64 先生の探しもの
「……」
動揺を顔に出してしまったのは、ほんの一瞬だった。
リーシェはすぐにそれを消すと、微笑みを浮かべる。
「アルノルト殿下との実験だなんて、とっても興味深いです」
偽りの好奇心を滲ませて、純粋な興味のふりをした。
心臓の鼓動が早いのは、ミシェルに気付かれていないはずだ。
(――情報を、引き出さないと)
ミシェルの作った『火薬』という薬品は、あらゆるものを破壊できる代物だ。
初めてその威力を目の当たりにしたとき、リーシェは信じられない思いだった。実験用の小屋は内側から爆ぜ、石の壁が砕け散り、一瞬にして崩れ去ったのだ。
『この薬のことは内緒だよ、リーシェ』
リーシェにその光景を見せたミシェルは、離れた場所で上がる黒煙を背に、人差し指をくちびるに当てて微笑んだ。
『ちゃんと隠しておかないとね。――この火薬を最初に使う人間は、私が決めることにしているんだ』
ミシェルはその相手をずっと探していた。そして教え子だったリーシェは、そんな人物が永遠に現れてほしくないと願っていたのである。
だが、とうとう見つけてしまったのだ。
リーシェの想定しうる限り、世界にとって最悪の候補者を。
「まさか、この国で出会えるとは思わなかったな」
ミシェルの声は、先ほどまでとは違い、囁くように穏やかなものだ。
ミシェルが研究で出した結論のことは、教え子だったリーシェも知っている。ミシェルは、どのくらいの音がどの方向に、どんな距離まで届くのかを把握しているのだ。
騎士たちに背を向けたミシェルの話し声は、彼らにほとんど聞き取れないだろう。
「私の火薬を渡すのは、戦争の実権を握れる人物が良かったんだ。だから長年、各国の王さまが行った政策のことを調べてきた。だけどガルクハインの皇帝は、記録を読むだけでも感情的で面倒くさそうなのが伝わってきてね。そして息子の皇太子さまは、明らかに私の実験には向いていないと感じた。――だって彼の政策は、まさに『善き王』そのものだったから」
柔らかな微笑みのあと、ミシェルは髪を耳に掛けた。
リーシェは焦燥を気付かれないよう、あくまで無邪気に問い掛ける。
「先生が探していらしたのは、一体どんなお方なのですか?」
錬金術師だった人生で、ミシェルはそれを教えてくれなかった。
『見つかるまでは秘密』だと、悪戯めいた表情で言ったのだ。恐らくは、リーシェが『火薬の実験』に反対していた所為だろう。
今回の人生であれば、ミシェルは話してくれるかもしれない。
祈るような気持ちのまま見つめると、ミシェルがふっと笑った。
「暴虐の王も善良な王も、私の『実験』には適さないんだ。ガルクハインの皇帝と皇太子は、それに当て嵌まると判断してしまってね。私としたことが、早計だったな」
(……だから、いままでの人生における先生は、アルノルト殿下に接触しなかったんだわ)
皇帝アルノルト・ハインの起こした戦争に、ミシェルの火薬は使われていない。
アルノルトが火薬の存在を知っていれば、彼は必ず実用し、『効率的』な 戦争を行っただろう。リーシェに貸してくれた懐中時計を、作戦の決行に利用したと言っていたように。
(先生は人の噂に興味を持たない。アルノルト殿下に関する『冷酷な皇太子』という評判よりも、あの方が行った政策という『結果』を信じた。――そして、アルノルト殿下が皇帝になってからは、現皇帝と同じ理由で実験対象から外したのね)
だが、今回の人生で、彼はアルノルトを見つけてしまった。
「――……アルノルト殿下は、とても善良な皇太子さまですよ!」
リーシェはそう言って、にこりと微笑む。
「ああ見えて、すごくおやさしい方なのです。国民が戦争で貧しくならないよう心を砕き、騎士たちが訓練で負傷するのに心を痛め、自ら訓練方法を考案なさったくらいですから」
慎重に言葉を選びながら、表面上は明るく振る舞う。
「その上に、私の我が儘をいくらでも聞いて下さいますし。先日も、とある賭けに負けた私が『なんでも言うことをお聞きします』と言ったところ、命令をするのではなく私に指輪を贈りたいと言って下さったのです。ふふ、素敵でしょう?」
あたかも婚約者の自慢をしているように。
ミシェルへの説得に聞こえないように、リーシェはにこにこと微笑みながら話す。
「カイル殿下に何かひどいことを仰ったのだとしても、恐らく本意ではありません。ですからアルノルト殿下は、先生の探していらっしゃるような方では……」
「ねえリーシェ」
とろけるような微笑みが、リーシェに対して向けられた。
「君の旦那さまに会わせてくれない?」
「――……」
自然な笑顔を保ったまま、リーシェは頷く。
「もちろんですわ。近いうちにお時間を作っていただけないか、お願いしてみます」
「それなら今から会いに行こう。君の言う通りにやさしい人なら、きっと許してくれるよね?」
「……ミシェル先生、それは……」
「分かるよ。本当は、私に会わせたくないんだよね」
「……!」
ミシェルはくすっと笑いつつ、リーシェを見つめる。
「だったら君でもいいんだよ、リーシェ。アルノルト・ハインと同じくらい、君のことも興味深いと思うから」
「……ご冗談を。私など、先生に興味をいだいていただけるようなものは、何も」
「そんなことはないよ。だって」
彼はリーシェを覗き込んだまま、こんなことを言った。
「『火薬』がどんな物なのか、君は一度も尋ねなかったね」
「!」
失態を悟る。
大袈裟に驚きすぎないよう、反応を示しすぎないように注意したつもりが、まんまと裏目に出てしまった。
「君を調べてみるのも面白そうだ。それに同意してくれるなら、アルノルト・ハインには近付かなくても気が済むかもしれないな」
「……先生」
「ふふ、ごめんねリーシェ。ひどいことを言っているのは知っている。だけどこれは、私の使命でもあるから」
「使命、ですか?」
「そう。毒として生み出されたものは、人を殺す使命をまっとうしてこそ価値がある。私の存在価値も、それと同じなんだよ」
ミシェルはやはり、微笑んでいる。
「世界を滅茶苦茶にするために生まれてきたような人間は、その使命の通りに振る舞わなくちゃ。私の錬金術の能力は、そのために授けられたものだからね」
花のように甘い匂いがした。
これは、ミシェルがよく吸っている香り煙草の匂いだ。
「私が探していたのも同じだよ。――世界をひっくり返して、ぐちゃぐちゃにする。そんな王たる資質を持つ人間を、ずっとずうっと探していた」
***
護衛の騎士を伴ったリーシェは、主城の廊下を歩いていた。
あのあとすぐ、カイルの遣いにミシェルが呼び出され、『授業』の時間が終わりになったのだ。
ミシェルはにこにこしながら『また明日ね、リーシェ』と言い、何事もなかったかのように部屋を出ていった。
(先生にとって、いまの会話はなんでもないことだったんだわ。だけど、あれが冗談のはずもない……)
廊下を歩きながら、溜め息をつきたくなる。
(ミシェル先生は、手段を選ばずアルノルト殿下に接触するわ。そしてアルノルト殿下はきっと、先生の提案に耳を傾ける。新しい技術や知識に対して柔軟なお方だというのは、一緒に過ごしていて分かったもの……)
アルノルトが火薬の存在を知り、戦争の未来を回避できなければ、それがどんな結果に繋がるかは想像がつく。
(アルノルト殿下に火薬の存在を悟らせない。併せてコヨルとの友好関係も目指す。……それも極力迅速に……)
考え込みながら歩いていたせいで、周囲への注意が散漫になった。
その結果、横の通路から不意に伸びてきた手に、リーシェの手首は捕まってしまう。
「!」
そして、目を丸くした。