アルノルトとリーシェの城下町お忍び話
※2章、アルノルトとリーシェがお忍びで城下町を散策していた時の、番外編短編です。
晴れ晴れとした青空の下、立ち寄った市場はとても賑やかだった。
アルノルトと様々な屋台を見て回り、リーシェはとても充実した時間を過ごしている。
初めて訪れる市場というのは、それだけで実に楽しいものだ。
けれど、リーシェにはひとつだけ気になることがあった。
(視線が……!)
市場にごった返す人々が、時折こちらをあからさまに見ているのだ。
――正しくは、リーシェの隣に立つアルノルトのことを。
「ねえねえ、今の人見た!? ものすっごく格好良い!」
「見た! というか、嫌でも視界に入るわよ! あんな色男、この世に実在したの……!?」
女の子たちが騒ぎ立てているのも無理はない。リーシェは品物を受け取りながら、アルノルトを見上げる。
通った鼻筋、冷酷そうな薄いくちびる。形の良い眉に、その美しい切れ長の目。睫毛は長く、頰に影が落ちるほどだ。
じっと見ていると、アルノルトがそれに気がつく。
「……なんだ」
「いえ。ただ、改めて目立つお顔だなあと思いまして」
そう告げると、アルノルトは心外そうな顔をした。
「言っておくが、先ほどから注視を集めているのはお前の方だぞ」
「え? ……あ。なにせ、この髪色ですからね」
「……」
リーシェは言い、エルゼが三つ編みにしてくれた髪の、尻尾になっている部分をちょんと摘んだ。
この大陸で多いのは、茶系統の髪色だ。貴族には銀髪や金髪が多く、リーシェのような珊瑚色の髪は少なかった。
アルノルトが歩き始めたので、彼の隣に並びながら尋ねてみる。
「やっぱり、髪を染めて来た方がよかったのでは?」
「髪色の問題ではない」
何故かきっぱりと言い切ったあと、アルノルトは周囲を歩く男性たちを軽く睨んだ。
そうこうしている間にも、すれ違う女性たちはアルノルトにはしゃぎ、隣のリーシェを見てから複雑そうな顔をしている。何度もそんな光景を目撃していると、さすがに落ち着かない気持ちになってきた。
(ここまでの美形が普通に歩いていると、どう考えても悪目立ちするわよね……)
このままでは、彼が皇太子アルノルト・ハインであることに気付かれてしまうのではないだろうか。
(思い出すと胃がキリキリするわ……。騎士人生では、国王陛下が何度も城下に繰り出して飲めや歌え。国民はみんな、ひとめで『国王さまの変装だ!』って気がついていたし)
そのため、道の脇に立ち止まって休憩中、リーシェはこう切り出してみた。
「そのゴーグル、せっかくなので着けてご覧になっては?」
「……」
今日のアルノルトは、首からゴーグルを提げている。
旅人が陽や砂避けに装着するもので、悪目立ちはしないだろう。
少なくとも、この整いすぎている顔立ちを晒しているよりは良さそうだ。
だが、アルノルト本人の考えは違うらしい。
「経験上、隠そうとすればするほど露見しやすい。このゴーグルはあくまで緊急措置のためだ」
(……まあ確かに……)
リーシェが仕えていた王も、確かに毎回露骨な変装をしていた。恐らくあれが良くなかったのだ。
(目元を隠したくらいでは、アルノルト殿下の美形は誤魔化せないし。生半可な覚悟では直視できないレベルのお顔だから、その方が注視されなくて良いのかも?)
とはいえ、やっぱり心配にはなる。
「今回はこれで良いとしても。やはり次回のお忍びまでには、他の変装手段を確保しておきたいですね」
「……『次回』」
「はい、次回です」
アルノルトの鸚鵡返しに、リーシェは頷いた。
リーシェ自身はともかく、問題はアルノルトの方なのだ。
皇太子である彼の安全は、国にとっての最重要事項でもある。
かつて騎士であった身の上としては、やはりそこを重視したい。
リーシェが考え込んでいると、さしたる興味もなさそうなアルノルトがこう言った。
「……では、次は髪を染めれば良いだろう。お前だけでなく、俺の方もそうすればいい」
「あなたもですか?」
「珊瑚色ほどではないが、黒髪の人間も少ないからな。お前の混ぜた薬草で、一時的に別の色に出来るのであれば、それでいいんじゃないか」
「……」
その提案に、リーシェはしばらくしてから口を開いた。
「それは駄目です」
「ほう?」
「薬草の染料はとても弱いものですから、きっと黒髪は染まりません」
黒は何よりも強い色だ。
リーシェの髪と違い、アルノルトの髪を染めることは出来ないだろう。
「染めるのでなく色を抜く方法なら、試行を重ねれば可能かもしれないですが……すぐに戻せないので、当面はその髪色で過ごす羽目になります」
「別に、髪の色などどう変わっても構わないが」
そう言われて、リーシェは思わず声を上げる。
「駄目ですよ!」
「!」
思いのほか、大きな声が出そうになった。
すんでのところで小声にし、周りから変には思われなかったようだ。
それでも目の前のアルノルトには、様子がおかしいのを気取られる。
「お前、なにをそんなに……」
「と、ともかく!」
リーシェは咳払いをし、慌てて取り繕いながらこう言った。
「次回までに、何か方法を考えておきますね。そろそろ行きましょう殿下、あちらに貝のバター焼きが売っていますよ!」
「待て。まさかまだ食うつもりなのか……?」
呆れられたものの、誤魔化すことには成功したらしい。
リーシェはそっと胸を撫で下ろしながらも、アルノルトの提案を却下した理由を呟く。
(……だってきっと、その黒髪が、殿下に一番似合うんだもの……)
その色を、薬で当面のあいだ変えてしまうなんて、目元をゴーグルで隠させる以上に罪深いことだろう。
とにかく次回だ。
次回の機会が来るまでに、何か妙案を考えておかなくてはならない。
リーシェはそう決意したのだった。
***
――それからカイルの入国を見届け、彼の宿を突き止めてから皇城へ帰る道すがら。
「……でも、これでようやく納得しました」
城に戻る隠し通路は薄暗い。ランタンで足元を照らしながら、リーシェはぽつりと言った。
「何がだ」
「今日のお忍びの理由です。あの宝石店で『指輪を贈る』などと仰ったときは、まさかそのために私を城下へお連れになったのかと思ってびっくりしましたが……」
「……」
「それは間違いで、コヨル国の馬車が来るのをアルノルト殿下の目で確かめるためだったのですね」
公務のためのお忍びだと思ったら、リーシェの指輪のためだった。
……かと思いきや、れっきとした国政のためだったのだ。皇太子が、わざわざ街に出るだけの理由があったと分かり、ほっとした。
しかし先を歩くアルノルトは、リーシェを振り返ってにやりと笑う。
「別に、あの馬車が主目的だとは言っていないが?」
「……えっ!?」
それは一体どういう意味なのだろう。
驚いたリーシェの顔を見て、アルノルトは満足そうな顔をしたように見えた。
すぐに再び前を向き、歩き始めてしまうので、その真意は窺えるはずもない。リーシェは不本意な気持ちになりながら、彼の後を追うのだった。