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70 密談と花の香

 カイルは早速その日の午後から、リーシェが相談した通りに動いてくれた。


 アルノルトに勘付かれないよう、日中はガルクハイン側に事前申請していた視察場所を回りつつ、その視察の流れの中でも自然に作戦を遂行してくれていたようだ。


 リーシェがカイルと話すのは、一日に一度、彼のために調合した薬を渡すときだけだった。

 その際は護衛の騎士として、リーシェの協力者である貧民街出身の騎士のみをつけ、作戦の仔細を話すことにしている。


 そして、作戦を開始して数日目の夜。


「こちらをお確かめ下さい、リーシェ殿」

「……!」


 机の上に並んだ品々を見て、リーシェは息を呑んだ。


「驚きました。正直なところ、カイル王子のお力を借りようとも、間に合うかどうかは怪しいところだと思っていたのですが……」


 そう言うと、カイルは生真面目な表情で頷く。


「ガルクハインへ向かう船の中に、見知った顔があったゆえ。他にご所望なさっていた品も、準備が出来ました」

「ありがとうございます。これについても、私が贔屓にしている商会でも揃えにくいものですから」


 今回の『作戦』には、いくつかの人手と品物が必要になる。だが、アリア商会だって常にどんな品物も用意しているわけではない。


(カイル王子がいてくださってよかった。ここがガルクハインでさえなければ、私にも商人の当てはあったかもしれないけれど……)


 何しろこの国は、リーシェが過去の人生で唯一訪れたことのない国だ。

 他の国であれば、大抵の商いごとは分かるものの、ガルクハインの市場にだけは疎い。


(カイル王子は凄いわ。自国のことならまだしも、海を挟んでお向かいの国にいる商人や職人にまで顔が利くんだもの)


 リーシェは、品物の数を改めて確認しているカイルの横顔を見る。


 コヨル国でのカイルの役割は、学術分野と貿易に関する公務だ。

 だからこそ、商人としての人生を送ったリーシェや、錬金術師として過ごしたリーシェと関わっている。


 そんなカイルの人脈は、この国にまで及んでいるのだ。


(多くの商人と実際に顔を合わせ、誠実な取引をしてきたから、ガルクハインを拠点とする商人たちにも伝手があるんだわ。そしてその商人たちは、カイル王子を重要なお客さまとして扱い、緊急の仕入れにも対応している……)


 商人は人を大切にする。カイルはどの商人にとっても、信用できる上客だろう。


「――しかし、この粉末が間違いのない品かどうかは保証できないと申していました。ミシェルであれば、判断できたかもしれませんが」

「いいえカイル王子、問題ありません。成分の判断は私の方でも出来ますから。それとお伝えしていたように、この作戦はミシェル先生にも内密にしたいのです。……先生は、今日も城下へ?」

「ええ。あの者は研究をしているとき以外、本のある場所に入り浸るのが常ですから」


 カイルはきっと、ミシェルが城下にある図書館にいると考えているのだろう。


 だが、ミシェルの行動パターンであれば、実のところリーシェの方が熟知している。

 ミシェルが城下に出ているのであれば、リーシェが思った通りの動きをしているはずだ。


「リーシェ殿。――アルノルト殿下に、あと一度だけお時間をいただきたいと申し入れた件は、なんとか受理されました」


 リーシェは頷く。


 ガルクハインにとっては下位の国であろうとも、カイルはコヨルの王族だ。

 アルノルトの従者であるオリヴァーならば、国賓からの申し入れをすべて断らせるようなことはせず、アルノルトを説得してくれると思っていた。


「ただし、それは明後日、二日後の夕刻です」

「……ええ。コヨル国の皆さまの滞在は、残り三日間のご予定ですものね」


 カイルがこの国を訪れた名目は、リーシェたちの結婚祝いだ。


 それに次ぐ表向きの理由も、学者たちの情報交換や視察であり、同盟締結のためではない。

 特に理由もなく滞在を延長すれば、今後はアルノルトの父である皇帝に怪しまれる。


(気付かれてしまえば、コヨル国は皇帝陛下に攻め込まれるか、それを忌避するアルノルト殿下に攻め込まれるかの二択になってしまうわ。カイル王子の身にも危険が及ぶ……)


 そんな懸念を押し隠して、リーシェは明るい声音で言った。


「問題ありませんわ、カイル王子。むしろ、アルノルト殿下とのお話は明日になってしまうかもしれないと思っておりましたから、準備に一日の余裕が出来ました」


 すると、カイルはほっとしたように息を吐く。


「……つくづく有り難い。僕にお手伝い出来ることがあれば、なんなりとお申し付けください」

「ふふ。お気持ちは嬉しいですが、今日はもう夜遅いですし、ちゃんとお休みになっていただかないと」

「いいえ、まだ動けます。いただいた薬の効用で、体も大分楽になりましたから」

「カイル王子」


 揃えてもらった品物を整理しつつ、リーシェは微笑む。


「お忘れですか? カイル王子がどれくらいお疲れか、私には一目で分かってしまうんですから。ぐっすりお休みになって、元気に明日を迎えましょう」

「……申し訳ありません、リーシェ殿。我が国のために、このような」

「そんなことはありません。それに、嫁ぎにきた国の友好国が増えることは、私にとっても喜ばしいことです」


 リーシェがそう言い切ると、カイルは目を丸くしたあと、深々と頭を下げたのだった。




 ***




 自室に戻り、もう眠るふりをして侍女を下がらせたリーシェは、急いで次の準備に掛かった。


 ある程度作業を進めたら、今度は隣室の気配を確かめる。


 アルノルトの部屋に人の気配はなく、どうやらまだ公務中のようだ。

 それを念入りに確認したあと、ロープを持ってバルコニーに出る。


 四階にある自室から庭へと降り、人目を忍んで向かうのは、リーシェの畑がある方角だ。

 足音を消して近付くと、畑の方からは、想像していた通りに花の香りがする。


「――先生」


 きっと、ここにいると思っていた。


 リーシェが呼ぶと、畑の傍らに立っていた男性が顔を上げる。


 金色の髪をしたその男は、香り煙草をくちびるに咥えていた。

 横髪を指で耳に掛け、にこりと笑ったミシェルは、煙草を指に預けて言う。


「やあリーシェ、こんばんは。僕と旅に出る覚悟は出来た?」


 リーシェは首を横に振った。


「それについてはお断りしたはずです。私はただ、あなたと話しに参りました」

「……いいよ。お喋りしようか」


 こうしてミシェルに向き直ると、リーシェはどうしても思い出す。

 錬金術師の人生で、ミシェルと道を違えた日のことを考えてしまう。


 ある種の緊張を抱えながら、リーシェは口を開いた。


「先生は、本当にアルノルト殿下に火薬を渡すおつもりですか」

「そうなるかな。……だって彼はすごく効果的に、鮮烈に、火薬で世界を掻き乱してくれそうだから」


 香り煙草を吸い、ふうっと煙を吐き出して、ミシェルは言葉を続ける。


「――私には、そうしなくてはならない責任があるからね」

「責任?」

「そうだな、君に分かりやすく毒に例えよう。……毒薬は、人を害する力を持って生み出されたもの。であれば、ちゃんと人を殺すために使ってやらないと、その毒には生まれた意義がなくなってしまうだろう?」


 それは、以前の人生でも聞いた言葉だ。


「火薬もそうだ。世界を変える力を持って生まれたものであれば、それを使ってちゃんと世界をめちゃくちゃにしてやらなきゃ」


 微笑みを絶やさないミシェルの瞳が、冷たい氷のような光を帯びる。


「どんなものも、生み出された意義を果たさなくてはならない。私自身の存在だってそれと同じだ」

「……」


 頑なな響きを持つ言い分を、リーシェはちゃんと知っていた。


「『世界を掻き乱すために生まれてきた人間は、その使命に沿って動かなければならない』――ですか?」

「そうだよ。私の言おうとしていたことがよく分かったね、リーシェ」


 すべて分かるに決まっている。だって、ミシェルは繰り返し口にしていたからだ。

 いまと同じ、絶対に譲れないという表情で。


「それが出来ない私に、存在する意義はない。同様に、火薬は『適切』に使われなくては、せっかく生まれてきた意義がなくなってしまうんだ」

「そのために、たくさんの人が命を落としても、ですか?」

「平和、倫理、人命に道徳。……それは、世界を大きく促進させるよりも大切なことなのかい?」

「先生」

「ふふふ、困ったなあ。ごめんねリーシェ、君に意地悪を言いたいわけではないんだ」


 ミシェルは苦笑したあとで、どこか寂しげに微笑んでみせる。


「それだけは、本当だよ」

「……」


 告げられた言葉に、ぎゅっと両手を握り締めた。


「先生は、いつもそうでした」

「……ん?」

「誰よりも自由に振る舞うのに、本当は誰より不自由で。やりたいことも、やりたくないこともたくさんあるのに、ご自身が思う『役割』に囚われている。――錬金術師としての才能をすべて研究に注ぎ、成すべきことを成さなくてはならないと、ご自身に課していらっしゃるのでしょう?」

「……何を……」

「この世界には確かに、あなたにしか成し得ないことが存在します。けれど、あなたが世界に存在する意義は、その偉業を達成するためなどではありません」


 リーシェは短く息を吐き出す。

 そして、彼の目を真っ直ぐ見てから言い切った。


「人は、たとえ意義などなくったって、この世界に存在していて良いんです」

「……」


 ミシェルが僅かに目を見張る。


 ほんの一瞬のことであり、変化とも呼べない些細なものだ。

 けれど、一秒に満たないほどの短い時間であろうとも、ミシェルが驚いた顔をしたのである。


 それは、彼と何年も一緒に過ごしたリーシェですら、初めて目にする表情だった。


「……変なことを言うね」


 ミシェルはすぐにその感情を消し去って、いつもと同じ柔らかな笑みを浮かべる。


「世の中に、意味なく生み出されたものなんて無いよ。そして生まれてきた以上、その意味をまっとうしなければならないんだ」

「先生。私は……」

「もう眠くなっちゃった。戻るとするかな、おやすみリーシェ」

「先生!」


 くるりと背中を向けたミシェルが、一度こちらを振り返って続ける。


「また明日ね」

「……」


 未来に続く別れの言葉に、リーシェは少しだけほっとした。


 三度目の人生で聞かされたのは、『さようなら、私の教え子』という、とても寂しい惜別の挨拶だったからだ。

 瞑目し、深呼吸をしたあとで、そっと瞼を開く。


(……急がなくては)


 残された猶予は、あと一日だ。


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