アルノルトの好きなものの話
※12/28がアルノルトの誕生日設定のため、記念短編です。
リーシェはアルノルトの婚約者だが、彼と過ごす時間は多くない。
何しろあちらは皇太子で、日々膨大な公務をこなしている。リーシェがこの城に来た当日から、食事の時間も別々だ。
アルノルトの部屋の整備が終わり、同じ離宮へ住まうことになってからも、その状況には変わりない。
結果として、リーシェは大変に困っているのだった。
顔を合わせる時間が少ないと、日常の情報も少なくなるからだ。
「――兄上の好きなものが知りたい、だって?」
執務机に向かうテオドールに対し、リーシェは大きく頷いた。
「仰る通りですテオドール殿下。あなたであれば、兄君の情報は把握済みかと思いまして」
何しろこのテオドールは、兄のアルノルトを心底慕っている。諜報技術を持つ人員を育て上げ、兄の情報を探るためだけに使っていたくらいだ。
リーシェはとある目的で、アルノルトの好きなものを知りたかった。
しかし、アルノルトに直接聞くのは憚られるため、本人の次に詳しいであろうテオドールの元を尋ねたのだ。
だが、テオドールの返した反応は、リーシェが想像していたものとは違っていた。
「……」
「テオドール殿下?」
テオドールは、拗ねたような表情でくちびるを曲げてみせる。いつもならば、こんなとき、『兄の話が出来るのが嬉しくて仕方がない』という顔で色々と教えてくれるのに。
「ど、どうかなさいましたか?」
「いや、痛いところを突かれたなと思って。その質問には答えられない、何故なら僕に情報がないから」
「アルノルト殿下のお好きなものが、ですか?」
リーシェが目を丸くすると、テオドールは執務机に両手で頬杖をついた。
「言っておくけど、嫌いな物ならある程度は分かってるよ? 夜会、人混み、町中、うるさい人間、頭の固い貴族たち、ほかにもたーくさん。だけど反対に、兄上の好きな物だけは、どれだけ調べても分からなかったんだよね」
「……そう、ですか」
テオドールは椅子の背もたれに身を預け、リーシェと一緒に考えてくれる。
「近衛騎士たちの中には、戦場や遠征先でも一緒に行動してた人間がいる。そいつらなら何か心当たりがあるかもな。それかオリヴァーに聞いてみれば? あいつは十年以上兄上の従者をやってるし、何か知ってる可能性はあるよ」
「テオドール殿下は、オリヴァーさまたちに情報収集されたことはないのですか?」
「オリヴァーが僕に答えるわけがないし、僕もあいつに聞きたくない」
テオドールは嫌そうな顔をして、しかめっ面のまま舌を出した。どうやらオリヴァーのことが嫌いらしい。
「そういうわけで悪いけど、どうにか自力で頑張って。あ、でも、何か分かったら絶対僕にも教えて」
「分かりました。それでは、皆さまのところに行ってまいります」
情報提供に感謝しつつ、リーシェはテオドールの執務室を後にしたのだった。
***
「アルノルト殿下のお好きな物、ですか? ……申し訳ございません。私にはとんと心当たりがなく」
近衛騎士のひとりにそう返され、リーシェは少し眉を下げた。
その騎士だけではない。リーシェが探し、姿を見つけた騎士たちは、みんな揃って難しい表情をするのである。
「私も存じ上げませんね。遠征先のお食事も、表情ひとつ変えずに召し上がっている記憶しか……」
「ご趣味のたぐい? いえ、そういった話をしたことは一度も」
「というより、いつもご公務でいらっしゃいますからね……我々の前に姿をお見せの際は尚更。なんでしたら、お休みで寛がれている姿もあまり想像できません」
「し、強いて言うなら武具のお手入れでしょうか? ……ですが以前、剣にもこだわりはないと仰っていましたね。『斬れて折れなければなんでもいい』と」
アルノルトの近衛騎士たちは、一様に困った顔でそう答える。
(……ほんとうに、ぜんっぜん、情報がないわ……)
一通りの聞き込みを終え、中庭で途方に暮れていると、求めていた人物が回廊を歩いてくるのが見えた。
「おや、リーシェさま。もうすぐ夕暮れだというのに、ベンチに座り込んでいかがなさいました?」
「オリヴァーさま!」
眉目秀麗な銀髪の男性が、リーシェににこりと微笑みかける。
彼こそが、テオドールの言っていた最有力候補者なのだ。
是非とも話を聞いておきたかったが、従者としてアルノルトの傍に付き従っているため、なかなか秘密裏に話しかける機会が生まれなかったのである。
リーシェは急いで立ち上がると、オリヴァーにも同じ質問をしてみた。
「アルノルト殿下のお好きな物、ですか」
「はい。オリヴァーさまがご存知であれば、どのようなものでも結構ですので」
オリヴァーは口元に手を当て、ふむ、とリーシェを見下ろす。
「差し出がましいようですが、ご質問の背景をお伺いしても? リーシェさまはどのような目的で、殿下の好みをお調べなのでしょうか」
「うっ。そ、それは……」
その問い掛けに、いささか気まずい気持ちになる。
リーシェはそっと俯いて、左手の薬指に嵌めている指輪を見た。アルノルトの瞳と同じ色をした宝石を見つめると、オリヴァーが納得したようにこう呟く。
「ああ、なるほど」
「えっ!?」
リーシェはまだ何も答えていない。
驚いて顔を上げると、目の前に立つオリヴァーは、なんだか微笑ましいものを見守るような表情でくすっと笑う。
「ああいや失礼、自分の発言はお気になさらず。リーシェさまの考えをお教えください」
「え、ええと……あの、そのですね。実は、アルノルト殿下にさまざまなご配慮をいただいていることへのお礼をしたく、考えておりまして……」
それこそがリーシェの目的だ。
アルノルトに求婚されてからというもの、彼はリーシェが望むことに対し、出来うる限りの誠実さを返してくれた。
にもかかわらず、リーシェからアルノルトに返せたものはとても少ない。リーシェが『何でも言うことを聞く』という条件を出したときですら、結局はリーシェのためにその権利を使ったのだ。
だからこそ、リーシェはアルノルトへの返礼をしたい。
しかし、本人に何が欲しいかと尋ねてしまうと、答えてくれないような気がしている。だからこそ、こうして周囲の関係者に聴取しているのだった。
「ですが、どなたもご存知ないようで。テオドール殿下から、オリヴァーさまでしたら何かご存知なのではと助言をいただき……」
「ははは、テオドール殿下が? 自分の名前を出してくださるとは驚きましたね。リーシェさまがいらしてからというもの、短期間で随分と丸くなられたようだ」
オリヴァーはくすくす笑いつつも、こう続けた。
「確かにテオドール殿下では、アルノルト殿下のお好きなものは分からないでしょうね。……ですが生憎と、自分にも分かりかねてしまうのです」
その答えに、リーシェは内心で残念に思う。
「そうだったのですね。お時間をいただいてしまい、申し訳……」
「というよりも。アルノルト殿下ご自身も、よく分かっていらっしゃらないのではないかと」
「……え」
リーシェが目を丸くすると、オリヴァーは困ったような苦笑を浮かべた。
「そのようなお話を、直接お伺いしたわけではありませんがね。ですのでリーシェさま、殿下へのお気遣いは不要ですよ。アルノルト殿下は、あなたからのお礼が欲しいなどと考えたことすらないはずです」
「……」
「リーシェさまが、殿下からの贈り物を受け取ってくださる。それこそを何よりもお喜びかと存じます」
その言葉に、リーシェは俯いてじっと考え込んだ。
そして、ひとつの結論に辿り着く。
「分かりました」
「お役に立てたのでしたら光栄です。それでは――……」
「オリヴァーさま。ひとつ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
「!」
そして差し出した提案に、オリヴァーは驚いたような顔をしたのだった。
***
「――晩餐会です、アルノルト殿下」
リーシェがアルノルトにそう告げると、彼は不思議なものを見るかのような目を向けてきた。
夕刻を迎え、きっといまごろ厨房では、夜の準備に大忙しの時間である。
アルノルトの執務室を訪れ、その机の前に立ったリーシェは、怪訝そうな顔の彼に説明を続ける。
「晩餐会、は少し大袈裟かもしれませんね。噛み砕いて言うと、『夜ご飯を一緒に食べませんか』というお誘いです」
「……」
しばらくリーシェを眺めていたアルノルトだが、やがて書類に視線を落とし、止まっていたペンを動かしながら口を開いた。
「……今度は一体何かと思えば。騎士たちに聞き込みをしていたようだが、情報収集の結果がその結論か」
「あ、相変わらず大抵のことを把握していらっしゃる……」
アルノルトはいつもの無表情のまま、淡々とした声音で言った。
「言っておくが、俺の嗜好に合わせた食事を用意する必要はないぞ。お前の好きなものを、好きなように用意させればいい」
「……」
「オリヴァー辺りが答えたかもしれないが、俺に味覚の嗜好はない。だから自由に……」
「一緒に見つけようと思いまして」
リーシェの言葉に、アルノルトがペンを止めた。
「……なに?」
「先日お話したでしょう? あなたに綺麗なものをたくさんお見せしたい、と。それと同じで、殿下がお好きなものについても探していけたらいいなと思います」
オリヴァーの話を聞いたとき、リーシェはそんな風に考えたのだ。
以前、アルノルトの趣味などを本人に尋ねてみたときも、答えは「特に無い」というものだった。
『アルノルトは、自分の好むものを知らないのではないか』というオリヴァーの話は、きっとほとんどが正解なのだろう。
「戦場や遠征先でのお食事以外は、ほとんどひとりで食事を済ませていらっしゃるとお聞きしました。ですから今夜だけでなく、今後もなるべくずっと、私と一緒に夕食を過ごしていただけませんか?」
「……」
「一緒にご飯を食べていたら、アルノルト殿下がお好きなものに気が付けるかもしれません。……それに」
「それに?」
なんだか若干の気まずさを覚えつつ、リーシェは口にする。
「私たち婚約者同士なのに、一緒に過ごす時間が少ないことについても、解消できるかと……」
「…………」
恐らくはこれも問題なのだ。
同じ離宮に住みながら、リーシェがアルノルトと顔を合わせる時間は短い。そのおかげで、将来の夫となる人物のことなのに、他の誰かに聞かなくては分からない問題が発生するのだろう。
(アルノルト殿下を知ることは、戦争の未来を回避するために必要なことだもの! ……多分。だから、ええと……)
気恥ずかしくなって俯いたあと、深呼吸をして顔を上げた。
アルノルトと視線が重なってしまい、思わず目を逸らしそうになる。なんとか踏みとどまったリーシェを見て、アルノルトがくっと喉を鳴らした。
「な、なんで笑うんですか!」
「いや? ……ただ、そうだな」
肘掛けに頬杖をついたアルノルトは、少しだけ機嫌が良さそうな表情で言う。
「――お前は、俺の意表をつく天才だと思っただけだ」
(こ、これだけ殿下に行動を先読みされているのに……!?)
なんだか腑に落ちないような気もするが、ひとまずは引き下がることにする。
ともあれ晩餐の許可が出て、リーシェはほっと息をついた。
こうして少しずつでも良いから、アルノルトのことを知っていきたいと願う。
そのうちに、彼の好きなものをたくさん見つけていきたいと、そんな風にも思うのだった。