110、秋色のお茶会と枯葉の下に育つもの(前編)
『秋晴れとはこういう空を言うのだよ!』という手本のように、晴れ渡った高い高い空の日の事。
社交界デビュー目前の沢山の令嬢が、頬をバラ色に染め、秋色を意識しつつも若さが映える美しい色合いのドレスをそれぞれに身に纏い、心待ちにしていたこの日を迎えた。
会場は庭に面した大広間。
テーブルセッティングは、お茶会特有の明るさに満ちた色合いとは異なり……秋を意識した非常にシックな大人びた装いで、それがまたこのお茶会を特別なものに感じさせ、乙女たちの心をひたすらにときめかせる。
沢山の男性使用人のフットマンの他に配置されるは、ブライズ·メイドよろしく…………今日の主役である、王宮宮廷行儀見習いの先輩たちを引き立てるべく奔走する後輩の年若い宮廷行儀見習い達だ。
彼女たちは、その高い身分を示すように、メイドとは一線を画す上等な真っ白な真綿か絹に、職人たちが丁寧に一編み一編み手編みを施した、レースのフリルをふんだんにあしらったエプロンを身に着け、大抵はその髪と襟元にベルベッド地の黒か紺か紅色のリボンで、その身を飾っている。
彼女たちの緩やかに膨らみ優雅にヒダを作ったバッスルスカートは、今日の催しに合わせシックな茶色で統一されていたため、一層この会をその秋のテーマでまとめるのに、強い効果を発揮していた。
「アニエスのスカートの色を茶系で統一させる案というのは、思いの外効果がありましたね? 茶色にも赤っぽいのや黄色っぽいものがあって、それこそ、秋色の妖精が給仕をしてくれているようで素敵だわ!」
そう言い、今回のお茶会の責任者であるタニアは満足そうに頷いて見せる。
「テーブルセッティングもセンスが良くて完璧だし。これなら王子殿下たちにも、ご満足していただけることでしょう……」
それに恭しく頭を下げていたアニエスはようやく顔を上げて微笑む。
「お褒めに預かり、身に余る栄誉でございますタニア様。……それにしても、ご招待客は王子達だけではなく、年若い近衛兵や騎士団の方々も来られるのですね?」
と、出席者名簿を検めた。
「ええ、流石にお二人で何十人ものご令嬢をお相手するは負担だと思いますから。案外、本当にこれが良いご縁になるかもしれませんね?」
アニエスはそのタニアの言葉にニッと笑う。
「……そうおっしゃいますが、これに関してはタニア様の深いご配慮なのではございませんか?」
何故なら王宮宮廷行儀見習いの何人かは、近衛兵や騎士団の誰かとひっそりと付き合っていたりする。
しかしその事は大っぴらに出来ないため、隠れて、コソコソとしたものだ。
というのも、ちゃんとした席を設けたわけでもないのに、未婚の貴族令嬢が何の紹介の無い者と付き合うとは何事か!?
と、貴族的には目くじらを立てられるような事案だからである。
尚、この件に関して王子達は除外らしい。なんならそのために、ほとんどの者が王宮宮廷行儀見習いに入ってきてるわけで……。
しかしそれも、このように王族主催の茶会にご招待されて知り合ったとなれば……これまた、話は別である。
王族主催のパーティーで知り合うは、つまりは王族よりご紹介を受けたも同じ事!!
そうなれば近衛兵や、王宮騎士団は精鋭のエリート集団である。
相手側として申し分なく、例え家を継がない次男、三男でも、親に堂々と胸を張って紹介できる相手というわけだ。
「アニエスは本当に自分以外の気持ちの機微に関しては、聡いのだから厄介だわ? 本当に優秀なのに困った人ね!」
やれやれとタニアは、頭を大仰に振って見せた。
「ええ? どうしてですか? 私は自分に対する気持ちも、わかっていると思うのですが……?」
「うーんそう思う気持ちは解るわ。けど、それに関しては、……どうなのかしら? 本当に無自覚なのだから」
タニアは、困った妹を見るような優しいまなざしで見つめると、眉を下げて笑う。
「タニア様。セオドリック王太子殿下とフレイ王弟殿下がご到着されました」
王室高等女官がタニアに伝えると、タニアも頷いて皆を配置につかせるようにその右手を高く上げた。
それを目にした令嬢たちは、サササッと自分の指定された配置につき、スカートの裾を持ち上げて膝を曲げ、頭を垂れてそのままお辞儀の格好で姿勢を止める。
また、年若い脇役の王宮宮廷行儀見習いたちも、壁際に一列に並び、同じようにお辞儀のポーズで、ピタリと身体の動きを止めた。
そうして、問題が無いのをタニアは見届けると、その右手を下げ、召使いに目で合図を送った。
「セオドリック王太子殿下、並びにフレイ王弟殿下のお越しにございます」
高らかに召使いが声を上げると、広間の大扉がゆっくりと開けられる。
先頭にはセオドリックとフレイが立ち、騎士団と近衛兵の若者たちが、それぞれ王子達の後ろにぴったりと二列に並んでいる。
王子達がゆっくりと広間の中に入ると、タニアの目の前に向かいその歩を進めた。
「……ご紹介と招待に預かり感謝いたします。我が妹であるタニア王女よ」
まずは、セオドリックが主宰であるタニアに挨拶する。
「お忙しい中、このような素晴らしい会を主催していただき、私からも御礼申し上げます。我が姪御タニア王女」
それに続いて、フレイの挨拶した。
「よくぞ、本日はいらしてくださいました。お二方。どうか心からごゆるりと、私共のお茶会をお楽しみいただければ、この上ない喜びにございますわ!」
そう言い二人を主賓の席へと案内する。
二人が席に着くと同時に、膝をついていた令嬢たちも起立に姿勢を戻す。
両王子の後ろに控えていた近衛兵、騎士団もざっと席の前に立った。
フットマン達が一斉に椅子を引いて、同時に皆、息を合わせたように一気にスッと着席する。
最後に、主宰したタニアが、両王子の対面になる長いテーブルの端に来ると、自分の席をフットマンに引かせ、優雅にその席に腰を下ろした。
それが合図となり、いよいよ秋のお茶会は開催された。
一度始まってしまえば、先程の凛と張りつめた空気は、どこへ行ったのやら……。
賑やかな話し声が行きかい、ところどころで笑い声も上がっている。
一番賑わって華やいでいるのは、もちろん両王子の座る席の周辺である。
……一方、黒子に徹している年若い行儀見習いたちは、忙しそうに右に左に指示を出されて、舞うように会場を行ったり来たりしていた。
その中で、一番よく舞台を舞うように踊るように行き交うのは、誰あろう我らがアニエスである。
人のなんなら十倍動いているにも拘らず、その様子にせかせかとした下品なものは無く、優雅で華やかで楽しそうで……本当に、まるでクラシックバレエのプリマが踊っているようだ。
さらに、彼女はその片手間に、フットマンや自分の後輩たちに的確に指示や助言を飛ばしていた。
おかげでテーブルは何の過不足もなく、ますますその場は、華やいだ盛り上がりを見せだしている。
「クロスはこれで間に合いそうですか? ああ、その花のプディングはこの後で出しましょう。あ、あそこでフォークを落とした人がいるみたい。……そちらで行って頂けますが?」
テキパキと働きながら、アニエスはチラリと横目でテーブルを見た。
見ると、セオドリックの周りに、件の最終候補の三人と思われる令嬢が座っていた。しかしその中には……。
アニエスはキョロキョロと、彼の人物の姿を探した。
その人は、王太子から十人程席を離した位置にちょこんと座っていた。
「恐れ入ります。これは私が持って行きますわ」
アニエスはケーキののったお盆を掌に乗せると、ひらりとエプロンの後ろに結んであるリボンを翻し、その人の下へと急いだ。
「アンジェリカ様、いま焼き上がったケーキはいかがでしょう?」
アニエスが話しかけたのは、親しい先輩であるアンジェリカだった。
「あら、ありがとう。頂きますわ」
アニエスはにっこりと、ケーキをいくつか給仕した。そしてその耳元で、声を潜めてアンジェリカに問い掛ける。
「……どうして、セオドリック様のそばにいらっしゃらないのですか? 私はてっきり最終候補に名が挙がっていると思っていましたのに」
アンジェリカの家は侯爵家で家格に申し分なく、アンジェリカ自身も美しく、教養も高い。
派閥も穏健派で、確かセオドリックの意見にも近いはずである。
しかし、それにアンジェリカは瞳を揺らし目を伏せた。
「……一年ではどうにもならなかったみたい。やはり、貴女を陥れたのが汚点になったようで、そこを他の貴族たちに突かれてしまったのです。これも全ては身から出た錆。どうしようもないですわね?」
それに、アニエスはまるで自身の事のように、激しいショックを受けた。
「そんな……でも、アンジェリカ様は反省してずっとずっと自分を律して、非常に努力されていましたよ!?」
そのショックで固まり、青くなるアニエスの様子に、アンジェリカはぷっと小さく噴き出す。
「貴方が、最も私を恨むべきなのに何をそんなにショックを受けているのですか? おかしい事!」
それに、アニエスはアンジェリカをキッと睨む。
「確かに以前はそうゆう事もありましたが……! 私たちはもう、お友達なのではありませんか? 違います? 私は間違っていますか!?」
強い眼差しと語気で、アンジェリカにそう詰め寄った。
それに、アンジェリカは驚いたように目を見開き、それから、少しだけ嬉しそうに、口元を綻ばせる。
「……私も、お友達だと思っています。一方通行でなかったのですね。……それは良かったですわ」
今度は、憑き物が落ちたようにすっきりとした表情を見せた。
「ありがとう。おかげできっぱりと殿下のことはこれで、諦めることが出来そうです」
アニエスは、その言葉にいよいよギョッとして、慌てふためいた。
「いや、いやいや、どうして、そんな結論に行き着くのですか!? 被害にあった私本人がもういいじゃないかと言っているのです! だから、例え他の三人が強力でも……遠慮なさる必要は全然無いのですよ!?」
それに、アンジェリカは頭をふるふると振る。
「別にあのお三方に自分は負けているとは微塵も思っていないし、遠慮なんてしておりません。……ただ私は殿下の幸せと、お友達を応援してみたくなっただけの事」
「お、応援ですか???」
「悔しいけれど、やっぱりその方には敵いそうにないですしね? ……本当、殿下は私が見込んだだけのことはあって……見る目が確かでいらっしゃるわ。私の恋も無駄ではなかったわね?」
だが、アニエスは一向に納得していない様子で、
アンジェリカに更に噛みついた。
「いったい何処のどなたなのですか!? その人物を私もこの目で確かめるまでは、とても納得がいきません!! 今となってはアンジェリカ様より相応しい方なんて、私はこの王宮で、タニア様くらいしか思い浮かびません! あ、いや…………タニア様は妹なんで除外しますが。だから……つまりは、実質暫定一位です!」
そう言って真っすぐな七色の瞳をアンジェリカに向ける。
(ああ、何てキラキラした美しい瞳なのだろうか? 子供のころ夢中で見た、クリスタルの万華鏡みたい……心の内側を映すようにあんなにも輝いて……)
「その方になら、毎日、鏡越しに会っていると思いますよ? 気付いていらっしゃらないのですか??」
「え、鏡?? ……大広間の鏡の事ですか? それともダンスホールの??」
本当に、何ともオタンコナスな反応である。
「私も随分大変な恋でしたが……殿下も負けず劣らず、相当に大変な恋よね? 全く呆れるほどに」
アンジェリカはため息をつくと、そのフォークにアニエスが給仕した真新しいケーキの最初のひと口を刺す。
そのひと口をこの最大のライバルにして、オタンコナスな今は応援すべき友人に、アンジェリカは贈るのであった。
アンジェリカは自ら自分の恋に終止符を打ちました。だけど、彼女は親友を得たのです。




