。温かく…………。
パトリシアとは周りに仕組まれ予定調和な婚姻にもかかわらず、当初は互いにベタ惚れだった。
息子のセオドリックはよくパトリシアに似ていると周囲からは言われていたが、パトリシアに言わせれば、その立ち姿が凛として気品がある様や、雄らしさを感じる顎から首、肩にみせるライン。
大きな手に長い美しい指先。
何か考え事をしている際の憂いを帯びつつ、こちらをドキリとさせる表情や、無邪気でいたずらっぽい白い歯を見せて笑う姿など、ほぼこの父と子は瓜二つだとそう思っていた。
またこれはパトリシアがセオドリックを溺愛する要因の一つでもある。
そう、少なくともパトリシア側はいつまでも、どんなに冷たくされようと常に夫を愛していた。
そして、そう……『ソレ』に気付いたのはいつだったか……忘れもしない錚々たる面々が集まる年中行事の席でのことである。
パトリシアはついにその恐ろしき現場を目の当たりしてしまった。
国王と国家の魔女と敬われる彼女が一瞬、見えないように手を重ねるその様子。
手は一瞬で離されたが、すれ違うたびに互いに名残惜しそうに一瞬だけ指を絡める。
二人は互いに公の目出度い席ということで、にこやかに周囲に微笑みかけ、談笑し、互いに立場を弁え、最も適した距離を取っていた。
だが、ふと油断すると二人の視線が互いに熱く絡み、しかもその熱は国王の方が高く、見つめる時間が長かった。
まるで見せつけられた王妃の滑り落ちる体温とは、反比例でもするかのように……。
国王の魔女と目が合うたび緩む口元。
魔女から目を背けた後も、すぐにその余韻から周りにくしゃっと破顔し、ジョークを飛ばして彼は大いにうけたりする。
……なんだかこちらにまで鼻歌が聞こえてきそうだった。
この今にも膝から崩れ落ち、妻がわんわん泣き出してそうだというのに……。
しかもそんな最悪の気分の最中、その魔女はあろうことか妻である彼女に近付いてくるではないか。
実年齢は老婆と言ってよいその女。
なのに肌は羨ましいくらいに、ぷるぷると真珠の光沢をみせ。
唇は瑞瑞しく、女でも目を奪われた。
何よりその艶やかで生き生きとした豊かな黒髪は……どこかエキゾチックで謎めいていて、まるで異国の姫君か女王そのものだった。
「挨拶が遅れ大変申し訳ございません王妃様。ガブリエラ・ロナ・チャイルズ・アルティミスティア。只今、こちらに参上つかまつりました……」
礼儀に適った最敬礼で、目を伏せ恭しくガブリエラが王妃に挨拶する。
許しが得られるまでガブリエラは決してその姿勢を崩さなかった。
そんな彼女に王妃は……。
「「「キャアッ!?」」」
周りが思わず叫ぶ。
王妃パトリシアが、なんとガブリエラに持っていたグラスの中身をぶち撒けたのだ。
濡れてポタポタと滴がたれ、呆然とするガブリエラ。
それにパトリシアは不機嫌そうに、鼻を鳴らした。
ガブリエラは、濡れたままゆっくりと立ち上がり自分の頰に手を置くと、ペロりっと口の周りを舐め、目を輝かせた。
「……美味しい! 王妃様はお酒の趣味まで素晴しくてらっしゃるのですね? 私ももっと飲んでみとうございます。あの、銘柄を伺っても宜しいでしょうか?」
そうニッコリと微笑むガブリエラ。
これを見た瞬間、パトリシアの背中の肌がゾクッと粟立った。
圧倒的なガブリエラの勝利。
非難の目はパトリシアに、称賛の眼差しはガブリエラへと瞬時に集まる。
「これは、何の騒ぎだ」
しかも気付けば、そんな王妃の起こした騒ぎに、国王自らこの場へと赴く事態になっているではないか!?
その場に着いた国王は当然、ガブリエラのびしょ濡れな様子を目にして、ぎょっと驚いた。
「ガブリエラ!? どうしてそんな濡れている!?」
(……ガブリエラ? ファーストネームですか!?)
そう問われても、ガブリエラはくすくすと笑う。
「『水も滴るイイ女』にございましょう! 陛下?」
「馬鹿を言うな風邪を引いてしまう」
「あらっ、お祝いに余興は付き物でしてよ?」
「いいから着替えなさい!」
「……そんなに慌てなくとも、魔法を使えばすぐに乾きますわ?」
だが国王は、ガブリエラの肩を掴み踵を返してすぐに入り口へと向かう。
ああ、当事者であるはずのパトリシアがもはや彼からは透明人間である。
「お、王妃様……」
王妃付きの侍女たちが思わず声を掛けるも、その声は遠く耳には届かない。
小さくなる二人の背中にパトリシアはただ涙を目に溜め、胸が真っ黒に覆い尽くされていた。
(どうして、どうして、どうして…………? あの女、あの女、あの女ぁ………………!!)
ただ見つめて、そう妬みと憎しみを込め、心にひたすらに唱えながら……。




