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71 その国が誇るもの

 ***




 アルノルトとの約束の時間、カイルのために用意されたのは、会議に使われているという一室だった。


 皇族が使用する部屋であるため、調度品はどれも一級のものだ。部屋の中央に据えられている円卓は、賓客室には無いものである。


 やがてノックの音が響き、従者のオリヴァーが扉を開けた。


 彼が扉の横に控えると、後ろからアルノルトが現れる。

 すでに卓についていたカイルは、そこで立ち上がって一礼した。


「アルノルト殿。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「――あらかじめ言っておくが」


 アルノルトは、円卓を挟んだ向かい側のカイルを静かに見下ろす。


「先日と同じ話を繰り返すつもりはない。コヨル国との同盟にも、依然として価値は感じない」

「……承知しているつもりです」

「しかし」


 その視線が、部屋の隅へと向けられた。


「少しはまともな話が聞けるんだろうな? リーシェ」

「……もちろんです、アルノルト殿下」


 円卓から離れた場所に立ち、一介の侍女であるかのように大人しくしていたリーシェは、アルノルトの視線を受けて笑みを浮かべる。


(気圧されては駄目。これは商談で、戦いなんだもの)


 アルノルトの目は好戦的だ。挑発するかのようなまなざしは、室内の空気をぴんと張り詰めさせた。

 カイルもきっと感じているはずだ。アルノルトはふっと笑ったあと、リーシェから視線を外して着席した。


「お前も座れ。さっさと話を始めてもらう」

「その前に、アルノルト殿下」


 リーシェは円卓の傍まで行くと、カイルとアルノルトの中間に立った。

 それからアルノルトの方を見つつ、両手を広げてにこりと微笑む。


「今日の私は、いつもと何処が違うかお分かりですか?」

「……」


 リーシェの問いに、アルノルトが眉根を寄せる。

 この反応は想像通りだ。しかしアルノルトは、リーシェのことを眺めると、肘掛けに頬杖をついて答えた。


「首飾りに腕輪、耳飾り。――どれも見慣れない、俺の前では着けたことのないものだろう」

「!」


 まさか、ちゃんと見抜かれるとは思わなかった。


(アルノルト殿下は目が良いのだわ。単純な視力だけではなくて、洞察力や動体視力、さまざまなものを見抜く力がとても強い……)


 リーシェは頷いて着席すると、アルノルトに説明を続ける。


「仰る通り、この装身具はどれもアリア商会から昨日購入いたしました。コヨル国で作られた、宝飾品の数々です」


 リーシェの言葉を継いで、カイルが口を開いた。


「コヨル国の産業について、僕から説明させていただきます。我が国は宝石が産出される上、一年の半分以上が雪に閉ざされている。そういった条件が重なって、宝飾品を作る優秀な職人が数多く存在します」


 長い冬の過ごし方について、コヨル国はさまざまな工夫を行っている。

 男性が女性を褒める習慣も、家庭内を円滑に保つための伝統だ。それと同じように、室内に籠もって出来る宝飾の仕事は、昔から今に至るまで重宝されてきた。


「他の国では時間が掛かる装飾も、我がコヨルの職人であれば、短期間かつ精巧に仕上げるでしょう。それは世界中に誇ることの出来る、コヨルの宝です」


 これについても、カイルの言うことが真実だ。


 リーシェは先日の一件により、アルノルトから指輪を贈られることになっている。そして指輪は本来であれば、完成まで一ヶ月掛かると告げられていた。


 だが、店主の老婆から届いた手紙によれば、その期間が僅か一週間に短縮されたという。

 その理由は、カイルがガルクハインへと渡航してきた船に、コヨルの職人が同乗していたからだ。


(商人だった人生の経験からも、間違いないわ。コヨル国の技術は、世界でも有数のものと言い切れる)


 反対にガルクハインでは、こうした細工を作れる職人がいないと言う。


 先の戦争の影響だ。

 金属を鍛える鍛冶の技術と、細やかな細工を施す技術とは別物であり、いまのガルクハインに金属細工の技術は無い。


 いうなれば、強国ガルクハインの不得意な分野なのである。


「――……」


 だが、アルノルトのまなざしは冷めたものだった。

 赤いベルベット張りの椅子に腰掛け、気だるげな頬杖をついたままで、退屈そうにカイルのことを眺めている。


「リーシェ」

「……っ」


 アルノルトの目が物語るのは、一切の無関心だった。

 名前を呼ばれたその瞬間、ぴりっと緊張が走ってしまう。だが、リーシェはあくまで柔らかな笑みを浮かべた。


(これでいいわ)


 アルノルトが、『宝飾品を作る技術』などに興味を示さないのは分かっている。これについてはカイルだって、アルノルトを説得できないのではないかと心配していた。


 けれどもこれは商法である。


 ひとつの商品を差し出したとき、顧客の選択は『買うか、買わないか』の二択になるものだ。そして大半は『買わない』に傾き、商機を得ることはできないことも多い。

 けれども複数の商品を差し出したときは、買う、買わないとは別の思考が生まれる。


 それは、『この中で、どれがもっとも価値のある品か』という取捨選択だ。


 その場合に行われる判断は、『買うか買わないか』の二択ではなく、『この中のどれを買うか』に変化する。

『複数ある品物の中で、気に入ったひとつ』を選んでもらってからの商談は、最初からその品ひとつだけを提示したときよりも買う結論に至りやすい。


(もちろん、そんな小手先の商法が、アルノルト殿下に通用するとは思わない。……けれどこの商談は、私にとって、同盟成立のためだけに行われるものじゃない……)


 そのためには、アルノルトにとって価値のない技術を提示することが必要だった。


「カイル王子」


 リーシェがかつての取引相手を呼ぶと、カイルは静かに頷いた。

 懐に手を入れて、上着からあるものを取り出してみせる。カイルが卓上に『それ』を置いても、アルノルトの表情は変わらない。


 そんなアルノルトに向けて、リーシェは尋ねる。


「この品に見覚えがありますよね? アルノルト殿下」


 分かりきった問い掛けには、淡々とした返事が返された。


「元は俺の物だからな。それがどうした」

「これは……」


 リーシェが説明をしようとした、そのときだ。


「――――待て」


 アルノルトが、僅かに眉根を寄せてリーシェを止めた。


 心底どうでもよさそうだった彼の表情に、ほんの少しだけ変化が生まれる。その理由が分かり、リーシェの方も驚いた。


「……まさか、こんなところまでお気付きになるとは思いませんでした」


 商談用の笑みは浮かべたままだが、内心で舌を巻く。アルノルトは多くを語らないものの、きっとリーシェの『仕掛け』を見抜いたのだ。


「これは間違いなく、アルノルト殿下が戦時中に重宝なさったという物と同一の見た目をしています。……しかし、いま卓上にあるものは、あなたが所有なさっている品ではありません」


 傍らの鞄に手を延べて、リーシェはとある品物を取り出す。そしてカイルと同じように、その品を自らの目の前に置いた。


「あなたの時計は、いまも私の手元に」



 卓上に並ぶのは、ふたつの懐中時計だ。


 ほとんど見た目の変わらないそれは、けれども金色の輝きが違う。アルノルトが見抜いてみせたのも、この些細な差異が原因だろう。


「カイル王子がお持ちの時計は、お借りした時計の複製品です」

「……」


 アルノルトが静かにリーシェを見る。


「これを作成したのは、カイル王子と同じ船でガルクハインにいらした宝飾職人ですわ。宝石店の店主さまに相談して、鋳造に必要な設備をお借りいたしました。――指輪のような宝飾も、歯車や螺子といった金属も、まったく同じやり方で鋳造することが出来るのだとか」


 蝋などを削って原型を作り、その原型を使って型を取り、型の中に金属を流し込んで固めるのだ。


 これらの工程において、もっとも時間が掛かるのは原型作りである。

 けれども反対に、一度原型を完成させて型取りを終えれば、その型を使って短時間で同じ形の加工品が量産できる。それが、鋳造という技術の強みだ。

 そして腕の良い職人は、失敗しやすい鋳造を緻密に行うことができる。


 とはいえ、間に合うかどうかは賭けだった。


(『コヨルで腕の良い職人』であり、『カイル王子という王族の船に同乗できる』人物……もしかしてと思ったけれど、私の良く知っている人で本当に良かったわ)


 時計というものを生み出したのは、リーシェが過去の人生で関わった人物でもある。


 そしてその人物は、時計の作成に必要な部品の鋳造を、他ならぬコヨル国の職人に依頼した。その人物がコヨルを選んだのも、宝飾品の加工技術に目を付けたからだ。


 ガルクハインに渡航した職人は、時計の部品を鋳造するための型を持っていた。

 国外で仕事をするにあたり、自分が過去に行った仕事の成果物を持って行くことは、売り込みの面でもよくあることだ。


 そして今回は幸いなことに、リーシェの期待通りに事が運んだ。


(部品さえ手元に揃ったのなら、私は完璧に時計を組み上げることが出来る。……錬金術師の人生で、ミシェル先生が丁寧に教えてくれたおかげね)


 少しさびしい気持ちになりながらも、アルノルトに向き合った。


「精巧な金属加工によって作られた歯車や螺子。それらの組み合わせによって、あなたが戦争に重宝したこの懐中時計が作り出されました。恐らくはこの先、そう遠くない未来で、同じような品々が発展してゆくはずです」


 リーシェは確信しているのだ。

 これらの加工された金属は、使い方次第で様々な可能性を生み出せる。いまは絵空事めいた話だが、世界の各国にいる学者には、こうした分野を研究する者も大勢いることを知っている。

 錬金術師の人生で、リーシェは彼らの研究を多く見てきた。


「アルノルト殿下。あなたはきっと、欲するはず」


 時計の価値を正しく理解し、自分の目的に利用した彼であれば。


「この技術力を、ガルクハインへと」

「――……」


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― 新着の感想 ―
[良い点] そう来たか!という展開に感嘆しました。 過去の物語の伏線が色々な場面で回収されていく、読んでいてとても楽しいですしワクワクします。 [一言] 恐れ入りました。もちろん良い意味で、です。
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