53 想定外の事態です
ここ回の途中からが、アニメの続きの内容となります!
※これ以前の小説の掲載話にも、アニメで泣く泣くカットされたシーンが複数含まれていますが、ストーリーのメイン部分はアニメで全て描かれています!
その夜、リーシェは護衛の騎士ふたりに同行してもらいながら、いつもの通り畑へと向かった。
洗いやすくて汚れの目立たない紺色のドレスを纏い、普段下ろしている長い髪は、高い位置で馬の尻尾のように結ぶ。
騎士たちには少し離れた場所で待っていてもらいながら、黙々と薬草の収穫を始めた。
考えるのは、今日生まれた懸念事項のことだ。
(ローヴァイン伯が夜会にいらっしゃる。どう考えても、『ルーシャス』の正体が露呈してしまうわよね……)
雑草を根から引き抜きつつ、薬草の芽も間引きする。
今夜は満月であり、ランタンを傍らに置いていなくとも十分に作業が出来そうなほどだ。
(訓練期間が終わってからは、身元を明かして謝罪するつもりでいたけれど。それまでは、本物の騎士候補生として純粋な訓練が受けたいわ)
リーシェはこの国の騎士を学びたい。
そして、ローヴァインたちが語る戦争や、ガルクハインの軍事的な思想を知っておきたいのだ。
それは、自身の鍛錬や体力作りのためだけではない。
(そうすることで、五年後に『皇帝アルノルト・ハイン』が築き上げるもののことを、少しでも理解出来る気がする……)
小さな新芽を間引きながら、リーシェはふうっと息を吐き出す。
それから、ぐっと気合いを入れ直した。
(――夜会については、カイル王子をきちんと歓待できて、ローヴァイン伯に気付かれず、アルノルト殿下にも怪しまれない方法を取るしかない。あの手で乗り切るわ! すごく疲れるけど、五度目の人生の応用でいけるはず!)
手に着いた土を払い、立ち上がる。
全身を襲う筋肉痛のおかげで、作業をしていると痛むものの、常に痛みを感じる分には慣れてきた。
「戻られますか、リーシェさま」
「ごめんなさい、もう少し。今日は薬草の収穫をしておきたいのです」
騎士にそう返事をし、抜いた雑草を摘んだ籠を持ち上げた。
夜風がふわりと流れ、頬を撫でていく。
春が終わると、この大陸には短い雨季がやってくるのだ。今夜の風は、そんな雨の時期を前にした、心地よい風だった。
もうじき蛍の季節だろうか。ひょっとしたら、この城内でも見られる場所があるかもしれない。
そんなことを考えていると、少し離れた塔の窓に、いくつかの明かりが灯っているのが見える。
普段であれば、あの辺りは真っ暗なはずだった。リーシェが眺めていると、それに気が付いた騎士が教えてくれる。
「あの塔には、コヨル国からお越しになった学者の皆さまが滞在なさっています」
「まあ。そうだったのですね」
カイルの部屋は主城に用意されているが、他の面々はあそこに泊まっているのだろう。
コヨルの学者というからには、何人かリーシェの顔見知りがいるはずだ。もちろん今の人生では、リーシェが一方的に知っているだけだが。
(ジェロームさんや、ギディオンさんはいるかしら。グレッグさんは船が嫌いだから、コヨルに残っていそうだけど)
懐かしい面々を思い出していると、必然的に浮かんでくる人物の顔がある。
(――師匠は今、薬学の文献を求めてあちこち旅している時期ね)
薬師の人生では、いまからおよそ一年半後、薬学の師となる人物に出会う。
独学で薬を学んでいたリーシェに目を掛け、色々と教えてくれた。
その師匠とは二年ほど一緒にいたが、まだまだ教えてもらいたいことは山積みだ。
(今回のコヨル国ご一行に、師匠が混ざっているはずはないけれど……もし会えたら、色々と相談したかったわ)
カイルの件だけに限らず、今後のために作りたい薬はたくさんある。問題は、まだ薬草の種類が十分に揃っていないことだ。
冬の間に収穫し、乾燥させておくべき薬草などは、当面手に入らないということになる。
アリア商会に頼み、なんとか仕入れられないか相談中ではあるが、薬学大国であるレンファ国などを当たらなくては難しいかもしれない。
(とはいえ、いまはカイル王子だわ。なんとか学者さんたちを説得して、数日だけでも試してみていただきたいけれど)
だが、この薬はとにかく不味いのだった。
薬に毒性がないことを証明しようとしても、ちょっと時間が掛かりそうな程度には。
(でも、なんとか薬は飲んでもらわないと……このままだと五年後には、カイル王子は病床から起き上がることすら出来なくなるのだもの)
リーシェがそれを知っているのは、一度目の人生において、商人としてカイルに出会っているからだ。
商いで宝石を扱っていたこともあり、あるきっかけから、コヨル国王室との取引が生まれた。
カイルはリーシェを重宝し、たくさんの取引をしてくれたが、彼の病状はどんどん重くなるばかりだったのだ。
五年後のコヨル国は、第一王子カイルに見切りを付け、齢五つの第二王子を世継ぎとして見るようになる。
(そういえば今年は、カイル王子の異母弟君がお生まれになる年。私と同じ七の月がお誕生日だったはずだから……来月なんだわ)
今ごろきっとコヨル国では、あのやさしい第三王妃が、初めての出産に挑むべく張り切っている頃だろう。
『王位継承権に興味は無い。意味があるとも思わない』
一度目の人生で、カイルはこんな風に言っていた。
『だが、僕を王子として尊重してくれたこの国と民に、せめて少しでも報いたかった。……何よりも、恩が返せないまま終わってしまうことが恐ろしい』
起き上がる力も無く、掠れる声でそう紡いだ彼の言葉を、リーシェは今でも思い出す。
(……とにかくカイル王子には、元気になっていただかないと)
畑の傍に屈み込み、カイルに飲ませる薬草を摘む。
(それにしても。いままでの繰り返しの中で、カイルがこのタイミングでガルクハインを訪問したことはあるのかしら。どの人生でも起こっていた出来事かもしれないけれど、もしかしたら、今回が初めての可能性もあるわ)
なにしろカイルが訪問した名目は、『アルノルトとリーシェの婚約祝い』なのだ。
(もしもこれが、いままでの人生とは違う変化点のひとつなら。つまりは少しだけ、世界の動きが変わったことになる)
そう思うと、これは紛れもなく希望である。
(意味がある。何かが確実に動いている。……よし、ますますやる気が出てきたわ!)
未来を変えて、一秒でも多く長生きしたい。それから一刻も早くごろごろしたい。
目指すは毎日たっぷり十時間は寝て、昼は木陰で本を読み、午後のお茶を楽しむ日々だ。
夕暮れのバルコニーにハンモックを出し、湯上がりの髪を乾かしながら果物を食べるのは、どんなに幸せなことだろう。
そう思っていると、騎士たちが張り詰めた声を出す。
「リーシェさま。お下がりください」
「……」
彼らとほとんど同時に、リーシェもそれに気が付いた。
「――驚いたな」
聞こえたのは、男性の柔らかい声である。
(まさか)
聞き覚えのある声に、リーシェは思わず立ち上がった。
建物の陰になり、よく顔が見えないが、彼の羽織る白い上着はちゃんと見える。
近衛騎士たちが剣を抜けなかったのは、上着につけられたコヨル国の腕章が理由だろう。
「こんな畑を管理しているのは、私と似た職業の人間だろうと思ったのだけれどね。まさか護衛をふたりも連れた、貴い身分の人だとは」
「あなたは……」
男は軽い足取りで、リーシェの方に歩いてくる。
彼の顔が月明かりに照らされ、姿をはっきり見取ったリーシェは、予想外の事態に息を呑んだ。
(どうして?)
その男性は、肩まである少し長めの金髪を、少女のようなピンで留めていた。
上着の前を閉めていないから、羽織っているだけのそれが風に煽られる。
白衣の裾をなびかせながら、男は嬉しそうに微笑むのだ。
どこか女性的でもある顔立ちは、彼の年齢を分からなくさせるような、妖艶な美しさを持っている。
(この人がいま、カイル王子のお傍にいるはずがない。……いいえ、違う、その思い込みは間違いだわ! 私がこの人に出会うまで、どこで何をしていたかを正確に聞いたことなど無いのだから――)
その男は、火の付いた煙草を指に挟んでいた。
あれは細身の香り煙草で、葉巻のような毒素は入っていない。その代わりに、穏やかで甘い花の香を撒き散らす。
それを知っているのは、彼の元で長く学んでいたからだ。
「こんばんは、私の同類らしき人。その薬草は何に使うおつもりかな?」
(――――先生)
かつてリーシェがそう呼んだ男。
ミシェル・エヴァンが、目の前に立っている。