72 皇太子と王子(◆アニメ10〜11話ここまで)
アルノルトがリーシェを見据えている。
彼がこちらに注いでいる視線を、一瞬たりとも離したくない。リーシェは真っ向から見つめ返し、そのまま次々と畳みかける。
「『時計』という品の素晴らしさを、アルノルト殿下はご存知です。世界にとって稀少であるその品を、安価かつ大量に所有したいと思われたことは? あるいはその技術を応用し、他に転じられないかと想像なさったことはありますか?」
「……」
今回の時計を作るのに、要したのはほんの数日だ。
それをわざわざ説明し、制作期間の短さを強調するまでもない。アルノルトならばきっと、その事実をしっかりと認識しているだろう。
「ゼンマイや歯車を使った技術は、あちこちの学者が研究を始めています。彼らの知識が合わされば、馬がいなくとも動く馬車や、風が無くとも進む船……そんな夢が実現するかもしれません」
わざと強気な表情を作り、リーシェはくちびるに笑みを浮かべる。
「けれどもそのとき、製造する技術を持つ国は、世界中を探してもコヨルだけです」
「はっ」
再び頬杖をついたアルノルトが、悠然とした笑みを浮かべた。
「……まるで、未来を見てきたかのように物を言う」
そちらこそ、まるでリーシェの心が読めているかのようだ。
リーシェの秘密なんて知らないはずなのに、どうしてそれほど鋭いのだろう。
とはいえ、この場でアルノルトに語ってみせた未来のことは、リーシェにだって予想の話でしかない。
コヨルは消えてしまうからだ。
戦争が起こり、もともと乏しかった国力が弱り果て、ガルクハインに侵略されてしまう。その結末を、少しずつでも変えなくてはならない。
(ここで殿下を説得できなくては……)
リーシェはぎゅっと両手を握り締める。
向かい合うアルノルトの表情からは、先ほどの笑みは消えていた。
「――それで?」
部屋に響いたのは、突き放すような声だ。
アルノルトは、これまで無関心を貫いていた対象へと目を向ける。
「カイル・モーガン・クレヴァリー。貴殿は一体なんのつもりだ」
冷たい響きを帯びた声に、リーシェは思わず身構えた。
カイルを見るアルノルトの双眸には、暗い光が宿っている。
アルノルトはほとんど無表情に近く、声を荒げたりもしていない。なのに、肌がぴりぴりと痛むほどの威圧感があり、傍にいるだけのリーシェですら緊張してしまう。
アルノルトは、酷薄さをはらんだ声でこう続けた。
「貴殿の国が持つ技術について、優れたものであることを認めよう。その力は、確かに我が国に欠けているものだ」
形の良い指が、椅子の肘掛けをとんっと叩く。
その音がやけに室内へ響き、張り詰めた空気に拍車を掛けた。きっとアルノルトは、それらすべてを計算しながら動いている。
「……であれば尚更、貴殿の甘さには虫唾が走る」
「……っ」
リーシェは反射的に息を呑んだ。
こちらがこの有り様なのだから、カイルの感じる重圧はこれ以上だろう。アルノルトはそれに構わず、淡々と言葉を重ねてゆく。
「知識も技術も人間も、他国に持ち出せるものだと理解しているか? 貴国の職人に金を積んで、ガルクハインに招くまでも無い。武力で脅して従わせれば、たいていの人間は知識を吐露する。我が国がその技術を習得したあかつきには、コヨルの生き残りなど殺してしまえばいい」
なんでもないことのように言い切ったあと、彼はカイルに尋ねた。
「そんなことを、何も考えずにこの場に来たのか。我が妻に言われるがまま、お飾りの王族として」
「殿下! カイル王子は……」
「リーシェ。今回ばかりはお前も同様だ」
横目で静かに睨まれて、リーシェは口を噤む。
「お前は、俺がその『技術』とやらを手にした末に、何が起こるのか想像しなかったのか?」
「……」
言葉の意味は、痛いほどによく分かっていた。
未来のアルノルトが何をするのか、リーシェはちゃんと知っている。けれど、それ以上に理解していることもある。
(だからこそ……)
「――リーシェ殿は、アルノルト殿を信じておいでです」
「!」
先に口を開いたのは、カイルだった。
緊迫感に満ちた室内で、カイルは凜と背筋を正し、堂々とアルノルトを見据えている。
「金属加工の技術を交渉に使うこと。これをリーシェ殿に提案いただいたときは、アルノルト殿のお気に召さないのではないかと不安を覚えました。しかしながらリーシェ殿は、一貫してアルノルト殿を信じていらした」
カイルの淡い水色の目は、雪原の中にある湖のようだ。
透き通った瞳は淀みなく、真摯な光を絶やさない。
「『未来をより素晴らしいものにするための力』を、アルノルト殿が望まないはずはないのだと」
「……」
カイルの言う通りだ。
いまのリーシェは分かっている。
たとえ皇帝アルノルト・ハインが、数年後の未来で侵略戦争を起こすとしても。数年前のアルノルトが、残酷な皇太子として戦場で恐れられていたのだとしても。
ここにいるアルノルトが、どんな人物であるのかを知っている。
「リーシェ殿ほどとは言えません。しかし僕自身も、アルノルト殿を信じてこの国に来ました」
リーシェの代わりに伝えてくれたカイルが、そのまま言葉を続けた。
「あなたが優れた統治者であり、敵兵にすらある種の敬意を払う将だということは、戦場の記録や政策の伝聞を耳にするだけでも伝わってきました。今このときも、僕を無言で切り捨てるのではなく、こうして対話の形を取って下さっている」
アルノルトが少しだけ眉根を寄せる。
無表情ではなく、明白な感情を滲ませてカイルを見ているのだ。それがたとえ、どんな形であろうとも。
アルノルトは、吐き捨てるようにカイルへと尋ねた。
「つまり貴殿は『信じる』と? 俺がコヨルに侵略し、技術者を奪取することはないだろうと」
「その通りです」
「めでたい考え方だな。さすがは、よりにもよって俺やこの国に頼ろうという愚考に至っただけはある」
「僕が愚かだったのは、『頼り、護ってもらいたい』と考えてしまった点です。ですが、あなたと同盟を結びたいと考えた自分の判断は、間違っていたと思わない」
迷いの無い声で、カイルは告げる。
「――王族として、あなたを深く尊敬し、この国に参りました」
そして、自らの胸に手を当てた。
「宝石を失ったコヨル国が持つのは、学者たちの知力と金属加工の技術です。このふたつにガルクハインの国力を合わせ、共同で研究を始められれば、先ほどリーシェ殿が仰ったような未来も絵空事ではないかもしれない」
「……」
「もちろんすぐにとは申しません。信頼していただくために、僕は一切を惜しみません。どうかほんの僅かだけでも、お心に留めていただけるなら――」
そのときだった。
「失礼いたします」
部屋の扉が開き、とある人物が現れる。彼の姿を見たカイルが、驚いたように目を丸くした。
「テオドール殿下」
「ご機嫌麗しゅうカイル殿下。お邪魔をしてしまい申し訳ございません、兄上。お話し中にも拘らず、大変な非礼を働いてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
普段と違う口調ですらすらと述べ、テオドールは頭を下げる。そのあとでリーシェを見上げ、まばたきの回数で合図をくれた。
(『緊急事態』!)
リーシェは慌てて立ち上がり、アルノルトとカイルに告げる。
「申し訳ございません。私は一度中座させていただきます」
「り、リーシェ殿?」
「お話の結果は後ほどまた、聞かせてください。本当にごめんなさい、それでは!!」
苦渋の思いでそう言って、リーシェはテオドールと共に退室した。ふたり同時に駆け出すと、護衛の騎士ふたりが慌てて追ってくる。
***
「……慌ただしいことだな」
残された部屋で、アルノルトがそう呟いた。
彼は肘掛けに頬杖をついたまま、カイルに向けて淡々と告げる。
「俺からも詫びよう。妻と弟が非礼を働いた」
「驚きはしましたが、問題はありません。それよりも先ほどの続きを……」
「オリヴァー。入ってこい」
「!」
アルノルトの指示で、彼の従者である銀髪の男性が入室してくる。
カイルは思わず目を丸くした。何故ならば、会議室に入ってきたのは、その従者だけではなかったからだ。
「アルノルト殿?」
現れたのは、十数名はいるであろう騎士たちだった。
彼らは無言で入室すると、アルノルトの後ろに横一列で整列する。
「これは、一体……」
「……」
大勢の騎士を従えたアルノルトが、静かにカイルを眺めていた。
***