145、王子の華の成人と血の晩餐舞踏会(お礼とブローチ)
「んっ……?」
(席を間違えただろうか……)
アーチボルトの王太子ジュリアスが晩餐会の席に戻ると、先に戻っていると踏んでいたアニエスたちがそこにはおらず、違う人間が当然のようにその席に座っていた。
「お兄様、一体どこまで行ってらしたの!?」
しかし、自分の席の隣りに先程と同じくルシアが座っており、やはり席は間違えてはいないようである。
「まったく、あんなのは人を呼んでやってもらえばいいのに……お兄様は自分でお助けになるクセが従軍からまだ抜けてらっしゃらないのね?」
ジュリアスは数年前、自らも士官として志願し、自国の戦争に赴いた経験がある。
その時、ケガを負った仲間の救助など、王太子でありながら自ら率先して積極的に仲間を助けていた。
その経験もあってか先ほどもエースが具合が悪そうなのがほっとけず、気付けば助けに名乗り出ていた自分がいる。
妹のルシアの言う通り、確かにそれは少しジュリアスのクセになっているようだった。
「……失礼いたします。こちらの席のお客様でいらっしゃいますか?」
声を掛けられ振り返ると、髭を綺麗に整えた男性給仕が、トレイを差し出した。
トレイにはシルクのハンカチ。その上にカードを添えたピンクの薔薇が一輪と美しいカメオのブローチが置かれている。
「……これは?」
「先ほどあちらの席に座っていたというお客様からの言伝になります」
そう言い、給仕はちょうどアニエスたちが座っていた席を手のひらで指ししめす。
ジュリアスはカードを取ると、そこには流麗な筆運びでこう書かれていた。
『先ほどは助けていただきありがとう存じます。また友人が具合を悪くするかもしれないので、親切な方に席を交換してもらい、出入り口近くの席に私たちは移動する事にいたしました。あんなに親切にしていただいたのに挨拶もなくごめんなさい。……こちらは気持ちばかりのお礼の品になります。宜しければどうかお受け取りください。アニエス』
ジュリアスは薔薇を手に取り、匂いを嗅いだ。
「……ピンクの薔薇は確か『感銘』。一輪の薔薇は『一目ぼれ』の意味を指すが……そのままこの意味を受け取っても構わないのだろうか?」
(しかも極めつけは……)
ジュリアスが美しい流し目で給仕のトレイの上のブローチに視線を送ると、ふっと口元を緩めて手に取る。
「……確かに受け取ったと伝えてくれますか?」
「かしこまりました」
ジュリアスが給仕にチップを渡すと、給仕がその場をさっと後にした。
その様子を見ていたルシアが目を丸くする。
「お兄様、まさかそれは女性からの贈り物ですか!? お兄様が拒否もせず受け取るだなんて……嵐が来るわ……」
「大袈裟だな。礼を受け取っただけだよ」
そう言い、ジュリアスが燕尾服の左胸近くのベストの襟にそのブローチを付けたるのを見て、ルシアがますますギョッとした。何故ならそれが意味するところはーー。
◇◇
一方、このやり取りの少し前。
「……アニエスさっきと座席の場所が真逆だよ?」
「うん、実はね。さっき通りすがりの方にお願いして、私たち二人の席と交換していただいたの!」
「え!? いつの間に!?」
「だって、あの席じゃ収穫もなさそうだし……それに、何となくだけど……エースはあの席が嫌いなんじゃないかな? って思って」
「…………………………」
「お義姉ちゃんの勘ですよ!」
「……さすが……お義姉ちゃん」
「ふふふ! 尊敬するがいい義弟よ!?」
「う〜ん……すぐ調子に乗るんだよなこの人」
アニエスがここぞとばかりにドヤ顔をする。が、エースはそこは冷静にツッコんでおいた。
「あとね、あんなにお世話になったのに挨拶もしないで席を離れたから、慌てて給仕の人にお礼の言伝を頼んだの。無事に届いているかしら?」
「お礼って……あれ、そう言えばさっきまで付けてたブローチは??」
「ああ、だから、それをお礼に使ったのよ?」
「はっ!?」
「だって、まさか現金を渡すわけにはいかないし……パッとお礼に使えそうなものが思い浮かばなかったんだもん! 他はネックレスとかイヤリングとか肌に直接触れていたり……このブレスレットや指輪は値段が高すぎて、ちょっとお礼の品としては不適切だから……一番、あれが無難かなって……いけなかった?」
「いや、異性にブローチを送る意味ぐらいアニエスも知っているだろう!?」
この世界では本来、異性に左胸にさすための宝石のブローチを贈ることが、プロポーズを意味している。
「でも、相手だって、まさかついさっき会ったばかりの人間がプロポーズするだなんて思わないわよ。普通は男性がプロポーズするものだし……それに、『カメオ』のブローチだもの!」
因みに送るブローチの多くは、相手の目の色に近い色の宝石で作ったものを贈るのが、ごく一般的だ。
「箱も無くてあまりにそっけないから、慌てて会場を飾ってある花を一本取って添えたけど……これはあとでタニア様に報告して謝まらないと……?」
「……えーと、あのさ……何となくなんだけど、それも変な地雷とか踏んでない?」
「えー大丈夫。大丈夫!!」
「……不安だなあ」
エースはハアッとため息をつき苦笑した。
「……でも、本来は僕が世話になったんだから僕が礼を言わなきゃならないのに、アニエスが代わりに気を利かせてくれたんだよね? ごめんね……ありがとうアニエス」
「もう、何を言っているの? 家族だもん。何かあったらフォローし合うのは当然じゃない? それにエースは具合が悪かったんだから気にしなくていいの!」
アニエスがそう言い笑顔になる。エースは本当にロナ家に来て良かったと思った。
それにしても……。
(あいつ、僕のことを怪しんでいるんだろうな……)
助けてもらっておいての、あの不自然な嫌な態度……そして、何よりしっかりとエースは顔を見られてしまった。
(名前が違うのと、年齢に対して背格好が合っていなかったから、いまだ確信は得ていないだろうが……)
ジュリアスは賢明な青年である。
エースの明らかにおかしい態度に、また疑いを深めているかもしれない。
「……エース。どうせもう会うことも無いんだし、気にすることは無いわよ?」
「え!?」
エースはそれがあまりにぴったりとしたタイミングで、てっきり自分の考えが読まれているのだと思った。だが、そうではなく……。
「ブローチのことよ! 『いきなりプロポーズをする頭のおかしい女』と例え勘違いされても、もう会うことは無いんだし、気にしなくていいわよね? 十八歳の私は今夜しかいないのだから」
エースは驚いてドキドキする胸をおさえながら答えた。
「ああ、そっちのこと……」
「……うん? え、他に何かあった?」
「……ううん、そうだね。もう会わないんだ。気にしたってしょうがない!!」
「そうよね〜?」
偶然とはいえ、エースはまたもやアニエスの言葉に救われた。本当、アニエスのタイミングの良さは天下一品といえる。
取りあえずは、こうして、アニエスたちの席の一難は無事に去っていった。
……だが、この晩餐会場では、実は他にもまだ思いがけないドラマが繰り広げられていたのである……!
※134話に新たな【おまけ閑話】を後書きに追加しました。是非ご覧ください!
【用語集】
『宝石のブローチ』…………アニエスの世界ではプロポーズに使う一般的なアイテム。結婚相手に異性の左胸にさす高い価値のブローチを贈る古い風習から来ている。因みにブローチの宝石の多くは思い人の目の色と同じ色の宝石を贈るのが通例である。
【薔薇の花言葉】
1本:「一目惚れ」「貴方しかいない」
2本:「この世界には貴方と私2人だけ」
3本:「愛しています」「告白」
4本:「死ぬまで気持ちは変わりません」
5本:「貴方に出会えて本当によかった」
6本:「貴方に夢中」
7本:「密やか愛」
8本:「貴方の思いやりに感謝します」
9本:「いつも貴方を想っています」「いつまでも一緒にいてください」
10本:「貴方は完璧な人」
11本:「最愛」
12本:「付き合ってください」
99本:「永遠の愛」「ずっと好きでした」
100本:「100%の愛」
108本:「結婚してください」
365本:「貴方が毎日恋しい」
赤い薔薇:「告白」
赤いスプレーバラ:「愛情」
ダークレッドのバラ:「円熟した優雅さ」
ピンクのバラ:「感銘」
ピンクと白の複色バラ:「励まし」
ピンクと白の複色スプレーバラ:「美しい少女」
ライトピンクのバラ:「私を射止めて」
ダークピンクのバラ:「愛を誓います」
オレンジのバラ:「あなたの魅力に目を奪われる」
オレンジのスプレーバラ:「幸多かれ」
ライトオレンジのバラ:「新鮮」
黄色のバラ:「愛」
イエローのスプレーバラ:「模範的」
緑のバラ:「新たな気持ち」
青のバラ:「上品」
ライトブルーのバラ:「深い尊敬」
紫のバラ:「私はあなたにふさわしい」
紫のスプレーバラ:「富と繁栄」
白いバラ:「麗しい」
クリーム色のバラ:「和み」




