6 あなた今なんて言いました?
ここ回の途中からが、アニメの続きの内容となります!
※これ以前の小説の掲載話にも、アニメで泣く泣くカットされたシーンが複数含まれていますが、ストーリーのメイン部分はアニメで全て描かれています!
「やはり、相当な使い手のようだな」
しゃん、と刃同士の擦れる音が響く。アルノルトが剣を鞘に収めたので、リーシェもゆっくりと剣先を下げた。
ただし、お互いに視線は外さない。
「貴様、何者だ!?」
「騎士の皆さまはお下がりください。あなた方に出てこられると、事態が余計ややこしくなるので」
リーシェの言葉に、騎士たちは戸惑ったようだ。
しかし、友好国の皇太子を相手に、この国の騎士を対峙させるわけにはいかない。
(それにきっと、この場にいる全員が束になってかかっても、この人には勝てない)
恐ろしいくらいに的確な剣筋だ。それを剣で受け止めたリーシェの手は、あの一撃ですっかり痺れてしまっている。
五年後はこれよりさらに強くなっているのだから、末恐ろしい男だ。
「リーシェといったな。その剣術、いったいどこで身に付けた?」
「秘密です。それに、あなたに褒めていただくほどではありません。さっきの一撃だって、明らかに手を抜いていたくせに」
「ははっ。バレたか」
(笑っている……あの、アルノルト・ハインが……)
やっぱり楽しそうなアルノルトを見て、リーシェは戸惑った。
別の人生で見た彼は、悪鬼のように恐ろしい表情か、ひどく冷酷な顔ばかり浮かべていたものだ。それなのにいまの彼は、纏っている雰囲気が幾分柔らかい。
(私の知る皇帝アルノルトが二十四歳だから、いまの彼は十九歳? ……なんだか変な感じだわ。どうりで、顔つきにまだ少年っぽさが残っているというか、笑い方が悪戯っ子みたいというか……)
先ほどの一閃も、攻撃というよりは遊びに誘うような類のものだった。わずかに殺気が混じっていたのも、本気ではなく、リーシェに応じさせるためだったのだろう。もっとも、遊びで殺気を発せられる時点でとんでもないのだが。
そんな風にアルノルトを観察していると、後ろで呆然としていたマリーとディートリヒが、そろって我に返ったようだ。
「あのっ! ど、ど、どなたかは存じませんが、リーシェさまから離れてください!」
「そうだそうだ! 大体、貴様は誰なんだ!?」
(まさかディートリヒ殿下、自分が招いた国賓の顔も知らないの!?)
夜会の前に、顔合わせの時間などはなかったのだろうか。疑問に思ったものの、ディートリヒは外交に一切興味がないので、なかったのかもしれない。
一方のマリーはちゃんと、アルノルトの只者でない空気を感じ取っているようだ。
恐怖に声が震えているが、リーシェのために勇気を出してくれているらしい。『王太子の婚約者』と、『どんな手段を使ってでも王太子と結婚しなくてはいけなかった少女』という関係でなければ、彼女とは対立せずに済んだかもしれなかった。
アルノルトは、ディートリヒをぞんざいに顎で示す。
「あそこにいる男が、お前の元婚約者か。想像以上の間抜け面だな」
「な、なんだとお!? 貴様も処刑されたいか!?」
「ディートリヒさま、お願いだから黙っていてください。……アルノルト殿下も、彼がこの国の王太子だと知っていて挑発なさっているでしょう?」
「なんのことだか。なるほど、王太子殿下が相手とあっては、俺も口を慎まなければならないな」
白々しい否定だ。
一方、この黒髪の男が誰なのかを知ったディートリヒたちは、一気に顔面蒼白になった。
「あ、アルノルト!? この男、もしやガルクハイン国の皇太子か!?」
「ひ……っ!!」
騎士たちが後ろに下がりかけ、それを恥じるように踏み止まった。騒動の見物に集まっていた街の人々も、震えあがりながらアルノルトを見ている。
「あれが、たったひとりで敵の騎士団を壊滅させたっていう化け物皇太子……?」
「馬鹿、やめな! そんな口を利いたら、あんたも殺されちまうよ!」
いまは和平を結んでいるとはいえ、相手は元敵国の恐ろしき王子だ。
五年後の世界ほどではないにしろ、アルノルトはここでも、血生臭い噂と共に畏怖されている。人々はアルノルトに背中を見せて逃げるのも恐ろしいようで、騎士の後ろに固まっていた。
(なんだか面倒なことになったわね……)
リーシェは溜め息に近い深呼吸をすると、アルノルトを見上げる。
「アルノルト殿下。ご用向きをお伺いしても? 殿下ともあろうお方が、ただの戯れで剣を抜かれたわけではないですよね」
「……ああ」
アルノルトは納得したようだ。
「確かにさっさと本題を伝えるべきだな。いや、無礼を働いた謝罪が先か」
(え。 この人、十九歳の時点ではちゃんと他人に謝れるのね)
びっくりした。皇帝となったあとの彼は、無茶な侵略を諫めようとした臣下の首を、残らずその場で刎ねたと聞いたのに。
しかし、彼が取った行動にはもっと驚いた。
「え……」
なんと、アルノルトがリーシェの前に跪いたのだ。
(嘘でしょう!?)
五年後には精鋭軍を率い、諸外国を侵略して回る皇帝が。
他人を拒み、気位が高く、傲慢だったアルノルトが。彼の敵として戦場に立ったことのあるリーシェにとっては、とても信じられない光景だ。
さらに彼はこうべを垂れ、まるで、主君に忠誠を誓う騎士のような姿勢を取るのだ。
そうしているのがアルノルトでなければ、ひどく絵になる光景だと感じていただろう。事実、先ほどまでアルノルトを恐れていた人々も、ほうっと見惚れたような溜め息をついている。
だが、当のリーシェにはそれどころではない。
「何をなさっているのです!? 皇太子殿下がこんなところで跪くなんて!」
「貴殿への突然の無礼を詫びよう。そして、願わくはどうか――」
アルノルトは顔を上げると、リーシェの手を取った。
少し強引に引き寄せられ、前のめりになってしまう。するとアルノルトは、リーシェの顔を間近から覗き込んできた。
(う……っ)
何度見ても、目が眩みそうになるほど綺麗な顔立ちだ。
形の良い眉、通った鼻筋、長い睫毛。
鋭い光を帯びた青色の瞳は、かつての人生で船から眺めた、遠い北国の流氷を思い出させる。
脈絡のないことを考えてしまったのは、一種の現実逃避だったろうか。
そんなリーシェに対し、アルノルトが告げる。
「どうか、俺の妻になってほしい」
「…………は?」
いま、なんと言ったのだろうか。
周りを見ると、みんな唖然としてこちらを見ている。リーシェはもう一度前を向き、跪いたアルノルトを見下ろした。
「……つま?」
「ああ、そうだ」
「私が、あなたの?」
「ああ」
「…………」
はっきりとした肯定が、この状況を現実なのだと知らしめる。
まったく予想していなかった展開を理解した瞬間、さすがのリーシェもひゅっと喉を鳴らした。
(待って。なにこれ、どういうこと?)
動揺のあまり、目の前がちかちかする。
結婚しろということだ。リーシェに、アルノルトと。
別の人生で、自分を殺した男と。
(全然状況が分からない。意味も目的も分からない。……だけど、これだけは早く答えなくちゃ……)
周囲の人々が固唾を飲んで見守る中、リーシェはきっぱりと告げた。
「お断りします」
「…………」
当たり前だ。
こんなもの、断るに決まっている。リーシェは今度こそ生き延びて、平穏で呑気な生活を送ると誓ったのだ。
――なのに、どうして。
「っ、はは!」
(……どうしてそんなに楽しそうに笑うのよ!!)
アルノルトの浮かべた笑みは、リーシェにとって嫌な予感しかしないものだった。




